第4皿 三色クロケット
メイア・ストールの名前の由来は、とある昔のアニメです。
ちなみに兄貴はシスコンで、登場する時には高いところから逆光を背負って、「ひと、それを◯◯と言う」と結ぶ、なんかありがた~い正義の言葉を語り、
「何者だ貴様!」
そう問われると
「貴様らに名乗る名前はない!!」
と返すまでが様式美ですけど、たぶん出番はないと思われます。
ファン・レイン王国のアルストロメリア娘子軍に所属する小隊長メイア・ストール(十八歳)は、【万魔の森】とも呼ばれるライデンの森にある怪しげな建物に囚われ、黒髪の素性も知れない青年がもたらす、かつて味わったことのないめくるめく快楽と欲望に酔いしれていた。
「――くっ、こ…ころ……コロッケね、これ!?」
【万魔の森】の中にあるとは思えない、平和で楽園のような場所にある昼食時の《森の隠れ家ビストロ・女神亭》で、一口頬張った揚げ物の正体を悟って、そう得意げに言い放つメイア。
ホクホクとしたジャガイモと噛み締めるごとに肉汁が飛び出すみじん切りになった獣肉。それをパン粉でまぶして油で揚げた魅惑の一品。
以前、父である伯爵が存命の折に、同伴した高位貴族の食事会で食べたことのある連合王国発祥の名物料理。それが、遥かに洗練されて――いわば上位互換として――料理され、素焼きの皿の上に行儀よく配列されていたのだ。
実家が全盛期だった当時、一度だけ食べたことがある――そして二度と口にすることはできないと思っていた幻の逸品を思いがけずに口にできたメイアは、死んだと思っていた友人と再会したかのように、感動と興奮とよくわからない感情のまま、怒涛の勢いで捲し立てていた。
アミューズ・ブーシュの『トマトとレッドオニオンのマリネ』。
前菜の『ビーツのタルタル風ポテトサラダ』。『茹でたライスプディング』も十分に目と舌とお腹を満たしてくれたが、かつての伯爵令嬢時代……すべてが輝いて見えていた少女時代の思い出を、クリティカルに刺し貫く、これは格別というか別格である。
「なんちゅうもんを食わせてくれたんや、なんちゅうもんを食わせてくれたんや!」
コロッケを食べながら知らず滂沱と涙を流すメイアの姿があった。
「コロッケというんのですか、これは? 簡単なように見えて、かなり贅沢な逸品ですね、お嬢様」
「そうよそうよ。コロッケよコロッケ!」
同じテーブルについている部下にしてメイアお嬢様の侍女でもあったシャルロット(二十歳)も、メイアが手をつけたのを確認して、優雅な手つきで皿にナイフとフォークを延ばして目を丸くする。
その様子に得意げに胸を張って「コロッケ」を連発するメイア。
いままでこの店で出された見たことも聞いたこともない――それでいて絶品の――料理に戸惑いと屈辱を味わっていたメイアだが、ここにきて初めてその正体を看破できたことに有頂天になり、まるで人喰鬼の首でも獲ったかような喜びを爆発させるのだった。
「コロッケじゅあない! クロケットだ、ク・ロ・ケ・ッ・ト!! 確かに本来ならホワイトソースを使うところ、マッシュポテトで代用しているけど、その誤差も含めても紛れもなくクロケット! ――なんで世界も国も人種も文化も異なるのに、同じような変遷を遂げるんだ?」
と、厨房から顔を出して憤慨するこの店『森の隠れ家ビストロ・女神亭』オーナーシェフにして、いつ間にやら“スポンタネ”という呼び名が定着した黒髪の青年の姿があった。
なお、本名の『苗場市太郎』の方は――。
「にゃ、にゃーば、いしゅたると?」
「ナ・エ・バ! ニャルラトホテプみたいな言い間違いをするんじゃねーよ!」
「? ナニソレ? てか、呼びづらいから“スポンタネ”でいいじゃない。業務報告書にも営業許可書にも『責任者氏名:スポンタネ』って書いてもう送ってあるし」
「大雑把な組織だなぁ、辺境警備隊って!?」
そんなメイアとスポンタネの毎度の掛け合いを眺めながら、隊員の中で一番良識人っぽいシャルロットに、こっそりとミュゼットが耳打ちした。
「……そうなんですか?」
「お嬢様は事の重大さを理解されていらっしゃらないようでしたので、多忙を理由に副隊長である私が代筆をしまして、緊急極秘事案として軍本部と領主閣下、念のために王都の大教会宛に事の次第を報告しておきました」
