第七幕 龍はわだつみを舞う
新たな野営地を探し求め波打ち際に沿って海岸を歩いていると、その頭上では俄かに雲行きが怪しくなり始めていた。
先程から、海風が強く出てきている様である。
不安に思い空を見上げた途端、雨がサラサラと降り出したのだ。
「うわっ、どこかに雨宿り出来る場所は無いか?」
慌てて辺りを見回す。
眼に入るのは広く続く砂浜と、丘の斜面を覆うススキ、そしてところどころの岩場のみ。
雨を避ける場所が見当たらない。
すると少し高台となった岩場に、丁度3人が入る事が出来そうな、洞窟の様な窪みを見つける。
「お姉ちゃんたち、こっちこっち!早く!」
それを見つけた美月が2人を急かし促す。
窪みに入ると、ススキの穂を火口とし、すぐさま火打ち石で火を熾した。
雨で濡れた身体を温めるのだ。
「……ふー。一息つくなあ……」
火に手をかざしながら、ナニガシが大きく溜め息を吐く。
先程の争いで体力と精神力を消耗した事もあり、3人はほっと息をついた。
次第に大きくなる焚き火の暖かさに癒される様だった。
……もう、とうに太陽は海の向こうへと沈んでいる。
その暗い水平線の空から、黒く厚い雲が折り重なり、こちらまで続いてやって来ていた。
その様はまるで、真っ黒な綿を空一面に敷き詰めたかに見える。
空自体が低くなったかの様な、あるいはそのまま頭上から押し潰されるかと思える様な、そんな圧迫感に息苦しくなりそうだった。
下に眼をやると、いつの間にやら海は荒れていた。
白い波が海上を押しては返している。
おそらく、沖の方は風が吹き荒れ始め、時化となっているのだろう。
波の音が風と共に、岩の窪みの中で身を屈める彼女たちの耳へと、大きく届いてきていた。
先程まで穏やかだったその海は、天候の悪化と共に急激に荒れ始めてきている。
『風待ちの海』のその「豹変」ぶりはナニガシの話した通り、噂に違わない様であった。
すでに黒い雲の中ではしきりに雷光がチカチカと、雲の隙間を絶えず照らしだしている。
それを眺めながら、ナニガシが呟く。
「……そういえば、美月と初めて会った夜も、こんな酷い天気だったなあ」
「ええ?そうなの?」
美月が聞き返す。
その言葉にナニガシは怪訝な顔をした。
「え?あんなに雨や雷が酷かったのに、覚えてないのか?」
問われると、何故か美月は慌てだし、そして取り繕う様に答える。
「あっ……。え、えっと……。夜だったし、寝てたから気付かなかったんだよ、うん。……そんなに雷がすごかったの?」
「ああ。帰り道を急いでいたらな、眼の前で突然、ものすごいデカイ雷が落ちたのさ。で、落ちたと思われるあの村で、君を見つけたのさ」
2人が出会った夜の、あの落雷。
ススキの野のあの大雷は、廃村のあたりに落ちた筈だった。
だが村の中にはその形跡が無く。
近くに居た、それどころか廃村そのものに居た筈の美月は、全く覚えが無い様子である。
「……雷……?」
「ははは。まるで、空から君が雷と一緒に降って来たかの様じゃないか?わははは」
「……」
美月はそれを聞くと、遠く水平線の黒雲の下に閃く青白い雷光を、じっと見つめる。
そしてそのまま、まるで何かを考え込むかの様に黙り込んでしまったのだった。
「ところで、彩花。君はこれからどうするんだ?記憶が無い状態だが、どこか、帰るアテは思い出せないのかい?」
ナニガシに問われた彩花は首を振る。
「私にも分かりません……どこから自分がやって来て、そしてどこへ帰れば良いのか……」
「……だろうなあ……」
ふいに、横から美月が口を開く。
「……ねえお姉ちゃん。記憶が戻るまで、彩花さんと一緒に居た方が良いんじゃないかなあ……?ひょっとしたら、彩花さんがお家に帰れる『手がかり』が見つかるかもしれないよ?」
その美月の提案に、ナニガシも同意し頷いた。
「うむ、そうだな。記憶が無い少女を1人にさせておく訳にはいかんしな。……腕っ節だけ見れば、要らぬ心配なんだけどな。わはは!」
それを聞き、彩花は俯いたその顔を上げた。
「……ご一緒させて頂いて宜しいのでしょうか?……ご迷惑ではございませんか?」
「迷惑なんて事あるもんか。君さえ良ければ、家に帰る手伝いをさせてもらうよ」
そう言い、ナニガシは八重歯をみせ笑う。
「……ありがとうございます。……ではお言葉に甘え、是非、お供させて頂きます」
彩花は頭を下げる。
それは彼女らしく、礼儀正しい「礼」であった。
「うん。こちらこそよろしくな、彩花」
「よろしくお願いします、彩花さん!」
ナニガシと美月の笑顔。
彩花は嬉しそうに、そして返す様に、微笑みを浮かべた。
……
……それまで、彼女は心細かった。
唐突に、帰る場所、そして自分すら失ったも同然だったからだ。
1人きり、どうして良いか分からず、失った記憶の中を彷徨う。
それは方向も知れない、大海の只中に放り出された様な気持ちだった。
だが……
そんな自分の傍に誰かが居てくれる。
それが彼女にとっては嬉しく、そしてありがたかった。
暗く冷たい海の中で見つけたその火の暖かさに、心が安らいでいた。
冷たかった自分の手が温かさを取り戻している事に気付き、彩花はそっと、目元を拭うのだった。
……一方、そんな彼女を見ながら、ナニガシは思う。
(……うーむ……。……アタシは、何で彩花があんなに強いのか、ものすごーく気になるなぁ……)
ぼんやりと考える。
そのうち、夜は風と共に更けていくのであった。




