第五幕 雨上がり
「あっ!お姉さん!!」
倒された女に少女が叫ぶ。
「くっ……」
女はぬかるみの中で身じろぎ、男を睨みつけた。
「痛い目に遭いたくねェだろぉ?美人の姉ちゃんよぉ……。俺の言う事おとなしく聞きなぁ……へっへっへ」
女性を容赦無く打ち負かし、「勝者」となった賊の男は気分良さげに笑う。
余裕綽々と、勝ち誇ったかの様に「敗者」を見下ろし、下卑た笑みで口元を歪ませた。
ふと、倒れた女の傍らをちらと見やる。
その目に、彼女が落とした直刀が留まった。
男は舌舐めずりし、すると、それに手を伸ばしだしたのだ。
「……!その刀に触るな!!」
彼が刀を拾おうと触れた瞬間、女が叫び、それを制止する。
が、しかし聞く耳持たず。
それに構わず手にすると、そして品定めするかの様にその刀を眺めた。
「ほーう、ちょいと形が変だが、良い刀じゃねえかあ?なかなか高く売れそうじゃねえか。俺様に逆らった『詫び代』として、こいつを貰っていくとするかぁ……」
盗賊ゆえに、「金目の物であれば全て己の物」である。
それが誰の物であろうが関係は無い。
手にすれば、それは「戦利品」となる。
男は満足げであった。
気を良くし、更に値踏みしようとする。
刀身を見ようと、鞘を抜く為に柄に手をかけた。
その瞬間だった。
「……それに触るなって言ってるだろう、このニンジン野郎!!」
倒れていた女は激高し、そして立ち上がるなり、彼に掴みかかったのだ。
男のニンジンの様な形の髪を握ると放さず、そのまま刀を奪い返そうと揉み合いになった。
それまでの臆病な色を見せていた表情が一転し、激怒する女。
大切な刀であるにも関わらず無下に値踏みされた事が、相当腹に据えかねたらしい。
その様子を見るに、彼女にとってその刀は、余程大事な物であるらしかった。
彼女のその変わり様は驚く程であり、そして何としてでも刀を取り返そうと、必死に男に食らいついていた。
それは男にとっても意外な抵抗であった。
「痛ててて痛ててて!!馬鹿野郎!そこ握るんじゃねえよ!!」
頭の「ニンジン」を握られ、思う様に身動きが出来ずもがく。
男は痛みで涙目になりながらも、しかしようやく脱すると、女を振りほどいた。
そして、再び彼女は地面に押し倒されてしまったのだった。
「痛っ!」
泥に塗れた地に尻を着く。
「……はあ……はあ……こ、この女ぁ、……どうやら、分からせるしかねェようだなぁ!!」
逆上した男は握っていた棍棒を振り上げ、倒れて無防備となった女に、殴りかからんとする。
そして、勢い良く振り下ろした。
その時。
「……う……」
彼はぎくっとした様子でその動きを止めた。
まるで石になったかの様に、突如、その姿勢のまま身じろぎもしなくなったのだ。
「……?」
女は眼前の男の様子がおかしい事に気付く。
見ると、彼のその顔は青ざめ、そして前方の一点を……
……彼女の後方に居る、家の屋内の少女を凝視している様だった。
「……ば……化け物……」
突然、男は声を震わせる。
「え?」
女は訝しむ。
そして直後。
「ば、ばっ、化けモンだーーーッッ!!」
男は後ずさりをしたかと思うと、棍棒を放り出し、突如としてその場から脱兎の如く逃げ出したのである。
そしてそのまま振り返りもせず、走り去って行ったのだった。
その様子に、女は状況が理解出来ずにいた。
呆然とする。
しかしその時、男が見ていた方向を思い出す。
……それは自分の後ろ……
……少女……?
