第九幕 静寂からの脱出
『……ザッ……ザッ……ザッ……』
……男たちの声と足音が近づいて来る。
彼らはもう、すぐそこにまで迫って来ていた。
氷鶴に手を引かれるまま、美月は裏口すぐ脇に伸びる細い立ち枯れの木陰に身を隠した。
静寂の雪の降る中、身体を縮まらせ息を潜める。
木は干からびているかの様に細々と痩せこけており、氷鶴と2人で隠れるには心許なかった。
だが美月は屋内に残した彩花の身を案じ、顔を出そうとした。
しかし、遠くから迫り来ていた山賊たちの笑い声や、そして怒鳴る様な話し声がすでに間近に聞こえ、身震いと共に思わずその鼻先を引っ込めてしまった。
それらは、次第にはっきりと聞こえてきている。
『ザクッザクッザクッ』
だんだんと、だんだんと近づいてくる。
そしてそれはもう、彼らが雪を踏む音と共にすぐ傍にまで来ていた……
『ザッ……』
……そして、その大勢の足音が家の前で、ぴたりと止まった。
この家を挟んだすぐ向こう側、その正面玄関前に10数人の荒くれ者の賊たちが足を止めた様だった。
とうとう、来たのだ。
間一髪、美月と氷鶴は家から脱出する事が出来た。
が、しかし……
彩花は未だ、屋内に居る。
寒さからか、あるいは恐怖からか。
美月はかたかたと震える手で口を覆い、声と、そして緊張のあまりにしきりに漏れ出る白い息すら隠していた。
傍らの氷鶴も耳をそばだて、男たちの動向に意識を向けていた。
静けさの中で耳を澄ますその時、男の低い声が向こう側から響いてきた。
「……なんだぁ?随分シケたボロ家じゃねえか。こんな廃屋じゃ金目のモンは何も期待出来ねえか……。なあ親父、どうしますかい」
直後、その声に「親父」と呼ばれたらしき、別の男の声が聞こえてくる。
「わざわざ雪の中出向いて来た以上は手ェ入れねえとな。どこぞの誰かさんのへそくりでも残ってるかも知れねえからよ。それにまだ、住んでるヤツが居るかもな。……おい、お前ら数人は裏手に回って見張っとけ。中のネズミを逃がすなよ」
この山賊たちを率いる頭領であろうか。
「親父」と呼ばれたその男は酒焼けした声で指示を出す。
どうやらこの家を囲む為、手下を裏口に回り込ませるつもりらしい。
……これはまずい。
このままでは裏手に潜む美月らと賊が鉢合わせしてしまう。
今彼女たちが隠れている細い枯れ木以外、周囲には身を隠せる場所が無いのである。
但し、家の前方左手、10メートル程離れた場所には林が在る。
そこであれば、夜のこの暗がりに紛れ十分に隠れる事が出来るが……
……だがそこまで行こうにも、家の横をすり抜ける際に、玄関前に陣取る山賊たちの松明の光にまず間違い無く見つかるであろう。
そうなれば、最早一巻の終わりである。
彩花の言う通り、確かに逃げ場が無かったのだ。
この静けさの中ならば、足元の雪を踏み締めた微かな音すら察知されるだろう。
男の指示の言葉を聞いた美月と氷鶴は青い顔を見合わせると、息を押し殺す様に呑み込んだ。
その時。
『バンッ!』
家の正面玄関の戸口が、勢い良く開かれた音が響いてきたのである。
美月たちの危機を察したのか、屋内に残った彩花が開け放ったらしい。
『ガチャガチャッ』
その瞬間、賊たちは手にしていた武器を構えたのか、一斉に金属が擦れる音が鳴る。
ふいに開け放たれた戸口へ彼らは身構え、そしてそこに姿を現した彩花に刃を向けたのであろうか。
家の向こう側の状況を推し量る術は、音だけが頼りであった。
