第五幕 旅の第一歩
今朝は良い風が吹いている。
中秋の終わり。
その空には筆でサッと掃いたすじ雲が青い空に描かれ、そしてそれらを乗せて、高く天空へ伸びていくかの様な谷からの穏やかな風が、山の中腹の村を抜けていった。
この村から今日、ナニガシと美月は旅立ってゆく。
村の入り口には、これから旅路に発つ若い2人と、そしてそれを見送る年配の夫婦2人が立っている。
「……達者でな、ナニガシの嬢ちゃん。それにちっこいお嬢ちゃんもな」
「ありがとうございます、村長さん。色んな物を分けて貰っちゃって……」
ナニガシは風呂敷を背に負っている。
村長に持たされたその風呂敷の中には、大根や人参、火打ち石や少しの路銀などが包まれている。
それらは、村なりの精一杯の別れの品々であった。
「こっちだって、あんたには感謝してんだ。むしろ礼代わりにそんなモンしか渡してやれなくて、申し訳無いぐらいだぜ」
村長の横に居る大家が、いつもの調子で捲し立ててくる。
「元気でやんなよぉ。いつかどっかで根を下ろしたら、偶には顔を出すんだよぉ?あんたには家賃払ってもらわないといけないんだからねぇ。待ってるよぉ」
「あ……はい……必ず払いますので待っていて下さい……」
ナニガシは苦笑いする。
その時、大家が1つの小さな包みの袋を手渡してきた。
「はいよ。これ持っていきなぁ」
「え?これは何ですか?」
「ああ、大したモンじゃないよ。ま、お腹空いたら食べなぁ」
「あ、はい、ありがとうございます……」
何だろう?と思いつつも、ナニガシはその小袋を受け取ると腰帯に括り付けた。
ナニガシと美月の2人は村長と大家に頭を下げ、そして別れを告げる。
「では、行きます。今までお世話になりました。皆さんお元気で」
「さようなら。村長さん、大家さん」
手を振り、そして、歩き出した。
「またな!もし無理そうなら、いつでも帰ってこいよ!」
「じゃあねぇ。変なモノ食べてお腹壊すんじゃないよぉ」
後ろから『恩人』たちの別れの声が聞こえてくる。
やがて、その姿も声も、慣れ親しんだ村の入り口も、歩いていくうちに遠く、小さくなり……
……そして見えなくなっていった。
前を向いて歩く。
「……良い人たちでしたね」
「そうだな。……寂しくなるよ」
少し歩きふと、ナニガシが口を開く。
「……なあ美月、本当に良かったのか?アタシに付いてきちゃって?」
その言葉に、美月が考える間も無く答えた。
「はい!私が自分で決めた『身の振り』ですから!」
その言葉にナニガシははっとする。
そして、ふっと優しく微笑んだ。
「……そうか。……ありがとうな」
「え?」
「いや、何でもない。……あ、そうそう」
「はい?」
ナニガシがポンと手を打つ。
「前から言おうと思ってたんだが、アタシに敬語なんて使わなくて良いんだぞ。もっとこう……子供らしく振舞ってて良いんだ」
「子供らしく?」
「そう。……例えば……あの……『お姉ちゃん』……と呼んでくれてもい、良いんだぞ?」
「何ですかそれ……」
『お姉ちゃん』と呼んで欲しいらしい。
ナニガシにとっては、美月は可愛い妹の様な存在なのであろう。
だが流石に気恥ずかしかった様で、言った直後に顔を赤らめるナニガシ。
「と、とにかく。いいな!」
そして、口をつぐんでしまった。
その様子を見て……
美月は何かを思いついた様に、悪戯っぽい顔をする。
そして、そわそわと落ち着きの無い様子のナニガシの、赤い顔をジーッと見つめる。
美月は口元に笑みを浮かべながら、焦らす様に彼女のその顔を覗き込み、見つめる。
そして……
「……うん!お姉ちゃん!」
大きく、元気に返事をした。
その『お姉ちゃん』という言葉が嬉しいらしく、大変満足そうな表情をするや、ナニガシは堪らず美月の頭をくしゃくしゃと撫で回したのだった。
「ところでお姉ちゃん、大家さんから貰ったその袋は何なんだろうね?」
ナニガシの腰帯に付けた大家からの餞別らしき物。
ナニガシも思い出し、それを手に取る。
「うーむ……確かにこの謎の袋……一体中に何が入っているやら……」
「家賃の請求書とか……」
「イヤな事言わないで」
袋をおそるおそる、開けてみる。
……すると、中には。
「あっ!団子だ!団子が一杯入ってる!」
中には、白い餅に粉をまぶした団子が大量に入っていた。
確か村の畑では、穀物である黍を栽培していた。
それを使って大家が拵えて、持たせてくれたのだろう。
最後まであのいつもの調子だったが、彼女も、ナニガシたちとの別れを惜しんでいたのだ。
「わー!美味しそう!」
「よし、早速食おう、食おう!」
見るなり2人は喜び、そして歩きながら口の中に放り込んでいく。
秋の山道は五感で以って、その道中を楽しむ事が出来る。
風はいつの間にか山の上から吹き降ろしてきている。
山道を下る2人の背後から、まるで村からの別れであるかの様に、紅葉がその頭上を舞っていた。
それらの美しい紅い木の葉。
枝々の隙間から響く百舌鳥の声。
髪を撫でる様に優しく吹く、爽やかな秋の風。
そして金木犀の香りはもう感じ取れ無いが、まだその余韻は残っている。
そして……
「……あっ、しまった!団子、全部食べちゃったぞ!」
「ええー!?……美味しくてうっかり食べ過ぎちゃった……」
袋の中は空となっていた。
穏やかな秋空と共に遠くに見える山々の稜線は緩やかで、その形はいつも『中腹の村』から見えていた、それそのものである。
人の記憶や思い出は、何気無いところで心の奥底に根を下ろす。
2人にとっての村での思い出は、ふとした時に、この稜線と共に記憶から顔を出すのだろう。
それを懐かしく思えたならば、それは『中腹の村』が紛れも無く、彼女たちの『故郷』のひとつであった証なのかもしれない。
【第四話 了】




