表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/101

第十六幕 叫びの檻

 『……ザッ、ザッ、ザッ……』


 彩花はゆっくりと、歩を進める。


 ……彼女の歩む、その行く手。

 見据える、その視線の先。


 そこに居るは、ただひとり。

 海賊の頭領、大友。


 ゆっくりと……彩花は彼へと、歩を進めた。


「……ちょ、あの……。あ、彩花……?」

 

 大友は手足を震わせている。 

 投げかけた彼のその声音もまた、震えていた。


 ……彩花の、鋭い視線。

 いや……見よ、その眼光を。


 いつの間にか、先程までの笑みを帯びた、優しげな眼差しとは一転していた。

 それはさながら獲物を捉え狙う肉食獣の如く、ギラリと睨みつけてきているではないか。


 まるで檻から解き放たれた、飢え猛り、怒れる猛獣のそれであった。

 喰い殺すばかりの殺気と共に今まさに、彼女は、大友に向かって歩んできていたのである。


 ……

 彩花の手練ぶりは、大友は見て知っていた。

 小島において彼女の戦い振りに見惚れ、目を離さず脳裏に焼き付けんばかりに、じっと、間近に眺めていたからだ。

 実際、あれだけ居た大勢の子分たちの大半は、彼女によって薙ぎ倒された。

 それ故に彼には、彩花のその実力の程が良く分かっていた。


 先程までナニガシを気味良く挑発していた大友。

 相手の面前で臆面も無く自信満々と高笑い出来たのは、驕り高ぶる程に誇れるまでの、自身の剣の腕前があるからこそだった。


 ……だが。

 彩花の実力は、彼のその剣の腕を、遥かに凌駕していたのである。


 戦ったとして、彼女に勝つ事は出来ない。

 大友は、それを良く理解していたのだ。


 恐ろしさを知っている。

 だからこそ、全身を簀巻きにして彼女の身動きを封じていた。

 だからこそ、彼女を岩牢に閉じ込めたというのに。


 ……その彩花に、今まさに。


 狙われている。


 その事実に、今や大友は戦慄し、身動きひとつ取れずにいた。

 もはや笑う事など出来はしない。

 これから起きるであろう「己の運命」にただ足を震わせ、その場に立っている事しか出来ずにいた。


 受け入れようが入れまいが、もうすぐそこまで、それは迫って来ているのであった。


 ……

 一方。


 歩む彩花は手を、握り締めた。


 ……己の眼前に立つ男、大友。


 海賊のかしらたる彼を、その鋭き眼で見据え、心に思う。


 ――この男は……私の手で、倒さねばならない。


 ……


 彩花は、責を感じていた。


 ナニガシ、美月、氷鶴、そして間牛。

 大切な、大事な仲間たち。


 彼女たちが、攫われた自身を救う為に、大勢の賊が根城にする敵地にまで乗り込む危険を冒し……

 ……そして、傷つけられてしまった事に。


 罪も無い良き仲間たちを、何故その様な窮地に遣らねばならなかったのか。


 ……その口火となったるは、目の前に居る……この悪党。

 この大友を、彩花は許す事が出来なかった。


 ……


 ……そして。

 そうさせてしまった、己自身をも、また。


 怒りが……

 心の奥から、ふつふつと湧いてくる。


『……ギリリッ……』


 彩花はその固めた拳を更にきつく、そして血が滲む程に、握り締めた。


「ちょ、待てよ……。く、来るな……。こっちへ来るな、彩花……!」


 蛇に睨まれた蛙。

 恐怖する大友。


 向けた刀の切っ先が一層、ガタガタと震えた。

 殺気は最早、己の目と鼻の先にまで、迫って来ていた。


 その時。


『ザッ!』


 彩花が地を蹴った。


「……賊如きにこれ以上、気安く名を口にされたくありません」


 大友に向かって跳んでいく。


 彼女は彼に向かい、一足跳びに距離を詰めた。


 瞬時に、彩花に面前にまで接近された大友はビクリと大きく、体を震わせる。


 そして生存本能からか反射的に、応戦する為、刀を振るったのだった。


