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第六幕 広き海に憧れて

 ナニガシら一行が辿り着いたこの海原は、『鯨の口』と呼ばれている海だ。

 ここ『中原の国』の北から入り込んだ外海が、「北部地方」の東側と「東部地方」の北側、その2つの地域の間に割って入る様に流れ込み、そして、南北に細長い内湾として形成された海域である。

 また同時にその外湾は、『北の国』と『東の国』両国の、国境線ともなっている。


 ここ『中原の国』とそれら周辺諸国は、戦が激化する以前は貿易を盛んに行っていた。

 この国にやって来る諸国からの貿易船は、全てこの『鯨の口』へと入り込んで来て、そしてその行き着く先である、「東部地方」の北部に建てられた港町へと入港していった。


 昔こそ、この『鯨の口』にはそれら多数の貿易船が頻繁に行き来し、その往来で賑わっていたものであったのだが……

 しかし……諸国との戦いが激しさを増していくに従い、国家間での交易は、次第に途絶えてゆく事となる。

 そしてついに、現在においては貿易船のその姿は、殆ど見られなくなってしまったのである。


 ……それにより、この『中原の国』は、疲弊していた。

 貿易が無くなった事により、食料などの物資の流入が滞り、そして国内へのその供給量が減少してしまったからだ。

 『中原の国』は、特に食料の調達を他国からの輸入に依存する部分が多く、それが途切れたために、食料の供給が減り、飢えているのだ。


 各国との戦が繰り返される、現在のこの情勢。

 国を守る上で、その為に兵たちに食事を与え、養う必要がある。


 だがしかし……

 元々乏しい自国の生産力では、それを賄いきれずにいるのだ。

 兵站が難しくなれば、戦線を維持する事は不可能だ。

 ……つまり、「腹が減っては戦ができぬ」ならぬ、「腹が減りすぎて、もう戦ができぬ」という状況なのである。


 この国は最早継戦能力を失っており、故にいつ、他国から侵攻されるか知れない状況にあった。

 水は絶え間なく流れるからこそ澄むのであり、流れを失った水は、次第に濁るものである。

 この『中原の国』もそれと同じく、飢えて勢いを失くし次第に弱り、そして新たな強き流れに飲み込まれるに任せる他、無かったのである。


 ……そうした、『中原の国』を陥れている、貿易の停滞という事態。

 他国の貿易船がこの国へと訪れなくなった原因は、戦によるものであるが……


 ……だが、その原因は、その他にも有ったのである。


 ……

 それはさておき、ナニガシたちの船旅。


 通常、「北部地方」から「東部地方」に移動する場合、『鯨の口』南側湾岸沿いをぐるりと回り込む様に、陸路を進む必要がある。

 ただし、その経路は大回りのため移動に大幅な日数を要し、その上その道中に人里も無く、食料の補給が困難となっている。

 そのため、湾岸沿いの陸路は平坦な道でありながらも、旅の難所となっていた。


 陸路であるため、荷馬車を使い潤沢な食料を運びながら、その旅路を行く事も出来るが……

 ……だが、賊の多い、この時勢である。

 その様な旅人は、飢えたそれら賊たちの、格好の餌食となるのだ。

 ……荷馬車で旅をするなど、「宝物ほうもつを持ち歩いている」と、自ら賊たちに対して教えて回っている様なものだからだ。


 事実、この湾岸の区域にはそういった「獲物」を狙う賊が数多く潜んでおり、手ぐすねを引いて旅人を待ち受けているのである。

 そうした治安の悪さも、旅の難所となっている理由の1つなのだ。


 ゆえに、渡し船を利用して、『鯨の口』を横断する経路が安全とされている。

 「北部地方」と「東部地方」を隔てる内湾を一直線に進めば、日数の短縮が出来、そしてその上、賊に出会う事も無い。

 現在多くの旅人たちは皆、この区域では船を使って海路をゆく手段を用い、そしてそれが、主流となっているのである。


 そしてそれら旅人を支える渡しの船たちは、かつては貿易船で賑わっていた「東部地方」の港町を、根拠地としているのだった。


 ……

 貿易船、そして現在では渡し船など、数多くの船を受け入れてきた、かの港町。

 その町こそ、これからナニガシたちの向かう、次の目的地である。

 そして彼女たちの乗り込むこの客船は、その船着場を目指し、この『鯨の口』を横断している真っ最中なのであった。

 

