第九幕 取引は信用できる相手と
空が白み始め、そのうちに街道を朝日が明るく照らしだす。
川のせせらぎがサラサラと耳に心地良く、小鳥たちも朝食を摂っているのか、せっせと地面をついばんでいた。
そんな平和で穏やかな朝であったが……
「ぎゃああああ!!」
辺りに木霊する突然の絶叫と同時に、小鳥たちは一斉に飛び立ち逃げていってしまった。
昨晩から気を失っていたナニガシが、叫び声と共に飛び起きたのだった。
「あっ、あれっ?……ここはどこだ?」
自分が今どこに居るのか分からないといった様子で、周りをきょろきょろと見渡す。
「……おはよう。もー、お姉ちゃん、急に大声出さないでよー。びっくりしちゃったじゃん」
横から小さな少女が声をかけてくる。
美月だ。
その見知った顔を見るなり安心すると同時に、昨晩の興奮収まらずといった様子で、ナニガシは顔を険しくさせた。
「あっ!美月!ここはどこだ!?アタシは気を失ってたのか!?」
「街道沿いの川だよ。私がお姉ちゃんをお屋敷から引きずって来たんだよ。重かったんだからね、大変だったよ」
「え!?あ、あの太っちょの親玉はどうした!?」
ナニガシのその問いに美月は声をどもらせる。
「え?さ、さあ?悪い人たちは皆逃げていったみたいだよ?」
「え、逃げた!?一体何が……」
ナニガシは頭を抱えて考え込む。
「……そういえば……あの時、何か怖いものを見た気がするんだが……?……うむむ、思い出せん……」
昨夜の記憶をまさぐるうち……
その中でおぼろげに、そして僅かに、恐怖の片鱗に触れた様な気がした。
……だがしかし、どうしてもそれを思い出す事が出来ずにいたのである。
……どうやら彼女は、あまりの恐怖のせいで、昨夜見た『モノ』が記憶から飛んでいってしまったらしい。
人間の防衛本能であろうか。
精神を守る為に無意識のうちに、自らの記憶を消したのであろう。
……どうであれ、怖がりの彼女は『獣』を思い出すその度に気絶してしまうかもしれないので、忘れてくれていた方が都合が良いのだが。
「そ、そうなんだ!……良かった……じゃなくて。忘れちゃったならしょうがないよね、うんうん」
そして、何故か美月にとっても好都合らしく、彼女は安堵した様子で何度も頷いた。
「まあ、ほら、朝ごはんでも食べようよ。シロツメクサがまだいっぱい残ってるよ。お姉ちゃんの大好物でしょ?」
そう言って、美月は山盛りのシロツメクサをナニガシの前にずいっと差し出す。
「え、別に大好物では無いんだけど……まあ、腹減ってるし頂くよ」
昨夜の出来事が未だに腑に落ちないといった面持ちで、思案を巡らせながらもむしゃむしゃとシロツメクサを食べだす。
ひたすら草のみををもくもくと食べる様は、まるで草食動物みたい。
そこへ、街道の向こうから1人の男がナニガシたちの方へ走って来るのが見えた。
「おーい!お嬢ちゃんたち!」
その声を上げながらやって来るのは、持助であった。
「あれ、おっちゃんじゃないか。どうしたんだ?」
草を反芻、もとい咀嚼していたナニガシが、モゴモゴと尋ねる。
「君たちを探していたんだ。まだこの辺に居るんじゃないかと思ってね。ああ、見つけられて良かったよ……」
持助は息を切らせながら、安心した様子で答える。
「君たち。ひょっとして、私の『かんざし』を取り返してきてくれたのかい?」
そう言いながら、彼は手に持っている物を見せてくる。
……それはなんと、成金が『獣』に差し出した筈の、あの美しい銀の『かんざし』であった。
「私の妻の形見の『かんざし』だ。昨晩遅く、小屋の軒先で物音がしたから見てみたら、なんとこれがそこに置いてあったんだよ」
「……あっ!そうだ!『かんざし』は、あの太っちょ親分が持っていたんだった!」
見るなりナニガシは思い出し、大声を上げる。
「……で、アタシたちがそれを取り返そうとして……えーと……それからどうなったんだっけ……?」
更に思い出そうと記憶を探るが、咄嗟に美月がそれを制止した。
「まあまあ!お姉ちゃん、無理に思い出さなくて良いよ。ね、ね?」
あたふたとする美月。
その様子を見て、持助は納得し頷く。
「やっぱり君たちが取り返してくれたのか。この『かんざし』の話をしたのは、実は美月お嬢ちゃんにだけだったから、他にこの事を知っている人間は居なかったからね」
「……あれ?そういえば何でおっちゃんが『かんざし』を持ってんの?」
ナニガシは未だに状況が飲み込めず、訳が分からないといった様子である。
それを横目に、美月はしどろもどろになりながらも、答える。
「え、えーと、……あ、多分、あのふとっちょ親分さんが改心して、返してくれたんだと思います、ええ、はい」
その様子に、持助は笑いながら言う。
