第一幕 帰着と悪い土産話
美月たち3人は、ナニガシの待つ集落への道を歩いている。
頭の上に雪を載せた『車座連峰』を北に望みながら、南下していく途次である。
連峰の険峻な頂はどこか厳しく、まるで剣山の如く刺々しい佇まいが高々と空を突き刺すかの様であったが、白く清冽な雪が頭上に覆い被さる事により、その険しい表情は幾分か柔和な面持ちとなっているかの様に見えた。
そんな雪化粧の白い峰々が別れを告げるかの様に、次第に次第に、後ろへと遠ざかっていくのであった。
南へと歩くに従い、視界に入る周囲の景色を覆う雪も少なくなっていく。
また心なしか、空気の中から今までの張り詰めた冷たさも無くなり、頬に当たる風は柔らかく、そして温かく変わってゆくのが感じられた。
里から真っ直ぐに南下するのみの、往路と同じく単調な道のりだ。
起伏も無い、相変わらずの長閑な、盆地の田舎道である。
だが違う点があるとすれば、それは氷鶴が歩みを共にしている事と、解毒の薬が手に入ったという安堵感が心の中に満たされているという事であろう。
その氷鶴は、植物に関しての多くの知識を持っていた。
道中、美月が見慣れぬ草を見つけ尋ねると、氷鶴はそれについて詳しく解説したりする。
その説明の最中は決まって得意顔付きである。
美月は興味深げにしきりに頷き、その「授業」を熱心に聞いていたのだった。
しかし……
彼女の最後の質問は、毎回必ず、こうであった。
「食べられるんですか?」
それを聞くや、氷鶴は得意顔から苦笑いへと、表情を変える。
美月はナニガシと共に旅するうちに、道端に自生する植物が己の腹を満たせるかどうかに関心を持つようになったのかもしれない。
文字通り「道草を食う」旅を続けたせいで、すっかりとそれが板に付いてしまった様だった。
当初はそんな食生活に抵抗を見せていた彼女だったが、貧乏侍のお陰で今やすっかり逞しい、さながら野生児の如き有様である。
そんな2人のやりとりを聞いている彩花はというと、いつもニコニコと微笑んで、楽しげに後ろから見守っているのであった。
さてそんなこんなの道中、往路と同じく3日目にして。
ようやく、集落の入り口が道の行く手に遠く、その視界に入り始めてきた。
件の山賊たちの襲撃を警戒しつつの道中であった。
だがしかし彼らの気配は微塵も無く、美月たちは暢気なまでに復路を闊歩していた程に、その心配が杞憂であったかの様に何事も無く集落まで辿り着いたのであった。
「着いたー!氷鶴さん、あれが私たちの集落だよ!」
美月が氷鶴の手を引き、前方を指した。
「……ああ、南の集落といえば、ここだよね……。……何だか懐かしいなあ。ここに来るのは、いつぶりだっただろう……?」
一方、氷鶴は集落の門を懐かしげに見つめていた。
だが嬉しそうに燥ぐ美月とは対照に、その顔はどこか浮かない様子であった。
「あ、そっか。里から出かけようとすれば、道なりのこの集落に寄りますもんね」
西を『雲呑みの山』、東と北を『車座連峰』に囲まれているこの盆地は、南にしか外部へ抜ける道が無い。
そして『北の里』とこの集落は南北に走る一本道で繋がっている。
そのため必然的に、盆地の外に出ようとする『北の里』の住人は、この集落を必ず通過する事になるのである。
立ち寄る機会が多いとなれば当然、里と集落、お互いの住人同士は顔見知りも多くなる筈だ。
3人はそのまま歩き、集落の一歩手前までやって来た。
だが、門の前まで来ると氷鶴はふと歩みを止め、その場に立ち止まってしまったのである。
そして言う。
「……ごめん。ボクはここで、夜になるまで待っているよ。暗くなってから、君たちの泊まっている家に行く事にするよ」
その突然の言葉に、美月と彩花は顔を見合わせた。
「えっ、どうしてですか?」
「訳は話せないんだけど……実は、この集落の人たちに顔を見られたくない事情があってね。だから暗くなるまで、ここに居るから……」
……一体突然、どうしたというのだろうか?
