第十七幕 捕縛
『…………、…………』
……
『……い……、……き……』
……
……?
……声……?
……
……白い光の中で……
何者かの声が……
……する……
『お……、お……ろ……』
……
……また……
声がした……
……
……これは……
……誰かが、俺を呼んでいるのか……?
……
そう言えば、ここは……
何処、だったか……?
……
……
……ああ……
そうだ……
俺は、確か……
……死んだ……
のであった、な……
……
とすると……
この、光の中。
ここは……
……浄土、というやつであろうか……?
……
……誰に……やられたのであったか……?
……
……ああ……
……そうだ……
彩花。
……彩花だ……
あいつにやられて……
俺は、死んだのであったな。
……
……死んだ、か。
……
……だが……
……それも、良いだろう。
愛した女に殺されて死ねたのならば……
……それは、男の本望であろう。
……
……
……あ……
いや……
ちょ、待てよ。
……
……やっぱ……
やっぱ。
死にたくないかも……
……
……いやだ。
嫌、だ……
……
……誰か……
誰か、助けてくれ。
……
……神でなくとも……
……仏でなくとも……
この際、鬼でも……
畜生でも……
何でも。
誰でも、良い……
誰か……
誰か。
俺を……
この、白い世界から……
……助けて、くれ……!
……
……あや、か……
……彩、花……
……彩花……!
……
……
……
『おい!おきろ!!』
――
――白く眩い、光の中。
「起きろ!!」
「「起きろ、大友ぉッッ!!」」
まるで殴りつけられる様な、鼓膜を破らんばかりの大声。
「う、うわあああっ!!」
その声に呼び起こされるかに、大友は叫ぶと同時に、はっと目覚めた。
……
目を開けた、そのすぐ目前。
……そこには、むさ苦しい男の顔があった。
日焼けした浅黒くゴツいその顔を鼻先まで近づけてきており、そしてすぐ面前でギロリと厳しく、大友を睨みつけていたのである。
仏でも、鬼でも無い。
……それは霊長……もとい、間牛の顔であった。
「おわーーッッ!!」
その顔に驚き、大友は思わずひっくり返ってしまった。
そっくり返って言葉通り仰天し、畳の上に仰向けに倒れ込み、そしてもがく。
……だがどうした訳か、手が動かない。
近づけられた間牛のその顔を振り払おうにも、腕が動かなかった。
それだけではない。
足も、胴体も。
……息苦しさと共に、まるで全身の自由が利かないのだ。
見ると……
……
自分の体に、筵が巻き付けられている。
その上、首から足先まで、荒縄で締め上げられているではないか。
……なんと、身動きが取れないよう、簀巻きとなっていたのである。
全身ぐるぐるに巻き上げられ、まるでさながら「ちまき」の如き自身の有様。
それを見て、またも大友は仰天する。
彼はその状態のままもがきながら、叫んだ。
「な、何だこれは!?……くっ!は、放せ!!」
「ようやく目を覚ましやがったか、大友」
芋虫の様に地に伏せ、這う。
海賊の頭領たる者が縄目に掛けられるとは、何たる屈辱。
間牛を睨みつけ眉間を寄せ、歯を軋らせる。
……だが抵抗しようにも身動き取れず、大友はゴロゴロと、畳の上を転げ回る事しか出来ない。
彼のその無様で滑稽な姿を見て、間牛の傍に居たナニガシが、愉快そうに笑った。
「わはははは。見苦しいぞ大友とやら。賊のお前におあつらえ向きの、良いザマじゃないか。……彩花にしてくれた仕打ちを、そっくりそのまま返してやるぞ」
その言葉にニヤリと笑むと間牛は腕を組み、そして、そんな大友を見下ろす。
「……さて。ふん縛ったは良いが、コイツをどうする?……こんな悪党、煮ても焼いても喰えそうに無いぜ」
彼の隣で、同じく見下ろしていた彩花が言う。
「……この男は、あの様な巨大な軍船を所用し、これまで多くの人々を襲ってきた大賊。それゆえおそらく、国府からお尋ね者となっている身の筈です。然るに、早急に役人を呼び寄せ、その下へ引き渡すのが宜しいかと思われます」
それに、ナニガシが賛同し、大きく頷く。
「そうだな。あれだけ大勢の手下を従えている程の海賊だ。多分コイツには、相当の額の懸賞金が懸けられているだろうしな。……役人に突き出せば、いくらかの金にはなりますぜ。ねえ?彩花様。……げへへへ……」
彼女はすりすり揉み手し言いながら、ニヤニヤと、邪な笑みを浮かべた。
……
ナニガシたち一行の、相変わらずお寂しい……懐事情。
『雲呑みの山』の集落での一件で、多少の臨時収入があったとはいえ……長旅を続けるにあっては未だ、心許無いものであった。
再び痩せてきていた、路銀の入ったボロ巾着。