聞こえてくる物音を全て逃すまいと、美月と氷鶴は耳に意識を集中させていた。
そして直後、彩花の声が言う。
……それは凛とした、静寂の中で響き渡る、よく通る声であった。
「こんな夕暮れ。一体、大勢で我が家に何用にて参られたのでしょうか」
そして、男の声。
「なんだ嬢ちゃん?このボロ家の住人かあ?……こんな寒ぃ中来たんだ、茶ぁでも淹れてくれねえか」
するとそれを囃す様に、周りに居るであろう仲間たちの野卑な声がゲラゲラと笑いだす。
その笑い声の中、先程の「親父」、頭領らしき男の酒焼け声が言う。
「なあ、俺たちはちっと腹が減っててなぁ。とりあえず家にある食い物を全て出してもらおうか。……それと、金になるモンも渡してくれりゃあ、何も言う事は無えんだがな」
男は単刀直入に、自らの要求だけをぶつけてきた。
その強盗じみた不埒で不遜な口上を聞くに、やはり尋常の来訪者では無い。
……彩花の思った通り、彼らは紛れも無く、賊であったのだ。
彩花の声が答える。
「断ったならばどうしますか?」
「そんときゃあ、お前がその代わりになるだけよ。俺たちのメシの種にな」
周りの手下たちが、またもせせら笑う。
静けさの中、その声たちは余計に、耳障りなものとなって響き渡る。
それに対し彩花が鼻で笑う。
「……ふっ。思った通り、やはり卑しい賊の輩共でしたか。御客人で無いのならば、安心して追い払えるというものです」
「ああ?……小娘。まさかお前、女1人で俺たちとやり合おうってのか?」
「大の男が大挙し襲撃してきておいて、小娘1人に怖気づいた訳では無いでしょう?」
「……てめえ、ほざくじゃねえか。いい根性してやがるな」
頭領の声が俄かに殺気立つ。
その時、裏で美月と共にその会話を聞いていた氷鶴は気付いた。
彩花はわざと山賊たちを挑発し、彼らの気を昂ぶらせているのだ。
美月たちの存在を気取られない様、彼らのその視線と矛先を自らに集め、一身に引き受けているのだった。
すると彩花が叫ぶ。
「さあ、こちらです!賊共、付いて来なさい!」
『タタッ』
そして玄関先から、軽い足音が家の右へ走り去っていく。
この足音は彩花のものであろう。
彼女は家から遠ざかる様に、右手方向へと駆け出していったのだった。
「あの小娘、逃げやがったぞ!!追え!追ってふん捕まえろ!!」
『ドドッ!』
直後そう叫び声が聞こえるや、大勢の男たちの激しい足音が同じく右方向へと、地に響いていった。
山賊たちは彩花を追って、一斉に家の右手へ走り出した様である。
彩花と男たちの向かったそちらは、林の在る左手とは逆の方向だ。
彼らが走り去った先は何も無い、見通しの良い開けた平地があるのみである。
おそらく彩花は、美月たちが林の中へと逃げおおせるように、その反対方向へ賊たちを誘引したのであろう。
それを察した氷鶴が咄嗟に、傍らで息を潜める美月に促した。
「美月ちゃん、今だ!賊が離れた今しかない。林へ逃げるんだ!」
そして美月の手を引き、ばっと駆け出す。
家の左横をすり抜けるその時、玄関先を振り返った。
そこには、誰も居なかった。
地面に薄く積もり始めた雪の上に、賊たちのものらしき多くの雪沓の足跡が残るのみである。
家の右手方向を見ると、足音で地を響かせながら走り去り、遠ざかっていく松明の炎たちが揺らいでいた。
この場には最早美月と氷鶴以外に残る者は居ない。
彩花の思惑通り、2人は山賊の目から逃れる事が出来たのである。
そして林の中の暗闇へと到達し、転がる様に潜り込んだのであった。




