第二十幕 青の閃光
「あ……彩花さん!その珠を、私に見せて!」
美月は声を上ずらせる。
そして珠を眺めていた彩花へと、あたかも狼狽した様子で駆け寄っていった。
……普段は大人しく、滅多に、大きく声音を上げる事は無い美月。
いつもと違う彼女のその様子に、彩花は驚きつつも。
だが言われる通り美月へ、持っていた珠を、慌てて手渡した。
「え、あ、はい。どうぞ、美月ちゃん」
美月の手の上に、そっと、珠を乗せる。
……
美月のその手に、珠が触れた時だった。
『……パチチッ……』
一瞬……珠から微かに、放電した様な、小さな音がした。
……すると、次の瞬間だった。
『パアアッ!!』
「きゃあっ!」
彩花の眼の前が突然、強い、青白い光によって覆われたのである。
驚き、咄嗟に彼女は手で、眼前を遮った。
……
一体、何が起きたのか。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
強く激しい光が、視界一面を、白く塞ぐ。
しかしその中。
眼を瞬かせ、混乱しつつも、彩花は理解した。
(……!……この、光は……!?)
その光は、珠が発していたのだ。
なんと突如として、美月の手の上に在る珠が、青い閃光を放ち始めていたのである。
眩む様な、光。
すぐ眼前に居る美月の顔すら見えなくなる程の、強い光だった。
見るとその光輝は、ますます、強くなっていっている。
その彼女の姿形さえ、今や光が覆い、呑み込んでいたのだ。
珠から放たれるその光は、もはや「輝き」などでは無かった。
まるでそれは、大きな「光の渦」の様であったのだ。
「渦」は青白く周囲を包み込み、そして薄暗かった洞穴の広大な空間内は、たちまち、それによって満たされていたのであった。
それまで、周囲の行灯の小さな灯りを集めて淡く、そして仄かに反射させていただけの、その青い珠。
だが今や、光はその、珠そのものから放たれている。
その閃光は、激しく迸る波であるかの様に迫り来ており、周囲に居る人間たちをも悉く、丸ごと全て呑み込んでいた。
美月が珠に触れた途端に、儚げであった青い輝きは、さながら激しい落雷の如き閃光へと豹変するかに、その様相を一変させたのである。
「うぅっ!何だ、これは!?一体、何が起きたんだ!?」
突如として巻き起こった光の奔流。
流れ込み、そして包み込まれ、呑み込まれゆくその中。
美月を除くその場の者たちは皆吃驚し、また、狼狽するばかりだった。
一体この場で何が起きたのかと、状況が分からず、必死に周囲を見渡す。
しかし周りに居る筈のお互いの姿は、見えない。
あまりの眩さに、眼前の視界は、白く封じられていたのだった。
「美月!!大丈夫か!?」
眩んだ眼を瞬かせながら、ナニガシが叫ぶ。
珠を手にする美月の背中へと、光の流れに逆らうかの様に、走り寄る。
そして、彼女のその肩へと、手を伸ばした。
……その時、ふと。
(……?……この、光……?)
ナニガシの脳裏の中で、過ぎるものがあった。
(……この光。……どこかで……見た事が、ある……?)
……
それは、既視感だった。
……
この青白く、激しい光。
過去にどこかで、目にしたことがある。
……記憶の片隅に、その光の光景が。
確かに、あったのだ。
……確かその時も、強烈なまでの青白い閃光に、眼を眩ませていた様な。
そんな気がするのだ。
……
果たして、それは……
どこで、見たのであったか……?
