第十五幕 鍵と成るは、筋肉
「むっ!そこに居るのは、誰だ!」
問いかけたナニガシの声が広い空洞の中に反響し、木霊した。
広間の奥。
周囲をさも仰々しく行灯や几帳、刀掛けなどで飾り立て、上座に見立てたらしきその場所。
立っていたその男は、声を投げかけたナニガシとその傍らの3人へ、返答の代わりにニヤリと笑みを返してきた。
……
洞穴内に居るという事は、彼はおそらく、この海賊一味の1人と見て取れる。
……だが。
現れた侵入者たちを前にして動じぬ、その悠然堂々とした佇まい。
そして、刀の古傷痕いくつか残す、その不敵な笑みを湛えた顔貌。
ここまでに相手にしてきたチンピラ紛いのニラネギ共とは明らかに雰囲気が異なる、鎧直垂姿のこの男。
彼は片手に刀を携え、やって来たナニガシたち4人を、真っ向に見据えてきていたのだった。
男が、口を開く。
「……ふっ。やたら外が賑やかだと思ったら……。騒いでいたのは、お前らか」
睨みつつ、ナニガシが改めて問う。
「……お前は?何者だ」
「俺は、ここの野郎どもの頭、大友御行ってモンだ」
男が名乗る。
するとそれを聞くや、その名を知っているかに間牛は驚いた様に、ピクリと眉根を寄せた。
「何だと?大友御行?……この若造が……?」
だが。
名を知っているのみで、その顔に覚えは無い様であった。
間牛は初めて目にした大友の姿顔をさも意外そうに、そして同時に訝しむ様に目を凝らし、まじまじと眺める。
彼は黙ったまま、ただじっと、大友の様子を窺い見た。
一方、間牛のそんな視線をよそに、大友は変わらず不敵な笑みを向けてきている。
「……お前らこそ何モンだ、と言いてえが……。そのツラ、見覚えがあるぜ。……確か、昼間あの島で、俺の手下どもとやりあった奴ら……だったな?」
そして一歩踏み出すと、4人へと向かい、近づいてきた。
「……そうか。お前ら、彩花を取り戻しに来たんだな?……まさかその為に、こんな場所にまで乗り込んでくるとはな……。下賤の分際で、なかなか度胸があるじゃねえか。意外だったぜ」
その言葉に、ナニガシはピクリと反応する。
「……やっぱりここに居るのか……。彩花を返してもらうぞ!」
大友は、4人の面前に立つ。
彼はまるで自信満々昂然とした顔で、そして見下すかの尊大な口ぶりで、言った。
「アイツなら、この広間の隣部屋にある牢の中にぶち込んである。小娘の分際で、どうにも俺様の言う事が聞けねえ様でな。二度と口答え出来ねえよう、ちったあ仕置きをしなきゃならねえからな」
……
それを聞くや。
ナニガシたち4人は、顔を見合わせた。
「……何?隣の部屋だと?……そこに彩花が居るのか?」
「ふん、そうだ。だが、牢の鍵はこの俺が持っている。あの娘を助けたけりゃ、俺からこの鍵を奪い取るしかないぜ?……くくく……」
笑みを含みながら得意げに言うと、大友は懐から、1本の太い鉄の鍵を取り出す。
そしてニヤリとしながら、それをナニガシの眼前でちらつかせて見せてきた。
……大友のその態度と仕草は、まるで彼女を小馬鹿にするかの様である。
相手を侮蔑する様を露骨に剥き出しにし、そして煽り、挑発してきていた。
「取れるものなら取ってみろ」と言わんばかりに、その不敵に笑んだ表情を、ナニガシへと向けてきたのだった。
……
だが、しかし。
「……ほうほう。彩花は、隣の部屋に居るのか。……そうか、そうか」
一方、ナニガシはそんな彼の言葉を受け、大きく頷くのみだった。
……
大友の、その傍から見ても憎憎しいまでに、あからさまな挑発。
それに対し、直情的なナニガシはすぐさま腰の刀を抜き、食って掛かるかと思いきや……
……しかし何故か、彼女は怒るともせず平然とし、その表情を変える事は無かった。
そしてただ、目の前の得意げな大友の顔を、身じろぎせずにその場でじっと、眺めるのみだったのである。
「だが、彩花の居場所を知ったところでどうにもなるまい。あの娘を救う術はただひとつ。この俺様を倒してみせることだ。……もっとも、下賤なお前ら女子供と漁師如きにやれるものならばな!……ハッハッハッハァ!!」
