第十一幕 雲呑みの山
ナニガシらがこの集落に滞在し始めてひと月近くが経つ。
彼女たちはその中、平穏無事な日々を送っていた。
この集落は「北部地方」の山岳地帯の只中に在る。
旅を往くにあたってはこの先もひと山を越えねばならず、この一時の滞在は、真冬の山行を避けて越冬する為であった。
だがそれ以上に、あれから山賊の残党たちの再来を警戒していたのだ。
逃亡していった彼ら山賊の手下たちが再び、この集落を襲撃するのではないかと懸念があったのである。
身を休める傍らその気配を窺い、鳥並に眼の良いナニガシが集落の周辺を常に見回っていたのであるが……
だがしかし……
肩透かしを食わされるかの如く、それらは影も形も見当たらなかった。
集落は何事も無く以前と同じく、平穏で静かな日々を送っていたのだった。
……実際のところ、統率者を失った事で彼ら賊の手下たちは、もはや再起する事が出来なかったのである。
そして村長の考える通り、彼らは『山の神』の災いを恐れたのか、再び決起する事も出来ず、ついにそのまま瓦解していたのだった。
頭を失えば烏合の衆。
彼らは散り散りとなり、そしてそれぞれの行くアテへと発っていったのであった。
……
やがて、時期は年の暮れとなる。
集落の怪我人たちも次第に体力を回復しつつあり、元の生活へと戻っていた。
大勢の賊たちに臆せず、集落を守る為に奮闘したナニガシや彩花。
負傷者たちへの懸命な処置と、その後も薬を作り治療に力を尽くした氷鶴。
そんな彼女らのお陰で、無事に年を越せる事に、住人たちは感謝していた。
そしてナニガシたちの居る家へと、少ないながらも気持ちばかりと食料が、日々持ち込まれていた。
人里の少ないこの様な山奥の僻地では、冬に於いては何気ない食料でさえ貴重品となる。
ナニガシたちは申し訳無いからとそれらを固辞していたのだが、どうしても受け取って欲しいという住人たちの気遣いを、ありがたく思うのであった。
そして、年が明ける。
初の日の出が東の『車座連峰』からその姿を現し、その光は西に聳える『雲呑みの山』を明るく照らしていた。
『雲呑みの山』の頂に纏う、編み笠の様な白い雲が金色に染め上げられ、そしてその山体も、山裾に至るまで全てがその色に輝いていた。
まるで山自体が光を発するかの様なその光景は、神々しいまでの美しさと、また、眩さに圧倒されるかの様であり、そしてそれを目にした人々はその存在に、畏敬の念を抱かずには居られない程であった。
……
この土地に住み着き始めた先祖の頃から累代より、その信仰心の篤い集落の住人たちは古くから『雲呑みの山』を、「神の住まう座」とも呼んでいた。
山賊が襲撃してきた、あの夜。
……あの時、賊たちを追い払ってくれた恐ろしくも神々しい、眩い光を放つ、あの『白い獣』。
……その姿を重ね合わせ、彼ら住人たちは眼前で光り輝くその、「御山」へと。
感謝の念と共に、合掌するのであった。
……
その一方、新年の到来を祝うナニガシ、美月、彩花、氷鶴の4人。
「年が明けたー!皆、明けましておめでとー!」
「「「おめでとー!」」」
相変わらず貧乏性ゆえ、普段は粗食であるナニガシら。
いつもであれば食卓に上る主食は主に、道端に生えている雑草である。
ちなみに言えば、氷鶴は本来、その様な性分では無いのだが……
……しかし彼女たちに巻き込まれ、そんな哀れな食生活と成り果ててしまっていたのだった。
不憫である。
が、この日ばかりは違う。
彼女たちは世間一般で言うところの、「ご馳走」にありつくのであった。
……食料を分けてくれた村長や住人たちへ感謝しながら、飢えた獣の如く、喰らいつく。
新年を祝うよりも食欲が勝り、それは最早猛獣の食事風景の様相であった。
……およそ正月の趣など、そこに有りはしなかった。
正月三賀日。
この間、ナニガシたちの家は賑やかなのであった。
……
さて、そんな正月から数日が経つ頃。
ナニガシたち4人は旅支度をしていた。
集落から、再び、旅路に立つ為である。
