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第九幕 夜の一間にて

 ……その日の夜。

 村長宅の一間ひとまにて。


 ……

 行灯1つが灯るのみの薄暗く静かな中。

 畳の上に氷鶴と村長が向かい合い座っている。


 傍らの仄かな灯火は2人の顔を暗く照らし出し、その表情は沈痛の色をみせ、そしてこの静寂に沈み込むかの様だった。 


「……そうでしたか……。やはり薬師殿はもう、この世にはおられませんでしたか……」


 重苦しい雰囲気の中、村長のしわがれた声が言う。

 彼は嘆く様に、首を振った。


 ……

 『北の里』が滅んだ、一連の顛末。

 それを、この場で改めて、氷鶴から聞かされたのだ。


「……はい。ボクの至らなさのせいです。力が及ばず、看取る事しか出来ませんでした……」


 氷鶴も悲しげに、呟く様に言う。


 村長は氷鶴とは、件の薬師と共に知己同士である。

 古くより薬師に師事していた氷鶴の事は、よく見知っていた。


 ……そして、氷鶴が己の「先生」に対し、深い敬愛の念を抱いていた事も。


 だからこそ、氷鶴のその悲しみをよく理解していた。

 悲嘆に沈むその顔を、村長は自身の悲しみであるかの様に、痛い程に重々しく感じていたのだった。


 ……

 2人は、暫く押し黙る。


 村長は光に照らされた、深い皺の刻まれた頬に優しげな笑みを浮かべると、そして氷鶴へ静かに言った。


「何を申されます。ご自分を責められるな。里が孤立したその様な状況の中で、一体誰が何を出来ましょうや。神や仏でもなければ、里の者たちを救う事は出来なかったでしょう」


 村長のその慰めの言葉を聞くと。

 ……氷鶴は俯いたまま、袖で目元を拭ったのであった。


 ……のち、顔を上げ、尋ねた。


「……そういえば昨日の夜。見た事も無い様な、大きな恐ろしい『白い獣』が現れましたが……あれは一体何だったのでしょうか?怪我の人たちの手当てで無我夢中で、あれから殆ど考えもしませんでしたが……」


 その問いかけに村長は腕を組み顔を顰めると、そのまましばし考え込んでしまった。

 彼自身も同じく、あの場に突如出現した『白い獣』の正体が分からずに、その存在を訝しみつつあった様だった。


 その後……だがしかし、笑って答えた。


「うむ……。ワシにも分かりかねますが、あれは、誰かが言ったように……『山の神』だったのかもしれませんな。ひょっとすれば、賊共を追い払いにわざわざ御山おやまから降りて来て下さったのでしょう。ありがたい事ですな」


 それを聞き、氷鶴は昨夜の光景を思い起こす。


「……『神』……ですか」


 ……

 『獣』のあの光輝く姿は、確かにこの世のものとは思えなかった。

 恐ろしくも神秘的なあの様は、10数年の人生の中で、初めて目の当たりにしたものである。


 自分よりも遥かに長い年月を生きている村長でさえ、その正体を知り得ないのだ。

 そうなればもはや彼の様な長老たる者であっても、人知を超えた超自然的な存在として、かの生物をただ『神』と形容するしか納得する手段が無かったのだった。


 氷鶴は再び問いを投げかける。


「逃げていったあの山賊たちは、またこの集落を襲いにやって来るでしょうか?」


 村長はあご髭を撫で、答えた。


「ワシら集落の住人たちも含め山に住まうあまねく者たちは、それが例えろくでなしであったとしても、験を担ぐもの。見守って下さる『御山のぬし』に感謝し、そして恐れ敬い、己の幸運を祈り続けるものです。その『主』から睨まれたとあっては今頃、彼奴きゃつばらはその恐ろしさに震え、もはや懲りたことでしょう。もう、この集落にやって来る事は無いでしょうな」

 

 そう言うと、彼は愉快そうに笑った。

 その言葉に氷鶴も安堵し、胸を撫で下ろす。


「それを聞いてほっとしました。これでボクも、安心してナニガシさんたちと旅立てます」


 村長は頷くと、嬉しげに言う。


「……それにしても、氷鶴殿はよくぞ、里の惨状から生き延びる事が出来ましたな。ワシとしては、薬師殿に師事されておったあなたの身も案じておりましたからな。こうして、再びお顔を見る事が出来てなによりですわい」


 と、彼は氷鶴の顔を懐かしげに、まじまじと眺める。


 …… 


 ……だがその時、村長はふと、違和感を覚えた。


「……?……はて、氷鶴殿……」


 暫くその顔を見つめ……


 ……


 ……そして、何かに気付く。


 直後、次第に村長の顔が、みるみると青ざめていく。


「……も、もしや……」


 声が震えた。


 ……

 村長のその様子を察すると、氷鶴はニコリと、静かに微笑んだ。


「……村長さん。何も言わないで下さい。……特に、美月ちゃんたちの前では……」


 ……


 ……しばし、沈黙する。


 ……そして。

 村長は氷鶴の、笑みを湛えたその眼を見つめて、言う。


「……そうでしたか……。……しかしこれも、神の御心なのでしょうな」


 ……

 村長の頬に、ひとすじの涙がつたった。


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