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第四幕 夜明けと決意

 夜が明けた。

 太陽が、東の彼方から昇り始める。


 夜の村で起きた騒動は、夢の様に闇と共に消えてゆくものではない。

 夜明けのその薄明かりの中で次第にぼんやりと、眼前に照らし出されていく。


 炎に包まれた小屋はすでに黒い瓦礫と化していた。

 跡に残るものは黒い炭となった柱と灰と、白く昇る煙とそのにおいのみ。

 それは闇の中の騒ぎが現実の出来事であった事を、否が応でも認識させてくるのであった。


 捕らえられた野盗の男は、あの後駆けつけた村の男たちによって引っ立てられ、牢に入れられた。

 彼は酷く怯えた様子で震え縮み上がっており、それは抵抗する事も無かった程であった。


 焼けた小屋の前。

 ナニガシは大根で引っ叩かれて出来たタンコブを、美月に濡れ手拭いで冷やしてもらっていた。


「美月、怪我は無かったか?」

「はい……ナニガシさんこそ、タンコブ痛そうです……」


 心配そうにそれを眺めた後、美月はちょんちょんと突く。


「痛ててて!こら、遊ばないでちゃんと冷やしてくれよ」

「はい。ふふふ」


 美月は楽しげに笑う。


 ……ふとナニガシは、昨夜の彼女の様子を思い出す。


「……なあ美月」

「はい。何でしょうか?」

「あのニンジン野郎が逃げようとした直前なんだけどさ、あいつに何か呟いてなかったかい?」


 あの時、美月は野盗に対し静かに語りかけていた。

 だがその言葉は、傍らで家を焼いていく炎のごうごうとした音でかき消され、ナニガシの耳には届いていなかったのだ。


 問われ、美月は慌てる様に答えた。


「え?い、いえ。そ、そんな事無いですよ?あの人が何故か急に怯えて、逃げ出したんですよ」

「ええ?そうなのか?……まあ何にせよ、無事で良かったけどさ」

 

 ナニガシが彼女の顔を覗こうとしたが、しかしそれから避ける様に、美月は後ろに眼をやった。 


「……それにしても、お家……焼けちゃいましたね……」


 ナニガシも後ろを振り返ると、そこにはまだ微かに白煙が立ち昇る、「家だった」黒い廃墟が有った。


「……そうだな。……ああ、あの大家のおばさんに何て言われるか……」


 しばし放心した様に眺めたナニガシは深く溜め息をつくと、タンコブをさすりながらガックリとうな垂れる。

 ふと、足音が近づいてきた。


 ……噂をすれば何とやら。

 そこへ丁度、くだんの大家と村長が、2人の元へとやって来たのである。


「ふひっ」


 その姿を見るなりナニガシはびくっと震える。

 固まり、冷や汗を流すそんな彼女に村長が声をかけてきた。


「おう嬢ちゃん、ここに居たのか」

「は……はい……何か……?」


 びくびくと上目遣いに、大家と村長の顔色を窺う。


「何かもなにも、礼を言いたくて来たのさ。あんたのお陰で、あの盗っ人野郎を捕まえられたんだ。本当に助かったぜ。ありがとよ」

「い、いえ。それは何よりでございます、はい」

 

 傍らの大家の顔をチラチラと横目で窺いながら、ナニガシは返事をする。

 村長は続ける。

 

「あの泥棒野郎、あいつには以前から手を焼かされていたのさ。度々畑が荒らされてたんだが、タヌキみたいになかなかシッポを出さなかったヤツでな。鹿を捕まえる為のくくり罠を張っても、上手い事逃げられちまってたんだよ」

「そんな大事おおごとになっていたんですか?アタシは何も知りませんでしたが……」

「嬢ちゃんは、村から外れたこの場所に住んでたからな。村の内情には疎かったろうよ」

「そ、そうですね……ところで、あのですね……」


 ナニガシが後ろの瓦礫の山をチラリと見て、その惨状についておずおずと切り出そうとする。

 だがその言葉を遮り、村長の隣に居た大家の女性が口を開いた。


「ナニガシさん。何とまあ、見事に家が焼けちまったねえ……ええ?」

「うひ……」

 

 ナニガシはまたもびくっと震え、額からだらだらと汗を滴らせる。


「……まあ、事情は遠目から見ていたから分かっているよ。あのニンジンみたいな髪した盗っ人が焼いちまったんだろう?」


 昨夜の参り様を忘れてしまったかの様に、以前と変わらず捲し立てて喋る大家。

 ナニガシはそれに対し、大仰な身振り手振り、そしてあからさまに残念そうな表情をして答える。


「そ、そうなんですよー!い、いやあ。あの野郎のせいで大家さんの大事なボロ家……じゃなくて、素敵なお家がこんな無残な有様になっちゃって!本当に悪いヤツですよねえ、あのニンジン男は!」