こんな僻地中の僻地へ左遷されるだけあって、メイアの国軍内部での扱いは非常に悪い。馬鹿正直に報告書を上げても取り合ってもらえない可能性が高い。そのくせ問題があれば詰め腹を切らせられるのはメイアを筆頭とした自分たちだろう。
そのため多方面に(軍紀的には黒に近いグレーながら)保険をかけておいたとのことであった。
「本来なら、こういった政治を覚えることも、お嬢様には必要なのですけれど……」
嘆息するシャルロットと、
「メイアさんって、『問題があったら暴力と武力と筋力だ!』って感じの、いかにも脳筋ですもんねー」
合わせて「あははははは~」と何の悪気も屈託もなく笑うミュゼット。
そんな元侍女と顔見知りの女給の生暖かい視線も何のその、今日も元気にはメイアは感情の赴くままスポンタネと掛け合いを続けていた。
「うっそだ~っ。あたしこれ似たようなのを連合王国の名物料理だっていって食べたことあったわよ。そん時、名前も教えて貰ったんだから間違いないって」
「それは教えた方が間違っているのか、どっかでクロケットがコロッケに訛ったんじゃねえのか? そもそも語源としては『クロケ』という――」
「ぶー。似たようなもんじゃない。……まあどっちでもいいわ、美味しいから」
スポンタネの薀蓄を遮って、あっさりそう一言で切って捨てるメイア。
機先を制せられた形になったスポンタネは「ぐぬぬ……」と歯軋りをして押し黙り、それからホクホク顔で料理を味わっているメイアの心底楽しげな表情を眺め、毒気を抜かれたような表情になってそのまま踵を返して厨房へと戻るのだった。
思いがけずに一矢報いた形になったのだが、メイア本人はそのことをまったく自覚することなく、ナイフとフォークを使って皿の上に乗っている三種類のクロケットと格闘することに夢中になっている。
その様子を壁際にお盆を抱えて立って見ていた妖精族のウエイトレスであるミュゼットは苦笑し、メイアと同じテーブルについているシャルロットは、微笑ましいものを見たという風に、普段の怜悧な表情を微妙に和らげた。
「こっちのは魚が入っているわ! おーっ、ソースも違うんだ!? 面白~い! 独特の風味があって病みつきになりそうね、これ」
「右端のクロケットは村の人たちから今朝いただいた剣歯猪のお肉を使ったオーソドックスなクロケットで、真ん中のはマスターが釣ってきた光鱒の燻製で、左端のは」
「カボチャですわね。私はイモもカボチャもさんざん食べ飽きたので、あまり好きではないのですが、こうなると御馳走ですわね。調理の仕方が違うのと、なによりもソースが絶品といってもいいでしょう。これは?」
ホクホクのジャガイモと甘くてねっとりしたカボチャ(どちらも荒地や土が痩せている土地でも栽培可能ということで、昔から庶民や貧乏人の主食としてお馴染みである)の相乗効果、さらにはたっぷりの脂身で揚げられた揚げたての衣には、嫌な臭いやくどさは一切なく、噛み締めるごとに心地よい脂気と……ひょっとして胡椒?の旨味が染み出てくる。
はっきりいってこれだけでも十分な美味しさだというのに、さらには付け合わせのソースが二種類あって、これをかけることで最高のクロケットをさらに上の次元。もはや天上の美味へと押し上げていた。
「片方はベシャメルソースを主体にしてソースで、どちらかといえばお肉に合うと思います。もう片方はタルタルソースで、こちらは魚介類に抜群に合います」
ミュゼットの説明にふんふん頷いて相槌を打ちながら、ふたりはクロケットを味わい、付け合わせについていた白パンが焼きたてなのに歓声を上げ、それとほんのり白いスープのコクと旨味に目を見張る。
「なによ、これ!? パンのフワフワの……王都の専門店並みの出来じゃない!」
「スープもとんでもない味わいの良さですわ、お嬢様っ」
ちなみにこの世界(中世のヨーロッパもそうだが)、パンといえば小麦から作られる白パンであり、都市部では瘦せた土地でも育つライ麦を使った黒パンはほとんど食べないのが普通であるが、一定の層では安くて日持ちのする黒パンを積極的に食べることもある。
その一定の層というのは、低賃金の下働き、旅人や冒険者、そして軍隊などであった。
「ふふふ。実は今度、厨房にオーブンが設置されたのですよ。それでパンもきちんとしたものを焼けるようになりました。あと、今回のスープは剣歯猪のお肉と骨、あと干したポルチーニ(キノコ)を戻したもので作ったコンソメスープですが、下ごしらえの段階で骨を焼いてから使っているので、以前よりも美味しくなった……ってことらしいですね」
