忘却の少女Ⅳ
「まぁ、思い出せない事を無理に思い出そうとしても意味がない。こういったものは時間か、何かきっかけが必要だろうからね」
予想外の出来事に直面したことで、思考がフリーズし、どうしていいか分からなくなってしまった私とゆきにクセイアが再起動を促す様に話を進める。
それは同時に私達とは違う理由でフリーズしていた、いや自身の境遇に恐れを抱き、何もできなくなってしまった少女にも語り掛ける言葉であった。
「君.........あ~そうか、名前が無いと言うのはなかなかに不便だな」
そして仕切り直そうと話題を出すために少女へと話かけたが、そこで詰まってしまう。
私としてはそこで詰まることはあまりないかと思うが、クセイアは今日まで出会った人をすぐに名前で呼んでいた。
それを思えば、クセイアにとってコミュニケーションの基本は名前を呼ぶことなのだろう。
それが今は出来ない。
この状況がクセイアにとってはコミュニケーションの手段が一つ減っているようなもので、折角仕切り直そうとした空気を元に戻してしまう悪手でもあった。
「......確かに、これからいつ名前を思い出すかも分からないし、仮の名前だけ付けちゃう?」
だからこそ、今この状況で唯一全員が交わすことができるコミュニケーションを提案する。
普通の初対面の相手では無理だけど、今この特殊な状況なら可能だ。
「えっと、君はどう思う?」
「.........え?」
とは言え、それは本人の了承なくては行う事は出来ないだろう。
だから私はちゃんと少女にも確認を取る。
「君は仮の名前を付けられるのはどう思う?何も覚えていないようだけど、どれだけ不安かは私には分からないけれど、それでも何か確かなものがあれば、それが例え仮の物だったとしても少しはましに感じれるんじゃないかな?」
「............」
「ちよがすごい喋ってる!」
「確かに、こんなに積極的に話しているのは私が倒れていた時以来かもしれないね」
私があまり少女の負担にならないように、丁寧に話しているのに果てしなく失礼な反応をしているやつがいるな。
だが、今はそっちを気にしている状況じゃないし、私までそちらの話を気にしたら少女がさらに困惑するだけだろう。
だから、努めて無視をする。
「別に焦る必要はないよ。でも、君がいつまでその状態のままなのか分からない中で、私達が君の事を”君”と呼び続けるのは.........なんだか寂しいだろう?」
「............そう、ですね......」
「ちよってああいう困ってる人には優しいんだよね」
「ああ、そうだろうね。私もこうして助けてもらっているし、ちよの奥深くに根付いた性格なんだろうね」
「そうそう、私もいつもあの優しさに助けられてたよ」
外野がうるさい。
だけど、少女も少しだけ落ち着いたのか私の言葉に、遠慮がちに頷いてくれた。
「ほら、そこの二人。ふざけてないで、こっちの話に加わってよ」
「はーい」
「了解だ。しかし、名前か.........私はそういう名付けというものにトンと縁がないが、どうやってするんだい?」
そう言われると、自分も名付けなんて事をしたことはない。
ただ、なんとなくの感覚として、一般的な感性を持って強いて言うのならば、という枕詞をつけなければ私自身そう偉そうなことは言えない。
「そうだな、一般的にはその子に望む未来であったり、願いであったり、もしくは例え、比喩などを介した想いを込めてつけるんじゃないかな?」
「ふぅん?そういう物なのかい?」
「あ、私聞いたことあるよ!日本の名前の付け方って海外と比べると珍しいつけ方なんだよね!」
「そうなの?」
「ああ、それは私も聞いたことがあるな。ほら、日本語は一字に複数の意味が込められた言葉だろう?だから海外よりももっと、言葉の美しさ、そこに込められた意味を重要視していると」
そうなんだ。
でも確かに、日本語は名前に使う文字も日常では別の言葉として使う事は多い。
日本人で「美月」なんて名前は普通に存在するけど、英語圏で「beautiful moon」なんて名前の人は流石に見たことないもんね。
「後は、普通名前を付けるのは自分では話せない赤ん坊の頃の話だから、親がその子に掛ける想いを乗せるけど.........本人がすでにしっかりと自我をもって話せるなら、本人の希望も聞けばいいんじゃないかな?」
私がそう言うと、特に反対意見というか、異議もなかったのかすんなり頷いた二人が少女に色々と話かけていく。
「ねぇ、あなたは何が好きなのかな?...ってこれはさっきも聞いたね............うーん、そうだ!あなたはこれからどうしたいのかな?」
「......どう...って?」
「これからのあなたが何をやりたいのか教えて欲しいな!」
「.........えと、その.........よくわからない...です」
「ふむ、そうだな。何も知らないのなら、何も覚えていないのなら、確かに自身の望みだってよくわからないモノだろう。だから、あえて選択肢を絞ろう......きみは自分の記憶を取り戻したのかい?」
「...............」
いや、それは取り戻したいに決まっているんじゃないのか?
記憶喪失によって不安に思っているのなら、その記憶を取り戻したいと思うのではないのだろうか。
一体なぜそんなことを?
「.........どうだい?」
「...............」
クセイアの問いかけは、優しくしかし逃げを許さない強さを感じさせるものだった。
そしてそれを受けて少女は、視線を彷徨わせる。
何かを言おうとして言えない、そんな雰囲気ではない。
ただ自分を、自分という少ない自我を集めて咀嚼しているように見えた。
そして、
「わ、私は......別に思い出したいとは思ってない......かも?」
「え?」
思い出さなくてもいい?
なんで?
「どうしてだい?」
「......私、何も覚えてない、から。......その記憶を大事に思えない、それより、私の、今を知りたい」
少女はたどたどしく、言葉を選びながら、だけどしっかりと自分の考えを言葉にしていた。
なるほど、と思った。
確かに、知らないものを大事には思えない。
今私が、記憶を無くしたらそれを取り戻したいって思うのは、記憶を知っているからだ。
それが無くなれば、それが自分自身だと思えなくなってしまうのではないかと不安になるからだ。
なら、そんな記憶を持っていたことすらも覚えていないのなら、どうだろう。
それなら確かに記憶に頓着はしないのかもしれない。
「よし!なら、やっぱり名前を決めようか」
「......今の話、関係、あった?」
「もちろんだとも!名前は個人を表す重要なピースだ。ならば、過去を望むものに新しい名前を付けるのは酷だろう?だけど、今を、そしてこれからを望むものに今とこれからを象徴とする新しい名前をつけるのは当然だろう?だから、必要な確認だったんだよ」
「......そう、かな?.........そうかも」
確かに、新しい人生、新しい何かを始めるときに名前を付けるのは感覚として理解できる。
逆に過去を取り戻そうとしているのに新しい名前を付けられてしまえば、過去と今が違うものだって言われているように感じてしまうかもしれない。
それは必要な儀式だったのだろう。
「さて、では気を取り直してどんな名前がいいかな.........」
「難しい問題だな...」
「......めい、わくかけて、ごめんなさい」
「いやいや、気にしないで。こういうのは初めてだけど、だからこそ楽しいって気持ちもあるから」
名前を決める事に前向きになったところで、アイデアが湧いて出る訳でもなく......
頭を悩ませていると、ゆきが元気よく宣言する。
「ねぇ!”サラ”っていうのはどう?」




