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第十三幕 暗き口の前にて

 「……これで良しっと……。ナニガシさん、手当てが終わったよ」


 そう言うと氷鶴は白い紙包みが大量に入った、薬材の芳香漂う古びた木箱の蓋を、ぱたりと閉じた。


 ……

 ナニガシの左肩の負傷。

 その傷の上には、すでに真っ白い晒木綿さらしもめん(包帯)が、幾重にも巻かれていた。


 氷鶴が、その手当てを終えたのだ。


 氷鶴にとっては、切傷の処置など容易いものであった。

 手術といった外科的な治療は医師の領分であるので専門外だが、しかし、こういった程度の外傷の手当ては習熟しているのだ。

 自身の作った薬物の使用に関して、薬師の弟子である氷鶴は、「実践して習得すべきである」と師から学んでいたからである。


 故郷の里が健在であった頃には、その住人たちが何らか怪我や病気をする度に、医師の代わりとして治療に当たってきていたのだ。

 その処置の腕前は、以前、山賊たちに襲撃された集落において実際に遺憾無く発揮された一件から見ても、折り紙付きのものであった。


「すまんな氷鶴。助かるよ」

「結構深手だったし、あまり無茶しちゃダメだよ。これはあくまで、応急処置だから。後でまた、手当てし直すからね」


 ナニガシは片脱ぎしていた小袖の襟を正すと、手当てによって幾分痛みが治まった左肩をぽんぽんと叩き、そして氷鶴に問う。


「さっき傷に塗ってた黄色い粉は何だ?」

「これは『蒲黄ほおう』という薬さ。止血の効果があるんだ。集落でナニガシさんたちが採ってきてくれた、蒲の穂から作ったんだよ。覚えてるかい?」


 ナニガシはそれを聞くと俄かに当時の出来事を思い出したと見え、眉を寄せ、苦い顔をした。


「……。ああ……。アタシが川に頭から突っ込んで真冬の寒中水泳した、アレね……」

「そうそう。そのお陰で余る程沢山作れたから、いっぱい持っているのさ」


 真顔でナニガシが尋ねる。


「……ねえ。刀傷には、馬の糞を塗るもんじゃないの?」


 それを聞くや今度は氷鶴が嫌悪感を露わに、途端に、まるで苦虫を噛み潰したが如き表情となった。


「うえぇ~……。何言ってるのさ。そんなもの、傷に効く訳無いじゃないか。迷信だよ迷信、おまじないと同じだよ」

「……え?そうだったの……?……アタシはそれを信じて、今まで怪我する度、馬糞を水に溶かして飲んでたぞ……」


 驚きと共に発せられたナニガシのその言葉に、氷鶴は勿論、そしてついでに傍らで聞いていた美月も、ますます一段と顔を顰めたのだった。


 ……巷の民衆たちの間で行われていた、怪我や病に対しての治療。

 その中には、医学的根拠の無い、なんとも迷信じみた治療法が数多く存在していた。

 それらはおよそまじないの如き、驚くべきものばかりであったのだ。


 「風邪を引いたら、尻にネギを突き刺せ」。

 「体調が悪くなったら、血を抜け」。

 「流行り病を患ったら、香草を嗅がせろ」。

 「そもそも歯を全て抜けば、一生、病を患う事は無い」云々……


 例を連ねれば、その枚挙に暇が無い。

 ナニガシの言う、「切り傷には馬の糞が効く」というのも、その1つである。


 ……氷鶴の様に専門的に、かつ先進的な医学ないし薬学を学んだ者たちからすれば、その様な治療法など一笑に付するものだった。

 「まじない」で怪我が治る筈が無い事は、彼らが一番、良く知っているからだ。

 怪我人が必死の形相で馬の糞を飲むという滑稽な有様を、彼らはそれを横目に見て、眉を顰めているのが常であった。


 しかし以前に示した通り、その様に学を修めた医師や薬師自体、世においては希少な存在であり、と同時にゆえに、貴ばれるべき者たちだった。

 多くの場合、彼らは一国の君主に直々に召抱えられる程の、ご大層の身分として扱われる。

 そんな者たちであるゆえに、例えばただの軽い怪我を診てもらうだけにしても、報酬として大変な額の金銭が必要となったのである。


 そのため、一部の裕福な者であればともかく、こんなご時勢に生きる貧しい民草たちが、おいそれとお目にかかる機会はあまり無かった。

 所詮その様な高等な大身たいしんの知識人など、市井しせいの一般人にとっては雲の上の存在に等しく、まるで無縁のものであったのだ。


 そんな彼ら医師や薬師の持つ、知識。

 つまり怪我や病への正しき処置の方法など、無学な一般庶民たちが知る由も無かった。

 医学知識など世間に認知浸透していないがゆえに、巷において、迷信か神頼みの如き似非治療法が編み出されるに至っていたのである。


 治るも八卦、治らぬも八卦。

 治るかどうかも分からない治療であっても、人々はそれを、まるで信仰の様に疑いもしない。

 信心深くありがたがり、そして回復を神仏に委ね、祈るのだ。


 ……庶民たちにとっては同じ人間である医者よりも、もしかすれば神や仏の方が余程、身近な存在であるのかもしれない。


 さて。


 気を取り直す様に「おほん」と咳払いをひとつすると、ナニガシは刀を手に、立ち上がった。


「……よし、良くなった。では行くとしよう。……おそらく、彩花はこの洞穴の奥だろう」


 ……

 傍らには、大きく口を開いている、岩の洞穴。

 4人は、その入り口に眼を向けた。


 ……その真っ暗く何も見えず、先の分からない、穴の奥。

 僅かに冷たい風が出てきており、それが、正面に立つナニガシたちの間を吹き抜けてゆく。


 その風は、不気味な笛のの様な甲高い音を響かせ立てながら、如何にも深い穴の内部から、外へと吐き出されてきていた。

 ……吹き出てくる度に、その風のが聞こえてくる。

 その様はまるで、洞穴自体が呼吸をしているかの様である。


 両脇にはまるで、篝火が門番の様に立つ。

 その燃え盛る炎が、闇夜の深潭しんたんたるその岩だらけの大口を、ぼんやりと、そして赤々と浮かび上がらせているのだった。


 ……この中に、彩花が居る。


 ナニガシは、痛みの残る左手を、ぎりりと握り締めた。


 ……だが同時に、ここは賊たちの棲家だ。

 外の賊は全て倒したが、しかし十中八九、奥にもまだ敵が潜み居るであろう事は、容易に察せられる。


 油断し、勇み足をすれば、どうなるか分からない。

 4人はそれぞれ逸る気持ちを抑え、息を整えた。


「……まだ中に、ニラネギどもが潜んでいるかもしれないな……。ここからは、隊列を組んで進もう。アタシが先頭を行くから、間牛さんは最後尾の守りを頼めるか?」


 ナニガシの言葉に、間牛がどんと胸を叩いて応える。


「おうよ!任せときな!」


 美月と氷鶴も、それぞれ緊張の面持ちで、身構える。

 

 ……そうしていよいよ、彼女たちはその暗い穴の中へと、足を踏み入れたのだった。


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