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Page  作者: 時ノ宮怜
2頁-丘の漣-
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忘却の少女Ⅲ

 少女が目を開く。


 言葉にしてしまえばたったそれだけのことで、何か特別な事があるわけじゃない。

 ただ、昨晩連れてきて保護した少女が目を覚ました。

 本当にそれだけなのに、私たちの注目はそれだけではないほどの熱量があった。


 まるで数年に一度しか開かない花の開花を目の当たりにしたかのような。

 それほどまでに私たちは注目していた。


 その少女の一挙手一投足に。


 その僅かな身じろぎも、震えながらも徐々に開く瞼も、

 あれほど何も感じなかった少女が、そこにいるのかも怪しくなるほどに存在感のなかった少女が、確かにそこで息づいて動いている事へのある種の感動にも似た感情を抱いて。


 そんな中で改めて少女に対する印象が塗り替わりそうで、決してそんなことはなかった。

 白い少女。

 肌は恐ろしいほどに白く、温かみを感じさせない。

 髪もまた白く、絹糸のように造り物のような印象を与える。

 服も白いワンピースで、それが私の中の幽霊像と合致しており人ならざるものであると強く意識させる。


 そして、開いたその瞳。

 淡い灰色。

 白と形容しても遜色のないその色。

 白目とはその濃さが違うためにかろうじて、灰のように見える濁った白。

 透明な水の中で、透明なクラゲがその屈折率の違いによってかろうじて認識できているかのような。

 本来だったら溶け合って見えなくなってしまうような儚さを与える瞳。


 その姿がこの少女がただの普通の少女であることを何よりも否定しており、同時に何よりも儚いものであることを主張しているようだった。


「あ............」


 ゆっくりと時間をかけて覚醒した少女は、まるで声の出し方を確かめるように意味のない音で喉を震わせる。

 その声を聞いて、さらに印象が固まっていく。

 声まで儚げで消え去りそうな弱弱しさだった。


 そして、そこでついに我慢が出来なくなった人が一人......


「ね!おはよう!!気分はどうかな!?あなたは何者なのかな!?ぜひお話ししましょう!」


 身を乗り出して、口早にそう問いかけるのはゆきだった。


「......!!え、え?えぇ?」


 まだ、ここがどこなのかも、ここに居る理由も、私達のことだって何も知らないのにそんな風に詰め寄ったところで怖がらせるだけだろう。

 実際、少女は困惑を浮かべて、何かを口にしたいのに出来ていないようなリアクションしかできていなかった。


 なので、ペシンとゆきの頭を叩いて動きを止める。


「やめい、怖がってるでしょうが」

「えへへ、つい.........」


 少しは悪かったと思っているのか、それとも空気を無理やり変えるためにわざとそうしたのか分からないけれど、ゆきはちょっとの注意ですぐにやめてちゃんと謝る。


「ごめんね?いきなりで、私達は昨日の夜、山の麓であなたが倒れていたのを見かけてここに連れてきたんだけど.........覚えているかな?」

「............?」


 少女は昨夜のことは覚えていないようで、ふるふると首を横に振る。


「そっか、まぁ急に倒れるぐらいなんだから記憶も曖昧か.........あ、そうだ私はゆき。阿津間ゆき!こっちが.........」

「初めまして、クセイア・クラシーヴァだ。好きに呼んでくれ」

「で、ここは私の家。私の事はちよって呼んでよ」


 ゆきが自己紹介をして、私達に会話をパスする。


「それで、あなたは?」


 そうやって、とりあえずは私達は基本的なコミュニケーションを取ろうとした。

 しかし、それはこの少女にとってはとても難易度の高い物だったらしい。


 そして、私達は今直面しているこの現象がもっともっとおかしな方向を向いていることに気が付くのだった。


「............?え、っと」

「あ、ごめんごめん、無理に言わなくてもいいだよ?でも、なんて呼べばいいか教えて欲しいな?」


 一瞬不思議そうにした後に首をひねりながらも、言葉を紡ごうとして止まる。

 それをゆきが、優しく解そうとして声をかける。

 だが、それは何か違うような気がした。


 言おうとして、信用できなくて言わなかったんじゃなくて、

 言おうとして、覚えていなくて言えなかったんじゃないかって、

 そう思った。


「えっと、あの............その、え?」


 まるで、確かにカバンに入れていた財布が見当たらない時のような。

 確かにあるはずなのに、見当たらなくて不安になるような。

 覚えているはず、いや、覚えていて当たり前すぎて思い出す必要すらない事を思い出さなきゃ思い出せないという事に動揺するかのように。

 思い出そうとしても、欠片も思い出せない絶望のような感情を滲ませた。

 そんな反応に見えた。


「............なら、あなたの覚えている事を教えて?何でもいいよ、何が好きとかそういう些細なことでもいいから」


 いつも明るく笑うゆきが、真剣になるほどの異常。

 昨日の出来事が異常すぎてよくわからなくなっていたのに対して、こちらはまだ理解できてしまう異常。

 決して身近ではないけれど、現代に生きていてその症状を知らない人なんていないと言えるほどにメジャーとなった普通ではない現象。


「私.........好きな物?.........え、っと、なんで?」


 思い出そうと藻掻く少女。

 もちろん体を動かして藻掻いているわけではない。

 ただ、精神が、その覚醒したばかりの脳が藻掻いている。

 今目の前にある現実を否定するために、正常であると証明するために、必死にその証を探そうと藻掻いている。


 それは傍から見ていると、とても哀しく、可哀想に映った。

 儚げな少女の信じたくないと、現実から目を逸らして藻掻く姿の痛ましさが妙にリアルだった。


 やはり、この少女はどうしようもなく、疑いの余地がないほどに、


「―記憶喪失ってやつか」


 クセイアの言葉に頷く。

 それは、どう見ても記憶喪失に戸惑う少女そのものだった。


 記憶喪失にはレベルがあるらしい。

 例えば、特定の出来事や一定の期間の記憶だけが抜け落ちるパターン。

 これは比較的軽症なのだそうだ。

 一般常識や、自分の事もハッキリと覚えており日常生活に大きな影響を与えない上、きっかけがあればあっさりと思い出すのだとか。


 しかし、一般常識や、自分の情報なんかも全て忘れてしまうケースも存在し、身の周りの事を全く覚えていないため生活に影響が出てしまう事もあるらしい。


 この少女は明らかに後者だった。

 自身の名前も、趣味趣向も、記憶喪失の原因だろう昨晩の事も全く思い出せない。


 それは、もはや少女は一度死んで、今ここで産まれなおしたに等しい出来事だ。

 そんな少女をどうするべきか私には分からない。

 しかし、不安に揺れる白い瞳が助けを求めるように、空中を彷徨う姿を見ると投げ出すことなどできなかった。

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