第一幕 ようこそオンボロ小屋へ
ススキの野の真ん中を突っ切る、この荒れた街道。
その行く手には、小さな小高い山が進路を塞ぐかの様に立っており、道はそのまま登山道へと続き、山の中へと伸びていく。
女侍ナニガシと、彼女に救われた迷子の少女美月。
連れ立って道を行く2人は、その登山道へと入る。
緩やかな山道をゆるゆると登っていくと暫くして、峠が見えてきた。
峠を越えた先の山の中腹には、こじんまりとした村がぽつりと存在する。
この女侍ナニガシは、この村に居を構えているのだ。
2人は半日の道程の後、やがて村の入り口へと辿り着いたのであった。
「ここがナニガシさんの住んでいる村ですか?」
低い木杭が打ち立てられたのみの、村の簡素な門を見回して美月が尋ねる。
「そう!ここにアタシの家があるのさ。こっちこっち!」
ナニガシに手を引かれ、その入り口をくぐり抜ける。
彼女が言うには、この村には20数人の住民が暮らしているという。
彼らの数世代前の先祖の代がこの山の土地を切り開き、そして以降、その子孫として住まう。
代々、山より切り出した材木を売る事によって生計を立て、村の生業としているのだ。
2人は土壁の家々が囲む村中央広場を通り抜ける。
そしてその中心より離れる様に少し歩くと、やがて、村の外れまでやって来た。
周囲は木々が覆う、鬱蒼とした場所。
そこには、森に囲まれる様に、一軒の小さな家が建っていた。
「これがアタシの家さ!さ、入って入って!」
どうやら、これがナニガシの住居らしい。
客の来訪を歓迎するかの様に、彼女が嬉々と促した。
だが……
その建物は「家」というより……
まるで「掘っ立て小屋」の様なくたびれた様相であった。
その土壁は一部が崩れ、穴が開いているではないか。
そしてよく見ると、ネズミの通り道らしきものもあるのだ……
軒も梁から剥がれかかり、その上少し欠けている。
それが風が吹く度にばたばたと煽られ、頭上でやかましい音を立てていた。
……はっきり形容すると……
「ボロ家」であった。
「家」と言われなければまず間違い無く、無人の廃屋か物置小屋と見間違えるだろう。
周囲の木の枝が屋根に被さる様に覆っているその様は、夜に見ればあるいは、おどろおどろしい幽霊屋敷とも言えるかもしれない……
そんな様相であった。
「……お、おじゃまします……」
美月は眼前に佇むこの奇怪なボロ小屋……もとい、この怪しげな家を見て、内心躊躇した。
果たして、この家に入っていっても良いものだろうか……?
取って食われやしないだろうか……?
そもそも、本当に家なのか……?