……
……そう思いつつ、記憶の中を巡らすも。
伸ばしたナニガシの手は、美月の肩に届き、触れていた。
だが、その瞬間。
『フオンッ』
辺り一面が、一瞬にして暗くなった。
……それまで周囲全てを青白く覆い尽くしていた光が突如として、ふっと、消えてしまったのである。
「……!?……」
まるで、蝋燭の炎を吹き消してしまったかの様だった。
……
……辺りは、また、元の薄暗さに覆い隠される。
行灯の灯火たちがチリチリと、微かに音を立てている。
そしてまた再び、その静かな光を、苔むす岩の壁に与えていたのだった。
ナニガシたちは皆揃って、辺りを見回す。
白い光の中に居るかと思っていたら、しかしそこはもう、元の仄暗い岩の間へと戻っていたのだ。
まるで線香花火が燃え尽き落ちた後の様に、静寂と、そして光輝の余韻が残っているのみであった。
……眩んでいた眼が、行灯の仄かな灯りによって、視界を取り戻す。
ナニガシの後ろに続いて氷鶴が、美月の元へと駆け寄って来た。
「おい、美月!無事か!?……今の光は、一体何だ!?」
慌て、ナニガシが美月の手元を覗き込む。
……
そこには、美月の小さな手の上に乗せられた、珠。
……だが、その珠。
なんと、淡く小さな光を、チカチカと明滅させていたのだ。
青い光を微細に発し、そして消える。
それを不規則に、何度も何度も、繰り返している。
その様を見たナニガシや彩花たちには、さながら、珠が生きているかに思えた。
持っている美月に反応し、まるで珠自体が、彼女へと言葉を発しているかの様に見えるのである。
「……な……!?なんだ……これは!?」
……見た事も無い様な、その光景。
硝子玉如きの珠が、まるで魂と意思を持っているかに、己から光を放っているのだ。
ナニガシを始め、同じくその様子を見ている彩花と氷鶴、そして傍らの間牛と大友もまた、皆揃って驚愕し、眼を丸くしていたのだった。
……
しかし……
その光の明滅は、次第に次第に、薄れていった。
皆が見ている眼の前で、まるで魂が抜けていくかに、徐々に、光が弱まっていく。
そして。
……やがて、光が消える。
それきり、もう光を発することは無かった。
死んだ様に、完全に、珠はその輝きを失くしてしまったのである。
それを見て、美月が声を上げた。
「ああっ……!そ、そんな……!」
慌てた様子で、彼女は眼を見開き、珠を見つめる。
「……まずい……。やっぱり、これは……。ど、どうしよう……」
ひとりおろおろと、眼を瞬かせる。
……そして、そうした暫く後。
そのまま言葉を発さなくなるや……
がくりと肩を落とすと、彼女は落胆するかに、俯いてしまったのであった。
……
周囲で見ていたナニガシたち。
そんな美月の様子に訳が分からず、一同揃って、顔を見合わせる。
……彼女の持つ、光を放つこの珠が……一体、何なのか。
同時に、状況が呑み込めず、ただ困惑するばかりであった。
……
だが。
深く落ち込むかの様なその美月の有様に、どうやらただ事でない雰囲気であることだけは察し、感じ取るのだった。
「……?どうした、美月?何があった?……今、光を出してたその玉っころは……一体、なんなんだ?」
恐る恐ると、ナニガシが問いかける。
……
それに、美月は力無く、そして呟く様に答えた。
「……これは……。この珠は……私の、『探し物』のひとつ、なんだよ……」
彼女のその言葉に、ナニガシたちは驚き、またも顔を見合わせる。
「え……?と、いう事は……それは元々、君の持ち物だったって事か?」
美月は小さく頷く。
「……うん。『ムーン・ライ……』じゃなくて……えと……『月明かりの珠』と私の故郷で呼ばれてる、大切な物なんだよ……」
「『月明かりの、珠』……?」
皆が、不思議そうに首を傾げる中。
美月は僅かに嬉しげに笑むと、そして、手の上の珠を見つめる。
「どうしてこんな所にあるのか分からないけど……でも、やっと見つけた……。この珠が無いと、私は……」
そう言うと……
しかし次には悲嘆するかの様に天を仰ぎ、彼女は溜め息混じりに、声を上げた。
「……でも……青い色になっているなんて……。……これじゃあ、『使えない』……!」
――
……
旅を始める以前より、美月が探し求めていた、彼女の『5つの探し物』。
その内のひとつ。
……それは、この『珠』であったのだ。
美月曰く、『月明かりの珠』と呼ばれているらしい、不思議なこの宝珠。
彼女にとって重要なものであるらしいことは察せられるが、しかしその正体が一体何であるのか、美月は語らなかった。
……
珠が何故、光を発するのか。
そして珠は何故、その輝きを突然失ってしまったのか。
結局それらは、謎のままである。
分からない事は多い。
だが、これを手に入れた事により、彼女の『探し物』は残り、2つとなったのであった。
だが。
……何故か、その美月の表情は、浮かなかった。