「ははは、ごまかさなくて良いさ。君たちがしてくれた事は、大体察しがつくよ。とにかく、お礼がしたくて君たちを探していたんだよ」
「え、別にお礼なんてそんな……」
美月が遠慮する様に言うが、持助は構わず、手にしていた小さな麻袋を差し出してきた。
「これは塩だよ。君たちが前に欲しがっていた物だ。それと、これを受け取って欲しい」
彼が次に渡してきた物。
それは小さな、『花の髪飾り』だった。
それは銀の様な材質で出来た精巧な造りの髪飾りで、小さな花の装飾が可愛らしい。
しかし同時に、まるでそれ自体が淡く光を発しているかの様な、どこか不思議な雰囲気を持ったものであった。
それを見た瞬間、美月は「あっ!」と声を上げた。
「美月お嬢ちゃんに似合うかと思ってね。君にあげよう」
美月は慌てた様子で持助に問う。
「あ、あの!これをどこで見つけたんですか!?」
「これは君たちが訪ねてくる数日前に、川の上流から流れて来たところを拾ったのさ。あまりにも見事な造りだったから、とっておいたんだ。いつか町に出かけた時に売ろうと思ってね。きっと高価な物に違いないだろう。でも、売らないでいて良かったよ。君たちへのお礼にする事が出来たんだから」
美月はその手の中の『花の髪飾り』を、放心したかの様に見つめる。
「おお!良かったな美月。ありがとうなおっちゃん」
ナニガシが横から礼を言う。
「いや、礼をするのはこっちの方さ。『かんざし』を取り返してくれて本当にありがとう」
「こんな高そうな物、本当に貰っちゃって良いのか?」
「私は、妻の形見さえ戻ってくればそれで良いんだ。……心の支えがあれば、また頑張って生きていけるからね」
「そうか。おっちゃん、頑張れよ」
「ああ、ありがとう。……では、私は行くよ。美月お嬢ちゃん、元気でね」
そう言って、持助は去っていった。
その彼の顔は以前の出会ったばかりの時と違い、とても優しく穏やかで、そして安らいだ表情であった。
「おじさん、お元気で!」
美月もその彼の後ろ姿に大きく手を振り、別れを告げた。
「おじさん、良かったね。もう大丈夫みたい」
「そうだな。……色々と訳が分からん部分はあるが……」
ナニガシは納得いかないといった顔をしている。
持助を見送った後、美月が『花の髪飾り』を眺めながら、ほっと安心した様に呟いた。
「……こんな場所で見つかるなんて……」
それを聞いていたナニガシが尋ねる。
「え、何か言ったか美月?」
美月は彼女に向き、話しだした。
「ねえ、お姉ちゃん。以前、私は『5つの探し物』をしなきゃいけないって話をしたよね?」
「……ああ、確か、それらは『装飾品』とか言ってたな……?」
「そう。そのうちの1つが、この『花の髪飾り』。……これは、私の『落し物』なんだよ」
「え!?これ!?」
ナニガシは驚き、その『髪飾り』を見つめる。
「ということは、これは元々美月の持ち物って事か?」
「うん。……まさか、こんな所で見つかるなんて思わなかったよ……」
美月は『髪飾り』を手の上で撫でる。
それを受け取ると、ナニガシもまじまじと、物珍しげに眺めた。
「そうか。……うーん……確かに言っていた通り、よく見れば『不思議な品』だな……」
……見れば見る程、不思議な雰囲気が漂う『髪飾り』。
材質は銀の様ではあるが、その輝きはどこか違っている。
仄かに白く光り、銀よりも硬質な手触りがある。
特に眼を惹かれるのは、その装飾の細工の繊細さと精巧さである。
果たして人間が作った物なのかと疑う程のものなのだ。
まるで、この世で作られた物では無いかの様な……
ただの「高価な品」では無いのかもしれない。
小ぶりだが、手の中でその存在感を放っていた。
「確かに美月に似合いそうだな。どれ、早速髪に付けてあげようか!」
「うん!お願い!」
ナニガシがそれを美月の髪へと、不器用な慣れない手つきで付けてみる。
「ええと……こうか?……出来た。……おお、似合っている。可愛いじゃないか!」
「え、そう?恥ずかしいってば……」
まじまじと眺められ、恥らう美月。
彼女のそのつやつやした髪には『花の髪飾り』が、キラキラと朝日を反射して輝いている。
確かに美月にぴったり、良く似合うものであった。
「ははは、恥ずかしがりだな君は」
上機嫌そうに笑うナニガシ。
もう、怖いモノを見た事や、これまでの懸念事などきれいさっぱりと忘れてしまった様である。
「さあ、そろそろ行こうか美月。道草を食ってる訳にはいかんからな!」
「道草だったらお姉ちゃんがいっぱい食べてたじゃん。大好物なくせに、ふふふ」
美月がからかい、笑う。
「そういう意味じゃない!しかも大好物じゃないし!アタシは馬か!?」
ナニガシがムキになって言い返す。
そんなやりとりをしながら、2人は小鳥が囀る爽やかな朝の光の中、再び西へ向けて街道を歩いていくのであった。
【第五話 了】