そう言うなり、大友は愉快げに笑い始める。
ナニガシのその殆ど無反応な様をよそに、高笑いしだした。
……
彼は、自身の剣の腕に、覚えがあった。
戦ったとして、腕が立つ己は、誰にも負ける訳が無いという絶対的な自信に満ちているのである。
彼の尊大な態度は、その実力に裏打ちされたものであったのだ。
その顔に痕る古傷は、多くの敵を打ち倒してきた証として在った。
……まして相手は、この様な「女子供と漁師」ども。
それらなど自分の敵にもならず、まるで赤子の手を捻るが如き容易いものと考えているのだ。
ゆえに大友は昂然と、余裕綽々とばかり、大笑いしだしたのだった。
「どうした!?彩花を助けたければ、早くその刀を抜くが良い!それとも、俺様が恐ろしくて身じろぎも出来んか!?ワーッハッハッハッハ!!」
彼はなおもナニガシを挑発し、笑い続ける。
わざわざ相手の神経を逆撫でするかの様に、殊更に声を張り上げて笑う。
……だが……
「……」
……一方、それにもなお無表情で、そしてじっと黙るナニガシ。
戦おうとも……腰のその刀に、手をかけようともしなかった。
その様子に、彼女が臆したと見て取った大友。
彼はナニガシを見下すかに、ますます得意げとばかりに鼻を高くし、更に大声で笑い続ける。
「ワーッハッハッハッハ!!ハーッハッハッハッハーッ!!」
……笑い声が、響き渡る。
尊大にして傲慢、そして不遜にして自信家の大友。
その様は、未だ戦わぬうちに、まるですでに勝ち誇ったかの様であった。
……
……その時。
「「フンヌッッ!!」」
突如。
広間の隣。
大友の言う、牢の部屋。
そこから、男の野太い気合いの雄叫びが、聞こえてきたのだ。
その直後、ほぼ同時に、
『バキバキベキベキイイィッ!!』
木材を激しく引き裂く音が、木霊してきたのである。
「ハッハッハ……は……?」
……
……突然聞こえてきた、雄叫びと、その奇妙な物音。
それが耳に入るや大友はそれまでの高笑いを止め、そして何事かと、キョトンとした顔で呆ける。
……すると暫く後……
見ると、雄叫びが聞こえてきた牢の部屋から、体格の良い大男が俄かに、ぬっと姿を現したのである。
……それは、先程までナニガシの後ろに居た筈の、間牛だった。
そして、彼のその後ろに続いて、部屋から出てきたのは……
……
……なんと、彩花であった。
「……へ……?」
大友はその彼女の姿を、唖然と見つめる。
……そしてよく見ると。
しかもいつの間にか、彼女の全身に固く巻かれていたその縄目すらも、すでに解かれていたのである。
「へああッッ!?」
それに気付いた途端、大友は恐怖と驚きのあまりに仰天し、大絶叫した。
……彩花の縄が解かれている事の意味するところ。
それは、凶暴な猛獣の身動きを封じていた鎖を解き放ったと、全く同義であったのだ。
先程までの余裕たっぷりの表情から一転、大友のその顔はさあっと血の気が失せ、青ざめた。
俄かに額から冷や汗が、ぽつりと滴り落ちた。
そんな彼の目の前を何も言わずに、一瞥も無くスイと通り過ぎてゆく彩花。
その彼女の姿を見つめながら、大友は突然起きたこの状況を理解するべく、戦慄の内に思考を巡らせた。
(ちょ、ちょ、待てよ……。そんな馬鹿な……!……一体何故、彩花がこの場に姿を現している……?……アイツは、確かに岩牢に閉じ込めていた筈だぞ……。……何故今、彩花がその牢から出てきているんだ……!?)
彼は、己の手の中に在る鍵を握り締める。
彩花を閉じ込めていた岩牢の、太い鉄鍵。
その存在を確認する様に、鍵を持つ手の内を、力一杯に握り締めた。
(……牢の鍵は、今確かに、この俺が持っている。……この鍵が無ければ、あの頑丈な牢の扉は、決して開く筈は無い。……だがどうやって、アイツはその扉を開けたのだ……?一体どうやって、牢から出てこられたのだ……!?)
……考えても訳が分からず、大友はますます混乱する。
(……い、一体これは……何が、起きたというのだ……!?)
……
……鍵を使わず、一体どうやって、彩花は岩牢から脱出出来たのか?
