第二幕 捕捉
間牛は水平線の船影たちから遠ざける様に、船を走らせ続けた。
程無くして、やがて前方の水面に、何かが見えてきた。
……それは白い砂浜の、小さな平地だった。
島である。
間牛の言っていた、身を隠す島だろう。
だが、それは島と言っても5間(約10メートル)四方の広さしかない、しがない小島だった。
「海の上に少しの土を盛っただけの、僅かな足場」と呼べる様な、ぽつんと海上に浮かぶ狭隘な島だ。
そしてその狭い土地の上には、申し訳程度の、背の低い草の茂みが生えているのみであった。
猛烈な速度で、見る間に船はその小島へと辿り着く。
舳先を柔らかい波打ち際に乗り上げ上陸するや、間牛は櫂を握り締めながら、ナニガシたち4人に言う。
「さ、降りた降りた!急いで、その茂みの中に隠れな!」
4人は船から飛び降り、波打ち際を駆ける。
そして言われる通り、小島の中央に茂る草の中へと、滑り込む様に潜ったのだった。
……
茂みの中で腹這いになり、こっそりと葉と葉の隙間から、船影の居た水平線を窺い見る5人。
そのじっと身を隠す中、心なしか小声となった美月が、間牛に問うた。
「……ねえ間牛さん。ひょっとして海賊さんたち、こっちに気付いたかな……?」
「……分かんねえ。だが連中は遠眼鏡(望遠鏡)を持ってる筈だ。鳥みてえに小さな獲物も逃さねえよう、常に周囲を見張ってるからな。……もしかすれば、とっくに俺らに気付いてるかもしれんぜ」
間牛は前方を睨みつけながら言う。
「もしも賊共の船ならば、見つかれば厄介な事となりましょう。船団ともなれば、その者たちの数は多い筈。……とにかく、やり過ごせるよう祈るしかありませんね」
と、彩花。
言いつつ彼女は、傍らに居る美月の肩をそっと抱き寄せる。
……怯えているのか、その美月の小さな肩は、僅かに震えていた。
美月も、頼り縋る様に彩花の手をぎゅっと、握り締めるのだった。
……
全員そのまましばし黙りつつ、遠く水平線を見つめる。
そしてその中だった。
望遠鏡並みに眼の良いナニガシが、呟いた。
「……あ、あの……。あの海賊の方々、こちらに向かって来ていらっしゃるご様子なのですが……」
「何だと!」
彼女の言葉に一同揃って、ぎくりとした。
ナニガシが指差す先を、間牛や他3人が凝視する。
「……くそっ!連中、こっちに来てやがる!」
暫く見ていると、海の向こう水平線に、複数の黒い点の様な姿が視認出来た。
……それは、先程見た船団の船影であったのだ。
どうにか見つからないようにと、願っていたのだが……
だがそれとは裏腹に、見ている間にどんどん、それら船影は5人の潜む小島目掛けて一直線に、向かって来ている様であるのだ。
近づいてくるにつれて、それらの詳細な姿は美月たちの眼にも次第に、認識出来るようになった。
船団の船は大小あり、それら全てが帆掛け船(帆船)である様だった。
船体の上には屋形が設けられており、その上に張られた大きな白い帆がこちらに向け、風を受けて大きく膨らんでいた。
「……こりゃあ、やっぱりバレてるな……」
溜め息混じりに、間牛が呟く。
……彼の言う通りであった。
船団たちは間牛の船の存在を知っているからこそ、小島へと近づいてきているのである。
実のところ、最初にナニガシが水平線上に船団を視認するより前に、彼らは間牛の船を捕捉していたのだ。
そして間牛たちが逃げ出すより先に、すでに船団は、間牛の船の追跡を始めていたのであった。
……そして、彼らは近づきつつあった。
どうやら船足が速いらしく、追い風と共に、みるみるうちに接近してきている。
やがて、その姿が目と鼻の先となる。
船たちは波に揺られ、ギイギイとその木造の船体が立てる軋む音が、間近に聞こえるまでとなった。
……
島に距離を近づけると船団は俄かに、こちらに向けていた船首を僅かに回頭し始めた。
そして島に対して横一列に並ぶや、やがて、その位置でゆっくりと、停船したのであった。
……小島は、彼らに取り囲まれてしまったのである。
「あれ……?あの、これ……ひょっとして……ヤバいのではございませんか?」
ナニガシは青い顔をしながら、苦く笑ったのだった。
この狭い小さな島。
周囲は、見渡す限りの海。
唯一、身を隠せるものはこの僅かな、心許ない草の茂みのみ。
……身動きとれず、まさに孤島という檻の中そのものだ。
ナニガシたち5人は、完全に逃げ場を失ってしまったのである。
……
取り囲むその船団は、大小4隻の帆船たちで構成されていた。
まず、間牛の船より一回り大きい木造小型船が、3艘。
小ぶりな船体で小回りが利くため、おそらく、上陸襲撃や奇襲に用いられるのであろう。
そして中でもとりわけ目を引くのは、船団の中心に浮かぶ、1隻の大型船である。
……なんとそれは、軍船だった。
しかも一国の水軍が主力として用いる規模と装備の、強力な船であったのだ。
