第一幕 風待ちの海
通称『臆病門の町』を出た2人は、西へ向けての旅を続ける。
西方へと行くにつれて、道の脇に生える植物の植生が、だんだんと変化していく事に気付く。
それまで緑豊かな草原から、ススキがあたり一面に覆い茂る風景となっていくのである。
「……あれ?お姉ちゃん、なんか潮の香りがしてきたよ?」
次第に、街道両脇のススキの群生が濃くなってゆく。
周囲の景観がうつろいゆく様を横目に見ながら、歩く2人。
脇に生えるススキを1本取って、ふりふり振り回しながら歩く美月が、隣のナニガシに尋ねた。
「ああ、この先は確か、海に出る筈だよ」
「海?街道の終わりって事?」
美月はぴょんと背伸びし、前方を遠く、眺める様に見やる。
「元々この『竜骨街道』って道は、海路から貿易の為に来た異国の船の交易品や、漁師たちの採った海産物を内地へ運ぶ為の輸送路として作られたんだ。ま、つまり道の『終点』では無く、『始まり』って事になるかな」
「へえー、そうだったんだ」
「もっとも今じゃ、野盗たちのせいでそういうのもあんまり盛んじゃなくなったけどね」
その話に、美月が関心を示す様に頷く。
……
彼女は、この国、この土地に関する様々な知識を取り入れたいという欲求がある様で、前々からナニガシに、その都度説明を求める事がある。
ナニガシと出会った当初から、その「知識欲」を示していた。
が、しかし。
……だが果たして何故、美月がその様な「欲」を持っているのか。
それは未だ、ナニガシも分からなかった。
「流石お姉ちゃん、物知りだね!」
「わははは!まあ、受け売りさ。実際は、アタシもここいらに来たのは初めてさ」
「……あ!見て!海が見えてきたよ!」
街道は海に向けてなだらかな低い丘の上まで登っていき、行く手の前方を見ると海の遥か、水平線が視界に現れる。
丘の頂上にまで行くと、今度は海岸へ向けてこれも緩やかな下り斜面となっており、その脇一面にもススキが覆っていたのだった。
海風が心地良く、その風にススキたちが揺れてサワサワと、眼下の静かな波と共に音を立てていた。
丘の上に立つ美月の頬を、優しく風が撫でる。
下から吹き抜けていくその風が、少女の髪をさらさらと靡かせた。
「良い風だね」
「そうだな。今日は風が穏やかな日で良かったよ」
「風が強い日もあるの?」
ナニガシは風に吹かれる自らの短い髪をかき上げ、答える。
「このあたりは風になると直後、大抵嵐になって荒れると聞いたよ。交易品を載せた船が座礁する事も多いというぞ。だからこの辺の船乗りは必ず、凪を待ってから出航するってところから、この海は『風待ちの海』と呼ばれているんだ」
……この『風待ちの海』は、航海の難所として知られている。
この世界において、主に使われている船は帆船である。
帆船は風を推進力として利用し、船を進める動力としている。
帆船が航行するに無くてはならない、風。
しかし、この海域では……
風は、大嵐の前兆、前触れとされているのだ。
つまり、帆船がこの海域で風を利用し、航行するという事は……
必ず、直後に発生する大嵐に見舞われる危険性を伴っている、という事を意味しているのである。
ゆえに、地元の船乗りたちは、「ベタ凪」を待つ。
無風状態の凪の中、船員総出の手漕ぎで以って急ぎこの海域を脱したのち初めて、帆を上げるのであった。
そうした、この『風待ちの海』の特異性。
それを知らずにやって来た異国の帆船はもれなく嵐に飲み込まれていき、そして数え切れない程の船や人間が、この海の藻屑となって消えていったという。
そういった歴史があるため、この海は船乗りたちから怖れられているのだが……
……しかし、怖れられるその理由は、それだけでは無かった。
「へえー、この良い天気を見てると考えられないね」
「中には、荒天の時化に巻き込まれたまま行方が分からなくなる船も、かつてあったというが……」
「え、沈んじゃったの?」
「それもあったろうが……言葉通り、忽然と跡形も無く『消えた』らしい……」
ナニガシは美月を怖がらせようと、顔をずいっと近づけ、怪談話よろしくおどろおどろしげに言う。
「ええ……何があったんだろう……」
「これも聞いた話だが、この海には伝説があるんだ。『海の底には龍が住んでいて、そいつを怒らせると飲み込まれてしまう』っていうヤツ」
「……龍?」
美月がピクリと反応する。
「ま、そんなモン居る訳無いさ。どうせ作り話だよ。ははは」
そう言って笑い、ナニガシは丘を海へ向かって下りていった。
話を聞いた美月はその場に突っ立ち、そのまま考え込む。
(……海に住む龍……まさか、『あの伝承』は本当に存在したのかな……?)
「おーい!早く来いよー!砂浜で遊ぼうぜー!ひゃっはー!」
思案していると、海岸に下り、すでに裸足で砂の上を転げ回っているナニガシが呼んできた。
「あ、うん!今行くー!わーい!」
その楽しげな様子に考え事は頭の隅に追いやられ、美月も草鞋と脚絆を脱ぎ、燥ぎながら丘を駆け下りていった。




