第十四幕 喉奥へと
「……わあ……。何だか、気味が悪いね……」
燃え盛る篝火を抜け、闇が満ちる岩洞内へと足を踏み入れた、間も無く。
間牛に守られる様に、その前を歩く美月が怯えと共に、小さく呟いた。
……洞穴の中はひやりとした、湿気混じりの冷気に満ち、肌寒かった。
まるで闇が冷たさとなって身体を包み込み、纏わりついてくるかに思える。
そして、背後から聞こえる波の音が内部で反響し、外に居るよりも大きな音となって、耳に入ってきている。
だが……それ以外には何も聞こえず、ただ、静かだった。
入ってすぐ。
前方へと通路が、長く伸びている。
岩窟のその路は、処々に置かれた灯篭の仄かな光によって、暗闇の中からおぼろげに照らし出されていた。
その灯りは、左右のごつごつとした岩の壁のその粗野な荒々しさを、でこぼこの陰影として浮かび上がらせている。
光が照らすその苔むす壁の表面は、冷たく、無機質な光沢を帯びていた。
『……ジャリッ……』
……ナニガシを先頭に、静かに、進み始める。
彼女たちは出来るだけ足音を立てぬよう、静かに、奥へと歩きだした。
『ジャリッ、ジャリッ……』
敵を警戒し耳をそばだて、恐る恐るとしているせいか。
一歩一歩の、砂や小石を踏む「ジャリジャリ」とした足音が、余計に煩く聞こえてくる。
『ジャリッ、ジャリッ……』
……
……己の立てる、僅かな足音のみを聞きながら歩む中。
奥へと行くに従い、次第に細く狭まりつつある両脇の岩壁が、まるで、押し迫ってくるかの様に錯覚し始める。
暗い洞穴内。
先の見通しが利かないその仄暗さの闇の中は、4人の神経を否が応でも尖らせる。
そして奥へ奥へと穴の中を進むごと、不穏の内へと身も心も、自身の丸ごと全てを引き込んでいくかに思われた。
まるで、巨大な生物の体内へと、深々と呑み込まれていくかの様な……
闇は次第に、そんな得体の知れない圧迫感と恐怖感を、覚えさせ始めてきていた。
だんだんと息苦しくなってゆくかに思える、その重々しい岩の内部を、4人は進む。
『ザリッ、ザリッ、ザリッ……』
ひとつひとつと灯篭の横を通り過ぎる度、4人の影がその壁に、影絵の様に映し出されていく。
時折前方から冷たく僅かに吹く、吐息の様なその微かな風にさえ、灯篭の儚げな灯は消え入りそうにしなり、揺らめく。
灯りのその小さな揺らぎは4人の影絵を、まるで、人ならざる異形へと大きく歪ませる。
その度に美月は、びくりと肩を震わせていた。
……見ると、岩壁に映る彼女自身の影の背が、丸まっている事に気付く。
不安の内にいつの間にか、前屈みになって歩いていた様だった。
『ザッ、ザッ、ザッ……』
……4人とも皆、口を開かない。
特に暗がりが嫌いな「臆病」のナニガシは、文字通り貝の如く口を真一文字に閉じ、眼を猫の様に丸くしながら、先頭を進んでいる。
そしてその後ろに続く氷鶴、美月、そして最後尾の間牛も、また同じであった。
耳を立て息を潜ませながら、静々と進む。
後ろから聞こえてきていた波の音はもう、今では耳に入ってきてはいない。
足元はもう砂や小石ではなく、次第に岩場のみになっている。
彼女たちの草鞋は黙々と、静寂の岩の回廊を踏んでいった。
……その時だった。
(……むっ……?)
