第十幕 白日の下に
忍びたちとの戦いから一夜が明ける。
木のたもとに縛り付けられた2人の男を、木々の隙間から差し込む朝の陽が照らし出している。
身動きが取れない中まんじりともせずに、彼はその昇りゆく太陽をじっと睨みつけていた。
……まるでそれが憎らしいかの様に、その光を黒い覆面の下から鋭い目で見つめた後、疎ましげに顔を背けた。
抜け忍の『御主人』とその手下の小男、猿。
山中を騒がせていたこれら「噂」の正体たちは、女侍ナニガシと着物の令嬢彩花の奮闘により、無事に捕縛されたのであった。
だが縛り上げたは良いものの、この冷酷で凶悪な男たちをそのままこの場に放置する訳には、当然いかない。
罪人である以上、然るべき場所へと引っ立てねばならないのだ。
ナニガシたちは彼らを連れ、この先の道中を行く事とするのだった。
男2人を簀巻きの如く太い木の蔓で何重にも縛り、そして殆ど引きずるかの様に引き連れて山道を北へと進む。
だがこの山塊は奥深い。
手付かずの未開の地が多く、住まう人間が少ない土地柄、いつ人里に行き着くかは分からないのだ。
下手をすれば何日もの間、この男たちと晩を共に明かす羽目となってしまう。
早いところ小さな村でも見つかるよう、半ば祈りながらの道中であった。
その中、男たちは一言も口を開かない。
痛手を負った『御主人』はふらふらと、辛うじてだが何とか自分の足で歩いてきていた。
しかし手下の猿の方はと言うと未だに気を失っており、彩花に打ちのめされてからピクリとも動かない。
言葉通り、引きずられて運ばれているのであった。
「口を開かない」のではなく、「口を利けない」と言った方が正しいか。
「……ねえ彩花ぁ。……こいつ生きてんの?」
「ぜえ、はあ」と息を切らしながらナニガシが尋ねる。
蔓を肩に掛け、その後ろにずるずると小男を地面に引きずり歩いていた。
「手加減したつもりだったのですが……。きっと、その方の鍛え方が足りなかったのでしょうね……」
小男と同じく上体を蔓でぐるぐる巻きにされた『御主人』を連れ歩く彩花が、困惑しながら答える。
『御主人』も散々と打ちのめされているかなりの手負いの為、その足取りが重い。
やはり一言も喋らず、もはや口を開く体力も無い有様だった。
「あ、あれでも手加減してたの……?じゃあさ、本気で蹴りを食らわしてたら……こいつどうなってたの?」
ナニガシが震える声でおそるおそると聞いてみた。
「……」
彩花はにっこりと笑みを浮かべたまま、何も言わなかった。
「え……ねえ答えて……怖いから……」
彼女の優しい微笑みに戦慄するナニガシ。
そうこうしながら小高い峠道を進むうち、眼下の山間に細長い盆地が視界に入ってくる。
そしてその中にぽつんと、どうやら人里らしき家々の屋根が見えたのだ。
幸運な事に早くも、小さな集落を発見したのであった。
「あ!お姉ちゃん!彩花さん!あそこ、村が見えたよ!」
食料や雑貨品を詰め込んだ風呂敷を背中に背負った美月が、嬉しそうに声を上げその集落を指した。
一行は峠道を下っていくと、集落を目指して進む。
盆地の平野を暫く歩き、そうして辿り着くと、その質素な門をくぐったのだった。
集落は木造の小さな家が立ち並び、その中央には広場がある。
まるで囲炉裏を囲んで身を寄せ合うかの様に、広場の周囲に藁葺き屋根の茶色いその軒を連ねていた。
山に分け入ってから初めての人里である。
冬の寒々しい山中の心細さの中、獣道とも知れない荒れた山道を進んでいたナニガシたち3人はその人間の営みに安心し、ほっと胸を撫で下したい気持ちであった。
一方集落の住人の者たちは、突如やって来た彼女たち5人を珍しいものでも見るかの様に、その姿を遠巻きに眺めていた。
その様子から、この場所に余所者が訪れる事など殆ど無いのかもしれない。
……いやそれ以上に、3人の娘がぐるぐるに締め上げた2人の男を引きずるその様は、どこから見ても異様な光景であろう。
確かに人目を引くのも無理は無かった。
美月がその内の1人に尋ねた。
「こんにちは。私たちは旅の者なのですが、こちらの村の村長さんはいらっしゃいますか?」
その住人はきょとんとした顔で答える。
「ああ、この家だよ」
指差した先には、この集落内において比較的大きな家が建っていた。
屋敷という程のものではないが、他の家と比べると少しだけ広く、造りが立派である。
美月はその者に礼を言うと、示されたその家の戸口をとんとんと叩いた。
「こんにちは。旅の者なのですが、村長さんにお会いしたいのです。居られますか?」
