第十一幕 海賊島への上陸
……彩花が牢へと閉じ込められた、丁度その頃。
ナニガシたちの船は、日暮れの海を疾走していた。
穏やかな、そして薄暗い夕闇の僅かな朱色に染まる波の畝を舳先で切り裂き、その後ろには水面に白い尾の様に、大きな水泡の澪を長く引きながら、小船は海面を駆る。
その走る様はおよそ、人力の手漕ぎ船とは思えぬ勢いと、そして速さであった。
艫(船尾)に立つは、船頭の間牛。
黒く日焼けしたその筋骨隆々たる腕力で、到底人類とは思えぬ力強さと素早さで、櫂を漕ぐ。
彼の漕ぎ進めるそのあまりの勢いによって、「お客さん」であるナニガシと氷鶴は、後ろへとひっくり返らんばかりに大きく身体を仰け反らせていた。
だが船の縁にしがみ付き、何とか持ちこたえている様である。
……しかし幼く小柄な美月に至っては耐え切れず、波を乗り越える度の激しい挙動にその小さな身体を翻弄され、船内中を前へ後ろへと、コロコロと転がり回されている有様だった。
舳先は常に水面から浮き上がり、そして艫は海面を叩き、蹴っている。
猛烈なその速度は、もはや、「海の幽霊(苦笑)」にも止められはしないだろう。
……
……何故、この様に息を巻きながら奔っているのか。
それは、追っている船団の「黒い尾」が、見えなくなりつつあるからだった。
空の色はもはや夕の朱を通り過ぎ夜の漆黒になりつつあり、そのため大型船の吐き出していた黒煙がそれに溶け込み、視認し難くなり始めていたのだ。
賊の現在位置を知る事の出来る、唯一のその目印を失えば、彼らの足取りが掴めなくなってしまう。
それはつまり、彩花を救う手がかりを、完全に無くすという事なのだ。
故にそうなる前に一刻も早く、大型船に追いつかなければならない。
……
しかし、ナニガシや間牛たちのそんな焦り様とは裏腹に、走るうちに目指す「黒い尾」はすぐに、だんだんと視界の中で大きくなりつつあった。
目標たる船に、徐々に近づいているという事だ。
程無くして、櫂を漕ぐ間牛が前方を指し示しながら、叫んだ。
「皆、見えたぞ!連中の船だ!!」
見ると舳先の行く手遠くに、帆を畳んだ、大きな黒い船の姿があった。
……間違い無く、それは彩花を連れ去った、あの軍船であった。
船体から夜空へと昇る黒煙は今や細く、小さくなっている。
それから見るに、火事の炎の燻りも、すでに消えつつある様だった。
……
停泊する軍船のその陰には、小さな島があった。
全体が灰色の岩で覆われた、殺風景で、不毛な小島だ。
島のその中央部には、同じく大きな岩の塊の様な丘が座しており、そのふもとには遠目に小さく、篝火の赤い光が灯っているのが見えている。
かの船が停泊するに、あの島こそ、目指す海賊共の根城であろうと見て取った。
ナニガシは桃花褐の下緒を黒鞘に固く巻くと、他の3人へと言う。
「……よし。あそこに彩花が居る筈だ。皆、乗り込む準備だ」
間牛の小船は、帆を降ろす軍船のその陰に隠れながら島へと急ぎ近づくと、夜陰と波音に紛れ、島の裏手へとゆっくりと回り込む。
そして、その荒い岩の岸へと、舳先を着けたのだった。
いよいよ、ナニガシたちは、敵の根拠地に到着したのである。
……
船上から、様子を窺う。
……辺りは暗く、そして、静かだ。
周囲に人の気配は無く、岩の岸辺と木の船端に打ち寄せる波の、その柔らかい水音しか聞こえてこない。
ここをねぐらにする賊共は、すでに眠っているのか。
居るであろう彼らの話し声すらも、ナニガシたちの耳に入ってきてはいなかった。
……賊の根城である以上、ここに存在する彼らのその数は、多いであろう。
あの小島で見た通り、相当数の敵が居る筈である。
最大戦力たる彩花が不在の今、それらに見つかれば、厄介な事となる。
……ここからは慎重に、そして静かに。
賊共に発見されない様、忍びやかに行動しなければならない。
「よし、到着だ。……お嬢さんら、奴らに見つからねえよう静かに、ゆっくりと降りな」
そう言った間牛は、船が流されないよう、島へと乗り上げる準備をする。
「ウオッ!!」
雄叫びと共に、間牛が先立って、船から海へと飛び降りた。
『ドバッシャアァアン!!』
彼の巨体によって飛沫が周囲一面に飛び散り、水音が勢い良く、激しく響き渡る。
そして、接岸した船を岸へと引き上げる。
「フンヌッッ!!ヌオオッッ!!」
野太く大きな気合いの掛け声と共に、
『ガコンガコンッ!!ドコンッ!!』
と勢い良く力強く、そして大きな音を響かせながら、舳先を岩岸へと乗せた。
「あの、間牛さん。もう少し静かにして頂けると助かるのですが(苦笑)」
ナニガシが言う。
……
だがその時。
それらの物音に気付いた1人のニラネギが不審に思い、ひょっこりと傍の岩陰から、顔を覗かせてきたのである。
「……あんだぁ?随分とうるせえな……?」
……
……ニラネギと、目と目が合う間牛。
「あ」
驚くニラネギ。
「……って……。……あっ!!て、てめえら!!昼間の漁師と女じゃねえか!?何でここに居やがる!?」
……
……敵に、もう見つかった。
早すぎる。
ナニガシたちはまだ、上陸すらしていない。
「なにぃ!?気付かれただと!?」
「そらそうでしょうな」
驚く間牛を白い目で見る、船上のナニガシら3人。
……おまけに、驚いて上げた間牛の声も、デカすぎる。
何事も豪快な彼には、自身の一挙一動がいちいちやかましいという自覚が無いらしい。
漢の中の漢に、隠密行動など出来はしないのだ。