「う、うわああッ!く、来るなあーっ!」


 彼のその刃は彩花の右肩口を狙い、振り下ろされた。


 相手の肩、斜め上から腰まで斬り下げる、袈裟斬りである。


 それは鋭い太刀筋だった。

 刃先が鋭利にびゅんと空気を斬り裂き、唸る。


 大友自身、自信満々に豪語するだけあって、彼のその斬撃は鋭かった。

 彩花目掛け切っ先が伸び、瞬く内に刃は、彼女へと届かんとする。


 ……だがすでに、その刃は彩花の眼に、正確に捉えられていた。

 太刀筋は読まれ、見切られていたのである。


 彼女の強さは、猫科の動物の如き、この優れた動体視力によってこそあったのだ。


『ガイイィンッ!』


 彩花は上から振り下ろされてくる刃の刀身真横を狙い、そこへ右拳の甲を内側から叩きつけた。

 同時にそのまま外側へと払い、脇へと斬撃を弾きける。


「ぐっ!」


 激しく除けられ、よろめく大友。


 ……その時、彼の右脇が、がら空きとなった。


 その隙。


「はぁッ!」


 彩花は払った右拳を素早く翻すや、無防備となった彼の腹部、その鳩尾を強打した。


『ドズンッ!』


 鈍い音。


「ぶはぁあっ!!」


 大友は反吐混じりの悲鳴を上げる。


 胃袋を直接、太く硬い鉄杭で貫かれたかの様な痛みが走った。

 それと共に体の奥へと激しい衝撃が打ち響き、まるで突き上げられる様に、強制的に息と声が咽から吐き出される。


 その、次の瞬間。


「ふッ!!」


 彩花は気合いと共に息を吐く。

 更に一歩踏み込むと同時に体重を乗せ、彼女の左拳が斜め下から掬い上げる様に、鋭く放たれたのである。


 ……その拳は、よろめく間も無い大友の、そのがら空きの右脇腹へ。


 深々と、めり込んだのだった。


『ッズッドオオォンッッ!!』


 ……

 重く大きな音が、響いた。


「ぅうぐえええぇッ!!」  


 そして同時に大友の低く、潰れひしゃげるかの様な呻き声が、広間中に木霊したのであった。


 ……


 ……打たれた瞬間。

 彼は全身が痺れたかの様な感覚に、襲われた。


 まるで雷が落ち、体中に激しい電撃が走ったかに、手足がビリビリと麻痺した。

 同時に目の前が白み、チカチカと視界が明滅する。

 途端に力の入らなくなったその手の内から、手放さんとそれまで必死に握り締めていた刀の柄が、ズルリと零れ落ちそうになった。


 ……

 それは、彩花の必殺の左拳。

 肝臓打レバーブローちであった。


 ……急所である内臓を強打されれば、如何に屈強の大の男であろうとも、堪える事は出来はしない。

 露わとなったやわい臓器など、何者にとっても、弱点に他ならないのだ。


 その上、彩花のその細腕細脚から繰り出される攻撃の重さは、彼女のその華奢で可憐な見た目からは想像も出来ない程の、絶大の破壊力を持っているのである。


 格闘の達人たる彼女の、その攻撃力。

 それに急所をまともに打たれれば、何人なんぴとたりとも地に伏せるより他は無かった。

 『雲呑みの山』山中における忍びの「猿」との戦いと同様、彼女のこの必殺の一撃が決まれば、ほぼ確実に勝敗は決したと言えたのだった。


 防御する間も無く、彩花のその拳をまともに食らった大友。

 地に突き立てた刀にしがみ付き、杖代わりにガクガクと震える足を支え、ようやく立っている有様となる。


「う……うぐぐ……」


 ……やがて痺れていた体に、奥底から徐々に、痛みが湧き出してきた。


 遅れてやって来た痛覚。

 それは次第に激痛となって、大波の様に全身へと広がり、押し寄せてくる。


 冷や汗を滴らせながら、歯を食いしばる。

 苦しさに耐えかね身を屈め俯くと、その足元の畳に、自身の顔から噴き出た大量の汗が滝の如く、流れ落ちてゆく。

 体内中の血液が逆流したかとも思え、体が冷たくなり、手足の感覚は最早、消え失せていた。


 大友は血の気の引いた、蒼白となったその顔を上げた。

 眼前の彩花を、朦朧とした視界の中再び、見上げた。 


 見た時。