 ……

 宿の主人である漁師の男。

 彼の漕ぐ船は、快速であった。


 白い飛沫を立ち上げながら波を掻き分け、ぐんぐんと心地良く、速度を増していく。

 見る間に、出発した波止場と漁村が、遠ざかってゆく。

 風を切るかの様に進み、それはまるで、帆に追い風を受けた帆船であるかの様だった。

 内湾の穏やかな海とはいえ、この速さは彼の操舵の業と、そして並外れた腕力があってこそであろう。


 船上の美月と氷鶴は眼を輝かせながら、船の前方に身を乗り出し、行く手を見据えていた。

 その舳先が水面みなもを叩きながら船が海を往く様を、眼前から押し寄せる風と共に感じていたのだ。


「すごいすごい!船って、こんなに速いんだ!」


 海の上に出てからというもの、はしゃぎ続ける2人。

 船に乗るのは、初めての経験なのであろう。


 陸地が、遠く小さくなっていく様。

 頭上を通り過ぎる海鳥の、翔びゆく姿。

 潮風が、顔に当たる冷たさ。

 そして、水平線に向かって進み往く、感覚。

 

 何より自身の身体が広い海の上に在るという事が、美月と氷鶴にとっては初めての体験であり、そして大きな感動であったのだ。

 

 舳先から巻き上がる飛沫によって、2人とも顔面と胸元がびしょ濡れになっているが、だが感動のあまりに気にしていない様だった。


「……そういえば、漁師さん。あんたは、何て名なんだい?」


 そんな2人を微笑みながら眺めていたナニガシが、漁師に尋ねた。

 それに、彼は答えた。


「俺は『多良たら間牛まうし』ってんだ。お客さんらは?」

「アタシはナニガシ。そして美月、彩花、氷鶴だ。国を旅して回ってんのさ」


 ナニガシが言うと、間牛はニカッと、嬉しげに笑む。


「おお!国中を巡ってんのかい。いいねえ!俺も大昔、あちこち旅をしててな。元居た別の土地から離れて、あの漁村に流れ着いたのさ」

「え、間牛さんも旅人だったのかい」

「そう。この国の真ん中らへん、『蛇ヶ背山地』って谷に在る、小さな町から来たのよ」


 ……それを聞くと、ナニガシと美月は驚いた様に眼を丸くし、顔を見合わせた。


「……え?それって……」


 『蛇ヶ背山地』とは、この旅に出る以前にナニガシが住み着いていた、『中腹の村』一帯の山々の事である。

 彼女にとっては勝手知ったる、地元の土地だ。 

 

 そして、その谷の小さな町の事も、良く見知っている。

 ……そう、あの町である。


「……それってもしかして、『谷霧の町』では?」


 ナニガシがそう言うと、間牛はバンバンと両手を叩いて、そして大きく頷いた。


「おお、おお!それよそれ!あんた、あの町の事知ってんのかい」

「アタシはこの旅に出る前、その町の上に在る『中腹の村』に住んでたのさ。だから、知ってるどころかご近所みたいなもんさ」

「ホントかよ!いやあ、偶然ってあるもんだな!がははははは!!」


 まさに同郷の馴染みとも言える。

 ナニガシと間牛はお互いに大口を開けて、笑った。


「……でも何だってまた、わざわざ遠いこの土地にやって来てまで、漁師になったのさ。あの町には、仕事がいっぱいありそうじゃないか?」

 

 ……ふと、ナニガシは疑問に思い、尋ねた。


 『谷霧の町』は、木工業で栄える町である。

 町の職人たちが作った家具や調度品はその品質の高さから、貴賤上下無く、国中で愛好されている。

 故に、各地の市場しじょうで数多く販売され出回っている程の、多大な生産量を誇っているのだ。


 家具などに加工される以前の素材となる、重い原木を取り扱う都合、力仕事の男手が必要となる。

 それ故、特に、間牛の様な力自慢であれば重宝される筈であろうが……


 それに、間牛は答えた。


「特に理由は無えんだけどな。……何だかふと、山あいの狭い土地から抜け出して、余所の空気を吸ってみたくなったのさ。なぜか無性に、広い海に出てみたくなってなぁ。そんで思い立って飛び出して、この土地に来た。で、ここが気に入って、居ついたってだけよ」

「ふーん。なるほどなあ」

「もう死んじまったんだが、俺のひい爺さんも、漁師だったのさ。ちっこいガキんちょの頃に見た爺さんの真っ黒い日焼け顔が、忘れられなくてな。……ひょっとすれば、血は争えないってヤツかもしれねえな」


 相槌を打つナニガシに、彼は続ける。

 

「やって来たはいいが、最初はよ。海っぺりのこんな所で暮らしていけるか、自分でも分かんなかったがな。でも、ま、結局は『住めば都』ってヤツさ。人間、案外どうとでもなるもんだな。がはははは!!」

  

 そう言って間牛は大口を開けて、大笑いした。


 ……

 それを聞いていた美月は、はっとしたかに、眼を開いた。


 ……だがその後。

 微かに微笑むと、間牛のその言葉に賛同するかの様に、小さく頷いたのだった。


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