いそいそと、元々少ない荷物を纏めていると。
そこへ、いつもの様に村長がひょっこりと、顔を出してきた。
「とうとう、ご出発されるのですな……。名残惜しいですが……」
彼は、淋しげに言う。
「村長。今まで我々に、こんな立派な家を貸して下さって感謝してます。我々は、そろそろ旅立たねば。何時までもご厚意に甘えていられませんから」
ナニガシが村長に頭を下げ、礼を言う。
それに、村長が手を振った。
「いや、なんのなんの。ワシらの方こそ、礼を言わなければなりません。あなた方がこのあたりの無法者どもを捕らえて下さったお陰で、随分住みよい集落となったのです。これから安心して、皆が暮らしてゆけるのですから」
「また、この辺りに来たら顔を出します。それまで、お元気で」
そのナニガシの言葉に村長は、笑みと共に頷く。
「あなた方は『雲呑みの山』一帯の英雄とも呼べます。是非、またいらして下され。いつでも大歓迎しますぞ」
そしてそう言った後。
……彼は氷鶴を、優しげな眼差しで、見た。
「……『北の里』の菩提は、ワシら集落の住人たちで弔いましょう。……それで良いですな、氷鶴殿」
……
その言葉に、氷鶴は俄かに、目頭が熱くなった。
……思わず涙が、零れ落ちそうになった。
だが……
それをナニガシたちに悟られまいと、袖で目元をさり気無く、拭ったのだった。
「……ありがとうございます、村長さん。……きっと里の皆も、安心して……あの世に行けるでしょう……」
……
村長は4人に向き直り、言った。
「あなた方はまるで、ひと吹きの風の様ですな。……旅の安全を、お祈りしておりますぞ」
……そうして、ナニガシら一行は、集落の入り口をくぐった。
村長や住人たちに見送られ、再び、旅の道へと踏み出していくのであった。
「さあ、行くかぁ。身体が鈍って無ければ良いけどな」
「村長さん、皆さん、さようならー!」
……別れを告げ、お互いに、大きく手を振り合うのであった。
……
そして4人は、背後に小さくなっていく集落の入り口を見ながら、盆地を渡る。
やがて東の『車座連峰』のふもと入り口に入り、その山道を登ってゆく。
登るその眼下には、見慣れた盆地が細長く、北へと伸びていく景色が広がっている。
……
その途中の、峠道。
景色を見ながら歩いていた美月が突然、「あっ」と声を上げた。
「ねえ!皆見て!『雲呑みの山』が、無くなってるよ!?」
「え?」
その声に一同驚き、彼女が指差すその方向へと振り向くと……
「あっ!?」
……眼を、疑う光景。
……堂々と山地の中央に構え、これまで眼前でその圧倒的な存在感を放っていた、あの『雲呑みの山』の姿が……
なんとそこから忽然と、無くなっていたのである。
……在るべき場所に、その姿が無い。
天にも届くかと聳えていたあの巨大な山体が、丸ごとその存在を消していたのだ。
まるでその空間に穴が空いたかの様な錯覚に4人は陥り、そして何事かと慌てふためきだした。
……
……だが代わりに、不思議な事が1つある。
山が在ったその場所を、あの山体と同じぐらいの大きな雲の塊が、まるで白い幕を被せたかの様に覆い尽くしていたのである。
その異様な光景に、呆然とするナニガシたち。
「一体……これは……?」
まるで狐につままれた様な感覚である。
……
だがこれは、自然現象の1つであった。
……『雲呑みの山』という名の由来。
それは、「山が雲を山頂に戴く」からでは無い。
「雲が山全体を丸ごと呑み込むかの様に覆い尽くす」、という様から来ているのである。
数多の雲が風によって山へと集中し流れ込み、形成された巨大な雲によりその姿が呑み込まれ、そして山があたかもそこから消えたかの様な錯覚に、人を陥らせていたのだ。
……自然の造り出す、未知たる光景。
……この神秘なる奥深い高峰は、決して、人間に侵される事は無い。
ただ超然と聳え立ち、人間の旅路とその運命を見守るかの様に、ただ、見下ろすのみであった。
【第十話 了】