 何としてもニンジンのせいにして、この場を切り抜けなくてはならない。

 必死である。


 そんなナニガシに大家は頷く。

 

「あんたは何も悪くないさ。住むとこ無くなっちまって、かえって気の毒だねえ」

「はい!全部あいつのせいです!アタシはなーんも悪くありません!」


 必死である。

 大家は彼女の肩に、ぽんと手を置く。 


「あんたのお陰であの泥棒男も無事に捕まえられたし、それに免じて、家賃の件だけど……」


 その言葉を聞いたナニガシの顔が、パアッと明るくなる。


「滞納してる分は、来月末まで待っとくよ」


 だがしかし、その続けられた言葉を聞くや、再びナニガシはガックリとうな垂れてしまった。


「は、はい……ですよねー……」


 帳消しにしてくれるかと一瞬だけ期待したが、大家はそう甘くは無かった。


 一方村長はナニガシを庇おうと口を出そうとするが、横でおろおろとするばかりであった。

 どうやら大家、奥さんに頭が上がらないらしい。


「ま、まあまあ。助けてもらったんだし、それはもうちょい先でも良いじゃないか。とりあえず嬢ちゃん。俺からの礼として、新しい家を用意しようと思うんだが、どうだい?」


 思わぬ助け舟が出た。

 村長のその申し出に、またもナニガシの顔がパアッと明るくなる。


 家が焼け落ち、実際のところ、この先何処に住もうかと弱り果てていたところでもあったのだ。


 ナニガシは、「はい」と即答しようかと口を開こうとした。


 ……だがしかし、彼女はふと考える。


 ……果たして、自分はこのままこの村に居続けて良いものだろうか?と。


 元々は他国から流れて来た「よそ者」だ。

 今回の事件にしても、過去に行き倒れていたところを村人たちに助けられた義理から、手助けをしたに過ぎない。

 借りを返しただけなのだ。


 いつまでもうだつの上がらぬままで居る事も出来ないし、元々この村は「よそ者」を歓迎しない事は百も承知している。

 この村に甘え続ける訳にはいかないのかもしれない。


 ならば、いっそ新天地を探し、自分の有るべき場所を求める時なのではないか?


 今までこの様な事を考えもしなかった。

 ……突然、こんな気持ちになったのは何故か……


 だがその答えは、ナニガシ自身はもう知っていた。

 それは……


 ちらりと、横の美月に眼をやる。


 こんな頼りない自分を信じ、隣に居てくれるこの少女。


 『この少女を守りたい』

 ただ、ひたすらそんな気持ちになったのだ。


 今まで1人、根無し草の様に生きてきたナニガシにとって、もはや美月はかけがえの無い家族、大事な存在となっていたのだ。


(『自分への借り』……か……)


 呟き、ナニガシは村長に言う。


「……村長さん。……折角のご厚意ですが、アタシはこの村を出て行こうかと思います」


 その言葉に村長は驚く。


「何?ここから行っちまうのかい?」

「はい。……1つ、言わなくてはならない事があるんです」

「ん?何だねそりゃ?」


 彼女は1つ、息を吐く。


「……実はアタシは……この国を攻める為に、他国からの軍勢に従ってやって来た人間なんです。……この国を侵略しようとした、敵の国の者たちの1人だった……。そしてそこから逃げ出して行き倒れていたところを、村長さんたちに助けてもらったんです。……言い出すのが怖くて、今まで黙っていました。……すみません……」


 村長と大家は顔を見合わせる。

 ナニガシは更に続ける。


「もしかすれば万一にも、この村や……そして村の人たちをも、脅かす事になっていたかもしれない……。そんなアタシがこれ以上、ご厚意を受ける事は出来ません。……それに、いつまでもうだつの上がらないままお役に立てず、このままご迷惑をかけ続けたくないのです。……ですので……」


 彼女のその言葉を遮って、村長が言った。


「あんたは何も悪く無えよ。今の世の中、どこも同じ様な事が起きてんだ。望まなくともそうせざるを得ない事情なんていくらでも有るだろう。あんたが1人で背負い込む事じゃねえ。……それにな。実は、前から俺はあんたの素性に薄々感づいていたんだよ」

「え!?」


 俯いていたナニガシは驚いて顔を上げた。


「当たり前だろ。腰に刀を立派にぶら下げた、侍であろう人間が腹を空かせて道端にぶっ倒れてたんだぜ。どう考えたってただ事じゃねえだろう。大方、何かしら事情がある『訳有りモン』だと、嫌でも気付くさ。ボロを着たナリから、どう見てもやんごと無きお方じゃあるめえし、……多分どっかのやべえトコから逃げてきた、『お忍びの者』なんじゃねえか……ってな」

