1頁-Ⅱ
「いや、助かっちゃったよ。本当にこの町は優しい人ばかりだね。今まで生きてきて、親切にされたことは何度もあったけど、何というべきかな。こう温かみというのかな?そういったものをこんなに強く感じたことは稀だったと思うよ」
私は少女に飲み物を買い与えて日陰に設置されていたベンチで休んでいた。
少女は飲み物を一息で飲み干すほどの勢いで飲んで、見ている方が気持ちいいほどの爽やかな笑顔でお礼をいう。
「そう…ですか?」
「まさかこんな水に溢れた場所で水を渇望することになるなんて思わなかったよ。温暖化ってやつはこんなにも深刻なのかな」
「さぁ?」
「それとも運命かな君みたいな人と出会えることは人生の宝となりえる。無償の救いを与えられる人は意外と少ない。それも完全なる善の考えでは特にね」
「は、はぁ」
「まぁ、とにかく私は君に助けられたことに感謝しているという事だよ」
少女はかなり早口でまくしたてる。
正直言っている事の半分も分からなかったが、最後の部分だけは分かった。
「どういたしまして、どうしてあそこで倒れてたんですか?見た感じこの夏にこちらに来たんですよね、お金持ち歩いてないんですか?」
「いやね、そのあたりは危機感を持ちすぎたというか危機感がなかったというべきか今は文無しでね」
それを聞いて驚く。というよりはそんな馬鹿なという呆れだろうか、なんと答えればいいのかわからなくなる。
「そういえば自己紹介がまだだったね」
そういうと少女は立ち上がり少しオーバーな、舞台上の演技のようなしぐさで名を告げる。
「私はクセイア・クラシーヴァ。親しい人たちからはクセイアとかククとか呼ばれてる」
その仕草はとても洗礼されていて見惚れてしまった。
指先まで意識された動きとはこういうものかという衝撃を受ける。
「実はここに目的があってきたんだ。何かの縁だもう一つ私を助けてくれないかな?」
少女、クセイアは私の反応を待たずにこれまた作られたように美しい表情でお願いをしてきた。
私はそれを断ることができなかった。
断ってはいけないと感じたのか、断りたくなかったのか、私自身の事なのに何一つ分からなくて少しだけ怖かった。
「いいよ、何すればいいの?」
その動揺のせいなのか自然と口から出た言葉に飾りはついていなかった。
それを嬉しそうに頷いてクセイアは本の背表紙を撫でながら言う。
「この町に伝わる面白い話を教えて」
「面白い話?」
「そう」
この町は確かに古い言い伝えとかそういうものが今でも残っているような片田舎ではあるけれど、今時の子供がそういったものを熱心に聞いていたりとかはないと思う。
特に珍しくて面白いような話なんてものは私は聞いたことがない。
もっと古い地域に根差している家系なら、多少はそういう話もあるかもしれないが私にはそういう話に覚えがなかった。
ふと、数少ない友達の事が頭に浮かんだ。そういえば、あの子ならそういう話もたくさん知ってそうだな...
「ちょっと、分からないかな……そういうのは聞いたことがないし」
「ふぅん?なら、君の思い出の場所を教えてよ。思い出話を教えてくれないかな?」
「私の?」
特に私自身が面白い人生を送っていたかというと決してそんなことはないと言い切れる。
少しだけみんなとは違うだけで、世界規模で見てしまえばよくある話でしかない私の人生は、人に聞かせるほどに面白いことなんてないから。
そういうことをかいつまんで簡潔に伝えるとクセイアは首を振る。
「違うよ。そんな物語になる様な話なんてたかが知れてるよ!私の言う面白い話っていうのはそうじゃない!」
「はぁ」
「そういうんじゃない。私はね、君にとって大事な思い出の話を教えて欲しいんだ」
「私にとっての」
「人は人によって感動を覚えるものは違うよ。雄大な自然に感動する者、遥かな天を突く人工物に感動する者、小さな命に感動する者、ただ寂れゆく姿に感動する者、感動にもいろいろあってそれによってどういった感情が芽生えるかも違って、それでも感情が揺り動かされたことに変わりはないから感動って言うんだ」
数多の世界を見てきたような、全ての美しさを映した様な、どこまでも輝き続ける様なそんな瞳を大きく見開いて、私を見つめるその姿に私は確かに心を動かされそうになっていた。
クセイアのいう感動っていうのはきっと原点だ。人が何かをする、何かをやめる、決断をするときの原点。
私にはスケールが大きすぎて分からない話。
しかし、つい最近あった小さな絶望は確かに感動なのだろうって思う。
