第二幕 噂話
森の中をふいに吹き渡った風が木々の間を抜け、枝と枝を揺すっている。
梢がしなる毎にザアッと頭上で音を立て、時折、その間隙から陽光が垣間見えた。
ふもとの街道から続く山地への入り口。
一行はそれへと踏み入り、緩やかな山道を登っていた。
あれから標高自体はそれ程上がってはいないが、北部の地域ゆえに気温は若干低くなりつつあった。
「西部地方」と比べ、この山地に至るまでの道中は、朝晩となると肌寒い。
地域的な気候もあるが、すでに時期は冬の始めに差し掛かっている。
黄色く色づいたイチョウが、風に吹かれて頭の上に舞い落ちてきていた。
その黄金色に彩られたこの山道を、登り始めてからやたらと元気な彩花を先頭に、美月、ナニガシの順に進んでいたのだった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
後ろを歩くナニガシを心配し、美月が振り返る。
「はあ……はあ……。うう……ちかれた……。ちょ、ちょっと……休もうぜ……」
足取りが重く、汗をだらだら流しながらよろよろと歩いてきていた。
傾斜の少ない坂道であるが、歩き始めてからすぐにこの調子であった。
足が速く瞬発力があるナニガシだが、どうやら体力はあまり無いらしい。
「大丈夫そうじゃ無いね……。彩花さーん!この先に休めそうな場所ってありそう?」
美月が、道の先を行く彩花へと呼びかけ尋ねる。
鼻歌を歌いながら歩いていた彩花は、行く手前方を覗き込むと、そして大声で後方へと応えてきた。
「……あ、はい!この少し先に茶屋があるみたいですね。幟が立っています。そこまで歩けば一息つけそうですよー!」
彼女の元気な声が、森の中に木霊する。
「だってさ。お姉ちゃん、そこまで頑張って!」
ナニガシは滝の様な汗を拭いながら、足を引きずりつつ歩く。
だがもはや体力の限界と言わんばかりに、前のめりに倒れ込みかけていた。
「……あ、もうダメ……もうダメ……。ここがアタシの死に場所……アタシに構わず、先に行くんだ……。ここに、立派な墓を立ててね……」
「もー!バカな事言ってないでほら、歩くの!早く!」
美月が弱音を吐くナニガシの尻を叩きながら歩く。
それはさながら馬車馬と御者の様であった。
「うう……美月……可愛い顔して、なかなか鬼じゃねえか……」
そんなこんなの調子で、ようやく茶屋まで辿り着いた。
軒先の長椅子に倒れ込む様にどかっと座り、息も絶え絶えと喘ぐナニガシ。
「あー疲れた……おじちゃん、お茶もらえるかい……」
店の奥から出てきた店主に茶を求める。
「はいよ、どうぞ。……あんたら、南の登山口から入ってきたのかね?」
茶を持ってやって来た店主はそれを3人に差し出しながら、ナニガシに尋ねてきた。
「はい。私たちは今から北の方へ歩いていくところなんです」
茶を受け取るや一気飲みしているナニガシに代わって、美月が答えた。
すると店主が言う。
「そうかね。……あんたらは、この辺に『絹太郎』という男が住んでいる事は知ってるかい?」
「え?『キンタロー』?」
一気飲みし終えたナニガシが聞き返す。
店主は答える。
「『絹太郎』だ。手下を従えた山賊まがいの無法者さ。このあたりを荒らし回ってるヤツでな、この山道を歩いてると襲い掛かってきて、身包み剥がれちまう事もあるって話だぜ」
「……まーた、ろくでなしの類いね……どこにでも居るんだなそういうヤツ……」
ナニガシが呆れ顔で呟く。
店主の話に美月が問う。
「店主さん、その人はこの道の先に居るんですか?」
「そうさ。ここはまだ人の出入りが多いから安全だが、人気が無くなっていく地点からが、ヤツの縄張りになるんだ。なんでも、普段はその姿を見せないが、突然霧の中から不意を突いて襲い掛かってくるってんだぜ。道中で霧が出たら用心するこった」
「その『キンタロー』の住処はどこにあるのか分からないのかい?」
ナニガシが尋ねる。
「『絹太郎』だ。ヤツは何処からとも無く現れるから所在が掴めないのさ。野生のケモノみたいな男というからな……寝られる場所があれば、例えそこが崖っぷちだろうが寝ぐらになるんじゃねえのかな」
「……そのお方、本当に人間なのでしょうか……?」
そう怪訝な顔をする彩花に店主が声を潜め、笑いながら答えた。
「あんたらは聞いた事があるかい?実はな、ヤツはこのあたりの山の『噂』の1つ、『山中に住む大男』の正体と言われているんだ。妖怪の類いとも一部では信じられてるってんだぜ。ははは、そういう意味では、確かに人間じゃあ無えのかもな」
それを聞き、ナニガシはまたも呆れ顔になる。
「ろくでなしどころか妖怪かよ。バケモンに間違われる程の『キンタロー』ってのは、どんな形をしてんだか……」
「……ああもういいや『キンタロー』で。……そう、ヤツは身の丈8尺(約2.4メートル)もあると言われてるからな。相当デカブツなんだろうよ」
と、店主。
「そんな大きな人に襲われたらひとたまりも無いね……。じゃあ、『キンタロー』さんに会わないよう、気をつけて進まないといけないね」
「その様な大きな方は見た事がありませんね。その噂は本当か、一度『キンタロー』さんにお会いしてみたいですね」
『絹太郎』が相当な大男と聞くや、美月は眉を顰め警戒する。
しかしそれとは逆に彩花は興味津々となり、眼を輝かせるのだった。
全く纏まりの無い一行である。
店主が続ける。
「もしも『キンタロー』に出くわしてしまったら、逆らわん方がいい。出す物出せば、命までは取りはしないヤツと言うからな。……もっとも、誰かが懲らしめてくれりゃあ、ヤツも少しは大人しくなるんだろうがなあ……」
それにナニガシは苦笑いする。
この山の何処に居るか分からず、霧に潜んで姿を見せず、不意を突いて突如襲い来るケモノか妖怪の様な大男……
そんな人間離れした危険な存在に、一体誰が手出し出来るというのであろうか。
「……殿様に頼んで山狩りでもしてもらった方が早いんじゃないのか?とにかく、アタシたちは先を進まねばならんからな。教えてくれてありがとう、店主のおっちゃん」
「ああ、気をつけて行きな」
「ありがとうございました。店主さんもお気をつけて!」
ナニガシたちは礼を言うと立ち上がる。
そして、一行は茶屋を出発し、再び山道を進み始めたのであった。




