1頁-Ⅰ
たぶん月に一回更新するかしないかみたいな遅筆になると思います。
美しいと感じた。
世界を美しいと感じた。
ありとあらゆる場所で、量産されては捨てられる消耗品のような絶望が溢れる。それでもなくならない感性。
純粋な、それだけに言葉にできないような感動が残っている。
その感性が感動が感じさせる美しさ。
「世界はそれでも美しい」
と、それだけで十分でこれ以上に表現のしようがないものが確かにある。
いつか、どんな時も、誰にでも、どんなに貧しくても、どんなに苦しくて、どんなに弱くて、どんなに惨めで、どんなに小さくても人生の、道行の、世界のどこかで必ず「美しい」というものを知る。
それに出会ったとき、その人生がどうなるかなんて誰もわからない。
その感動をバネに上へ上へと飛んでいくかもしれない。
その感動のバネの反動で下へ下へと沈んでいくかもしれない。
それでも、それでも止められない。
どんなに嫌でも。どんなに望んでも。
それは叶わない。
それは、すべてに平等で誰にも等しく知らないうちに訪れるものだから。
きっとその感動は人一人の世界を変えるだろう。
感性が揺り動かされる。その言葉通りに。
「君にとって、世界とはなんだい?」
世界をどこまでも見通す様な、その瞳の中に楽園を詰めたかのような。
どこまでも透き通る空と深く壮大な海の瞳を持った少女がそう問うた。
それはずるい質問だった。こんなにも美しい世界を知ってしまった。
ありとあらゆるフィルターによって見えていなかった姿。
もしかするとそのフィルターはなくなってなくて、自分にとって都合のいい新しいフィルターが増えただけなのかもしれない。
それでもこんな世界を見ることができるなら、この世界はやはり美しい。
「君にとって、美しさってなんだい?」
それを言葉にはできない。
言葉で表現ができるなら、今頃世界中の悩みが消えていると思うから。
自分の目で見て音を聞いて肌で感じて、そうして感性を動かさなきゃ訪れない美しさがそこにはある。
「君にとって、君とはなんだい?」
今までの後悔と、これからのちっぽけさと、今の感動を持った人間。
自分がいかにどうしようもなくて、自分がどれだけ小さくて、自分がどれだけの熱を持っているかを知った人間。
「なら、君には世界の全てを見せてあげよう」
少女は本をめくる。ページはどんどんと進み、自分はそんな世界に引き込まれていく。
美しい世界を、幸せな夢を、遥かにこそある熱を。
追いかけずにはいられない人間なんだと。
それを知る
ページはめくられる。
次へ次へと、止まることなく。
日が昇り、白んだ空が目覚めを伝え、世界を焼き、命の輝きは燃える、傾いた灯は世界を染め上げ、これから訪れる不安に抵抗する、星々は暗い大海を照らし、月は暖かさを忘れずにいる、そして次へと流れゆく。
それは営みもしくは摂理。
誰もが知っている。だけれど見たことのない抗えないような大きな大きすぎる流れ。
ただこの一瞬を愛で続けることはできない。
人は立ち止まれないから。
浮くことも沈むこともできる人は戻ることも立ち止まることすら許されない。
常に進み続けなければならない我らが、どうしてその一瞬に訪れた感動を覚えていられよう。
思い出は、記憶は、人が進むための経験だけれどそれを振り返るためにあるんじゃない。
だから皆間違う、忘れてしまう。
そこにはかけがえのないものがあったこと、そこに手を伸ばしても届かないほどのまぶしさがあったことを。
朝、ただのなんてことはない朝。
退屈だとは思わない。いつもいつまでも自分を追い続ける焦燥と漠然とした不安が形のない脅威として襲い掛かってくる。
それでも、それを表に出すことはできない。
それが人には大なり小なり皆が抱いている感情であると知っているから。それがどんなに自分にとって大きな事でも他人にとってはどうでもいいことだと知っているから。
それに、そんな不安も人によっては贅沢と罵られることになる。
だから誰にも言わない。ただ少しづつ沈んでいく心に体ごと飲み込まれてしまいそうになるだけだ。
そんなどうでもいい様ないつもの日常を私は過ごす。
何も解決しない、何もできない、何にもなれない私が生きる現実はここだ。
蝉の声が聞こえる。
それはなるほど蝉時雨とはよく言ったものだと感心するほどに。
まるで叩きつけるような蝉の声と、肌を刺し貫くような日差しにうんざりする。