「う……」


 声に詰まるナニガシ。


「……確かにあんたの言う通り、この村に居ても良い暮らしは出来無いかもな。食い扶持用意してやりてえが、この村は『よそ者』は信用しない連中ばかりだ。村の長だからといって俺の一存だけじゃあ……どうにも出来ん問題だ。だからせめて、あんたの好きにすると良いさ」


 申し訳無さげに頭を掻くと、村長は苦く笑った。


 ……


 ……そんな彼に、ナニガシが言う。


「……1つお願いがあります。アタシが迎えに来るまでの暫くの間、この子の面倒を見てやってくれませんか?名は美月と言います。この子は親とはぐれ、アタシと同じく他所の国から、行く当ても無く彷徨ってやって来た子なんです。……お願い出来ますか?」


 ……


 ……突然の、彼女のその申し出。


 その言葉に傍らの美月は驚き、ナニガシを仰ぎ見た。

 

 それに村長は快諾し、頷く。


「ああ、分かった。構わないぜ」


 差し出す様に、ナニガシは美月の背を押す。


「え!?ナニガシさん!?」


 取り乱し、美月は慌てて彼女へと向き直る。


 ナニガシはそんな美月の前にしゃがみ込むと、彼女の顔を見据え……

 そしてその小さな肩に、そっと手を置いた。


「美月。……今のアタシと一緒では、君はずっと貧しい暮らしをし続ける事になるよ。村長さんは良い人だ。この村に住んでいれば安心さ」

「……ナニガシさん……」

「食い扶持を見つけてアタシの生活が落ち着いたら、必ず迎えに来るよ。その時まで、村長さんの言う事を良く聞いて、良い子にしてるんだぞ。いいね?」


 優しく言い聞かせる様に言うと、ナニガシは立ち上がろうとした。


 ……


 ……美月を、村長に託す。


 ……ナニガシのその心中は、決して穏やかなものでは無かった。

 口では美月にそう言ったが、しかし自分のその言葉で、胸が締め付けられそうだった。


 美月を助けたいと、彼女のその身を自分の元へと置いた。


 しかし……結局は手放さざるを得なかったのだ。

 根無し草の様な今の自分に、美月を守る事など出来はしないと、知っているからだ。


 ……美月の身を案ずるならば、村長に託すより他、術が無かった。


 大事な存在だからこそ……

 守りたいからこそ……


 ……今は、離れがたきを耐え、別れを告げる事を選ぶしかなかったのである。


 己の手で人ひとり守り、救ってやれない今の自分を、自らの言葉で改めて痛感した時。

 その心は、まるで締め付けられ、突き刺される様に痛み……


「……」


 ナニガシは俯き、目の前の美月の顔を見ず、


 ……蹲んだその腰を、上げようとした。


 ……


 だが、その時。


 美月はその彼女に……

 ぎゅっと、その小さな身体で押し留める様に、抱きついたのだった。


「……ナニガシさん。以前ナニガシさんは、『人の助け合いは縁によるもの』って言いました。……私もその通りだと思います」


 ……いつの間にか、少女の大きな瞳は涙で滲んでいた。


「1人ぼっちで震えていた私を、あなたは助けてくれた。あの時のあなたの明るい笑顔に、どんなに救われたか……」


 そして……

 とうとう泣き顔となった美月はその瞳で、ナニガシの眼をじっと見る。


「……私は、ナニガシさんと一緒に居たいんです。ナニガシさんが困っているなら、今度は私が助けてあげたい……私に出来るなら、恩返しがしたいんです……!」


 ……

 

 ナニガシは、そう言った美月の眼を、見つめる。


 ……少女の濡れたその瞳の中には、自分が真っ直ぐに、映っていた。


「……美月……」


 ……


 ……くしゃくしゃ顔の美月の頭を撫で、ナニガシは静かに言う。


「……ずっとイナゴや変なキノコを食って生活するかもしれないんだぞ?」

「いいんです!もう慣れましたから!」

「毎日雨風が凌げる場所で寝られる訳じゃないぞ?」

「ナニガシさんの家も、元々そんな感じだったじゃないですか!」

「う……確かにそれもそうだった……」


 言葉を詰まらせ苦笑いする。


 そんな2人の様子を傍らで見ていた村長が、笑って頷いた。


「はっはっは!話はまとまったか?何にせよ、旅立つなら準備が必要だろう。俺も工面出来る物は用意して、門出の餞別にしてやるよ」


 抱き合う2人。

 女侍と、小さな少女。


 夜明けの赤い朝焼けの空は、いつしか陽が昇り、そして青く澄み渡っていた。


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