1頁-Ⅶ
きっと私は今、この世でも最上位に位置するだろう一品を見る事が出来たのだろう。
その事実をいまだに私の中で燻るこの気持ちだ如実に伝えていた。
御神体。文字通りに神の宿った形あるもの。神の体。もしくは、それに近しい力を持った物品。
私はいままでそれを、ただの歴史を刻んだだけの物だと思っていた。
だが、なるほど神の名を冠した物品。本物は違ったという事なのだろう。
今はその刀を零さんが厳重に、まさに封印を施しているのかと思うほど丁寧に慎重に、閉まっているところだ。
「ごめんね、見せるだけならいくらでも見せてあげるんだけど…ただの人間が、これを見過ぎたらきっと偏っちゃうからさ」
そんなことをいって動かす手は、これ以上なく慎重なのに淀みなく、迷いを感じさせない慣れた手つきだった。
その言葉の意味を理解できなくても、本能が警告を出している。
あの刀を見ることは、あの刀に魅入ることは、それはきっと普通の人間とは言えなくなるような、致命的に何かを間違えてしまうようなそんな価値観に変わってしまう予感。
それをひしひしと感じたんだ。
「いやいや、本当にいいものを見してもらったよ!正直、こういった類のものには期待をしていなかったんだよね。今までにもいろんな国でいろんな宗教の、神聖だとか、由緒正しいだとか、神秘的だとか、そんな使い古されて骨董品のように埃の被った言葉で飾られたものをいくつも見て来たけどね…これはその中でも選りすぐりだね」
そう言ったのはクセイアだった。
彼女は今までにないほどに饒舌にその口を動かしていた。
それだけ今の刀が凄かったと言うことなのだろう。
「え!クセイアって、この刀みたいなのを他にも見たことあるの!?」
「ああ!といっても片手で数えられるほどだけどね!」
「いいなぁ〜。私も見てみたい!」
無邪気なままに、ただそれを見たいというゆきに私は少しだけ怖いと思ってしまう。
確かに素晴らしい物だった。
きっとこれからの人生であれを見たのと見ていないのとでは違った価値観になるだろうと思える程に素晴らしい物だった。
だけど、それは果たしていい事なのだろうか?
私のように何もなく、ただ平凡に生きていくだけならば、そんな価値観は持たないほうが幸せなのではないだろうか?
そんな価値観を変えてしまえるほどに素晴らしい物を何度も目にしてしまえば、それはきっと普通ではなくなってしまうのではないだろうか。
私はそれが恐ろしい事だと思う。
「そうだね。実際ククは、長い間旅をしていたんだからこういう物に関しても出会ったことがあるのは不思議じゃないな」
「あはは、それが私の生き方だからね」
「変わらないのは当然だとしても...随分とまぁ、魅入っていたじゃないか。飢えている様だけど、そんなに最近は良い話がなかったのかい?」
「……ああ、最近は不作でね」
クセイアと零さんがなにやら二人だけに通じる話をしている。
その意味を私は理解できていないけれど、クセイアの目的なんかを考えるなら…彼女の求める”面白い話”とやらがうまく集まっていないのだろうか?
貪欲にそれを集めている彼女を思えばなるほど、確かに飢えているようにも見えるのかもしれない。
「そうだ!零さん!何かこの街で噂になりそうな面白い話はないの?」
「?それを皆で探して、というよりは紹介というか、語るために散歩をしていたんじゃないのかい?わざわざ私から聞かなくてもゆきちゃんならいくらでも話のレパートリーがあるだろう?」
「そうだけど、私が知っているのって昔話とかの方が多いんだよね...ほら、近所のじいちゃんに聞いたりとかが多いから!だから、新しい話とかってないかなって...」
そういうゆきの表情にはその強請るような声音にふさわしく、期待と興味がありありと浮かんでいた。
これはクセイアのためというよりは、半分以上は自分のために聞いているな。
「話……ねぇ。私はこの神社から滅多に離れないから、あまり俗世というか、世間というか、そういった物には疎いのだが」
ゆきの求めに対して困ったように考え込む零さん。
その姿は、孫に遊びに誘われたが足腰のせいで上手く遊んであげられない枯れた老人のような、そんな暖かでどうしようもない諦観を含んだ気配を感じさせた。
なんというか、その姿を見るとお節介をしてしまいたくなるようなそんな哀愁があったのだ。
「ゆき、あまり困らせないの。そんな話がポンと出てくるようなら…それこそゆきが知らないわけないじゃない」
「そうかな?…そうかも?」
実際、この街でゆきよりも噂に敏感な人間はいないだろう。
元々趣味の物語集めが高じて、噂話にも手を伸ばしているのだから。
結構前からこの街にいるような口ぶりの零さんだけれど、産まれた時からこの街にいてこの街の話を収集しているゆきと比べてしまえばその噂に関するセンサーの感度は比べるまでもないだろう。
だから、きっとゆきが求めるような話はないと思う。
思っていた。
「あ、そうだ」
だけど、私の予想は簡単に外れる。
軽いノリで、今まさに思い出したかのような小さな呟きと共に、
その話が、私のこの夏の出来事を大きく変えるきっかけになることになる。
いや、そもそもクセイアと出会った時点で私は詰んでいたのかもしれない。
きっと、この先、何年にもわたって語り継ぐことになる。
私の立った数週間の夏の物語。その最初の一ページが始まろうとしていた。
「夏と言えばホラーだよね?というわけで、”白い少女の幽霊”の話は知っているかな?」
そんな友達とする噂話。それも時間を持て余した結果のちょっとした小話のような調子で語り始めたそれを、ゆきは瞳を輝かせて、クセイアは深々と興味深そうに耳を傾ける。
私はそんな二人の様子に、この後もきっと振り回されることを予感して夏の暑さに恨みをぶつけた。