そのすべてが自分に課せられた罰なんじゃないかと錯覚する。
それでもそれはただ毎年やってくる現象で、今の心境によって罰せられている気分になっているだけだった。
やがて見えるのは長い長い坂。
十字架を背負ったことはなく、こんな事をいうのは本職の方にはあまりにも失礼で不敬なのは理解してもあの聖人もこんな気持ちだったのかな、なんて馬鹿な事を考える。
風は潮風を運んで、少しだけ生臭い臭いを届ける。
こんな小さな町の学校はどこもかしこもこうやって高いところに建っている。
それがこういう時ばかり恨めしい。
白い校舎に年月を感じさせる黒ずんだ汚れ、錆びついた校門を通り過ぎていく。
この道を歩くのは私の他にはいない。
今は8月の半ば、こんな暑い中でそれでも自分の肉体を苛め抜きたい酔狂な人たち以外はこんな場所に用はない。
つい数週間まえまで毎日のように繰り返したルーティン通り入口から中に入る。
大きく開け放たれた入口から抜ける風とようやくたどり着いた目的地にさえぎられた日差しで今まで感じていた罰から解放され、自由となったかのように錯覚する。
インナーとして来ていたTシャツすら貫通してワイシャツにも染みを作る汗に嫌気がさす。
この時期は何枚か常に携帯しているタオルを一枚取り出して軽く拭う。
今すぐシャワーを浴びて、扇風機の風にあたりながらアイスでも齧りたいと本気で思う。
なんてそんなことをつい先ほど家を出る前に散々した。
何もかもが嫌になりそうな暑さを振り払うように首を小さく振り、湿気を帯びた髪を揺らす。
目的地はこの場で最も快適な楽園だと知っているから足早に向かう。
職員室にたどり着き、この世の楽園を一身に受ける事を期待して扉を開く。
「失礼します」
何に対しての敬意か分からなくなる挨拶をする。
少なくとも今はこの場に数人いる先生方ではなく、楽園を作り出している機械に向かって言っていると心から思った。
「おお、来たか。悪いなこんな時に呼び出して」
そんなことを思っていたら、私の担任の先生が私に近づいてくる。
それに私は鞄から事前に言われていた複数の書類を取り出した。
「言われていたやつです」
「...そうか、不備がないか確認するからそこに座ってくれ」
先生は私に何か言いたそうにしていたが、それを飲み込んで私に応接用のソファを進めてくる。
そのまま先生はどこかに行ってしまったので私は仕方なくそのソファに座る。
その位置はこの部屋でも最もいい場所なのだろう、冷たい風が直接どこからか運ばれてくる。
それに思わず目を細めていると直ぐに先生は戻ってきた。
一瞬油断していた私は少しビックリして体を硬直させながら佇まいを正した。
「さて、本題から入ろうか」
「はい」
「進路だが...本当にこれでいいのか」
先生はそういいながら一枚の紙を机に置く。
それは先ほど私が渡した書類の内の一枚だった。
そこには私の字で「第一希望 就職」と書かれていた。
これは何度も先生側から、本当にいいのかと聞かれていた。
ありがたいことに私の成績や実績を考えてのことだという。
「はい、これが私の意思です」
「しかしなぁ、」
はっきりと告げても先生は納得が行かないようで言葉を濁す。
納得いってもらう必要はないと思う。
だって、仕方がないのだから。
人が夢をタダで見ることができるのは時間制限があって、それ以上を望むなら追加で代償を払わなきゃいけない。
それは時間だったり、可能性、チャンスなんて言い換えることができるかもしれない。もっと俗な言い方をするなら延長料金。文字通り金が必要だったりする。
それ以外にも人間関係、現実を見据えたキャリア、安定した暮らし、保証。
そんな数えきれない物を天秤にかけなければ夢を見ることなんてできやしない。
夢を追うことなんてできっこない。
そして、元からない人はそれを支払うことができないのだから。
「仕方ないんですよ」
私の言葉はその全てを込めているつもりだ。
先生だって一から説明しなきゃ分からない子供ではなく、社会の荒波にもまれた大人なのだから察してほしい。
「まぁ、分かった。とは言え学校側としてはいつでも違う進路に変える準備はしているからな」
こうやって折れてくれる。折れても押し付けすぎない程度に自分の意思を示してくるのはいい先生なんだなって思う。
「そしたら、いくつか今後のプランの話だけしようか」
そして今後受験する多くの学生たちとは私の今後は多少変わる。