先頭のナニガシは前方に、ふいに、何かが動くのを見て取った。
差し掛からんとする目前の灯篭の陰に、ちらりと僅かに、人影が見えたのだ。
……何者かが居る。
彼女ははっとし、背後に続く氷鶴たちを押し止めんとした。
次の刹那。
「うりゃーッ!!」
突如、その灯篭の後ろからニラネギが2人、躍り出てきた。
両名、手には長い船槍を構え、姿を見せるや否や気合いの叫び声と共に、その穂先を突き出してきたのである。
だが眼の良いナニガシは一瞬早く、その気配に感づいていた。
彼女は咄嗟に横壁へ身を寄せ、迫るその槍先を避ける。
そして、突き出されたその槍の長い柄を手繰る様に相手の懐へと一足に潜り込むと、まず片方のニラネギを短い脇差の峰で打ち倒した。
『ガシィッ』
「ううっ!」
相棒が倒れる様を見て、残るニラネギが怯む。
「て、てめえっ!」
彼は慌てて槍を翻し、ナニガシを突こうとする。
しかし狭い洞穴の壁に長い柄の尻が引っかかり、一瞬、隙が出来てしまった。
それを見た間牛が横合いから猛然と突進し、殴りかかってゆく。
「うおおおおッ!」
『バキィッ!』
殴打されたニラネギはそのまま岩の壁へと叩きつけられ、足元に崩れ落ちた。
4人はそのまま身じろがずに、身を強張らせる。
周囲を警戒しながら見回し、その他、敵の気配を窺う。
……
……だが、静かだ。
洞穴内は、物音ひとつしない。
4人は、顔を見合わせる。
……戻った元の静寂の中。
もはや襲い掛かってくる者が居ない事を確認すると、彼女たちはひとつ、安堵の溜め息をついたのであった。
『ベキイッ』
間牛がニラネギらの持っていた槍を拾い上げると、怪力で以って穂先付近から、まるで枯れ枝の如く容易くへし折った。
この様に狭い洞穴内では長物の武器など邪魔になるのみで、まさに言葉通り、「無用の長物」である。
しかし帰り道の安全を考慮し、再び敵が使わないよう、破壊したのである。
未だ残存するニラネギが、まだ、何処かに潜んでいるかもしれないのだ。
倒れた敵を横目に、4人は再び静かとなった通路を、奥へと前進し始めた。
それから、間も無く進んだ時である。
「……んあ?……何だありゃ?」
それまでの緊張した中で一転、唐突に、先頭のナニガシが呆けた声を上げた。
彼女の後ろに居た氷鶴や美月が見ると、通路の前方、遠く奥から、何らか明るい光が漏れ出してきているのが目に入った。
……そしてその明るさの中には、明らかに、調えられた部屋らしき空間が見えるのである。
それを見て氷鶴や美月だけでなく、その背後で間牛もまた、訝しげに眉を寄せた。
その空間の地面には、整然と、畳が敷かれている。
そこに置かれた行灯たちが放つ煌々とした光が、明々と、暗い通路へと漏れ出てきているのだ。
更に、その空間の奥の壁には、絵の描かれた襖も据えられている様であった。
それら調度品は、決してみすぼらしい貧相なものでは無く、それどころかまるで誂えたかの様に華やかで、立派なものである。
遠目から覗き見ても、そこはいかにも、煌びやかな様相の空間であったのだ。
……こんな岩穴の奥に、何故あの様な「部屋」が……?
……まるで場違いなその異質さに、思わず4人は、その場に立ち止まってしまった。
何やらそこは、これまでの薄ら寒い洞穴の雰囲気とは、全くかけ離れていた。
暗い中に慣れた眼に、余計、眩しい程に映る。
行く手に出現したその様を見て怪訝に思うと同時に、より一層の警戒感を抱くに十分な光景であった。
そして4人が恐る恐る、そのまま前進すると……
……出たのは、大きな空洞。
その内部に設けられた、屋敷の如き、豪奢な内装の広間であった。
先程見た通り、床には一面、畳が敷かれている。
四方を囲む様に、壁には、松の絵の襖がずらりと立っている。
見れば家具類、箪笥や鏡台まで備え付けられているではないか。
屋敷の一室が、そのまま丸ごと移設されてきたかの様だった。
その場所には、殺風景な洞穴の中とは思えない様な、まるで不釣合いな光景が広がっていたのである。
警戒する中、唐突に現れたその様相。
ナニガシたち4人は驚きつつ、周囲を見回す。
「……何だここ?何でこの場所だけ、こんなに豪華な造りになってんだ?」
「……ん?ねえ、お姉ちゃん。……あそこに、誰か居るよ?」
そう言った美月が指差す先に、ナニガシが眼をやると……
その広い間の奥。
そこには1人の、鎧直垂姿の若い男が立っていた。




