第九幕 海賊の頭領
軍船から降り立ったのは、端整な容貌の、年若い男だった。
整った顔立ちであるが、しかしその顔の頬や鼻先にはいくつか、古い刀傷を痕している。
それは、彼が過去において数々の戦いを経てきた証として、そこに刻み込まれているかに見えた。
そして。
……
男の後に続くのは、彩花であった。
……彼女は、その着物の上から全身を、簀巻きとされている有様だった。
隈なく身の自由を奪われ、そして前後に付くニラネギ頭の男たちに、まるで引き摺られるかの様に歩かされる。
首から下、足の先まで縄と筵で荒々しくぐるぐる巻きにされたその無体な姿は、まるで巻き寿司の様である。
……一方。
そんな彼女の、その後ろでは。
ぐったりと力無く、木の板の上に乗せられた多くのニラネギらが、仲間たちによって船内から次々担ぎ降ろされている。
その数は、10人余り。
彼らのその顔には、殴打されたかの、無数の青あざが出来ていた。
……
小島にて、彩花を船の中へと攫い入れた後。
ニラネギたちのその青あざを見るにおそらく、彩花の身を取り押さえ簀巻きにする際、彼女の激しい抵抗に遭い、彼らは蹴り倒され殴り倒されたものと窺い知れた。
その光景はさながら、捕獲されまいと怒り狂う猛獣が牙を剥き、鋭い爪を振りかざし激しく暴れ回るが如きの、凄まじい様相であっただろう。
……その証拠に、その「大捕り物」に余程手を焼いたのか、殴り倒されずに済んだその他のニラネギたちの顔に笑みは無く、皆疲れ切ったかの様に、肩を落としうな垂れている。
その自慢のケバケバしい緑色の髪は全員漏れなく激しく乱れ、そしてへなりと、萎びていたのだった。
……
島の中央部には丘があり、そして洞穴がそのふもとに、大きく口を開けている。
入り口の両脇では、篝火がめらめらと燃え盛る。
その大口を赤々とした光が、岩と石しかない周囲の薄ら寂しさと、夕空の薄暗さから、ぼんやりと照らし出していた。
先を歩く男と、その後ろに連れられる彩花はそれを抜け、洞穴の中へと入っていく。
入り口を入るとすぐに、岩の通路が長く、前方へと伸びている。
通路の脇には無数の小さな石灯篭が点々と据えられており、その微かな灯火によって、まるで光の回廊の如く、行く手が照らされていた。
その薄暗い通路を奥へと、80間(約150メートル)程歩く。
外観の見かけ以上に長く、そして深い洞穴と思われた。
……
暫くそれを進むと。
……やがて眼前に広がり見えてきたのは、大きな空洞だった。
それはおおよそ、広さ16間(30メートル)四方程もある、巨大な空間。
敵地に踏み入る、この状況の中。
周囲を睨みつけ、それまで隙無く辺りを窺っていた彩花であったが、しかしその内部を見て、おもわず眼を丸くせずにはいられなかった。
なんと、その足元には畳が空洞中に広く、そして隙間無く敷き詰められているのだ。
しかも、華美な几帳や、細工麗しい行灯といった調度品までもが、数多く据えられている。
壁は岩の剥き出しのままで荒々しいものであるが、しかし色鮮やかに大きく松の絵が描かれた襖が四方全面に立て掛けられており、そのお陰でさながら空間内は、大名屋敷の大広間の如き様相を醸し出していたのである。
外からの、岩まみれで殺風景な洞穴の見た目に似つかわしくない、唐突に現れたその豪奢な内装の光景に彩花が驚くうち。
先導していた男が、上座と思しき位置に、どかっと腰を下ろした。
それに続き、前後に従っていたニラネギ2人に肩を鷲掴みにされ、簀巻き姿のままの彩花も半ば強引に、その面前に座らされた。
そこで、初めて男が口を開いた。
「手荒な真似をしてすまんな。まずは名乗らせてもらおう。俺は『大友御行』という。ここの連中を仕切っている者だ。……お前の名は、何というのだ?」
……
『大友』と名乗った、この男。
若くして、この多くの賊たちを率いる、海賊の親玉であった。
目鼻立ち良く、血気盛んな青年といった風である。
その顔立ちは、野卑な賊としては似気無く、気品がある様に見える。
そして更にどこか、育ちの良ささえ漂わせていた。
溌剌とした若気もあってか、自信に満ちているのか。
そんな彼は語気も強げに揚々と、彩花に名を問うてきたのだった。
……僅かに身を乗り出す彼のその目は、何故か爛々と輝いている。
まるでそれは、面前の少女が名を口にするその時を、今か今かと期待して待っているかに見えた。
……
だが。
しかし。
「世の人にならばいざ知らず、賊如きの者に名乗る名などありますか?」
……
……少女。
彩花は淡々とした無表情のまま、名を告げる事をきっぱりと、拒否したのであった。
「……え……?」
その言葉に、大友は何も言えなくなる。
……
敵に捕らえられたというこの状況に、恐れをなした少女は要求通り、名を口にするであろうと余裕綽々、自信満々に構えていたのだが……
しかし、意外にもそれをあっさりと、拒絶されてしまったのである。
まるで一蹴するかの様な、相手のその思いがけない出方に話の出鼻をくじかれ、彼は言葉に詰まるのだった。
取っ掛かりを失い、話を進める事が出来なくなってしまった大友。
「……」
「……」
……お互い沈黙し、とっても気まずい空気が漂う。
だがそれに構わず一方の彩花は、敵に対する怒りを露わにするかに、じっと、面前の大友を睨みつけている。
大友は場の、その凍った雰囲気に大きく動揺しているのか。
睨まれつつもそのまま、黙り込んでしまった。
彩花のその眼と視線を合わせず、しきりに、うろうろと目を泳がせている。
……場の空気に呑まれてしまったのは、逆に、大友の方であった。
「……分かりました。……私は彩花と申します」
……
自信げな鼻先をいきなりへし折られた大友がそこはかとなく哀れに思ったのか、仕方なく、彩花は名を告げる事にした。
「……う、うむ……。彩花、か。良い名だ。……うむ……うん……」
……とりあえず話が進展し、ホッとしたのか。
凍り付いていた場の空気を和ませるかの様に、大友はしきりに頷き、その名を褒める。
そんな彼に、彩花はなお睨みつけながら、問うた。
「一体何用があり、貴方は私を、この様に連れ去ったのですか」
投げかけられたその視線と問いに、大友は若干上ずりながら、答える。
「あ、ああ。……実は、俺はお前に話があって、この場に来てもらったのだ」
……
「来てもらった」などと言うが、実際には、「無理矢理攫ってきた」のだ。
更には、その身体の自由を奪った上でである。
その言葉の端々に一方的な傲慢さが見て取れ、彩花はますます、ぎらりと大友を睨む。
「……話、とは?」
「う、うむ」
大友は、ひとつ大きく、頷く。
すると「おほんおほん」としきりに咳払いし、傍に控えていたニラネギらを広間の外へと、追いやったのだった。
「……では、単刀直入に言おう……」
……そして彼は向き直り、俄かに神妙な顔つきになると。
彩花に、言った。
「……彩花。俺と、婚姻してくれ」