 彼はビクリと身を竦ませる。


 彩花は左脚を軸に回転し、身を翻していたのであった。


 ……それは、大友がひと目見て惚れ込む程に華麗な、彩花の蹴り技。

 多くのニラネギたちを薙ぎ倒した、彼女の必殺の、回し蹴りの体勢だったのである。


 すでに、その蹴りの動作モーションに入っている。


「ひぃッ」


 ……止めの一撃が、来る。


 大友はそれを瞬時に察すると、戦慄と共に息を呑み込む。


 そして同時に、命乞いにも似た声を上げたのだった。


「あ、彩花っ!ま、待て!待ってくれーッ!!」


 ……だが。

 すでに遅かった。


 彼のその上ずった叫びは、彩花の耳にはもはや、届いてはいなかった。


 高々と、彼女は頭上にまで右脚を振り上げている。

 身を回転する彩花の、その右脚。

 そこにはすでに、体重と遠心力が乗っている。


 足先が空気を切り、ブンと唸る。

 その回転は、もう止まる事は無い。


 そして。


『ザアアアァッ!!』


 ……それは容赦無く、満身創痍の大友へと、振り下ろされたのであった。


「たああああぁぁーーッッ!!」


 響き渡る、裂帛の気合い。


 加減無しの一振り。

 美しい舞の様に、彩花のその身体は翻る。


 着物の裾が捲れ上がり、岩洞奥底の荒涼に露わとなった彼女の白く、そのしなやかな脚は……

 まるで猛然たる飛龍の如く、その冷涼のくうを激しく切り裂いた。


 ……その時。

 大友にはそれらの光景がひとつひとつ、不思議とまるで脳内に記憶されていくかの様に、はっきりと見て取れたのである。


 ……何故であろう。

 死を覚悟した彼の、今生こんじょうの走馬灯だろうか。


 この期に及んでもなお、彩花の美しくスラリと伸びた生脚を、その目に焼き付けようとでもいうのだろうか。

 大した根性こんじょうである。

 今生こんじょうだけに。

 言わば根性こんじょうの走馬灯か。


 そして。


『ドッガアアァッッ!!』


 大友の頭部に激しく、重い衝撃。


 彩花のその美しい脚線は威力を十分に乗せた鋭い蹴りとなって、大友へと襲い掛かる。

 斜め上から長く伸び迫ったその足の甲は彼の側頭部を正確に捉え、直撃したのだった。


 ……


 ……その瞬間。


 辛うじて立っていた状態の大友の体から、残っていた力がふっと、全て消え失せた。

 不思議と、痛みは感じなかった。


 そのまま、彩花の脚が振り抜かれる。


 と共に。

 薙ぎ払われる様に、大友の体は大きく吹き飛んだ。


 自分の身が宙を舞う、浮遊感。

 感じるのは、まるで重力に逆らうその感覚のみ。


 ……彼は遠のく意識の中で、ただそれに、身を任せる事しか出来なかった。


「ぎゃああああああーッ!!」


 大友は悲鳴の叫びと共に宙で回転し、もんどり打つ。


『バアアァンッッ!!』


 そしてそのまま壁にまで吹っ飛び、そこに立て掛けられた襖へと叩きつけられた。


 それまで荒々しく殺風景な岩の間の空間内を彩っていた、華美な襖たちはひしゃげへし折れ、そして残骸となって散らばる。


 したたかに岩壁に打ちつけられた大友は力無く、畳の上に転げ倒れる。


 そして、ついにそのまま意識を失い……


 ……とうとう、立ち上がる事は出来なかったのだった。


「……あーらら……。かわいそ……」


 ……

 一方、巻き添えを食わないよう遠巻きに、彩花と大友の戦いの始終を見つめていた、ナニガシたち4人。


 無残にもボロ雑巾の如く突っ伏すその大友の有様を、ナニガシは苦笑いしながら見守っていた。


 その傍らで、氷鶴は彩花の勇ましい戦い振りを、眼を輝かせながら観戦している。   

 まるで英雄ヒーローに憧れる少年の様である。

 

 ……だがその横では。

 とても子供には見せられない悲惨な様相であるためか、間牛は苦い顔をしながら、美月の眼を大きな手で覆い隠していたのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