第三幕 泥棒タヌキと炎上と……
ニンジン頭の野盗は暫く走りきると、1人、木のたもとで息を切らせ喘いでいた。
猛追してきたナニガシを何とか振り切り、息を整えているのだ。
野盗の男は今まで、その逃げ足の速さには絶対の自信を持っていた。
余裕綽々と遁走出来ると、確信していた。
だがまさか、その自分よりも更に足の速い人間が居るとは思ってもいなかった。
これまでに無い以上の危機を感じ、そして全力で駆けてきたのだ。
もはや精根尽き果て、心なしか、自慢のニンジン髪も元気が無くへなへなと萎れている。
一呼吸ついた後、暫く歩く。
すると、村の外れにボロボロの掘っ立て小屋が建っているのが見えた。
「……お?何だ、廃屋か?……いや、違うみてえだな……」
男は、何故こんな場所に廃屋が……と訝しみつつ、その小屋の周囲を覗き込む。
ボロい小屋はその土壁に穴が開いていた。
その時、その穴から漏れ出している屋内の明かりに気が付き、ようやく初めて、これが人家であると悟ったのだった。
途端、男は口元にニヤリと笑みを浮かべる。
「民家じゃねえか。……行きがけついでの駄賃だ、ちょいと拝借させてもらうとするかねえ……」
迷う事無く、家の中を物色する事に決めた。
職業(?)柄の手癖の悪さからか、人家があるとどうしても忍び込みたくなる性質の様である。
それは追われる身となっているこの様な状況であっても変わらないらしい。
男は息を潜め、身を屈める。
彼にとって「玄関」とは表の入り口にあらず。
それは裏の入り口を指す。
掘っ立て小屋の裏へそっと回り込み、そして台所に通じる勝手口から、物音も足音も無く侵入していく。
手慣れたものであった。
だが、その入ってすぐの目の前の光景に思わずぎょっとした。
台所の調理場の天井から、大量の得体の知れないキノコがずらりと吊るされ、干されているのだ。
そしてその下を見ると、調理台の鍋にはそれらのキノコを使ったであろう、「汁物」が煮立ち湯気を立ち昇らせていた。
「何だぁ……こりゃあ……」
ぐつぐつと、まるで泥を煮込んでいるかの様な色と匂いが、鍋の中で音を立てている。
……おおよそ食い物とは思えない。
得体の知れないシロモノである。
しかし、彼はひどく空腹であった。
……台所で作られているのであれば、食えない物では無いだろう……
そう考え、思わず手が伸びてしまう。
その汁を一口、味見のつもりで飲んでみた。
途端。
「ぶッ!!げほっごほっ!」
口にした瞬間激しく咳き込む。
控えめに言って、クソみたいに不味い。
吐き出したその行為は、それは彼自身の意識からではなかった。
あまりの不味さに体が拒絶反応を起こし、生存本能による脊髄反射で、咄嗟に体外へと排出されたのである。
男は壁に寄りかかり、青い顔をして死にかけている。
すると先程の咳き込みに気付いたのか、奥の部屋から、住人らしき小さな少女が顔を出してきた。
「きゃあっ!あ、あなたどなたですか!?」
彼女は、台所に居た奇妙な髪形をしたガラの悪そうな男を見るなり驚く。
奥から出てきたその少女。
美月であった。
そう。
この小屋は、ナニガシの家であったのだ。
仰天したのは男も同じであった。
「く、くそッ!見つかったか!おいガキ、金目のモン出しやがれ!!」
咄嗟に彼は懐から大根を取り出すと、美月に突き出し脅しかける。
美月の方も、男のニンジン頭を見て、ススキの原の廃村で出会ったあの野盗である事に気が付いた。
「あっ!あの時の泥棒さん!?い、嫌です!あなたに渡す物なんかありません!出て行ってください!」
「何だとこのガキ!いいからさっさと出しやがれ!痛い目みてえのか!?おお!?」
男は大根を振り上げながら、美月の細い腕をぐいと掴む。
だが彼女も必死に抵抗する。
「痛い!放して!!」
『ばしんっ!』
美月は傍らに置いてあった一際大きなキノコを男の顔に叩きつける。
2人はどたばたと狭い小屋の中で暴れ回る。
そうして攻防を繰り広げていると、男が振り回した大根が近くの燭台を叩き倒してしまったのだ。
畳に落ちる火。
そして畳を焦がしたその小さな炎が、障子に燃え移る。
炎は襖を伝い燃え広がると、みるみるうちにボロい木製の壁を焼いていき、そして次第に大きくなっていった。
「「か、火事だ!!」」
2人は同時に叫び、そして転がる様に一斉に、縁側から外へと飛び出した。
そこへ、家に残してきた美月が心配になり、小屋へ戻ってきたナニガシが現れた。
頭には大きなタンコブが出来ている。
「うわーっ!何だこりゃ!?ア、アタシの家がー!!」
自分の寝ぐらが燃えていく様に慌てふためく。
すでに炎は小屋全体を覆わんばかりの勢いとなっており、その激しさは遠目からでも火事と分かる程であった。
「あっ!美月!!無事か!?」
炎上しているその前で、倒れ込んでいる美月が視界に入った。
咄嗟にナニガシは駆け寄ろうとした。
しかしその時。
その視界の外から現れた野盗の男が、すかさずその美月を抱き起こすと、後ろから抱え込んだのである。
自慢のそのニンジン頭は焼け焦げ、チリチリとなっていた。
男が叫ぶ。
「寄るんじゃねえ!!このガキがどうなってもいいのか!!」
「お前……!」
もはやナニガシの俊足からは逃げ切れないと悟った彼は、またしても人質を取ったのだ。
何としても、この場から遁走する機会を窺う腹積もりの様である。
「俺もヤキが回ったぜ……お前らみてえなガキ共に手こずらされるとはよ……」
「この野郎!美月を放せ!!」
ナニガシもまた叫ぶ。
「うるせえ!!俺が遠くに行くまで、お前はそこから一歩も動くな!いいな!!」
男はそう言うや、彼女から遠ざかる様に後ずさりをし始める。
男に抱えられる美月。
炎の熱で意識が朦朧としていたが、ナニガシの姿を見て、はっと気が付き我に返った様だった。
腰に差した刀の柄へ、静かに手を伸ばすナニガシ。
後ずさる男を逃がすまいと、睨みつけながらジリジリと前へ踏み出そうとする。
その時、美月が彼女に叫んだ。
「ナニガシさん!!」
その声にナニガシは、はっと美月の顔を見やった。
美月は僅かに首を振っている。
そして自分に目線を送ってきていたのである。
それを見てナニガシは感づいた。
それは、美月がこれから「何かをする」合図の目配せである事に気が付いたのだ。
(美月……一体何をするつもりだ……?)
