第一幕 むかしむかし……
……大雨の降りしきる夜。
ススキが覆う野は雨に打たれ、土が剥き出しの地面には、大きな水溜りを作っていた。
野を割る様なただひと筋の、殆ど獣道と呼べるかの、荒れた街道。
その上を、1人の女が家路を急いでいた。
女は荷車や牛車の深い轍が刻まれた泥まみれの街道を、足早に進んでいく。
遠出であったのか、その足には脚絆が巻かれている。
歩む毎に、小袖の帯に差した刀と脇差の鍔と鍔がぶつかり合い、女のその腰元で、かちゃかちゃと音を鳴らす。
刀を帯びたその形を見るに、彼女は、侍であろうか。
2本の大小がそれを象徴するかの様に、凛々堂々と、腰に在った。
……
だが。
彼女の差すその刀には、反りが無かった。
……刀身を覆うは、真っ直ぐな、鞘である。
桃花褐の下緒が巻かれたその黒鉄拵えの鞘は雨に濡れ、鈍く、輝きを放っていたのだった。
(……運が無いな……)
彼女は被っている編み笠を指先で上げ、黒く重い雲が垂れ下がる夜の空を、恨めしげに見上げた。
その雲の中では、微かに閃く光の後、鼓を叩くかの様な重い音が遠く、聞こえてきている。
雷雲であった。
大粒の篠突く雨が、見上げたその顔を強かに打つ。
目元を袖で拭い再び目深に編み笠を下ろした彼女は、泥の水溜りを渡る様に、更に足早にその歩を進めた。
(町で仕入れた編み笠が早速、役に立つとはね)
この日、昼間は雲ひとつ無い快晴であったのだが。
しかし、日の沈む頃から天候が突然、悪化したのだ。
不意の荒天に見舞われ、出先に居た彼女は慌てて、この帰路に就いていたのである。
「……うわあっ!」
彼女は突然悲鳴を上げるや、体勢を崩し、道の脇へと転がり込む。
足元の見えない暗い夜道を進む中、その時ぬかるみに急ぐ足を取られ、転げ落ちたのだ。
「痛てて……」
雨に濡れた草の上が緩衝となり、怪我は無い。
が、代わりに、一張羅と呼べる小袖が泥まみれとなってしまったのであった。
(……やれやれ。まったく月明かりが無いでは、足元が全然見えないな)
ふいに、この先の道中が不安になる。
(こうも暗く雨が酷くなる様なら、このまま進んで山ひとつ、無事に超えられそうも無いか……?)
……その時、彼女は思い出す。
(……そういえば。確か、ここから少し行った先に……焼け落ちた廃村が在った筈だ)
――
……
世は、戦乱の渦中にあった。
その昔。
この小さな島国は、ひとつの国として統一されていた。
この国は累代より、貴族たちによって纏まり、統治されてきていた。
古くより政権は、彼ら貴族たちが握っていたのだ。
彼らにより政治が執り行われ、そして彼らを中央としてひとつの国家に治められ、統べられていたのである。
その治世の間、この国は、平穏無事な時代を過ごしていた。
だが……
やがて、国内は分裂を始める。
それまで統治を行っていた貴族による中央体制を蔑ろにし、次第に、新しき国として諸地方が独立、勃興をし始めたのである。
……平安を保っていた筈の、この島国。
それが破られ、国内が、まるで一枚岩が割れるが如きその様な情勢となったのは……
一体、何故か。
それは、それまで支配を行ってきた貴族たちが力を失い、その権威を無くしたがために、中央の集権体制が崩壊したからである。
主権を喪失し、勢力が衰え弱体と化した彼らには、もはや、国を纏める力など有りはしなかったのだ。
力を失った者に、その新しき台頭を抑える事は出来なかった。
そして次第に、分裂をした諸国の中で、それぞれの新たな統治者……
……君主たちが、誕生し始めたのである。
新興した権力者たち。
その頭を抑制する者は、もはや無い。
阻む者無く我が道を往く様に、各国の君主らは徐々に、権勢を増していく。
……いや……
近年において、更に急速に、その勢力を高めつつあったのだ。
……
そして。
力を持った彼らは次第に、ある「野心」を抱き始める。
『全ての国を、自らの手中に収めんとする。この世の全てを、我が物に』
……