「へえ~、やっぱオーブンがあると随分と違うものなの?」
「マスター曰く、『これでやっとまともなビストロを名乗れる』だそうです」
「そこまで違うものですか……ですが、確かにこれは納得の出来栄えですわね。いまにして思えば、ストール伯爵家にいたコックのジェフリーは善人ではありましたけれど、残念ながら味音痴でしたわ」
しみじみと納得しながら料理を味わうシャルロット。一方、メイアは料理に舌鼓を打ちながらも、どこか納得し難い表情を浮かべていた。
「――どうかなさいましたか、お嬢様?」
「どうかしましたか、メイアさん?」
そんな彼女の様子に怪訝な表情になるシャルロットとミュゼット。
スポンタネも不穏な気配を感じて顔を出した。
「いや、どれも美味しいんだけどさ、いまお昼よね? 今朝の剣歯猪の肉をもう食べるなんて、珍しいなぁと思って。ほら、いままでの料理は何日か熟……熟……フザケンナーヨ?」
「熟成!」
業を煮やしてスポンタネが厨房から出てきた。
「そうそう、それをしてたじゃない。ずいぶんと早々に出してきたなと思ってさ。それに、普段はもっとこうお肉ならドーンと、ボリューム良く出されるじゃない? 今回はイモが主役って感じよね」
――いや、普通なら女性向けにはあまり肉、肉、肉と肉の塊を前面には出さないんだが、肉食体育会系……もとい、普段から目一杯体を使う騎士なせいなのか、こいつら大の男でも辟易する量の肉でも平気で食うからなぁ。なので特別なだけなんだけど……。
そのツッコミをぐっと喉の奥で堪えて、スポンタネはいちいち疑問を解きほぐすように答える。
「……いろいろと理由はあるけれど、まず第一に猪……豚もそうだけど、これは熟成したくてもできないんだよね。冷凍保存するならともかく、冷暗所に置いても時間が経過するごとに腐敗してデロデロになる。だからまあ、水分調節のためにある程度の手当は必要になるけど、基本的に豚肉は新鮮であればあるほど良いし美味いというのが俺の意見だ」
もっとも自分が異世界に来る前には『熟成豚』なんて言葉をよく目にしていたけど、仮に五~六日冷凍庫に入れておいただけの代物を『熟成』というならお粗末すぎる。
「ま、もしかすると俺が知らない熟成方法があるのかも知れないけど、少なくとも俺はやるべきじゃないと思うし、他の料理人や養豚業者も口を揃えて『やるべきではない』と言ってるしなあ」
「へー、そうなんだ。なんでも熟成させれば良いってもんじゃないのね」
メイアは素直に感心して残った付け合わせの温野菜もすべて平らげ、同時に食べ終えたシャルロットも『デロデロ』の部分で心当たりがあるのか、得心した表情で大きく頷いた。
「で、次の疑問にも関係するんだが、そんなわけで腐らせるのももったいないので、今回貰った剣歯猪の肉はそれほどじゃない。ま、頬肉やタン、網脂は使い道があるんで、優先的に貰ったけどな」
「なんでよ? 肉もらいなさいよ、肉っ! これも悪くないけど、せっかくの剣歯猪なんだから、ドーンと煉瓦の塊りみたいな肉塊で出しなさいよ!!」
真昼間から肉を連呼する、どこまでも肉欲に支配された女騎士の様子に、若干引いた表情になるスポンタネ。
「――う~ん、だが罠にかかった剣歯猪は、三百キロを超える大物だったからなぁ。それに、ま。俺も罠の設置と解体には立ち会ったけど、村の畑を半年前から荒らしていた奴だし、優先権は村人にあるんであまり大量に貰うのも気がひけるし。それに第一……」
なぜか言い渋るスポンタネ。
「なんでよ?」
イライラした様子で直截に尋ねる、良くも悪くも竹を割ったような気性のメイアと、今回は同意見なのか同調して小首を傾げるシャルロットであった。
「……そうですね。なぜ今回は剣歯猪の肉を主体とした料理をお作りになられなかったのでしょうか、スポンタネさん?」
「あー、それなんだが実は」
「「「実は?」」」
妙に歯切れ悪いスポンタネの次の言葉を一斉に促すメイア、シャルロット、ミュゼットの三人。
「まあ、そのあたりはやりようなんだが……」先ほど同様、言い訳めいた口調で前置きしながら、ボリボリと指先で頬の辺りを掻くスポンタネ。「でかい剣歯猪ってのは、ぶっちゃけ癖があり過ぎて、美味くないからいらないんだよ」