そう呼びかけると、その戸がガラリと開かれた。
そこには白髪の老人が立っていた。
「おやおや、珍しい。なんと旅のお方ですか。この集落に何用ですかな?」
村長と思しきその老人は、温厚そうな人物であった。
好々爺であるらしく、来訪にニコニコと笑顔を向けながら、美月に応えてきた。
「突然お邪魔してしまいすみません。つかぬ事をお伺いしたいのですが、山道で旅人を襲う『雲呑み山の絹太郎』の噂はご存知でしょうか。実は私たち、その『絹太郎』を捕まえたので、国の役人たちに引き渡したいのです」
美月がそう言うとその老人、村長は目を丸くし驚いた様子となった。
「おお、なんと!あの無法者を捕らえたと!?」
「はい、この2人の男の人たちがそうです」
彩花は依然ぐったりとした『御主人』と猿を、村長の前に引き出した。
いつの間にか、周りで話を聞いていた集落の住人たちがザワザワとどよめき始める。
「おお……この者が『絹太郎』……」
村長や、周囲で人だかりを作っている住人たちが眼前に座る2人をまじまじと眺める。
「噂」は聞いて知っているにしても、『絹太郎』のその姿を見るのはやはり初めての様で、皆一様に物珍しげな眼差しである。
……それもその筈だ。
その姿を見た時にはすでに襲われ、そして「始末」されているのだから。
……一方の『御主人』と猿は、何も言わない。
じっとその衆人環視の中、耐える様に押し黙るのみであった。
忍びとは本来、影に生き、陰に住まう者である。
抜け忍とは言え、忍びがその姿を晒され、あまつさえ正体すら暴かれるという事は「生き恥」以外の何物でもないであろう。
ましてやこんな市井の只中、大勢の眼前でである。
その黒い覆面の下はどの様な表情であろうか、それは推して知るべしであった。
「ううむ。よくぞ『絹太郎』を捕らえましたな。こやつの悪名はこの辺鄙な集落にもよく知られるところでしてな。ここの住人の中にも、山に行ったきり戻らぬ者が数人おるくらいなのです。……まさか、『絹太郎』がこの様な姿とは思いませんでしたぞ」
「そうだったんですか……。この集落にも、犠牲になった人が……」
村長は白い毛の混じった短い顎ひげをさすりながら、頷く。
「分かりました。早速役人へ使いを出し、この者共を然るべき場に引っ立ててもらいましょうぞ。それまで、こやつらはここの地下牢にて預かりますぞ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
美月は頭を下げ、礼を言う。
村長は手を上げてそれを制止した。
「いやいや、礼を言うのはワシらの方ですじゃ。本当に助かりましたわい。みな、山道の道中こやつらに襲われまいかと不安がっておりましたゆえ。これで、この山も安心して行き来が出来るでしょうな。……ですが、それにしても……」
「?何ですか?」
村長が『御主人』と猿をちらと見やって、笑いながらぽつりと言った。
「いや、『噂』と違いこの者ら、何か思ったよりも小さくありませんかな?『大男』と聞いていたのですが……」
『御主人』は中肉中背、手下の猿は言うに及ばず。
2人とも、大男には到底見えない。
確かに、『絹太郎』は噂では「大男」で通っているためか、村長もその相違を不思議に思った様であった。
「あはは……。まあ……『大男』なんて、ただの噂に過ぎませんから……」
笑って誤魔化す美月。
その様子を傍らで見ているナニガシが、隣の彩花に小声で話しかける。
「なあ、この忍びくずれたち。大男であるクマを犯人に仕立て上げる様な嘘を役人に言ったりしないかな?」
彩花が答える。
「まあ、その時は私たちが証人となれば宜しいかと思います。……その前に何より、どこから来たとも知れぬ怪しげな抜け忍の言う事を信用する役人は居ないでしょうね」
「それもそうか」
彩花は微笑みながら、クマの住む山を見やった。
「『絹太郎』が捕まったというこの大きな『噂』は、瞬く間にこの山一帯に広まるでしょう。そうなれば、クマさんも怖がられる事は無くなる筈です。……あの方の人柄を考えれば、皆さんと仲良く暮らしていけると思います」
それを聞き、ナニガシは頷く。
「うむ、そうだな。しかしだ……」
「しかし?」
「一番のとばっちりは、クマの相棒の『本物の絹太郎』だよな……。自分の名前が悪名として広められちまってるんだから」
ナニガシは腕を組み苦笑いする。
彩花も口元を隠し、くすくすと笑う。
「ふふ、そうですね。しかし、ウサギは人間の噂話など、興味の無い事ですよ」
【第八話 了】