それは、人間の欲の行く果て。
力を得た者の業か。
すでに強大な力を持った彼ら。
それを止める事が出来る者は居ない。
そして。
そうした「野心たち」は当然、ぶつかり合う。
各々の国の主たちは、己の力を誇示しだす。
互いを牽制し、挑発し、そして威圧をし始める。
……それが常に彼らの、外交における主たる手法ですらあった。
やがて俄かに、諸国の間に緊張が生まれる。
互いに一触即発の、不穏な空気が漂いだしたのだ。
……そうした情勢の中。
ついに、軍事力による実力行使が行われだした。
君主らが、相手の領土を奪う為の競り合い、「戦」を始めたのである。
……ひと度始まれば、それからはまるで、堰を切ったかの様であった。
諸国間で戦が繰り返され、そして次第に、その激しさを増していったのだ。
その戦場は瞬く間に全土へと広がっていき、そして更に戦いは、熾烈を極めてゆく。
互いが互いの領土を奪わんが為、日々軍勢を繰り出し、ひたすら戦いに明け暮れる。
最早この島国に、人の血が流れぬ場所など、何処にも在りはしなかった。
……
そしてその足元で、民衆たちは戦いに巻き込まれる事となる。
争いは場所を選ばない。
そこに人々の営みがあろうが、関係は無いのだ。
当然、民たちが住まう土地に戦火が及ぶ事も、珍しくなかった。
……いや。
むしろそれが、日常茶飯事とすら言える世であったのだ。
……このススキの野もまた、過去にそうした戦いの場と化した。
最中に、平和で穏やかな村ひとつが焼け、その、名も無き犠牲となったのであった。
(……そこで軒先を借りて、夜を明かすのが安全かもしれないな)
そんな場所であっても、未だ屋根ひとつぐらいは残っていよう。
思い立つと、彼女はその焼けた廃村を目指す事とし、雨の中の歩を、更に早めた。
……
……その時である。
『……バチッ……』
突然。
眩む様な青白い閃光が一瞬、眼の前を包む。
そして……
次の瞬間。
『『ッズドオオォォォォオン!!!!』』
……
轟音。
天空から、轟音が、鳴り響いたのだ。
……
雷鳴である。
……だが刹那。
女は、何が起きたか分からなかった。
初めて見る程の、大きな雷だったからである。
それは、その音がそれまで周囲の一切を覆っていた雨音を、一瞬、全て打ち消した程の凄まじさだったのだ。
大気がびりびりと振動するのを感じ、まさに、鼓膜を突かんばかりの轟音であった。
この厚い黒雲が覆う空を、まるで引き裂かんばかりの大雷。
……落雷であろうか?
……
だが、しかし……
あれは雷というより……
まるで、何かが爆発するかの音であった様な気もしたが……
「……な、何事だ!?」
女は仰天し、眼をしばたたかせ、伏せる様に身を竦ませる。
痛い程の大雨の中で、その急いでいた足も、思わず立ち止まっていた。
……縮こまりながら、笠の下から見ると。
雷は、道の進む先に落ちた様だった。
……
だが、彼女の記憶が正しければ。
それは丁度、これから目指す、廃村のあたりであった筈……
「……まさか、焼けた村に落ちたのか?」
遠目から見たところ、出火は無い様である。
この大雨が防いだのだろうか。
……立ち上がり、女は、暗く伸びる道の先を見つめた。
(……天も慈悲が無い。戦いに巻き込まれた村に、雷まで落とすとは……)
嘆くかの様に、彼女は再び暗い空を仰ぎ、睨んだ。
その視線の先では。
相変わらず重い黒雲が、己の頭上を、暗々と覆っている。
黒い空から落ちる大きな雨粒が、己の顔を、ただ濡らすだけであった。
……だがしかし睨みつけたところで、天空のその「意思」を変える事は出来ない。
目下、その空が降らせるこの大雨を凌ぐ場所を求めなければならないのだ。
……
目元を拭うと、女は再び、急ぎ歩み出したのだった。
「第三話」までは序章となっており、本格的にストーリーが始まるのは「第四話」からとなります。
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