第三幕 美月の落し物
美月がナニガシの家(掘っ立て小屋)にやって来た日のその夜。
鈴虫が静かに鳴く、穏やかな晩である。
その音色の囁きが、静寂の夜の村を包んでいた。
前日の騒がしい大雨が嘘であったかの様に、雲はその気配を消している。
雲1つ無い、星が瞬く夜空だった。
美月は濡れ縁に腰を掛け、物憂げに、その夜空の満月を眺めていた。
ここ、山の中腹の村からの眺望は良い。
ふもとの谷を挟み、向かいに構える山塊まで見通す事が出来る。
その山塊は、このあたりの土地では『蛇ヶ背山地』と呼ばれ、近隣の住民たちに景勝として親しまれていた。
望むその山々の稜線は、夜空を背景として緩やかな曲線をぼんやりと描き、そしてその線を煌々と、眩いばかりの月の光が照らし出している。
そして、まるでその山々の頂から手を伸ばせば届きそうな……
そう思える程の大きな満月が、山の嶺よりも高く、その漆黒の夜空に星々と共に浮かんでいたのだった。
それを見つめる、少女の黒く大きな瞳。
その瞳孔の中に、金色に輝く丸い月が映る。
月に心を寄せるかの様な表情のその心中は、誰も知る事が無い。
「どうした美月?月をボーッと眺めちゃって」
その考え耽る様な彼女の横から、突然ナニガシが顔を出す。
「きゃっ!びっくりした!」
はっと驚き、美月は我に返った様だった。
その様子にナニガシは笑って問いかける。
「わはは、すまんすまん。君は月を眺めるのが好きなのかい?」
「あ……それは……」
俯き、美月は何も言わない。
「……うん?どうした?」
言い淀む彼女にナニガシは首を捻る。
他愛の無い問いであるのに、何故口ごもるのか……
……不安を抱えている。
しかし何かを言いたくても言い出せない……
美月はそんな様子でもじもじと、ナニガシを窺っていた。
彼女は決してナニガシを信用していない訳ではない。
むしろ彼女に安心し、そして信頼している。
だからこそ、その元に身を寄せているのだ。
だが、美月のその物憂げな表情は、何か……大きな隠し事をしている。
そんな顔であった。
そんな中、ふいにその顔を上げ、美月は言う。
「……ナニガシさん。私、1つ、やらなくてはならない事があるんです」
「やらなくてはならない事?な、何だ突然に」
その唐突に出てきた話に、ナニガシはきょとんとした。
「はい。『探し物』なんです。私は……えっと……『5つのとある物』を探さなけらばならなくて……」
「『5つのとある物』……?何だそりゃ?」
「……えーっと……何て言えば良いんだろ……う~ん……」
そこまで言い、美月は頭を抱えてしまった。
話を切り出したは良いが、それをどの様に言って説明すれば良いのか分からないらしい。
しばし悩んだ様子の末、再び口を開いた。
「それらは……『髪飾り』とか『帯』とか、装飾品の類いなのですが……ただ、普通の品ではないんです」
「むむ、普通の品ではない……?高級品って事かい?」
「いえ、そういう意味の『普通』ではないんです。『不思議な雰囲気』というか……私がそれを一目見れば、自分の物であるとはっきり分かるのですが……」
そう言うが、彼女の説明はまるで要領を得ず、ナニガシも頭を抱えてしまう。
「ふーむ。……良く分からん!」
ナニガシは八重歯をみせてニカッと笑う。
「ですよね……こんな説明じゃ分かりませんよね……」
美月は肩を落とし、がっくりとうな垂れる。
しかしそんな彼女を元気づける様に、ナニガシは笑いながら、小さなその背中をポンポンと叩く。
「まあまあ。……でも、何となく分かった……様な気がする!うん!とりあえずそんな感じのモノを出かけた先で見つけたら、君のところへ持ってくるよ」
「ありがとうございます……。私もこのあたりを探してみますが……見つかるかなあ……」
ため息をつく美月。
ふと思い、ナニガシは首を捻る。
「……しかし、なんだってそんな物を探しているんだ?『髪飾り』だの『帯』だの、君が元々身に着けていた物なんだろう?一体どこでどうやって無くしたんだい?」
当然の疑問であった。
何故、美月はその様な品々を落としてしまったのか?
「あっ……えっと……」
だが、そんな簡単な質問であるにも拘らず、問いへの答えにまたも美月は考えあぐねた様子となる。
「うん?どうした?……まさか、あの廃村で君が素っ裸だった事と関係があるのかい?」
再び問われ、戸惑う美月。
「そ、そうなんですけれど……ただ、詳しく説明したくても、今は出来ないんです……ごめんなさい……」
彼女は困惑し、俯く。
困り果てているその様子を見て、これ以上は深堀りして詮索する事は、なんだか虐めている様で気が引けてしまった。
ナニガシは励ます様に彼女の頭を撫でると、その顔を覗き込んだ。
「大丈夫大丈夫、分かったよ。まあ気長に探そうぜ。……あ、そういえばメシが出来てるんだった。食べようよ。ね」
「あ、はい。ありがとうございます。頂きます……」
このナニガシ宅(掘っ立て小屋)に来て早々、諸々の出来事で落ち着き無く、殆ど何も口にしていなかった2人。
自分が空腹であった事を思い出し、美月はナニガシと共に食卓であるちゃぶ台へと向かう。
ボロいちゃぶ台の上には、いくつかの欠けた皿が並んでいる。
その上では料理が湯気を立たせていた。
だが、しかし……
「わあ……」
その「夕食」を見るなり美月は眼を丸くし、そしてぴしっと固まった。
ちゃぶ台の上に並ぶものは……
『ゲジゲジ虫の丸焼き』
『毛虫の串焼き』
『何らかのキノコの汁物』
……まさに『ゲテモノ』揃いの献立であった。
それらがホカホカと湯気を立ち昇らせるその光景は、まさに地獄の様相。
どうしてこうなった?
「さあ、遠慮せず食ってくれ!」
ニコニコ顔のナニガシ。
「い、いただきまーす……」
引きつる笑顔の美月。
(……ナニガシさんいつもこんな食事なのかな……すごいニコニコ顔だし……この人にとってはすごいご馳走なのかも……折角用意してくれたんだし食べない訳にはいかないよね……でも……これを……)
美月の頭の中で、眼の前の光景を理解しようと、様々な思考が駆け巡る。
……一体、何故この様な食事となっているのか?
その答えは簡単。
ナニガシが貧乏だからだ。
他に食う物が無いからである。
ちらっと、美月は上目遣いでナニガシの顔を見る。
相変わらずすごいニコニコ顔でこちらを見ていた。
悪意の無い圧力が美月を襲う。
断るにも気が引け、もはや食うしか選択肢が無かった。
抵抗出来るだけ、拷問の方がまだマシであろう。
ためらう美月。
箸を持つ手が震える。
楽しい筈の食事なのに何故こんな目に……
だがとうとう、ついに意を決した。
(……うう……も、もう、……どうにでもなれ……!)
『どうにでもなれ』。
食事の場では決して発する事は無いであろう言葉と共に、美月は覚悟を決め、そして……
『食事』を口の中に放り込んだ。
次の瞬間、意識が遠のいた。