促すナニガシの顔を伺いながら、やや引きつった愛想笑いをする。
一方のナニガシは、屈託の無いニコニコ顔をこちらに向けていた。
これを堂々と「自分の家」と言うのはなかなか勇気が要ると思われるが、ナニガシ本人は、そんな事は全く意に介さない様である。
その笑顔にとうとう意を決し、美月はいかにも建て付けの悪そうな、「掘っ立て小屋」のその戸口をガタガタと開けようとした。
が。
……なかなか開かない……
思った通り見た通り、ボロ過ぎるためか、戸口が開かないのだ。
家自体が倒れ掛かり、柱が歪んでいるのかもしれない。
しばしガタガタミシミシと、開かない扉と、奮闘する。
やむを得ず、半ば強引に、力任せにこじ開ける様にして……
……そうしてようやく、開かれたのだった。
その開いた瞬間……若干、家がミシリと軋んだ気がする。
……家に入るだけなのに、これはとんだ一苦労である。
ひょっとすればこれが鍵代わりなのかもしれない。
そして、その屋内が露わとなった。
家の中は外見通り、いや予想通りのボr……質素な造りであった。
こじんまりとし、玄関である土間とその奥の居間、合わせて広さ8畳程であろうか。
しかし、それ以上に目に留まる光景……
物の散らかり様が凄まじいのだ。
その床には書物や脱ぎっぱなしの小袖、鍋などの調理器具、その他ガラクタが散乱しており、足の踏み場も無い状態ではないか。
床の畳が全く見えない程だ。
その惨状は、寝床をどこに敷いているのか不思議な程であった。
おおよそ女性の住まう場所とは思えない、まさに「汚部屋」といった有様なのである。
「……わー……」
家に入ろうと一歩足を踏み入れた美月が眼を丸くし、その場にぴたりと固まってしまった。
本能で危険を感じ、ここに入る事を無意識のうちに拒絶してしまったのか。
部屋の有様とその美月の反応を見て、「しまった」とばつの悪そうな表情をし、ナニガシが申し訳無さそうに頭を掻く。
「あ、あー……今……ち、ちょっと散らかっていてな、すまんすまん、すぐに片付けるよ。わはは……」
彼女はどうやら「ずぼら」な性格らしい。
ナニガシは慌てる様に、散らかる品々を押入れにポイポイと放り込み始める。
美月が苦笑いしながら言う。
「あ、あはは……私も、片付けるのお手伝いしますね」
「おお、そうか。じゃあ、これはそっちの棚に突っ込んで……これはこっちの押入れにぶち込んで……」
ナニガシのいい加減な指示の下、家中のガラクタを片付け続ける2人。
そうして暫くすると、その「ひと騒動」が終わった。
散乱していた品々によって、隠れていた畳がやっと姿を現したのだ。
ようやく腰を落ち着け(物理的に)、一息つく事が出来る様になったのであった。
ナニガシが埋まっていた居間の囲炉裏に火を入れると、その傍にどかっと座った。
尻を着いた途端、畳から埃が舞う。
「……やれやれどっこいしょ。いやあ、連れて来て早々大忙しになってすまんなあ。……アタシはどうも片付けが苦手でな、わはは」
腰に差した大小の刀を帯から抜き床に置くと、ナニガシは機嫌良さげに大きく笑う。
彼女の笑顔はどこか、見ている者を朗らかな気持ちにさせてくれる。
八重歯を見せた人懐っこいその笑い顔は、無邪気で屈託が無く、愛嬌があった。
「いえ、私にお手伝い出来る事があったら何でも言ってください」
美月も畳に正座する。
その笑顔につられ、くすりと笑った。
「ありがとう美月。では、さてだが……」
ナニガシが向き直り、美月に問いかけた。
「今後の君の身の振りを考えなければな。ここに落ち着くのも良いが、それより、君自身はこれからどうしたいと思っているんだい?」
それに美月はしばし考えた後、答えた。
「……私は……まずこの時……いえ、この地について詳しく調べたい事があるんです」
「え、調べたい事だって?何だいそれは?」
美月からの意外な答え。
それは、親からはぐれた己の身を案じるものでも無く、身の上を嘆くものでも無かった。
その代わりに、「調べたい事」とは……?
ナニガシは怪訝に思い、内心で大いに首を傾げていた。
「はい。例えばこの土地、この国の人たちやその社会とか、あるいは……人々の間に伝わる伝承とか」
続けられたその答えは更に何とも突拍子も無く、おおよそ幼い少女とは思えない様な言葉だった。
迷子である彼女が、何故その様な事を知りたいのか……?
