第1皿 ステック・アッシェ
以前書いた『オークの隠れ家レストラン』のリブートです。
キャラクターがどうにも感情移入できなかったので、日本で事故にあって異世界転生をした元地方公務員で、趣味が料理とキャンプだった男性(若返って18歳)が、あの世でお互いにクレーマーに関する愚痴を言い合って意気投合した結果、《聖域》と趣味を生かした料理屋を始めた話になりました。
また作中の描写や常識も、いま見ると穴だらけでしたので修正しました。
旧作を応援してくださった方も、新規の皆様もよろしくお願いいたします。
大陸でも稀有な、うら若き女性ばかりで組織された騎士団――ファン・レイン王国のアルストロメリア娘子軍。
若干十八歳にして新任小隊長となった伯爵令嬢メイア・ストールは、ニヤニヤと人の悪い笑いを浮かべるさして自分と変わらない年齢の店長兼料理長――黒髪黒瞳のどこか異国情緒を感じさせる雰囲気をまとった青年――を前にして、羞恥と屈辱に身を振るわせた。
「――くっ、こ……このソースの豊潤さと、料理の口当たりはっ!?」
「この間罠にかかった王冠箆鹿の肉がそろそろ食べごろだったので、ステック・アッシェにしてみたんだ。……ああ、“ステック・アッシェ”てのは、つなぎを使わない赤身肉だけのハンバーグのこと――まあ、この世界的に見ればつなぎを使う方が少数派なんだけど――あと付け合せは、さっき土産にもらったジャガイモのポンム・フリット(フライド・ポテト)を使わせてもらったよ。パンはブドウ酵母を使った天然酵母の自家製で、パン用の専用窯がないんで多少焦げて不恰好になって申し訳ないけど、これはこれでなかなかいけるだろう?」
飄々とした態度で料理の解説をする店主の薀蓄を聞きながら、メイアは自分の持っていた貴族令嬢としての価値観と矜持が、ガラガラと音を立てて瓦解するのを自覚するのだった。
そもそも見た目からして常識外れである。だいたいにおいて料理屋の亭主なんてものは、諺に『何にもなれない者は飯屋か旅館の亭主になる』とあげつらわれるように、やろうと思えば貴族でも聖職者でも商人でも、それどころか農奴でも経営できるのだから、王侯貴族御用達の超高級レストランのシェフでもなければ、不快な体臭と腐った食材の臭いをブレンドさせた服に、粗い布製の小汚いエプロンを引っ掛けただけで、料理に髪の毛が入っていようが気にせず、スープに爪垢だらけの親指を突っ込んで、
「ちょうどいい温度ですよ」
と抜け抜けと口にしながらテーブルに置く。厚顔で不衛生で不愛想な田舎オヤジと相場が決まっているのに――。
この青年は定期的にきちんと水浴びをしているのか、まさかとは思うが風呂に入っているのか、肌には汚れひとつなく髪にもきちんと鋏と櫛が入っていて、おまけにほのかに石鹸とハーブの匂いまで漂っている。
さらには、どんな素材でできているのかパッと見は不明だが、相当上物な生地でできているだろう染みひとつない純白のコック服とコックスカーフを巻いていて、厨房に君臨していた。
その佇まいはエレガントですらある。
そんな明らかに常識外れの料理人の手になる常識外れの料理を前にして、反射的に「こんな料理は邪道だ!」と、感情的に反駁したくなるのをぐっと堪えるメイア。
王都で流行っている貴族向けの香辛料をたっぷり使った料理とは対照的に、野にある素材を素材本来の味を生かした調理法は粗野であり異端であるとは思うのだが、反面そこには確かな技法と洗練が感じられた。
使われている食器もさほど高価なものではなく、粘土をこねて釜で焼いただけの素朴なものだが、それがかえってこの料理に合って食欲をいや増してくれている。
確かに細かく粗を探せばいくらでも文句はでてくるだろうが、『美味いか不味いか』と問われれば、素直に『美味い!』と答えざるを得ない。メイアにもそれくらいの公正さと貴族としての矜持があった。
粗にして野ではあるが卑ではない。それどころか、ゴテゴテした料理にはない品格すらある。
もう一口。
と、口に入れた瞬間、肉本来の旨味が口一杯に広がり、いかにも肉を食べている! というインパクトが爆発し、さらにトロリとしたコクのあるソースがほのかなハーモニーを奏でるのだ。
