とある暗闇の中で
「……どうだ?何か、掴めたかい?」
……
暗闇の部屋の中。
壮年の男の、低い声が言う。
「……いいえ。全然ダメね。……全く、何も分からないわ」
……
男の言葉に応えたのは、若い女だった。
男のすぐ隣に腰掛けている彼女は、目の前の壁に掛けられた光を発する大きな硝子状の板を、注意深く、そして目を離す事無く、じっと覗き込んでいる。
その明々とした光のみが、闇の中で、重々しい気色の2人の顔を照らしていた。
まるで鏡の如きその硝子板は女が指先で触れると、光は消え、そしてやがて、黒い色に変化した。
女は深く、ひとつ溜め息をつく。
傍らの、台座に置かれた火の無い灯りが、独りでにぼんやりと発光した。
それにおぼろげに照らし出された男の顔へと彼女は目を向けると、首を振り、眉を寄せた。
「場所がまるで掴めない……。『何処』に居るのか、『何時』に居るのか……。……全く、見当もつかないのよ」
「さっきの反応では、やはり駄目だったのかい?」
再び、男は低い声音で問う。
それに黙って頷くと、女は椅子の背にぐったりともたれ掛かり、掛けていた眼鏡を外し、そして部屋の天井を見上げた。
……室内は、なお薄暗い。
そのため、その内装は殆ど、窺い知る事が出来なかった。
しかし暗闇の中にあって、彼女の傍らに灯る仄かな光に映されて、壁も天井も、鈍い銀色に微かに輝いている事だけは見て取れた。
男と女、共にお互いの姿も、はっきりとは分からない。
だが2人ともその身には、膝の辺りまで裾の長い、純白の衣を羽織っている。
それはおおよそ見た事も無い様な、不思議な姿形のものであった。
「……まさか『あの子』が、本当に『あれ』を使ってしまうとは。……やはり、私たちが目を離すべきではなかったのだ……」
男は、整えられた口髭を摩りながら、悔やむかに言う。
だがそれを制止する様に、女は彼の腕に、そっと触れた。
「言っても仕方ないわ。今は兎に角、一刻も早く居場所を探し当てないと。……『あの子』の身も心配だけど……でもそれと同じく、危惧しなければならない事があるしね」
「……確かにな……」
男はその怜悧な眼差しに、深い憂慮の色を浮かべた。
そして。
腰掛けたままの女に、その視線を落とす。
「……我々の『足跡』は、決して残してはならない。……何があっても、な……」
【幕間 『その壱』 了】




