忘却の少女Ⅴ
「“サラ”か、いいね」
「でしょ!」
ゆきが提案した名前は確かにいい名前だなって思った。
爽やかで、語感がとても気持ちいいものだった。
こんな夏の日だからか、その口にするだけで涼しげな言葉は、この全てが真っ白な少女に相応しい名前のように聞こえたんだ。
想像以上にピッタリな名前にちょっとした疑問も浮かぶ。
「ちなみに、なんで“サラ”なの?理由とかある?」
「だって、こんなに綺麗な髪をしているから、さらさらで綺麗でしょ?あとはね、この子が“真っ新”だから!」
その理由を聞いて余計びっくりする。
前者の理由は、なんともゆきらしい印象と語感だけであり、その名前を聞いた後ではピッタリだなと思えるぐらいには理解できた。
意外なのは後者の理由。
記憶喪失の少女に向けて“真っ新”と言い切るデリカシーのなさにも驚きだが、失礼だとは思いつつもこれ以上ないほどにピッタリだと思える理由もない。
ゆきは名付けの才能があるのかもしれない。
「なるほどね、確かにとってもピッタリだと私も思うよ。ゆきの名付けの理由にはなかったけど、知っているかい?この世には沙羅っていう植物があるんだよ。メジャーな呼び方は確かナツツバキだっけ?昔話なんかじゃ儚さの象徴として登場する白くて綺麗な花だよ」
クセイアがゆきのつけた名前に後付けで意味を補足していく。
どうやら、ゆきの想定していたよりも遥かにこの少女にはピッタリな意味を込めることができるみたいだ。
クセイアの話を聞いてその花をスマホで調べると確かに白くて綺麗な花が出てくる。
これがスッと出てくるあたりクセイアの経験と知識はすごいと思う。
そして、感覚だけでここまでピッタリな名前が出てくるゆきもすごいと思う。
「...ほら、こういう花みたいだって」
「あ、...ありがとう、ございます」
私は、きっとその花のことを知らない、知っていたとしても覚えていないかもしれない少女にスマホで沙羅の花を見せてあげる。
色々な画像をスクロールしていくと、たまに沙羅の花の解説も目に入る。
それを視界の端で見て、思う。
ああ、ナツツバキって名前からそうなのかなって思っていたけど、これ夏の花なんだな。
咲く時期は流石にちょっとズレているけれど、夏に出会った儚くて綺麗な白い少女に夏に咲く儚さの象徴とされる白くて綺麗な花の名前なんて、ちょっとできすぎているな。
「......綺麗」
少女はその花を見て気に入ったのか私のスマホの画面を食い入るように見つめていた。
その瞳は少しだけ輝いてみえた。
「気に入ってくれた?」
「え!あ、...はい」
「やった!」
その様子を見て、半ば確信しつつもちゃんと確認をする。
私の言葉で正気に戻ったのか、慌ててスマホから目を離して返事をする少女。
少しだけ、慌てたせいで思わず口にしてしまった感があったが、訂正する様子もなかった。
というより、訂正するよりも前にゆきが大はしゃぎで喜んだせいで、やっぱり嫌とはいえない雰囲気になってしまったのが悪いだろう。
だから、ゆきを無視してちゃんと確認する。
「なら、君は今からサラだ。本当にいいの?」
「はい、こんなに綺麗なお花の名前をいただけて、嬉しいです」
少女、サラははにかむような笑みを浮かべて答える。
その言葉には彼女の心からの想いが込められているよう私には感じられた。
「よし!そうしたらサラ、布団から出ておいで、この家のことを教えておかなきゃ。君がどうしたいかはこれからゆっくり考えてもらっていいけど、その間この家で過ごすならこの家のことをしっかりと知ってもらわないとね」
「.........はい!」
「おっと、なら私も聞いておこうかな」
「なら、私もいく!」
名前も決まり、後はサラがこれからどうしたいかを決めなきゃいけないんだろうけど、それは時間がかかりそうだからその前にこの家のことを教えてあげようと思った。
このままじゃこの子はいく場所がない。
どういう結論が出るにしろ、出ないにしろ、しばらくはきっと私とこの家で過ごすことになる。
そう思ったからこそ、家を案内しようという提案だったのだが、ホテル暮らしのクセイアとちょっと歩けば家があるゆきまでついてくるらしい。
いや、別についてくる分には全然いいけど、あんたらは帰る場所あるでしょうに。
そんな思いを込めた視線を向けるとクセイアとゆきは二人揃ってちゃんと私の考えていることを読み取って、その上でやれやれと肩をあげる。
なんだイラッと来るな。
「こんな面白そうなことが起きてるのにおとなしく出ていくなんてできないよ」
「それに人数がいた方が悩んだ時とか、心強いでしょ!」
なんでこの二人はこんなに息ピッタリなんだ。
本当に昨日が初めましてか?
