第三幕 失くした記憶
「あ!気が付いたみたいだな」
「あの……お姉さん、大丈夫ですか?」
砂浜で倒れている少女が目を覚ました。
彼女はゆっくりと、横たえていた身体を起こす。
そして、しきりに周囲を見回しだした。
それはまるで自分自身が今、どこに居るのかを理解出来ていないといった様子である。
そしてそれと同時に、何かを探しているかの様だった。
彼女はすぐ傍らに居た2人の姿を見ると、驚くと共に問いかけてきた。
「……あ……!……貴女方は……どなたですか……?」
ナニガシが少女の顔を覗き込む。
「アタシたちは旅の者だ。ここにあんたが倒れているのを見つけたから、駆けつけたのさ。あんた、怪我は無いか?」
「……倒れていた……?」
少女はそう言うと、突然、はっとした様に眼を開き、再びあたりを見回しだした。
「た、『珠』は……宝玉はどうなりましたか……!?」
慌てふためき、問いかけてくる。
「え?『珠』?『珠』って何の事だ?」
ナニガシは首を捻る。
……『珠』?
……『宝玉』?
何を言っているのか、さっぱりと分からない。
この海についての噂話や伝説などを美月に語っていた彼女だが、そんなものは聞いた事も無いのだ。
「島の宝の『珠』です……!……ううっ……!」
「お、おい、どうした?大丈夫か?」
少女は突如呻き、苦しむかの様に頭を押さえ俯いてしまう。
彼女は首を振ると、僅かに震える自分の掌を見つめながら呟いた。
「……思い出せない……」
「え?」
「……思い出せないのです……『珠』……それ以外の事が……私自身の事も……私はどこかの島に住んでいた筈……でも、どこの島……なのでしょう?」
ナニガシと美月は顔を見合わせる。
「……あんた、何を言ってるんだ?珠だの島だの……。アタシたちもちんぷんかんぷんだぞ」
……
美月が、「まさか」と思い、尋ねてみる。
「あの、お姉さん。もしかして……記憶が無いのでは……?自分の住んでいた場所も忘れてしまったとか……?」
「……!」
美月の問いかけに、少女ははっと息を呑み、海へと視線を向けた。
その海にはすでに夕陽が沈みかけていた。
朱色の光が3人を染め、静かに寄せ返す海の水面には、伸びきった陽の姿が映る。
「私の島……この海のどこかに……?」
少女の視線。
夕陽を見ているのではない。
それは、遥か西まで続く水平線を見つめていた。
まるで、必死に自分の「住処」を探しているかの様な、そんな不安げで、心細さの混じった眼差しであった。
「むむ……まさか、記憶喪失……というヤツか?ひょっとして、自分の名前さえも思い出せないとか……?」
「記憶が無い」。
それは、自身が何者であるかすら理解出来無い状態。
自分が、まるで「他の誰か」になったかの様な、不確かな存在となってしまったのだ。
「自分自身を失った」状態。
「自分の全てが分からない」。
ましてや赤の他人が、「記憶を失ったその人間」を、どのようにして知れば良いのか。
……知る術など、あろうか?
そう思いつつも、ナニガシは困惑しながら尋ねてみる。
すると……
「……私は……」
少女は俯く。
そして眼を瞑り、「自分の中」へと入っていく。
しばし、その微かな、そして砂の一粒であるかの様な記憶を見つけ出す為に、必死に脳裏の隅を探る。
眼の見えない暗闇の中を手探りで、指先の感覚のみで、その一粒を見つけなくてはならない。
誰の為でも無い。
自分の為。
「自分自身を取り戻したい」。
ただ、その一心のみで、探す。
探す。
探す……
……探す。
……
……そして……
指先に、何かに触れた感覚があった。
「……あや、か……」
呟く。
「……私は……あやか……。……『彩花』と呼ばれていた……様な、気がします……」
……
……たった、ひと欠片。
少女は。
……小さな小さな一粒を、自分の中に、見つけたのだった。
それは彼女が何とか探り当てた、ごく微かな、欠片であった。
その答えはまるで定まらず、そしてまるで雲や水を掴むかの様な手応えの無さ、不安定なもの。
しかし、それは彼女がようやく一番初めに取り戻した、「自分自身の一部」であった。
それを聞くと頷き、2人も少女に言う。
「彩花か。アタシはナニガシ、こっちのちっこいのは美月っていうんだ」
「ちっこいは余計だよお姉ちゃん。彩花さん、はじめまして」
ナニガシと美月は、安心した様に笑みを浮かべた。
それを見て、『彩花』と名乗った少女も、思わず微笑んだ。
……それはようやく、不確かであった「自分の存在」を、実感出来た気がしたからだ。
……私は、ここに居る。
私は、ここに存在している。
私は……彼女たちの眼前に、
……居るのだ。
……そう思え……
自分の名を呼ぶその声に、
自分に向けられたその笑顔に、
少女自身も……心から、安らいだのである。
「とにかく、彩花さん。火の傍に行かないか?身体が濡れているから冷えてしまうぞ」
そう言い、2人は彩花を立ち上がらせると、焚き火へと促す。
「……ありがとうございます。ナニガシさん、美月さん」
美月が彩花の手をとる。
その手の温かさに、彩花は冷たい手でそっと、握り返した。