「……。……そうなのですか?」
二、三度瞬きをして、シャルロットはその意味を咀嚼する。
「そうなんだ。豚もそうだが、なるべく若い方が味が淡白で美味い。あんたら羊は食べたことは?」
「勿論あるわよ」
「砦に備蓄されている兵糧も羊肉の燻製ですからね」
頷くメイアとシャルロット。
羊は比較的手に入りやすい食材であった。都市部でもなければ豚よりも遥かに廉価な羊が、この世界での肉の代名詞といっても過言ではないだろう。
「なら話が早い。年取ったマトンと若いラム、どっちが美味い?」
「ああ、なるほど。癖がなくて柔らかいラムを選ぶほうが多いでしょうね。なるほど、そういうことですか」
「そういうだな。だから可能であれば剣歯猪を食うんなら子供……生後一年以内のウリ坊が最高なんだが」
「そお? あたしはマトンの臭みも結構好きだけど?」
この流れでのメイアの空気を読まない発言に、スポンタネとシャルロットは揃って沈黙し――『お前も大変だな』『いえ、慣れていますので』と――目配せをし合った。
ふたりの間に妙な連帯感が生まれた瞬間である。
「う~~~っ! なんかふたりだけで別な空間作ってない?」
動物的勘でハブられたのを感じ取って、メイアが頬を膨らませて地団太を踏んだ。
「「いいや(え)、ぜんぜんっ」」
即座に息ぴったりに否定するふたり。
その間にミュゼットは空になった器をテーブルの上から回収して、氷室で冷やした果実水を持ってきた。
「まあ、一般的にはラムのほうが万人受けするということですね。つまり、剣歯猪も同じだと?」
「そーいうこと。ウリ坊がいたら丸ごと使って、ロースト、赤ワイン煮、パイ包み焼き、テリーヌ、フローマージュ・テート…‥ああ、モツを使ったフリットもいけるか。なんにでも使えるんだけどなぁ」
そこそこ筋肉はついているけれど武人の鍛え方ではない。フライパンを振って鍛えられた腕を組んで、口惜しげに嘆息するスポンタネ。
「確かに。聞いているだけでも、いま食べたばかりなのにもうお腹が空いてきた気がしますね」
表情ひとつ変えずにそう言って頷くシャルロット。
「そうですか。ウリ坊はそんなに美味しいのですか……」
無表情のまま爛々と目だけ輝かせるシャルロットの様子に、
「お、おう。もしも捕まえたら持って来てくれ。好みでどんな料理にでもしてみせるぞ」
気圧されるものを感じながら、そう腕まくりして答えるスポンタネであった。
「――そういえば今更ですけど、今日はエミリィさんはお留守番ですか?」
トンとテーブルに錫製のコップを置きながら(錫や真鍮など、金属製の方がより冷たさを感じやすい)、周囲を見回して尋ねるミュゼットに、なんとなくシャルロットとスポンタネの息の合った、やり取りに胸中でモヤモヤしたものを感じたメイアは、どこか不貞腐れた表情で答える。
「お腹の調子が悪いからお昼はいらないんだって。なーんか今朝からソワソワしていて変だと思ってたんだけど、薬飲んで休んでればいいっていうんで寝てるわよ」
「珍しいな。なんだったら持ち帰り用にスープとパンを持って帰るか?」
「えっ、いいの!?」
「ああ、具合が悪い時には消化にいいもんだろう。ならお粥……は食べ慣れてないだろうから、スープが一番いいだろうな。保温瓶に入れておくので、砦に帰っても温かいまま飲めるだろう」
そう言いながら、前に馴染みの洞矮族の行商人であるガストンが置いていった――ガストンは、「売るほどあるんで欲しいだけやるわい」と、太っ腹なことを言っていたが、スポンタネはあくまで借りているだけのつもりである――予備の保温瓶、どこに仕舞っていたかなと考えながら物置に向かった。
「スープが飲めるようになれば、お腹も納まったってことでしょうから。夕ご飯には来られるかもかも知れませんね。――あ、そうだ。妖精族特製のお腹の薬をお渡しします。部屋から持ってくるのでちょっと待ってくださいね」
そう言ってミュゼットも自室(屋根裏部屋)に戻るべく踵を返した。
「……なんか悪いわね」
物置で荷物をひっくり返しているスポンタネと、部屋で薬草を煎じているであろうミュゼットを思って、しみじみとした口調でメイアはそうシャルロットに同意を求める。
誰だ、スポンタネを人間嫌いの変人なんて言った奴わ。誰だ、妖精族は高慢で人間を見下しているなんて吹いている奴わ。嘘ばっかり、全然違うじゃないの!!
