第一幕 貧乏、町へ行く
ナニガシと美月は「朝食」を済ませ、掘っ立て小屋を出た。
外出先はこの村の山のふもとに存在する、小さな町である。
述べた通り、ナニガシの住む村は小さな背の低い山の中腹に在る。
山中の狭い土地を切り開き、そこに住人たちの家々が数は少ないながらも身を寄せ合っている。
ふもとの町は、村の在るその山と、そして向かいに構える『蛇ヶ背山地』との間、つまり谷底にぽつんと存在しているのだ。
ふもとの町は、ナニガシの村に於いて、通称『谷霧の町』と呼ばれている。
村から切り出された材木はこの『谷霧の町』へと下ろされていく。
町で製材され、それらは更に町の職人たちによって、家具や民芸品などに加工されていくのだ。
美しく加工されたそれら品々は、谷を流れる川によって他の土地へと運搬されていく。
『谷霧の町』は木工によって栄え成り立つ町である。
今回の外出の目当てはナニガシのこの町での食い扶持探し、つまるところ「職探し」である。
町への道中。
緩やかに下っていくその山道は、芳しい木の花の香りに包まれていた。
秋の季節に咲く「金木犀」の花である。
それは山の上から微かに吹き降ろす朝の風に乗り、遠くから近くからとも知れず漂い、香ってきていた。
その香りは秋を感じさせ、道行く旅人たちの心を和ませ……
だがしかし……
心穏やかでない少女が、ここに1人……
「美月、どうした?腹でも痛いのか?」
「あ、あはは……大丈夫です……」
道中、ナニガシが心配そうに横を歩く美月を見やる。
彼女は顔色がすぐれず、小屋を出てからずっと腹を押さえながら歩いているのだった。
「ははは、アタシに隠れて変なモンでも食べたんじゃないのか?」
笑うナニガシ。
「へ……変なもの……確かに食べたかも……」
青い顔の美月。
確かに彼女は『変なもの』を食べた。
ナニガシの作った朝食に他ならない。
その内容は、昨晩の献立から推して知るべしである。
美月の具合が良くないのは自分が作ったモノのせいであるとは露知らず、ナニガシはなおも笑う。
「まったく食いしんぼだなあ美月は、わはは」
「え……ナニガシさんはいつもあんなの食べてて、お腹痛くならないんですか……?」
「え?ならないさ。そういえば、昨日のキノコの汁物は絶品だったぞ。食った途端、笑いが止まらなくなったもん」
「……それってワライダケだったんじゃ……?」
ナニガシにとって食べられない物は無いのかもしれない。
美月は頭を抱える。
(ああ……私、この人の食生活にはついていけないかも……)
絶望感が彼女を襲った。
それとは知らず、ナニガシが言う。
「そうそう、町に着いたら君の着る物を買わないとな」
「着る物?」
「だって、今着ているものはアタシの小袖じゃないか。それじゃ動きにくいだろう?」
着る物が無かった美月は廃村以来、ナニガシの小袖を貸してもらい着ている。
だが、大人と子供では当然、その大きさが違う。
彼女はその小袖の裾をたくし上げて無理矢理大きさを合わせているが、袖の長さも肩幅も全く合っていない。
時折胸元が肌けるなど、かなり不恰好な様であった。
「私は別にこのままでも……」
ナニガシのお寒い懐事情を察している美月は遠慮がちである。
だがナニガシはそれを制した。
「まあまあ、君は女の子だ。そんな格好のままにさせておく訳にはいかないよ」
「すみません……ありがとうございます」
頭を下げる美月。
「わはは、気にしなくて良いさ。……おっ、下を見ろ。谷の町が見えてきたぞ」
その指差す向こう、山道の視界の下の薄い霧の中に、茅葺き屋根の茶色い町並みがうっすらと見えた。
遠く近く、視野に映る全てのその中秋の山々は紅葉によって紅く色づき始め、そして橙色、黄色と、その色の階調が美しく映えていた。
山道行く人々はその自然が彩る光景に心打たれ、思わず急ぐ足を止めるが、美月もまた、彼らと同じであった。
燃えるかの様に見える山の、その間。
その谷底には常に山霧がかかり、ナニガシの村からは谷の町の姿が見えない日が多い。
それは雄大な自然の内に於いては、人の存在など無いに等しいかの様に思えた。
だが近づくにつれ、人里の雰囲気は確かにそこにあったのだ。
自然が全てを覆いつくそうとするその霧の中から、人間の生活の様が顔を出してくる光景に、幼い少女はなんとも言えない感動を覚えたのだった。