全長は、おおよそ見積もって14間(約25メートル)はあろう。
その木造船体の舷側(船の横側面)全周に黒い鉄板が張られた、装甲船である。
そして船首前面に大筒が1門、そして左右舷側にそれぞれ3門づつを載せて武装された、堂々たる威容だった。
……見るにおそらくこの軍船は、彼らを指揮する者が乗っている、船団の旗艦であろう。
上甲板に建てられた、天を衝くばかりの高々とした楼閣の如き船矢倉(物見や艦橋の役割を持つ構造物)が、周囲を取り巻く手下の小型船たちや、ナニガシたちが小さく身を寄せ合いつつ隠れる些々たる小島を、悠々泰然と、見下ろしていたのであった。
「でけえ船持ち出してきやがって。漁師の小船相手に、随分と大仰なお出ましじゃねえか。金目のモノなんぞ持ってねえぐらい分かるだろうに……。……まさか俺の褌でも欲しいんじゃなかろうな?」
間牛が呆れ半分に呟いた。
……この船たちに賊が乗っているのだとすれば、相手は大人数となるであろう。
見つかっているのだとすれば、逃げ場の無い以上、危険な状況である。
何をするか分からない、ごろつきの無法者連中だ。
捕まれば、ただでは済まない筈である。
……少なくとも、無事で帰る事は出来ないだろう。
……
発見されないよう、何としても、やり過ごさなければならない。
4隻の船からなる船団に包囲される中。
取り巻きの小型船の方へ眼をやると、その船上から、島の様子を窺う人影があった。
船員らしき男たちだ。
数人見える。
それら男たちに眼を凝らしてみると……
……やはりと言うべきか。
全員漏れ無く、野盗かチンピラかの様な、いかにもガラの悪そうな形をしていたのだ。
……
だが何と言っても眼に留まるのは、彼らの髪型だった。
男たちのその頭には、なんとツンツン高々と上に逆立てた、奇抜な髪型が乗っていたのである。
その様はニラネギの如きか、あるいはホウキに見えなくも無い。
しかもその髪はご丁寧に、全員派手派手しく、緑色に染め上げられている。
ますますもってニラネギである。
……ナニガシはそれをひと目見て、気付いた。
この世の中、そんな奇妙奇天烈な髪型をしている者たちといえば、他には無かったからだ。
「……ああ、はいはい。例によって、『ろくでなし』の連中ね……」
そう。
例によって、悪党たちなのである。
さも「またか」、と言わんばかりのうんざりした表情で溜め息をつく、ナニガシ。
やたらとごろつきや賊に縁のある彼女である。
出会いたくも無い相手に嫌でも出くわす事、これを俗に「腐れ縁」と言う。
ただ家探し職探しの旅をしているだけで、この有様だ。
溜め息ひとつもつきたくもなる。
……
だがしかし、妙である。
……こんなチンピラ風情の連中であるにも関わらず、何故彼らは、この様な巨大な軍船など持ち得たのであろうか?
一国の水軍のみでしか保有、所用出来ない様な規模と武装の船など、どう考えても、たかが野盗如きの彼らが手に入れられる筈が無かった。
建造には国家的規模の莫大な予算がかかるため、それは彼らの資金的に、無理な話である。
そもそもそんな金があるのなら、彼らは野盗になど成ってはいない。
……まさか彼らが自力でいずこかの水軍から拿捕したか、あるいは盗み出したのだろうか?
そんな大それた事を、果たしてこのニラネギもどきのチンピラ連中は、しでかしたのであろうか……?
……
ナニガシがぼんやりと、その様な事を考えていると。
ふいに、小型船のそのガラの悪い男たちの内1人が、小島に向かって大声で叫んできたのである。
「おいテメエ!そこで隠れてんのは分かってんだ!出てきやがれ!!」
船上から投げつけられてきたその怒鳴り声に、草の中で美月がビクリと震える。
(うわあ……見つかってる……?ど、どうしよう……?)
彼女は青ざめた顔で、声を震わせながら、小さく身を竦ませた。
……そんな怯えきった美月を宥め落ち着かせる様に、間牛が優しい声音で、静かに言う。
(大丈夫だ、大丈夫。じっとしてな)
彼はごつごつとタコが出来た大きな厚い掌で、美月の頭をそっと、優しく撫でた。
……
だが。
小船の男たちが、叫んできた。
「草ん中に隠れてるデカブツ!!お前だ!出てこい!!」
(え?)
……
見ると。
……なんと間牛の頭の先が、草の茂みの上からひょっこりはみ出ているではないか。
「あ」
伏せているにも関わらずこれでは丸見え、バレバレである。
この霊長類の体がデカ過ぎて、背の低い草むらでは隠しきれなかった様だ。
(うわあ!ちょ、間牛さん!出てる、はみ出てるって!)
……氷鶴が慌てて小声で教えるが、すでに遅い。
もはや完全に、男たちに見つかってしまっている様だ。
「くそっ、仕方ねえ……。お客さんらは、このままここでじっとしてろよ。いいな」
観念し、そう言い残すと1人、間牛はがさがさと茂みから出ていく。
そして船上の男たちに向かって、姿を晒したのだった。