そう憤慨するメイアの変わらぬ真っ直ぐな気質を好ましく思う反面、貴族としては腹芸ができないのは問題ですわねと思って微苦笑しつつ、
「そうですね。おふたりのためにも、エミリィは体調を戻して、早くここにお礼に来させないとなりませんね」
シャルロットも炎天下の下、涼風に巡り合えたような穏やかな表情で、それに応えるのだった。
****************
その頃――。
話題のエミリィは元気一杯に、駐屯する砦の自室から食料庫に忍び込み、備蓄されている黒パンとレンズ豆を背嚢に詰め、水筒に井戸の水を汲んで、密かに裏口から外に出て、砦の裏手にある林の中へと足を踏み入れていた。
「ウーちゃん? ウーちゃんいるー?」
ちょっと入ったところでそう呼びかけながら、小枝と丈の高い草とで隠してある木箱の蓋を開けると、
「ぶひーっ。ぶぶぶぶっ?」
そこには一抱えほどの大きさの縞模様の生き物――おそらくは生後一月くらいの剣歯猪の子供――が、ちょこんと鎮座している。
「元気でしたか~? お昼を持ってきましたでちゅ」
そう言って持ってきた食料と水を素朴な木皿に盛るエミリィ。
ふんふん? と匂いを嗅いでから、食料だとわかったのかモリモリ食べ出すウリ坊。
「おいちいでちゅか? 沢山食べてね~。どうせうちの砦では朝食以外は他所で食べるんで、余ってるんだからね。隊長は焼くか煮るかの男料理しかできないんだし、シャル先輩も変に凝りまくって逆錬金術としか思えない料理で材料を無駄にするので、勿体ないでしゅからね~」
旺盛な食欲を見せるウリ坊の様子に目を細めるエミリィ。そのせいか、すっかり背中に対する警戒が緩んでいた。
「……悪かったわね、男料理で」
「……材料を無駄にする逆錬金ですみません」
その瞬間、背後から凄まじい殺気を感じて、「ひえええええええええっ!?!」と、跳び上がるエミリィと、同じく驚いてポンと鞠のようにジャンプするウリ坊。
両者は空中でひしっと抱き合う姿勢になった。
「た、た、隊長!? 先輩も……なんで? スポンさんのところで食事中じゃ?」
エミリィの震える眼差しが、林の入り口のところに仁王立ちになっているメイアとシャルロットを捉える。
「そのスポンタネのところから、スープと薬を預かってきたんで、早めに飲んでもらおうと急いで帰ってみたら、どっかの誰かがコソコソ林の中に隠れるように入っていくから何事かと思ってね。けど、まさか仮病で、しかも剣歯猪の子供を隠れて飼うなんて」
「ええ、まだしも男と逢引していたほうがマシですね」
揃って嘆息するふたり。
「あ、あの。すみません! ほ、本当はふたりにも話そうかとも思ったんですけど、砦はペット禁止ですし、それにこの仔の親は……」
「村の畑を荒らしたんで、捕まってお肉にされたんでしょう? あたしもさっき一部だけど食べてきたわよ(つーか、このスープもその一部なんだけど)」
後を引き取ってのメイアの言葉に、エミリィは悲痛な表情で「ふふ?」と、つぶらな瞳で自分を見返す、抱えたままのウリ坊の顔を見詰める。
「……はい。だから、もうちょっと大きくなって、せめてこの仔の縞模様が取れて独り立ちできるようになれば森へ返しますから、どうか」
「…………」
必死になって頭を下げる部下の様子に、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙っていたメイアだが、いつまでも頭を下げ続けるエミリィに根負けしたようで、
「わかったわよ。ただし、この仔が人や村の農産物に被害をだしたら、その時は」
「その時はあたしが責任を負って、この子を退治します!」
きっぱり言い切るエミリィ。
