第五幕 薬師
美月と彩花は虚ろな眼差しで囲炉裏の炎の揺らめきを、放心したかに、ただじっと見つめていた。
『里はもう無くなってしまった』
その言葉はつまり……
ナニガシを救う事が出来る薬師も、もはやここには居ない事を意味していた。
毒に侵され苦しむ彼女に対して、もう手立てが無くなってしまったのだった。
打ちひしがれ、押し黙る……
眼の前が暗くなる様な心持ちであった。
傍らでその只事では無い彼女たちの様子を見て取り、子供は尋ねた。
「あの……一体どうしたんだい?何か用があってこの里に来たの?」
「……はい……実は……」
美月が重い口で事情を話す。
旅連れの仲間のナニガシが毒に苦しんでいる事。
そしてこの『北の里』に、その解毒が出来る腕の良い薬師が居ると聞き、助けを求め訪ねて来た事。
ここに至った一切の全てを伝えたのだった。
「……ふんふん、なーるほどね。……『腕の良い薬師』……か。それで、南の集落からここまではるばるやって来たって訳ねえ」
話を聞き、子供は腕を組んで頷く。
美月たちが吹雪の中、わざわざこの僻地に来た理由に納得した様であった。
同時にその表情はどこか満足げで、そして若干……何故か得意顔であった。
「私たち……一体どうしたら……。薬師さんは、一体どこへ行ってしまったんだろう……?」
眼に涙を溜めた美月に彩花は寄り添う。
慰める様にその頭を撫でると、美月に代わり尋ねた。
「もうその薬師さんは、ここには居られないのでしょうか?どちらへ移られたのか、ご存知ありませんか?」
薬師が里から出て行ったのであれば、探し求めなければならない。
何としても見つけ出し、ナニガシを救わねばならないのだ。
望みを賭け、居場所を問う。
だが……
それを聞くと、子供の瞳に淋しげな色が浮かんだ。
そしてその問いに呟く様に、返答したのだった。
……それは、更に絶望を深くするものであった。
「……うん……残念ながら、その方はもう居ないんだ」
一縷の希望も潰えてしまう言葉が、子供の口から出た。
「……すでに、もう亡くなっているんだよ……」
……
……沈黙した。
美月は眼を見開き、何も言わない。
信じられないといった面持ちで、沈黙する。
……僅かに開いた唇が、震えだす。
「う……う……」
堪えていたが、だが感情が溢れ……
「うわあああぁぁん!!」
……そしてとうとう堰を切った様に、声を上げ、泣き出してしまったのだった。
……彩花はその美月の気持ちを、痛い程に汲んでいた。
何も言わずに彼女を抱きしめた。
……
2人とも、その思いは同じであった。
ナニガシを助けたいという、ただ、その一心だった。
……だが……
ここに万策は、尽きたのである。
……
しかし。
それを見て、子供は俯いていた顔を上げた。
そして、2人に言った。
「ねえ、……もし、良ければ……ボクがそのナニガシさんという人の解毒薬を作ってあげようか?」
……思いもよらぬ言葉だった。
この子供が、解毒薬を作る事が出来る?
その意外な申し出に、彩花は驚いた。
「え!?あなたは、薬を作る事が出来るのですか!?」
子供は自信ありげに答える。
「うん。実は自慢じゃないけど、ボクは君たちの言う『腕の良い薬師』の弟子だからね。先生ほどの腕じゃないけど、薬を作る事が出来るよ」
そう言って、得意げな顔を2人に向ける。
聞いた途端、彩花の膝に顔を伏せていた美月がガバッと勢い良く起き上がる。
泣き顔で、鼻が垂れたままである。
彼女は子供の膝元に縋りつく様に、聞き返した。
「ほ、ほ、本当に、本当に作ってくれるんですか!?」
「任せて!ボクもこう見えても、かつては里の人たちの病気や怪我を治してきたんだから。ナニガシさんの症状を細かく教えてくれたら、早速薬の調合に取り掛かるよ!」
膝にしがみ付いてきた美月の頭を撫でる。
美月はそれを聞くとまたも泣き出した。
……
それは先程とは違い、一転、嬉しさのあまりに流した涙であった。
ナニガシを救う事が出来る。
お姉ちゃんを助ける事が出来る。
絶望が希望に変わった。
自分の感情を抑制出来ず、幼い美月はただ、それのままに涙を流すしかなかった。
泣きじゃくり、相変わらず鼻を垂らしながら、子供に繰り返し礼を言い続けたのだった。
「あ、ありがとうございます!ありがとうごじゃいましゅ!本当に……本当に……!」
彩花も頭を下げる。
「ありがとうございます。あの……申し遅れました。私どもは美月、彩花と申します。……あなたのお名前を伺っても?」
子供は明るく笑って答えた。
「ボクは『氷鶴』っていうんだ。よろしくね!さあ、早速、ナニガシさんはどんな具合なのかを教えてよ」
そして……
彩花がナニガシの怪我の状況、経過、本人の様子などを事細かに説明していった。
氷鶴はうんうんと頷いてそれらを聞きながら、紙に走り書きしていく。
終わると、改めて大きく頷き2人に告げた。
「なーるほどね。その症状からすると、複数の種類の蛇から取った毒を調合したものにやられたと考えられるね。分かった、すぐに解毒の調薬に掛かるよ!」
「ありがとうございます。宜しくお願いいたします」
彩花は再び頭を下げる。
氷鶴は立ち上がると、居間の奥にある部屋の襖に手をかけた。
「……それにしてもこんな酷い毒にやられたんじゃ、ナニガシさん本人はかなり辛いと思うよ。相当な発熱もあるだろうし、身体も全部麻痺して身動きも取れないだろうし……。ナニガシさん、よくもまあ喋ってたり出来てたね。普通だったら、舌も回らず口も利けない筈だよ」
それに美月がぽつりと言う。
「あ……お姉ちゃん、ワライダケとかその辺で採ってきた変なキノコ食べても平気な顔してたし、普段から色々な虫を捕まえて食べてたから……。毒に免疫があるのかな……?」
ナニガシの食事事情を漏らす。
「……げ。ええ……?あ……うん、……そうだったんだ……」
氷鶴は若干引き気味で、苦笑いするのみだった。




