第四幕 龍の伝説
「はい、どうぞ。彩花さん」
美月は釣り上げた魚を炙るとそれに塩を振り、火の傍へと座らせた彩花に差し出した。
「ありがとうございます美月さん。頂きます」
「食欲があるなら食ってくれ。旨いかは分からんけどな、わはは」
ナニガシは笑いながら魚を齧る。
あたりにはその焼ける香ばしい匂いが漂い、焚き火がぱちぱちと弾ける音が響く。
火から昇る白い煙が、夕焼けの色に染められている。
彩花も彼女に倣う様に、魚を小さく口にしだした。
彩花はその物腰や言動が柔らかく、そしてそれらに「品」がある様に見受けられた。
一挙手一投足、その動作1つ1つが上品であり奥ゆかしく、そして洗練されている。
それは言葉使いにしても同じであった。
その立ち居振る舞いと雰囲気は、明らかに一般庶民のそれでは無かった。
そんな彼女はやはりその見た通り、どこかの名の有る家柄の娘ではないか?
彩花に対し、2人はそんな印象を抱いたのであった。
先程からの良い匂いに我慢出来なかった様で、美月は火から上げたばかりの魚に齧りつく。
熱そうに頬張りながら、ナニガシに尋ねる。
「お姉ちゃん、このあたりに島ってあるの?」
ナニガシも同じく、頬張りながら答える。
「うーん……。聞いた事がある様な、無い様な……しかも、『珠』なんて何の事やら?」
どう思い出そうが、やはりそれらに心当たりは出てこない。
言いながら、ちらと彩花に眼をやる。
そして、その彩花自身も未だ考え込んでいる様子であり、炎を見つめながら記憶の中を探っていたのだった。
「……申し訳ございません……私自身も、詳しく『珠』の事を思い出せないのです。……私の島の、大切な宝であったというおぼろげな事だけしか……」
「むう……そうなると手がかりが何も無いな。……何で君がこんな砂浜に倒れていたのかも謎だしな……」
彩花は俯いたまま応える。
「……ただ、はっきりと覚えている光景が、1つだけあります。……『珠』の、光です。眼前で輝いた、『珠』の青白い、眩いばかりの、光……。それが私が見た……ただ1つの、記憶です。……ですがその後、『珠』がどうなったのか、分からないのです……」
炎を見つめる。
「……気が付いたら、眼の前に貴女方お2人がいらっしゃいました。それ以前に見た光景がどうしても、記憶から出てこないのです……。……まるで、自分が先程砂浜から産まれ出で来たばかりの様な気持ちでいます……」
……全く八方塞がりであった。
断片的な記憶どころか、彼女は自身の名前と、『珠』という物についてしか覚えていないのだ。
唯一手がかりとなりそうなものと言えば、その『珠』の存在である。
……だがしかし、それの詳細すらも、思い出せずにいる。
現在のところ実質的に手がかりが無い以上、記憶の無い彼女に根掘り葉掘り、これ以上の詮索をする事は憚られた。
「まあおそらく、何らかの事故でこの浜に流れ着いたという事なのかもしれないな。……ん?美月、どうした?」
「……」
隣に座る美月が考え込む様子で、ずっと黙り込んでいる。
それに気付き、ナニガシが彼女の顔を覗き込んだ。
「……あ、ううん。……何でもない……」
「何だ?何か気になる事でもあるのか?」
ナニガシに問われ、美月はなおも思案する様子で言う。
「……お姉ちゃんは笑うかもしれないけど……私は、『海に住む龍が飲み込む』っていう伝説が気になっていて……。突拍子も無いかもしれないけど、もしかしたら彩花さんと関係あるかもしれないって……」
それを聞くと、美月の言葉通り、ナニガシは膝を叩いて大笑いした。
「ええ?あっはっはっは!何でいきなりそんな話を。美月、あれはただの言い伝えさ。本当に龍なんか居る訳無いって、わははは!」
「えー?でも、お姉ちゃんはいつもお化けを怖がってるじゃん!それこそ居る訳無いよ」
「……え?いや、その……それとこれ、龍とお化けとは話が違うだろう!なあ彩花さん!あんたも龍なんて存在、信じて無いよな?」
美月に反論され、しどろもどろになるナニガシ。
彩花に助けを求める様に問うが……
しかし、彼女の返答は予想外のものだった。
「……龍……?……私は……その言葉をどこかで……聞いた事が……ある様な……」
『龍』と聞くや彩花は頭を押さえる。
自らの記憶を1つ1つ探すかの様に、その言葉を千切っていく。
その反応はまるで、『龍』という存在が彼女の無意識の下で蠢いているかの様であった。
ナニガシはその様に困惑する。
「お、おいおい、あんたまで……あの伝説はただの噂みたいなモンだってのに。真に受けるなよ……」
しぶしぶと、すでに冷めて硬くなってしまった魚を齧る。
それを横目に、美月は考える。
(『龍が飲み込む海』。……これがもし仮に、私の知っているあの『伝承』の元になった伝説なのだとしたら、……彩花さんは、もしかして……!)
はっと、何かを閃きかけた。
だが、その時であった。
彼女たちの後方で群生するススキの中、ふいに「カチャ」と金属が擦れあう物音が聞こえたのだ。
「むっ!だ、誰だ!誰かそこに居るのか!?」
ナニガシが驚いて咄嗟に振り向き、音のした方向へ声を投げる。
しばしの沈黙。
……だがすると、そのススキの中から3人の男たちがのそりと出てきたのだ。
唐突に眼の前に姿を現したその男たちはそれぞれ、欠けた金棒や刃こぼれした短刀を手にしており、その痩せ細った体には傷だらけの壊れかけた胴鎧を身に着けている。
その形から察するにおそらく、いずこかの戦場からか漸う落ち延びてきた武者共であろう。
敗残兵となり、落ち武者狩りや野盗から逃げ惑い彷徨ううち、この辺鄙な場所へと辿り着き隠れ潜んでいたのかもしれない。
そのうち、男たちの1人が血走った目を見開きながら、呻く様に口を開いた。
「く、食い物を……よ、よこせ……」