目的地を前にして、そう言って氷鶴はそれ以上進もうとしなかった。
訳の分からぬまま、美月と彩花は首を捻る。
困惑する傍ら、彩花は氷鶴の顔を覗き込んだ。
……その視線から逃れる様に俯き、眼を伏せている。
口は固く閉ざすかの様に真一文字に結ばれ、それゆえ理由を尋ねたところで、頑なに、何も語りそうに無い。
……まるでそれは、己の心の裡を悟られまいとするかの様子だった。
氷鶴が集落に入ろうとしない理由は分からない。
だがその様子を見て取ると彩花は、「どうしても言えない理由が有るのだろう」と察したかに、そして頷いた。
「……分かりました。では日が沈んだら、お迎えに上がりますね」
それを聞くと氷鶴は顔を上げ、感謝する様に笑みを返す。
「ありがとう。ついでに頼みなんだけど、ボクの名前は村長さんには出さないで欲しいんだ。薬の事は、里の薬師の家で見つけたって言えば良いよ」
謎に満ちた氷鶴のその言葉に、ますます訝しげに首を傾げる美月と彩花。
ともかく、今はナニガシに一刻も早く薬を与えねばならない。
とりあえずその言に従う事とし、氷鶴を門の傍らに残し、2人は集落内に入る。
そこに、再会を待ち侘びたかの様に早速、村長が顔を出してきたのだった。
「おお!お二方、長旅から無事に戻られたのですな。良かった良かった。お待ちしておりましたぞ」
美月たちの姿を見てその無事を確認すると、彼は安心した様に笑顔で何度も頷く。
相変わらず人の良さげなその顔を見て、帰り着いた美月と彩花も安堵したかに、ほっと息をついた。
「はい、お陰様で。目当てであったお薬も手に入れる事が出来ました」
出迎えてきた村長に彩花が頭を下げる。
彼は短いあご髭を撫でながら言う。
「それは何よりですな。という事は、薬師殿はご健在でございましたのですな?出発前にも申しましたが、何分この物騒なご時勢、かの里とは10数年交わりがございませんでしたからな……。あの方の様子が分からずに気を揉んでいたのですじゃ」
ニコニコとし、彼は安堵の色を浮かべ彩花たちに問いかけてきた。
それを見て……
彩花は言葉が出なくなった。
……里の終焉。
その顛末を伝える事は心苦しく、気が重かった。
村長のその口ぶりから、かの薬師とは友誼があったであろう事が察せられたからだ。
友人である薬師が息災と思い込み、喜んでいる村長に事実を告げる事は、なんとも気が引けたのだ。
……だが、話さない訳にはいかない。
彼らの事を思えばこそ、隠さず正直に、仔細を話すべきであった。
「……いえ。薬師様には、お会い出来ませんでした。……大変申し上げ難いのですが……。実は、『北の里』はいつかの大雪による被害にて、すでに無くなっていたのです。私どもが辿り着いた場所には、里の跡が残っているのみでございました。……誠に残念ですが……薬師様は、恐らくもう……この世には……」
彩花の澱むかの言葉。
それを聞くと、村長は口を開けたまま、しばし呆然とした。
……日頃、温和な笑みを絶やさぬ飄々とした然しもの好々爺であるが、しかし、予想だにしなかった事実を告げられ衝撃を受け、愕然とした面持ちとなったのであった。
「……なんじゃと……。そ、その話……真で、ございまするか……。なんと……なんという事じゃ……。音沙汰が無いかと思えば、まさか里が……滅んでおったとは……」
彼は震えた声で呟く。
眉間に皺を寄せ……そして里の在る遥か北へと、目をやるのだった。
この集落には、怪我や病気を治せる者は居ない。
唯一、この村長自身が軽い怪我の手当ての知識を持ってはいるが、だが大怪我ともなれば対処が出来ず、一大事となるであろう。
恐らくそういった、この集落では対応出来ない重篤の処置に関しては、『北の里』の「腕の良い薬師」に頼っていたのだろう。
人口の少ないこうした僻地に於いては、医療技術といった高度な専門知識や技能を持つ者は貴重であり、重宝される。
年波寄る老齢の村長自身も、かの薬師とは古くから旧知の交流を持っていたのかも知れない。
……想いを巡らせるかに、淋しげな眼差しで彼は遠く、北に連なる白い山嶺を見つめる。
居た堪れなくなり、隣の美月は彩花と共に、悲しげに眼を伏せていた。
そんな中ふと、思い出した様に村長が尋ねた。
「……そうじゃ。ならば、手に入れられたという薬は、どこで見つけられたのですか?」
彩花が答える。
「このお薬は、薬師様のお住まいと思わしき家屋内にて見つけたものです。薬の袋には『解毒薬』と書かれておりましたので、恐らくナニガシさんに効き目があるものと思い、勝手ながらも頂戴してきたのです」
……
氷鶴に言われた通り、彩花はそう答えたが……
しかし袋に実際に書かれているのは、やたらとデカデカと大きく、そして象形文字かと見紛う程に下手クソな、「鶴」という文字である。
……それを見ていると、氷鶴の得意顔が目に浮かんでくるようだった。
得心した様に村長が頷いた。
「左様でございましたか。……おっと、立ち話をしているとつい長くなってしまいますな。ささ、お早く薬をナニガシ殿に与えてやってくだされ。あの方もお二方を大変心配され、首を長く長ーくして、お帰りをお待ちしておりますからな」
そう言って、彼はナニガシの待つ家へと促すのだった。