……それがまたいくらか太るであろう事に、貧乏侍ナニガシは、喜びを隠し切れずにいたのである。
取らぬタヌキの何とやら、ではある。
だが、しかし……
自身に向けられるナニガシのその笑みと言葉に、もはや逃げられぬ己の運命を悟り、大友は歯を噛み締めた。
そんな彼を、ニタニタと上から見つめてくるナニガシ。
そしてその彼女の傍らで同じくじっと、好奇と期待と……そして何よりも、渇望と欲望の入り混じった眼を向けてくる、美月と氷鶴。
……彼女たちのその眼は、すでに大友を「人」ではなく、「金」にしか見ていない様な……
そんな、薄汚れた金欲に塗れた視線だった。
貧乏は人間を……無垢な子供でさえ、浅ましく飢えさせるものである。
大友はまるで、まな板の上の魚になった心持ちであった。
抵抗出来ないまま、捌かれるその時を、ただ待つばかりである。
まさに、生殺しの有様だった。
「……うぅ……あ、彩花……」
……痛いまでの、それらの視線の中。
居たたまれなくなった大友は逃げる様に、そして救いを求めるかの様に、彩花へと目を向けた。
……すると。
彩花の、その眼は……
それはまるで、養豚場のブタでも見るかの様に、大友を冷ややかに、見下ろしてきていたのである。
「かわいそうだけど明日の朝には牢屋に入れられる運命なのね」
……彼女の眼が、そう言っている。
残酷な眼であった。
「……う、うう……」
……救いは無かった。
生と死の狭間、夢現の世界から帰ってきた大友だったが、しかし。
……ここには、神も仏も、居なかった。
あるのは金欲塗れの畜生たちと、冷酷な鬼と……
そして、漁師の格好をした霊長類だけである。
身動き出来ぬ上に、針の筵。
それどころか、全身を剣山で押し潰されそうなまでの、痛ましさだった。
堪えきれずに、大友は涙しながら、悔しげに叫んだ。
「くっ!殺せ!!」
「うるさいぞ大友」
……そんな中。
先程から、間牛は大友の顔を見つめながら、考え込むかに眉根を寄せていた。
「……しかし、分からねえな。……この男……確か、『東の国』の水軍大将の筈だ。……そいつが一体何故、こんな所で海賊などになっているんだ……?」
間牛のその言葉を聞くやナニガシは驚き、思わず問い返した。
「……え?……水軍大将……?」
彼女だけでは無い。
その傍らに居る彩花や美月、氷鶴もまた同じく目を丸くし、間牛を見ていた。
その様子を見て間牛が言う。
「ん?……そうか、余所から来た旅人のあんたらは知らんのか。……この大友御行ってヤツは、『東の国』では名の知れた武将なんだよ。伝え聞くところによりゃあ、コイツは船軍(水上戦闘)の名手で、海の上では百戦練磨の負け知らずだって話だ。この『鯨の口』の辺りじゃあ、コイツの名を知らん人間は居らん程だぜ」
「ええ……!?そんなヤツだったの?この男……?……てっきり、ただの賊の頭かと思ってたけど……」
ナニガシたちは更に驚きを隠せず、殊更に、目を丸くした。
そしてその眼で、足元に転がるままの、簀巻きの大友を見やる。
……だが。
芋虫の様にもがく彼の、無様で情けないその姿だけを見れば、とても間牛の今の話を信じられるものでは無かった。
そんな大友が、畳の上から口を開く。
「……ふん。お前の言う通り、俺は今では……ただのせこい、ひとりの賊に過ぎん」
彼は横に目を向け、そして口元で、苦く笑んだ。
「……大将など……もう、とうの昔の話だ」
……
そう言った大友のその目は……
無念さを滲ませ、そして……淋しげに見えた。
外されたその視線はただ、物憂げに遠くを見つめ……
口元では笑っているが、しかしまるでそれは……己を、嘲っているかの様だった。
……そんな大友に、ふと、美月が歩み寄った。
「……そんな人が、一体どうして……海賊なんかに、なったんですか……?」
……
大友の、暗い心の裡。
それを……美月は微かに、感じ取った。
床に転がる彼の傍にしゃがみ込むと、彼女は静かな言葉で、問うのだった。
大友は……その美月の顔を、一瞥する。
彼はしばし口をつぐみ、黙り込んだ。
……が。
しかし。
敵意無く。
……それどころか、まるでこちらを優しく気にかけてくるかの様な、その少女の言葉。
彼女の、黒く、大きな瞳。
その清んだ視線が、真っ直ぐに、こちらを覗いてくる。
……少女のその眼に、何故だか……
少し、心が安まる気がした。
ふと。
美月に気を許したかに。
……大友のその目が、僅かに緩む。
そして迷うと共に、苦々しげに、その口を開く。
……彼は、静かに話し始めたのであった。
「……俺の仕えていた、『東の国』は……3年前の、ある日。……『南の国』に、攻め滅ぼされたのさ」