……
……だが、何の事は無い。
それは、簡単な事であった。
……大友がナニガシを散々と挑発し、そして余裕綽々と気持ち良さそうに馬鹿笑いしている間に、
彩花の居場所を聞いた間牛が、さも当たり前の様に遠慮無く、ズカズカと牢の部屋へと入っていき、
鍵が掛かっている頑丈な木製の牢の扉を、お構い無しに自慢の筋肉の馬鹿力でブチ壊し、
……そして、囚われていた彩花を救出しただけの事であった。
何の事は無い。
それが、答えであったのだ。
……
まさに、単純明快。
筋肉こそ、正義。
筋肉の前では問答は要らない。
四の五の言わずに、己の道を切り開くのみ。(物理的に)
筋肉は、固く閉ざされた扉すら開く鍵ともなる。
閉じられているのならば、腕力でブッ壊して開ければ良い。
例え、それが頑丈な岩牢であろうとも。
……漢の筋肉は、あらゆる問題を解決する術となるのである。
「……お前馬鹿だなあ。人質の居場所を、自分からあっさりバラしちゃうなんて」
ナニガシが、呆れた顔で大友に言う。
挑発される中、彼女が何も言わずにじっと黙ったままだったのは……
悦に入る大友のその目を、彩花を助けに行く間牛へと向けさせない為であった。
……一方。
未だ状況が把握出来ず、顔面蒼白の大友は、言葉が出ずにいた。
「ちょ、あ、あの……。お、お前一体何を……何したの……?」
彼は震える声で間牛に問う。
……余裕ぶり、大物然としていたのも束の間。
あっさりと彩花を取り返されるという滑稽さ。
先程まで気持ち良く揚々と高笑いしていたのに、今ではこのザマである。
自慢げに見せつけていた牢の鍵の存在意義とは、一体何だったのか。
……
だが。
それより、問題は彩花であった。
……大友に対し、怒り心頭の様子である。
牢の部屋から出てくるなり、彼女は全身から、明らかに殺気を漲らせているではないか。
怒気が満ち溢れ、先程から周囲の空気がピシリと、痛いまでに張り詰めているのだ。
そして、その殺気混じりの緊張感は……
……大友。
彼に、向けられていたのである。
その只ならぬ気配を察すると。
大友は、手にしていた刀を、咄嗟に鞘から引き抜いた。
「お、おい。……彩花……?」
彩花から漂う剣呑とした雰囲気。
突如背にぞくりと寒気が走り、柄を握る彼のその手が、俄かに震えだす。
……おそらく、刀を抜いたのは生存本能による、無意識からの行動であった。
……それをよそに。
間牛によって救出された彩花は、ナニガシたち4人の面前にやってきた。
「「彩花さん!」」
彩花の姿を見て、すぐさま美月と氷鶴が嬉しげに、彼女へと駆け寄っていく。
「……美月ちゃん……!氷鶴さん……!」
そして彩花もまた、優しげに微笑むとその2人へと手を広げ、差し出した。
……無事の再会。
ひしと縋り付く美月と氷鶴。
彩花は2人をふわりと受け止め、そしてその肩をそっと、抱き締めた。
……美月の瞳が、涙で濡れている。
互いにその存在を愛おしむ様に、ぎゅっと、3人はそのまましばし抱き合った。
……だが。
ナニガシに目を向けた時。
彼女のその小袖の左肩が裂け、そしてそれが血に染まっている様を見て取ると……
彩花は眼を見開き、はっと息を呑んだ。
……次には彼女は全てを察したかに、そして悲しげに……
その眼差しを、細めたのだった。
……そして、口を開く。
「……皆さん。助けに来て下さったのですね……。ありがとうございます」
言うと、そっと、彼女はナニガシの血染めの左肩に手を触れる。
「……ナニガシさん……お怪我までされて……」
……
攫われた自分を救う為に、仲間が傷ついた。
ナニガシの傷に巻かれた白い晒しには、痛々しく、僅かに赤い血が滲んでいる。
それを見る彩花のその眼は心痛の色と共に……微かに、悲嘆によって潤んでいたのだった。
「彩花、大丈夫か?君こそ怪我は無いか?」
だが己の負傷などまるで無きものの様に構わず、彩花の身を案じる、そのナニガシの問い。
それに彩花は優しく微笑み、応えた。
「はい、私は何ともございません。お陰さまでこの通り、無事に助けて頂きましたから」
……
そこまで言うと。
……彩花は、遠巻きにポツンと佇む大友をチラリと、一瞥した。
……
見やった彼女のその眼は、いつもの優しい眼差しそのものである。
……が……
だが。
面前に居るナニガシには、はっきりと見て取れた。
……彩花のその視線の中にギラリと、鋭い殺気が混じり込んでいる事を。
「……お願いがあるのです。ナニガシさん」
向き直ると、彩花が静かに言う。
……
同じく、その優しげな口ぶり。
しかしそれはどこか、怒気が込められ、淡々としていた。
……醸し出される、その不穏さ。
その柔らかく微笑んだ表情とは正反対に、取り巻く雰囲気は変わらず、固く張り詰めていた。
――これは、嵐の前の静けさか。
その空気を鋭敏に察し、言葉を受けたナニガシはびくりと震える。
「は、はい。お、お願いとは……な、何でござりましょうか。彩花様……?」
それに、彩花は答えた。
「あの男は、私が相手を致します」
……
そう言った彼女は、満面の笑みだった。
「あ。彩花様、どうぞ」
迷う事無く、ささっと道を開けるナニガシ。
……
そうして開かれた、彩花の面前。
……
その視線の先には、戦慄に膝を震わせながら立つ、大友の姿があった。
――次回。
大友、死す。