「……わかったわ。ならあたしから言うことはもうない。それに良く見ればこの仔も可愛いしね。――そうでしょう、シャル?」
年頃の乙女にとってフワフワもこもこは絶対にして、免罪符であった。
同意を求められたシャルロットも珍しく目元・口元に笑みを浮かべ、
「お嬢様の仰せのままに。それに、確かに可愛らしいですからね」
改めてエミリィの腕の中にいるウリ坊へ視線を巡らせた。
ぱああっと満面の笑みを浮かべ、わが意を得たりという表情で何度も何度もエミリィは頷く。
「そうですよね! ウーちゃんは可愛いですものね!」
「ええ、本当に……食べちゃいたいほど可愛いですわね。ふっふっふっ」
お気楽に笑いさざめくエミリィと、『ウーちゃん』を両手で受け取って、内臓や骨を除いた正味が現在どのくらいあるのか推し量っているシャルロット。
その脳裏では、先ほどのスポンタネの『ウリ坊が一番美味い』『ロースト』『赤ワイン煮』『パイ包み焼き』『テリーヌ』『フローマージュ・テート』という台詞がこだまして、含み笑いとなって漏れていた。
「う~む……早まったかも」
その様子を交互に見返しながら、メイアにしては珍しく気苦労から冷汗を流しつつ、微妙な表情で後悔する。
なにはともあれ。
この日、ライデンの森にある砦に一頭のペットが追加されたのだった。
ご感想や評価ポイントをいただくと作者のやる気がもりもりわいてきますので、よろしくお願いいたします。
※貴族主催の食事会は2、3組が招待され、大抵がメインディッシュに海亀が出ます。
生きた海亀を運んできて甲羅ごと料理に使うのが最高の贅沢とされていました。
※基本的に中世の貴族は芋とかの根野菜や葉野菜など地面に近いものは不浄として食べない考えでした(最上は果物)。近世になってイタリアから野菜料理がフランスへ入って、それから広まったようです。
※飯屋と酒場の営業時間は日が落ちるまでで、それ以上店を開けていると捕まります。副業でもぐりの娼館をやっていた店もあったようですが。
ヨーロッパでは女性の騎士(王族から任命された騎士階級)は確認されておらず、実在はしなかったと思われます。しかしワルキューレやアマゾネスなどファンタジーでは昔から女騎士や女戦士は人気の題材となっています。
それと娘子軍は唐の時代に実在した女性の率いる、女性だけで組織された軍隊です。
このあたりをちゃんぽんしてアルストロメリア娘子軍としました。
※なお、この作品はあくまで異世界を舞台にしたものであり、現実の世界における鳥獣の捕獲等に関しましては、狩猟免許等の取得が必須です。
※特に猪狩りは非常に危険ですので、複数人での行動を厳守してください。
《一口メモ》
日本の猪は四ヶ月ほどで縞模様がとれ、さらに生まれてだいたい一年半で独り立ちします。寿命は十年ほどです。
雄は12月~1月の繁殖期になると、独特の臭いがするので食用には不向きですが、雌は逆に皮下脂肪が増えて美味しくなります。
成獣は七十キロ~百キロを超える場合もありますが(ちなみに豚は余裕で百二十キロを超えます。出荷の目安は百キロくらいですけど)、作中でも書いているように、六十キロ以下の仔猪のほうが癖がなくて美味しいです(癖があったほうが美味しいという意見や、日本の場合は味噌に合わせられるなどできますが)ので、料理人は「ウリ坊最高!」となります。逆に猟師は肉の少ないウリ坊を廃棄したり、場合によっては罠から逃がす場合もあったりします。
また、自治体において猪や鹿の買取を行う場合も、30kg以上60kg未満という風に規定がある場合が多いので、ここでも弾かれる要因になります。なお、作中では明示していませんが、猪は普通子供を一度に四頭前後産むので、他の兄弟たちは野生の掟に従って行方不明になったものと考えられます。