「君にとって最も感情を揺さぶられた場所、景色、出来事はなんだい?それを私にも見せておくれよ!それだけで唯一無二の最高に面白い話なのさ!」
私にとって最も感情を揺さぶられる場所。
今までで一番美しいと思った景色。
私の思い出の中で一番、記憶に残っているもの。
クセイアの言うそれらを脳内で反芻して自分の記憶の中に問いかける。
最後に胸が高鳴るほどの感動を覚えたのはいつだろう。
小さいころ、何歳ぐらいだったろうか。
まだまだ森を駆け回り、海に目を輝かせていたころ。
私はそこで見た。
世界の美しさを知った。それが初めての感動だったと思う。
そして二度目は―
深く潜りすぎていた思考を浮上させてクセイアに答える。
「あっち、坂を上り切った先にある公園。そこから見た夕焼けの景色が一番綺麗で感動したんだ」
「夕焼けかぁ、まだまだ日は高いなぁ」
「そうだね」
「よければ、その時の話を聞かせてくれないかい?」
「その時の?」
「うん、君がどうしてその光景に心を奪われたのか。なんでそれを見つけるに至ったのか話せる範囲で教えてよ」
そういわれても私にとっては確かに心に残った光景ではあっても昔のことだ。
ちゃんと覚えているわけじゃない。
「覚えていないならそれでもいいさ。でも、少しぐらいあるだろう?感動したなら、それを覚えているなら人はそれに付随するエピソードを忘れないものだ…脚色される事はあるだろうけどね」
「そう大した事じゃないんだよ。ただ、少しだけ嫌なことがあったんだと思う。思い出せないけど、その時は悲しくて悲しくて、お母さんにすごく迷惑をかけてたんじゃないかな?それで、お母さんが連れて行ってくれたんだ。別に何か特別だったわけじゃない...ただ、ぐちゃぐちゃになった私の心はそれで落ち着いたってだけ」
「いいねぇ、まさに君のためだけの物語だ。大切なね」
すごく短いなんて事はない思い出話。
そんな人に聞かせることもできないオチもないような、一言で終わってしまう話。
そんな私の話にクセイアはワクワクを隠しきれないような様子を見せて、空を仰ぐ。
つられて見てみれば太陽はまだまだその存在を主張していて、夏の厳しさをありありと見せつけてきていた。
じっくりと弱火で体を焼かれ続ける感触がとても気持ち悪い。
ここでふとクセイアを見る。
夏だというのに比較的厚着をしている。日焼け対策と言えなくもないがそれにしては暑そうな服装。
そして先ほどまで倒れていた事実と、文無しという言葉。
私は特に善人というわけではない。誰もかれも無条件に助けるなんてことはしない。
ただ、この町で多くの高齢者の中で過ごした。助ける事が当たり前で、逆にお節介もたくさんされてきた。
そんな価値観の私としてはこのクセイアという少女がこの後どうするのか非常に心配になったりした。
「クセイアはこの後どうするの?」
「ん?とりあえずその公園に行ってみるよ」
「まだお昼だよ?どこに泊ってるのか知らないけど一度戻ったら?」
「大丈夫、何とでもなるからさ。ありがとね、助けてくれた上に君の個人的なことまで聞いちゃって」
「それはいいんだけど」
やはり、というか。
クセイアはどこかずれているのだろう。言葉の裏に隠れている意味を理解していない節がある。
もしかしたら理解していて、あえて無視している可能性がないわけではないけれど。
その分、好意や善意と言ったものはストレートに受け取るし、表すから好感は持てる。
「なら家に来る?」
「…え?」
「いやもうすぐお昼だし、公園に行っても夕方までやることないなら家に来ないかなって」
「うーん、私としてはお世話になるのもいいかなって思うけど…言っちゃあなんだけど私はかなり怪しいでしょう?」
「それは…まぁ。でも私はクセイアの事を悪い人だとは思わないし思えないよ。それに、また倒れられると私も責任感じちゃうんだけど」
「…」
言いたいことを直接言葉にしてみる。
クセイアの反応はとても珍しいものを見るかのような、そんな反応だった。
「じゃあ、お邪魔しちゃってもいいかな」
「うん、そうしよう」
きっと私はこの時、確かに運命のようなものを感じ取っていたんだと思う。
そうでなきゃ知らない人を家に呼ぶなんてしなかっただろうから。
そんな私はクセイアを招待して夕方まで一緒に過ごすことになった。
それは確かに私にとってこの先の未来を変える原因となったのだ。
これから始まる最初で最後のとても長い夏休み。
忘れる事なんてできない、とても衝撃的で、私の心の奥底からひっくり返されるような不思議で安心する夏休み。
私の物語の1ページ目。