第七幕 成金の悪党
「おやおやぁ?声がしたかと思えば、こんな可愛らしいお嬢さんがいらっしゃるとは思いませんでしたねえ。夜更けにワタクシの寝室に何用ですかぁ?」
その成金趣味の小太り男がナニガシに問いかけてくる。
醜く肥えた顔がニヤニヤと、底意地の悪そうな笑みを浮かべている。
言葉使いは表面上棘が無いが、その顔はいかにも好色で貪欲な心を表に現しているかの様だった。
その後ろにガラの悪い男たちを従えている様を見るに、屋敷の門衛たちが話していた「お頭」とはこの男の事であろう。
しかし、言葉使いにしろその肥えた見た目にしろ、「野盗の頭領」というには、その印象がかけ離れている様に思えた。
おそらくその財力を武器にして、ろくでなしの手下たちの手綱を握り、束ねているのかもしれない。
一方、ナニガシは冷や汗をダラダラと額にかき、振り向いた姿勢のまま固まっている。
青い顔をし、身体が強張って身動きが取れずに居た。
逃げ場の無い袋小路で、ここまで大勢の野盗に囲まれる絶体絶命の窮地に在るのだ。
「……あ……あ……」
息が詰まり、口が震えて言葉が出てこない。
だが何とか返答しようとする。
「……あ……どうも……こんばんは……」
何を思ったのか挨拶が出てきてしまった。
挨拶は大事である。
成金男がドスドスと寝室に入ってくる。
「んん~、お嬢さん。いけません、いけませんなあ、泥棒しようだなんてぇ。ワタクシの大切な金庫が開けられているではありませんかぁ?」
やたらとねちっこい口調で話しかけてくる。
「さぁ~て、ワタクシの宝箱から何を盗んだのですかねえ?正直におっしゃいなさい。ブフッ、ブヒッ」
そしてやたら鼻息が荒い。
「……それとも、我々が直にアナタを『調べて』差し上げましょうかねえ……?」
そう言いながら、ナニガシにゆっくりと、近づいてくる。
その顔に、先程から変わらない好色そうな下卑た笑みを浮かべながら……
「う……」
一方、ナニガシは足が震え、一歩も動けない。
……しかし、この薄気味の悪い醜い男に近づかれたくないという激しい嫌悪感が、その恐怖心に勝った。
防衛本能であろうか。
まるで身体が勝手に動くかの様に、咄嗟に彼女は、その場から駆け出したのである。
「うわあああ!こっちへ来るな!」
叫ぶや、襖を体当たりで破り、庭先へと転がり出る。
そしてそのまま、足が縺れそうになりながらも、なんとか走り出した。
「お前たち!あのお嬢さんを捕まえなさい!!」
それを見て、成金が手下たちをけしかける。
野盗たちは逃げる彼女を追い、一斉に、庭へと駆けていった。
外に飛び出したナニガシは脱出する為、正門に向かって走った。
屋敷へ侵入してきた勝手口から出ると、そこで待機している美月を巻き込んでしまうからだ。
必死に走る。
広い敷地の庭には小さな池があるが、彼女はそれを身軽に、ひと跳びで飛び越える。
後ろからはごろつき共が喚きながら、今にも追い縋るまでに駆けて来ている。
だがナニガシは足の速さには自信が有るためか、徐々にその距離を引き離しつつあった。
このまま正門まで振り切り、そのまま突破出来るかに思われた。
しかし、夜の闇の中では足元に注意が及ばない。
庭に植えられた松の根に足先を引っ掛けてしまい、勢い良く前のめりに転倒してしまったのである。
「ぐわっ!痛えーっ!」
顔に引っ付いた土を払い、痛みを堪え、何とか立ち上がろうとする。
……だが、後ろから追いついてきた野盗たちに、とうとう囲まれてしまった。
更に悪い事に、屋敷の中の異変に気付いた門衛たちも、前方から駆けつけて来てしまったのだ。
取り囲まれ、もはや逃げ場が無くなった。
俊足のナニガシであっても、この状況を逃れる手段が失せてしまったのだった。
その様子を、木に登って敷地の外から窺っていた美月が視認した。
「あっ!お姉ちゃん!」
野盗の囲みの中から成金が割って出てきて、倒れて這いつくばるナニガシをにやけ顔で見下ろす。
「お嬢さん、盗みは良くないですねえ。何故こんな事をしたんですかねえ?」
ナニガシが叫ぶ。
「お前たちが言えた事か、泥棒野郎め!お前、このあたりの近辺の農民たちから畑を無理矢理ぶん取っているんだろう!」
成金は小馬鹿にするかの様に、それに鼻で笑いながら答える。
「ああ、あの農民たちの事ですかあ。いえいえ、ぶん取ってるだなんて人聞きの悪い。ワタクシどもはきちんと『契約』の上で、彼らの土地や財産を頂いているだけですよお?ブフッフ」
「立場の弱い人間につけ込み、金を押し付けて、騙して暴利で身包み剥いでるだけだろう!そんな横暴が許されるか!」
「ワタクシどももこれが『商売』ですからねえ。それによって弱者から利益を得るのが、ワタクシどものやり方なのですよぉ。それが力づくであってもねえ。ブヒッ」
……それは、まるで「ろくでなしの理屈」であった。
それを成金は平然とした態度で、口に出したのだ。
慇懃な物言いをしているが、この男も結局、ろくでなしに違いは無かった。
それに調子を合わせるかの様に、周りの手下たちが囃し立ててゲラゲラと笑い出した。
その中、ナニガシはなおも食い下がる。
「農民の男から『かんざし』を奪っただろう。それを返せ!」
「『かんざし』?ああ、あの持助とかいう農民が持っていた『コレ』ですかぁ。貧民が持っていたにしては高く売れそうなモノでしたので、ワタクシが大切に預かっているのですよぉ」
そう言うと、成金は懐から1本のかんざしを取り出した。
それは銀で作られ見事な細工と彫金が施されており、美しく輝いている。
素人目から見ても高価そうな、立派な逸品であった。
おそらく話にあった持助の『かんざし』、彼の妻の形見であろう。
金庫に無かったところを見るに、美月の読み通り、この男が自ら持っていたのだ。
「さ~てぇ、無駄な問答はこれぐらいにしましょうかあ」
成金が手を叩いて手下たちに命じる。
「おいお前たち。このお嬢さんを牢にぶち込みなさい。少々勝気ですが、よく見ればなかなかの美人さんです。高く売れる事でしょう」
「へい、カシラぁ!」
親分の命に嬉々と応えた手下の野盗たちが取り囲むや、ナニガシを地面に押さえつけ、後ろ手に縛り上げようとする。
彼女は身悶えし、じたばたと激しくそれに抵抗した。
「だーっ!放せ!アタシに触るな!なんか臭いんだよお前ら!風呂に入れ!」
「うるせえ!暴れるんじゃねえ!」
必死に抵抗するが、大の男たちに組み伏せられては敵う筈も無く、なす術が無い。
……一方、そのやりとりの一部始終を見ていた美月。
木の上で戸惑う。
「お姉ちゃん……!早く助けなきゃ……。でも、どうしたら……」
……
ふと、地へ、眼を伏せる。
そこに落ち、映っていたのは……
……月明かりに照らし出された自分の、影であった。
しばし考えた後、呟いた。
「……やっぱり、こうするしかないよね。本当はダメなんだけど、お姉ちゃんを助ける為だから……」