そのための打ち合わせであったり、私の就職先をどうするのかといった相談や私の人生設計についてだったりを話しあっていく。
冷たい風に冷やされて冷たくなった服の汗が私の体温を奪っていった。
一時間ほどだろうか、今後の話し合いと必要になってくる書類、他とは変わってくるサポートについてなどの説明を終え私は解放された。
それと同時に楽園だったこの部屋にいる意味を失ったことになる。
そのことに少し、いやかなり億劫になりながらもキチンとお礼と退室の挨拶をする。
と、そこでもう一つの用事を忘れていたことに気が付く。
「先生」
「どうした?」
「音楽準備室の鍵、借りてもいいですか?荷物、持って帰ろうかと」
「おお、そうか?急がなくてもいいんだぞ?」
「せっかく荷物少ないので」
先生はやはりどこか寂しそうにしながら私に鍵を貸してくれる。
この三年間。というにはまだ早いか、二年半。
こうして何度も先生から手渡された音楽準備室の鍵。いつもだったら音楽室の鍵も一緒なのに今日はこれ一つというところに、本当に最後なんだという感じが強く残る。
少し古い校舎。劣化によって所々タイルが浮いて凸凹している廊下。
滑り止めが浮いて一歩踏み出すたびにタンタンと音を鳴らす階段。
日に焼けて色褪せてしまった緑色の掲示板。
そんな物に感慨を感じる。
別にこれっきりというわけではない。ただ、自分の青春を支えた物たちを青春のまま見る事はもうないということに寂しさを感じているだけ。
皆、多かれ少なかれこれから忙しくなって青春よりも先の人生を見つめて歩を進める。
それが私は少しだけ早かっただけ。
引き戸の多い校舎の中で、珍しく開き戸の部屋。
日に当たると色が褪せたり、温度や湿度によってはダメになる楽器もあるため日当たりが悪く窓も小さく作られた一室。
もちろん夏の暑さが完全に無くなるわけでもなく、むしろ締め切られた部屋の中の温度は少しだけ高いようにも感じる。
それでも湿度を感じさせず、埃っぽい空気に触れると少しだけひんやりとした印象を与える。
部屋にはいろいろな楽器や楽器を整備するための道具がいろいろと揃っていた。
ヴァイオリンやギター、トランペット、トロンボーン、フルート、クラリネット、ドラム、ベース、そういった物が並んでいる。
もちろんこれらは学校の物であったり私物であったりとまちまちだ。それにそう数はないそれぞれ一つずつぐらいしかない。
この田舎の学校にしてはあるほうだとは思うけれど、うちに吹奏楽をしっかりとやれるような人数の生徒を集めることができないから。
音楽系の部活は音楽室や空き教室の取り合いで喧嘩にならないように最初から一つにまとめられてゆるくやっている。
そんな中に並べられた自分のトランペット。
中学の頃、一つ上の先輩に譲ってもらったトランペットだ。
もうだいぶ使い古して、それでも新しいものを買うことなんてできないから大事に大事に 使ってきた私の青春の印。
ケースを開けて、中を見ると少し鈍くなった金色が私の顔を少しだけ歪めて映している。
中にちゃんと入っている事を確認してケースを閉じる。
それを手に直ぐに部屋を出る。
哀愁はある。だけれど、ここにいたって何もすることがない。
思い出があってもそれは私一人じゃない。だから、このもの悲しさは心に留めたままにするしかない。
それを全て飲み込んで私は大事に廊下をまた歩く。
「ありがとうございました」
「おお、もうすぐ天気が荒れるらしいから気をつけろよ」
鍵を返して、私は帰路につく。
先ほどはこの世の地獄かとも思った坂は、行よりも心持は軽かった。
それでもかかる膝への負担と地面からゆらゆらと陽炎と一緒に立ち上る熱に嫌気が指す。
せっかく職員室で冷えた体は音楽準備室に行っただけで温まり、今はまた体を冷やそうと体中の汗腺が働いている。
坂を下りきったそこに見えるのは広い広い海。
砂浜にはまばらに人の姿があった。
きっとこの町も交通がもっと発展していたら人が多く集まったのだろう。でも、ここではそんなことはない。
典型的な田舎町。シャッターの多い商店街があるただの町。
絶好の海日和だとしても人はまばらな残念な田舎の町だった。
そのまま海を横目に歩いていけば浜はなくなりだんだんとゴツゴツとした印象を受けるようになってくる。
当然だけれど日本は津波が多い、浜よりも磯の方が多くてテトラポットの方が海の印象は強いはずだ。
私はそのままそこを進んでいき、堤防までやってくる。
