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第三幕 形見のかんざし

 翌朝。

 陽が昇り始め、その光が草の陰で眠る2人の寝顔に伸びていく。

 眩しさで美月は目が覚めた。


「……ううーん……」


 猫の様に小さく丸まっていたその身体で大きく伸びをする。

 あくびをひとつした後、横でまだ眠っているナニガシに眼をやった。


 彼女は大層寝相が悪く、足を投げ出し焚き火の中に突っ込みそうになっているが、本人は全く気付かず気持ち良さそうに大いびきをかいていた。


「もー、お姉ちゃんたら……ねえ、起きて。朝だよ」


 ナニガシを揺すって起こそうとするが、しかし全く起きる気配が無い。

 良い夢を見ているのか、心なしか「にへら」と薄ら笑いしているかの様な寝顔である。


 ふと思いつき、その両まぶたの上にシロツメクサの花を乗せて、美月はクスクスと笑う。


 そんな悪戯をして遊んでいると、昨夜に訪れた木のたもとのボロ小屋から、住人のあの男が出てくるのが遠目に見えた。

 川に水を汲みに行くのか、手には桶を持っている。


「あっ……あの人……」

 

 美月は声をかけようと駆け寄っていく。

 近づいてくる彼女のその姿に男も気付き、小さく手を振って挨拶をしてきた。


「おじさん、おはようございます」

「ああ、おはよう。ん?……確か君は、昨日の夜に来た子だったね」


 男は美月の顔を思い出した様であった。


「はい。突然お邪魔してしまってすみませんでした」

「いいんだ。こっちこそ、追い返してしまって悪かったね。……ところで、連れの侍のお嬢さんは?」

「まだ寝ちゃってます。起こそうとしても、なかなか起きなくて……」


 苦笑いしながら美月は答える。

 それにつられる様に男も少し笑みを見せた。


「はは、そうか。君も大変だね」

「私は美月っていいます。おじさんのお名前は何とおっしゃるんですか?」

「私は『持助じすけ』というんだ」

「それにしても、持助さんは、どうしてこんな人気ひとけの無い所に住んでるんですか?わざわざ、こんな寂しい所に住まなくても……」


 美月は尋ねた。


 この小屋の周囲には何も無い。

 街道と川がかろうじて近くにあるくらいのもので、それも人通りがあまり無い場所だ。

 その上、大きな木がすぐ脇にその幹を太らせており、小屋の姿を街道を行く旅人の目から隠していた。


 ……考えようによっては、この小屋は隠れるにはうってつけの場所にある。

 昨夜の持助の様子も明らかに不審であった。


 持助の事が気がかりであった美月は事情を探ろうと、それとなく問い質してみる事にしたのだ。


 持助は一瞬、口を開こうか迷った様子だったが、しかし彼女の問いかけに答えた。


「……おじさんは、『怖い人たち』から隠れているのさ」

「え?『怖い人たち』?」

「そう。私から、全てを取り上げた酷い連中さ」


 少女になら、と安心したのか。

 持助は話し始めた。


「……おじさんには昔、妻がいたんだ。その妻がある時、病気で体を悪くしてね。だが、医者に掛かるにもお金が沢山かかる。貧しい農民だった私たちはお金に余裕は無く、困り果てていたんだ」

「お医者さんに診て貰えなかったんですか?」

「そう。……お金の無い者には皆、冷たいのさ……。しかしある日、どこから話を聞きつけたのか、ある男が私の元へやって来たんだよ」

「ある男?」

「そいつは、ここから街道を西へ少し進んだ先にある、屋敷に住む長者ちょうじゃだった。そしてその男はこう持ちかけてきた」


 持助は持っていた桶を地面に置き、それを椅子代わりに腰掛け、続けた。


「『医者に掛かるにはお金が必要でしょう。ワタクシがその代金を暫く肩代わりして差し上げましょうか』……とね。救いの手と喜んだおじさんは藁にも縋る思いで、その申し出に応じてしまった。……かなりの大金だったよ……」


 ……前述の通り、体系的な教育機関が無いこの国において、医師はその存在が数少ない。

 特殊な学術機関において、または高名な先達の元においてその高度な知識、技術を学ばねばならないからだ。

 長年の修行と学に身を置き、あらゆる病理に通ずる事を求められる。

 その厳しき修練を潜り抜けた者のみが、医師と名乗る事が出来るのだ。


 ゆえにその医療技術を持つ者は貴ばれ、大抵は、国の君主に抱えられるなどされる程の身分となる事も多かった。


 薬を専門に扱う、薬師くすしと呼ばれる者たちも居る。

 これらも医師と同じく、専門的な教育を受けた者のみがその薬師たる資格を得る事が出来、その数もさほど多くはない。

 彼らもまた、君主に召される事がある。


 どちらにおいてもその身分の高さゆえ、一般の庶民が病気を診てもらう場合にして、気安く掛かれるものでは無かった。

 診療を受けた際の金額も、持助の様な貧しい農民にとっては相当な大きさとなったのである。


「それでどうなったんですか?」

「医者に診てもらったは良いが……元々体が弱かった妻は、結局助からなかった……。しかし、残された借金を返すべく、おじさんは必死になって働いたよ。そしてようやく貯まったお金を持って、男の所へ行ったんだ」

「……」

「するとあいつはこう言ったんだ。『返すのが遅かったですねぇ。その遅れた分の詫び賃と利息代わりに、あなたの畑や財産も全て頂きますよ』と……」

「そんな……!ひどい!」


 美月は怒りを露わに思わず大声を上げる。


「ああ、酷い話だ。……私も馬鹿だったよ。あいつのあんなうまい話にまんまと乗せられてしまったんだ。そして結局、力づくで全部持っていかれてしまった。畑も、財産も、……妻の形見さえもね」

「え?奥さんの形見?」

「うん……妻が生前、毎日髪に差していた『かんざし』さ。若い頃、おじさんが無理して買ってやった物だ。いつまでも、死ぬ直前まで大切にしてくれていた……私たち夫婦の思い出の品だったよ」

「……そんな大切な物まで持っていかれてしまったんですか……」


 持助は空を仰ぎ見て、溜め息をひとつつく。


「せめて……それだけでも手元に残っていれば、まだ救われたんだがね……。『かんざし』だけでも返してもらいたいもんだよ」

「持助さん……」


 美月は持助を悲しげに見やる。

 持助ははっとし、彼女のその眼に気付いた。


「あ、ああ、こんな話をしてしまってすまないね。君の様な小さな子にする話ではなかったよ。ごめんね」


 持助はその晴れる事の無い感情を愚痴の様に全て吐き出したかに見え、多少は気が軽くなったのだろうか、心なしか表情は穏やかになっていた。


 だがしかし、その顔に深く刻まれた憔悴の色は、未だに消えてはいなかった。


「ほら、早くお行き。連れのお嬢さんももう、起きているだろうから。心配させてしまっては悪いからね」

「あ……はい……」

「じゃあ、またね。美月お嬢ちゃん」


 そう言って腰も重そうに立ち上がると、持助は川へと去っていったのだった。


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