美月をジッと見つめ、なおも柄に手をかけつつ、ナニガシはまんじりともせず様子を窺う。
その間、緊迫した空気。
……額に汗が滲み、刀の柄を握る手の内が僅かに震えている。
この場において、美月を救えるのは自分ただ1人。
だが……一歩間違えれば、あの小さな少女の命は、あの盗賊によって奪われるかもしれない。
……臆病な自分に、あの子を助けられるのか……?
一瞬、そんな弱気な逡巡が頭の中をちらついた。
だがしかし。
(……いや……今は自分が臆病である事は忘れよう。……ただ自分の気持ちに素直に、一歩踏み出すだけだ)
彼女は震えを追い払うかの様に、刀の柄をぐっと握り締めた。
暗い夜の闇は、炎によって朱に燻られている。
燃える小屋を背にし、野盗の男はナニガシから視線を逸らさず、何とか隙を見つけ逃げ出そうとしていた。
じゃりっと、男が一歩後ろに下がったその時。
美月はナニガシに聞こえないぐらいの小さな声で、自分を後ろから抱える彼へと囁いた。
「……ねえ、お兄さん。私の事、覚えてる……?」
緊迫の中、男はその突然の囁き声にぎょっとした。
「あ、ああん?俺はお前の事なんか知らねえよ!」
美月は続ける。
「あの廃村であの時、あなたは何を見て逃げたの?」
「廃村……?ああ、お前はあの時のガキか……ん……?待てよ……あの時俺は……」
男は美月の顔を思い出したと同時に、廃村での出来事が記憶の中に蘇ってきた。
……確かあの時……
美月がポツリと言う。
「私を見たよね」
その瞬間だった。
男の背筋にゾワッと寒気が走った。
そうだ……俺はあの時……
廃村で見た、ある『モノ』。
恐怖のあまり、記憶の中からいつの間にか消し去ろうとしていた、あの『モノ』。
だが今……少女の一言で完全に思い出した。
……そして。
それは、その少女の顔をピタリと一致したのだ。
……そういえば……俺が今、抱いているのは『何』だっけ……?
ふいに、冷や汗が噴き出る。
唇が震え、呼吸が上がり、乱れる。
視線を、ゆっくりと自らの腕の中へと落とした。
「そうだ……『化け物』……あ……た、確か、確か……お、お前は……!」
「そうだよ。」
腕の中の少女が、自分を見上げて頷いた。
「うっ、うわああああぁぁぁぁっっ!!!!」
体毛が逆立った。
その時男の中で、あの場所で味わった恐怖が一気に湧き上がった。
胃が萎縮し、内臓が絞られるかの様にその感情が体の中から噴き上がり、ともすれば、喉の奥から吐き出されるかと思えた。
『それ』が、今まさに、自分の腕の中に居るのだ。
男は叫び、美月を突き放そうとした。
しかしなんと、咄嗟に彼女はその男の腕を、小さな両脇でしっかりと抱え込んだのである。
「うわあああっ!!テ、テメェ!放しやがれ!!」
今まで、逃がすまいと彼女を強引に押さえ込んでいた男だったが、皮肉、立場が全く逆になってしまった。
彼は振りほどこうと腕を振り回そうとする。
だが美月は小さな身体で、力いっぱい地面を踏み締め、逃げようとする男の腕を掴んでその場に留めようと懸命に堪える。
男は逃げる事が出来ない。
その隙、美月は叫んだ。
「ナ、ナニガシさん!!今です!!」
その瞬間。
美月のその言葉に反応する。
ナニガシが大きく前に踏み出すや、猛然と突進してきた。
「うおおおおッ!!」
帯から刀を鞘ごと抜く。
納刀したままのそれを、男の右の肩口へと全力で振り下ろした。
『ゴキイッ!!』
「ぐわあああっ!!」
男は右の鎖骨を鉄拵えの鞘で以って勢い良く叩きつけられ、地に膝を突く。
怯んだところを、ナニガシに後ろから馬乗りにされ、そして地面に組み伏せられたのだった。