ばっと、後ろの少女へと振り向く。
……しかし。
そこに居たのは先程と同じ、簾をその身体に巻いた姿の少女のみであった。
「ば……化け物?お、おかしな事を言う人ですね……あはは……」
少女はばつが悪そうに苦笑いしていた。
土間に降りると、たたっと女に駆け寄って来た。
「あの、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「……あ、ああ、大丈夫さ。転んだだけだよ……」
女は呆けた様に少女の顔を見つめる。
そして暫くすると、思い出したかの様に彼女は周囲を素早く見回した。
「し、しかし……化け物とは何の事だ?こ、ここに、アタシの後ろに……何か居たのか……?」
逃げ去って行った賊の様を見て、不安げな表情の女が問いかけた。
「え?あ、あの人の見間違いじゃないでしょうか?えっと……変な幻覚を見てたとか……」
「む、そ、そうか……?」
少女は目を泳がせ、口ごもりながら答える。
しかしその様子は、何かを誤魔化し、そして隠しているかの様にも見えた。
その様を気になりはした。
が、今はともかくと思い、泥に塗れた女は立ち上がると、少女に向き直った。
「怖かったろう、大丈夫かい?」
「はい。お姉さんが居てくれたから、平気です」
少女は泥の中の刀を拾うと、女に差し出した。
「あの、これを。……大事な物……なんですよね?」
「あ、ああ。ありがとう……」
受け取ると、彼女はそれを握り締め、そして見つめながら呟く。
「……そう。……大事な……大事な刀、だよ」
直刀の泥を払うと、愛おしげに撫で、眺める。
それはまるで、宝物を扱うかであるかの様に。
彼女にとってそれは、ただの飾りや、侍だからただ武器として持っている、という訳では無いのだろう。
自身の佩刀であるからという理由以上に、それは何物にも代え難い、まるで親愛の情がこもっているかの様だった。
刀を見つめる彼女の優しげなその眼から、そんな心持ちが見て取れた。
少女は女を見上げて言う。
「……お姉さん。……私、お姉さんについて行っても良いですか?」
「え?」
「昨晩の話です。お姉さんについて行きたいのですが……ダメですか?」
その言葉を聞き、女は、昨夜に少女とした話を思い出す。
「あ、ああ。構わないが……でも、何でまた……急に?」
「……私を、必死で守ろうとしてくれたから……。お姉さんとなら、安心して一緒に居られるって思ったんです。ここの土地の事、私は良く分からないし……それに1人じゃ、心細いですし……」
言うと、少女は不安げな顔で、俯いた。
確かに不安であろう。
迷子の上、その身体には簾しか着けていないのだ。
殆ど、身ひとつと言える。
その身の上とそんな有様から、彼女の言う通り、その心細さはひしひしと伝わってきた。
もじもじとしながら少女が見上げていると、女は明るく笑い、応える。
「ははは、そうか!アタシで良ければ、君の傍に居るよ。この国の事も、知っている事なら教えてあげられると思うしね」
その言葉を聞くと、一転、少女の顔にパッと笑みがこぼれた。
「本当ですか!?ありがとうございます!お姉さん!」
屈託の無い、少女の明るい笑顔。
それによって緊張していた心が安堵に変わり、思わず女も微笑んだ。
そして、小さな彼女の頭を優しく撫でた。
足元の水溜りがキラキラと輝いている。
ふと気付き見上げると、空はいつの間にか晴れていた。
雲一つ無い秋の朝。
昇り始めたばかりのその陽の光が、眩しく輝いているのだった。
「おお、ようやく雨が止んだか。よし、話も決まった事だし、早速出発しようじゃないか!」
女は言う。
「はい!」
少女が応える。
そして2人は廃村を出ると、「獣道」の街道を歩き始めた。
ふと少女が呟く。
「……『朝』ってこんな感じなんだ……あ、そういえば」
「ん?」
「申し遅れました。私の名前、『美月』っていいます!」
少女が名乗った。
「おお、『美月』か。良い名だな」
「えへへ……お姉さんのお名前はなんというのでしょうか?」
名前を褒められ照れた後、美月は女に尋ねる。
「アタシは……『ナニガシ』、だよ……」
「え?『ナニガシ』?」
「そうそう。変な名だろう?わははは!」
女はそう言うと、八重歯をみせて明るく笑った。
「……『ナニガシ』……さん……?」
聞いた途端、美月はその名を頭の中で反芻した。
その名が妙に気に掛かったのだ。
それはどこかで見たか、あるいは聞いた名であったからだ。
……一体どこでだっただろうか……?
……記憶のどこかに引っかかっている……
そんな気がした。
しばし考えど、……だがしかし……結局その引っかかりは取れる事は無かった。
彼女は一旦、その拭えない気持ちは引っ込めておき、今はナニガシと共に歩く事としたのだった。
「……分かりました。ナニガシさん、宜しくお願いします!」
「ああ、こちらこそ宜しくな」
2人は笑い合いながら歩いていった。
遠くに望む山の端に黒い雲は隠れ、そしてそれに入れ替わる様に顔を出し始めた太陽が、ススキの野を明るく照らす。
雨に濡れたススキが秋風に吹かれ、払われた水滴が陽の光によってキラキラと輝き、落ちていく。
野に伸びゆく、道往く2人の影。
水溜りを飛び越えながら歩くその足取りは、とても楽しげであった。
【第一話 了】