生き別れの姉妹を疑うレベルだと思う。
ともかく、私はサラに家のことを教えて案内して行った。
サラの記憶喪失がどういったことを覚えていて、どういったことを忘れてしまっているのかを確かめながら慎重に。
サラは言葉は話せていた。なかなか言葉、言語すら忘れてしまうような記憶喪失というのはないらしいが、なくはないのだという。
だが、サラはそれを覚えている。
しかし反面、サラは自分自身のことはほとんど覚えていない。名前もどうしてあそこにいたのかも、好きなものすら。
だから、日常生活において必需品であったり、ごく一般的な常識を一つ一つ覚えているもの忘れてしまったものと探るように教えていった。
結果として、サラは一般的な常識なんかは結構覚えていた。
道具の使い方も問題なく、家電も使えるようだ。
見覚えがないなんてこともなくて、ちゃんとそれがなんなのかを理解していた。
逆に、自分に関わることになると途端に覚えていないようだった。
お風呂やトイレなど使い方や、その用途はちゃんと理解しいるのに体の洗い方やトイレをした後の処理なんかをうまく思い出せないようだった。
それも瞬時に思い出せないと言った様子で、それ以外の要素。
つまりはその場所、その道具の使い方を知っているから、覚えているから結果的に自分に対してどうすればいいのかを理解した。そんな少しチグハグな思い出し方をしていた。
いや、思い出す必要がある時点でだいぶおかしい。
生活に直結している、お風呂もトイレも、思い出すなんてことをしなくたって体に染みついた習慣だ。
特に意識をしなくても息をするように行えて当然の行動だ。
少なくともこの現代日本では。
それを思いだす必要がある時点でサラの記憶喪失がかなり重症であることが窺い知れる。
あまり認めたくはないけれど、サラは確かに普通じゃない。
普通の記憶喪失ではないのだろう。
それはこの少女が人間離れした雰囲気を持っているからなんて理由じゃない、シャンプーのことを覚えているのに髪の洗い方がわからないなんておかしい、そこは普通それに関わる全部を忘れるんじゃないのか。
そんなチグハグなほとんど覚えているけど、パーソナリティに関わる部分だけ封印でもされたのかのように思い出せない。
きっとそれはサラが望まない原因でもあるのだろう。
記憶の中に自分だけが存在しない。
自分の記憶に自分がいない。
忘れてしまうほどに希薄な自分だったのか、忘れてしまいたい自分だったのか。
それをちゃんと意識して思い出さなくてもいいと発言したとは思えない。
それでも、どこかでそれを察していたからこそ思いだすことに積極的になれなかったんじゃないのか。
そんな邪推をしてしまいそうになる。
ちなみにサラって名前は本当に語感だけで決めて、そういえば「沙羅双樹の花の色」って超有名なフレーズがあったなと調べたら思ってた以上のシナジーがあってびっくりした事は本当にあった流れです。
この時ばかりは自分が天才だと思いました。