大切な探し物が見つかったが、しかし……
それを喜ぶどころか、その真逆に彼女は嘆き、失望するかに、言葉を失っていた。
そして呆然としたまま、ただ、珠を見つめるばかりであったのだ。
「……うーむ。世の中、なんとも不思議な玉っころがあるもんだな……」
「……だね……」
……
美月に聞きたい事は多々あるが……
しかし、落ち込んでいるかの様な彼女のその様子を見て、今は根掘り葉掘りと尋ねることは、なんとも憚られる気持ちだった。
傍らのナニガシと氷鶴もまた、奇異なものを見る様に、美月の持つ珠を見つめていた。
……その横で。
ふと、彩花がぽつりと、小さく独り言を呟いた。
「……先程の、青白い光……。私は、見た事があるのですが……。……どこでだったでしょうか?……はて……」
その言葉に、ナニガシがはっと、彼女を見やる。
「……え?……彩花もか?どこでだ?」
それを聞き彩花も同様に驚いた様に、そう言ったナニガシへと顔を向けた。
「え?ナニガシさんも、見た事があるのですか?……私は、どこで見たのか……はっきりと、思い出せないのです。……先程、光が眼の中に入ってきた時……一瞬、『何か』を思い出しかけたのですが……。やはりどうしても、それが頭の中から、出てこずにいるのです……」
彩花は思い悩む様に、横に首を振る。
そしてナニガシもまた、彼女と同じだった。
「そうか……。……アタシもなんだよ。以前にどっかで、見た筈なんだが……どうにもド忘れしていて、思い出せなくてなぁ……。うーむむ……」
そう言った後、ナニガシと彩花。
2人は揃って腕を組み、そしてそのまま、考え込んでしまったのだった。
……
……沈黙する、場の空気。
2人を尻目に、一方美月は相変わらずがくりと肩を落とし、うな垂れ続けている。
その横で。
そんな3人のその様子を、傍から見ている氷鶴。
ナニガシたちが何の話をしているのか全く理解出来ず、困惑した様に、先程からもじもじと落ち着き無い。
だが、深刻なまでに落ち込んでいる様子の美月の有様を見て、流石に居た堪れなくなる。
無言の3人の横から、声をかけた。
「ね、ねえねえ!皆みんな!ほら、美月ちゃんもなんだか困っているようだし、そろそろここから出ない?もっと落ち着いた所で、お茶でも飲みながら、ゆっくり考えたら良いんじゃないかな!ね、ね?」
美月を励ますかに、そして重苦しくなってしまった雰囲気を和らげようと、努めて明るくしようとする氷鶴。
その言葉に、ナニガシと彩花が顔を上げた。
「……あ、そうだな。こんなカビ臭いシケた穴倉に居たんじゃ、考えも纏まらんな。息が詰まっちまう前に、さっさと出るとしようか。……な、美月」
ナニガシはそう言うと、俯いた美月の頭を、慰める様に優しく撫でた。
「……うん。……そうだね、お姉ちゃん……」
蚊の鳴く程の微かな声で応え、見上げた後。
美月も小さく、こくりと頷いた。
……彼女のその顔は、暗く、浮かない。
だが今は兎も角と、重い足取りながら、ナニガシの後に続く。
そして美月は力無く、歩き出したのだった。
……
だが、その傍らで。
間牛が腕を組みながら、先程から、低く唸り続けていた。
ナニガシたちと同じく彼もまた、何やら、考え事をしている様だった。
「……ううむ……。『青い珠』……『青い珠』、ねえ……。……俺もどっかで、そんな話を聞いた気がするんだが……」
間牛は、美月の持つ珠を凝視する。
じっと見つめながら、記憶の中を探っている様子であった。
それに、氷鶴が声を上げる。
「ちょ、もー!間牛さんまで!?いいからいいから、考え事は後で後で!間牛さんがそんなに見つめたら、美月ちゃんが怖がっちゃうじゃないかー!」
言いながら、間牛の背中をぐいぐいと押し、歩かせる。
「わ、分かった。分かったよ、氷鶴坊ちゃん。行くとしよう。……おい、大友。お前もさっさと歩け!」
間牛に首根っこを引っ掴まれ、渋々と、大友も歩き出す。
……その中。
引っ張られながら歩く大友が、ぽつりと彩花へ、呟いた。
「あ、あの……。彩花、さん?……忘れてると思うから言うけど……」
それに彩花は、横目でチラリと一瞥した後。
彼を見ないまま、静かに返す。
「……なんでしょうか」
彩花のその冷たげな返答に、恐る恐ると、大友。
遜る様に笑みを浮かべつつ、上目遣いに彼女の顔色を窺いながら、言う。
「そ、その宝珠……俺の物なんすけど……」
それに対し、横から間牛が、怒鳴る様に口を開いた。
「俺の船と客人に襲い掛かった詫び賃として、丁重に貰っておいてやるぜ!文句あるか!?」
さながら脅しの如く、声を叩きつけられる大友。
「……」
……
……一方彩花は、何も言葉を発さない。
「あ、いえ……あの……ございませんです……。はぃ……」
大友は、縮こまりながらそう言った。
……
彼にとっては何よりも、彩花の無言の「圧」が、恐ろしかったのである。