おかしな事を言うものだと、ナニガシはとうとう首を捻りつつ、そして答えた。
「むむ……随分とまあ小難しい、変わった事を調べたいんだな君は。……ふーむ、この土地の事ねえ……そうねえ……」
「何でも良いのです。例えばこの村について、何か変わった『言い伝え』とかありますか?」
悩むナニガシに、美月が尋ねてくる。
「うーむ、この土地は見ての通りのど田舎、辺鄙な所でね。他所の人間から見れば、なーんも無い、残念な程に退屈な村だよ」
答えが見つからず、ナニガシは笑う。
「そうですか……」
肩を落とした美月。
だがナニガシは少し考えると、何かを思い出した様である。
「……あ。そういえば一つだけ、『変わったもの』があったなあ……」
「え、『変わったもの』?何ですか?是非教えてください!」
「そうそう、それはね……ふふふ」
眼を輝かせた美月に、彼女が笑いながら答えようとすると、その時。
『ガラッ!!』
突然勢い良く、なかなか開かない筈の家の戸口が開かれたのだ。
2人は驚いて眼をやる。
そこには、年配の小太りな女性が立っていた。
直後なんと、彼女はズカズカと無遠慮に、家の中に入って来たのだ。
そして、口を開いた。
「おーやおやあ。ナニガシさん、居たのかねえ。一体どこに行ってたんだい?え?」
ナニガシはその女性を見るなり、さあっと顔を青くし、どっと冷や汗を額に滲ませだした。
様子がおかしい。
一体どうしたというのか。
「げえっ!?あ、お、『大家』さん、こんにちは……あの、本日はお日柄も良く……」
「?ど、どうしたんですかナニガシさ」
途端にばつが悪そうにうろたえ、しどろもどろにどもり始めるナニガシ。
その様子を見て、心配した美月が声をかけようとする。
しかしその言葉を遮り、『大家』と呼ばれたその女性は怒鳴る様に突如、捲し立ててきたのだ。
「ナニガシさん、ナニガシさん。あんた、先月分と今月分の家賃を払って無いねえ。これは一体どういう事かねえ?」
「あ、いえ、その……」
狼狽し口ごもるナニガシ。
そんな彼女の様子とは関係無く、女性はまた捲し立てる。
「あんた、耳を揃えて全部払ってくれなきゃ、出て行ってもらうって言っておいた筈だったねえ。約束は守ってもらわなきゃあ困るねえ。ええ?」
「う……」
まるで飼い主に叱られている犬の様に、小さく縮こまるナニガシ。
しかも恐縮のあまり、いつの間にか正座になっているではないか。
……どうやらこれはただ事ではない。
そう察した美月は2人の様子を見ながら、おろおろとうろたえる。
しかしどうする事も出来ず、横で見ているしかない。
それを尻目に女性はなおも続ける。
「まあいいさ。その様子じゃ、どうせ文無しなんだろう?あたしも鬼じゃないからねえ。あんたの身包み全部引っぺがしてまで金を取り立てやしないよ。一文無しじゃ、どうせ埃ぐらいしか出てこないだろうからねえ」
その言葉を聞くと、青い顔をしていた今までと一転、ナニガシの顔がパッと明るくなった。
「た・だ・し!!」
だがそんな彼女にずいっと顔を近づけ、耳元で女性は大声で叫ぶ様に怒鳴りつけた。
白粉の匂いが半端無くキツイ。
「今月の末までに、来月分まで払ってもらおうかねえ!さもなきゃあ、村の男どもに手伝ってもらって、あんたを村から放っぽり出すから、覚悟してもらおうかねえ!楽しみにしてるよ!」
一頻り捲し立てた後、気が済んだのか、女性は戸口をピシャッと閉め出て行ってしまった。
……嵐が去った後の様に静まり返る、家の中。
ナニガシは青ざめたまま、滝の如く冷や汗を流し、ぴしっと正座した状態で固まっていた。
「……あ、あの……ナニガシさん……大丈夫ですか……?」
美月も女性の剣幕にいつの間にか縮こまり、傍らにあったボロい座布団を被り屈んでいた。
座布団の下から、恐る恐る心配げに声をかける。
かちこちに凍りついた表情のまま、ナニガシは答えた。
「ほ、ほらね、……『変わったもの』……あったでしょ……」