テトラポットのおかげで波が強く打ち付けるようなドラマやアニメのような事はない。
だから、ここに立って耳に届くのは複雑に打ち付けられた波の音とそれが引いていく水の流れる音。
一定ではないそれが耳を楽しませてくれる。
夏の日差しは海に乱反射して目を攻撃してくる。
海の煌めく様を宝石に例えたのは誰なのだろう。私にはそれがひどく攻撃的に見える。
光線の群れからかばうように目に手で影をつくって遠くを見る。
どこかを見ていたわけじゃない。ただ遠く遠くへと意識を向けただけ。
この場所はたまに趣味の人が釣りに来るぐらいでほとんど誰も来ない。
もちろん危ないから。
それでも私は定期的にここに来ていた。
理由は分からない。若気の至り。そう言ってしまえばそうなのだ。
きっとここに釣りに来るおじさんたちも私の事をそう思っていると思う。
いつもはここでぼんやりと海を見つめて終わりだったが、ふと今はいつもは持っていないものを持っている事を思い出す。
最後にとびきりの青春っぽいことをしてやろう。そんな風に思ったのか、正直無自覚だった。
私はトランペットを取り出して海に向かって構える。
そして奏でる。
一つの曲だけじゃない、何曲も。
心の内を吐き出すように、我武者羅に。
別に私が特別上手いなんて思ってない。別に私が特別不幸なんて思ってない。別に私が特別なんて思ってない。
普通の女子高生で、普通に生まれて、普通に生きて、ありふれた不幸に絶望して、ありふれた悔しさをここで発散していた。
私のこれまでを。
私のこれからを。
私の思い出を。
私の未来を。
音に乗せて。
小さい頃によく行っていた駄菓子屋が閉まっていた。
駅は相変わらず古くてボロいのに、隣に真新しいデパートができた。
急な坂と森と海しかない町には何もなかった。
いつも通う道だけが変わらない様で、小学校から中学に上がると小学校の通学路が変わっていたことに気が付いた。
そんな、些細なことを音に乗せて。
私の音はどこまで届くんだろう。
私の思いは誰に伝わるんだろう。
私の気持ちは、一番近い私に痛いほど伝わっているのに。
この海からそんなもの関係ないと変わらず波の音だけが返ってくる。
それがまた悔しくて、「仕方ない」なんてほんとは言いたくなかったのにと、訴えて。
そうやって力の思いの限り吹いた後に私のほほを伝う汗が不快だった。
こうやって気持ちを爆発させたら急に恥ずかしくなりそそくさとトランペットをしまってこの場を離れる。
柄にもないことをしたと夏の暑さとは違う熱を感じた。
急いでここから離れて家に帰ろうとして、体の熱が引いていくのと同時に体が強く水分を欲しているのを感じた。
それはそうだろう一時間余りだろうか、慣れているとはいえ夏の海岸で楽器を吹いていた。
学校で引いていた汗もぶり返して体中がびっしょりとしている。
船着き場からほんの少し離れてた場所にある小屋。
この港を利用する人たちが休憩する場所だったり、管理人さんのいる場所であったり。
色々な利用をされている場所だ。
その陰になる様に、潮風から守られるような場所に自販機があった。
そこで飲み物を買おうとしてふと気が付く。
人が一人倒れていた。
恐らく小屋からだと死角なのだろう。
小屋からほど近い場所で人が倒れている。
その周りにはその人の物と思われる大きく古い本と小さなポーチとも言える鞄が落ちていた。
「大丈夫ですか?」
正直、驚いてはいるが慌ててはいなかった。
ここは田舎の港町。どうしたってここの住人は高齢者が多いのだ。
田舎育ちなので耐性があるといっても寄る年波には勝てないのかよく老人が倒れる。
このあたりの若者なら一度は倒れている老人を助けた経験があるぐらいだ。
もちろん私も。
だから慌てることはなく、軽く肩を叩く。
そこでようやく顔の詳細が分かる。
髪が長くゆたりとした服を着て小柄だったために年齢が全く分からなかったが、倒れていたのは老人ではなく少女だった。
「どうしよっ」
ここで少しパニックを起こす。
老人の場合、どんなに小さなことでも命に関わるため意識のあるなし関係なくとりあえず救急車を呼ぶ。
だけれど若者の場合はどうしようかと考えてしまった。
冷静になれていれば年齢に関係なく倒れてしまったら救急車を呼ぶのがいいと分かったはず。
どうするか悩んでとりあえず人を呼ぼうと小屋に入ろうとした瞬間少女が声を出して止められる。
「何か…飲み物をください」