ついでにとばかり付け合せのポンム・フリットとやらを口に運ぶと、芋本来が持つ土の美味さと適度な塩気が、肉の余韻を洗い流して……いや、余韻は残したまま、見事な口直しをしてくれる。
「くう――くっ、くぅ……!」
丸太を削って作った椅子とテーブル。そこに座ったまま、犬が尻尾を振るように、興奮して手足を振り回したくなる衝動をメイアは必死に堪えた。
それでも、思わず肩が小刻みに揺れて、にんまりと頬が緩むのは止められない。
「――まあっ。獣肉なのにまったく臭みがないですわね、お嬢様。それにこのソースは只者ではありませんわ」
「美味いっ。美味いですよ隊長! いや~っ、最高です。こんな美味い物食べたことないですよ!」
同じテーブルに座っているふたりの部下。
もともとストール家においてメイアの侍女兼護衛役だった二歳年上のシャルロットと、今年騎士学校を卒業したばかりの十五歳だというエミリィもまた、目を丸くして出された料理を頬ばっている。
鉄面皮、冷血女などとあだ名される(実際には不器用なだけで人一倍優しいのだが)シャルロットが軽く目を見開き、一口一口舌の上で転がすように食べている。
あれはシャルロットにとって最大の驚愕の表情であり――前回見たのは、五年前に父である伯爵が不慮の死を遂げ、跡を継いだバカ兄貴がわずか一週間で投資に失敗して、領地を含んだ財産すべてを失ったと知った瞬間。怒りのあまりメイアがバカ兄貴に飛び蹴りかまして、倒れたところをタコ殴りにしたあの時以来だろうか――心底夢中になっていることを、長い付き合いのメイアはよく理解していた。
一口一口、舌の上で転がすように食べているのは、どうにかこの料理を自分のものにできないか分析しているのだろう。
対照的にエミリィは半分泣きながら、物凄い勢いで料理を掻き込んでいた。
いちおう砦では三食食事は提供されていたのだが、連日繰り返される塩辛い干し肉や形の悪い豆、パサパサでカチコチの黒パン、たまに干し魚が贅沢という献立によほど飽き飽きしていたのだろう。
あっという間に食べ終えて、「お代わり! お代わりください!!」皿を持って盛んにアピールしていた。
そんな部下たちの様子に、どうにか冷静さを取り戻したメイアは、軽く居住まいを正すと、つんと取り澄ました表情に戻って、厨房に戻ってお代わりの皿を持ってきた青年に向かって言い放つ。
「……ま、まあまあだな。思ったよりも食えないものではないな」
さきほどの醜態をなかったかのような顔で、そう評価するメイアの態度に青年は軽く肩をすくめ、途中で皿を受け取った妖精族の目の覚めるような美貌の少女は、ぱっと花が咲いたような笑顔を見せた。
「――それでは、当店の営業許可はいただけるのですね?!」
銀鈴のような声とキラキラ輝く瞳でそう確認され、一瞬口ごもったメイア。
ちらりと横目で部下の様子を窺うと、シャルロットは『お嬢様に従います』というような透徹した目でメイアを見つめ返し、エミリィは『隊長お願いしますよ~。お代わり欲しいですぅ!』という縋るような目で見ている。
「…………」
メイアは「なんでこんなことになったのだ……?」と、無言でため息をついた。
バカ兄貴を殴っても蹴ってもどうしようもないと見切って、腕一本でのし上がろうと騎士学校に最後の伝手を頼って入学したのが間違いだったのか。
はたまた卒業生の総代を決める模擬戦を前に闇討ちしてきた軍務卿の息子を、ボコボコに返り討ちにして、腹立ち紛れに素っ裸に剥いて、女子寮の玄関前に『短剣』と股間に書いて逆さ吊りにしておいたのがマズかったのか。
或いは、こんなド辺境の掘っ立て小屋みたいな砦に、いきなり左遷されると辞令を貰った瞬間、上官の机を手刀で真っ二つにしただけで、その場で軍を辞めなかった自分が不甲斐ないのか。
それともエミリィの口車に乗ったのが浅はかだったのか……。
つらつらと述懐するメイアの胸中を過去の出来事が去来する。
いやそもそも思い起こせば、ことの起こりはほんの半日前――。
ライデンの森にべらぼうに美味い料理を出す飯屋があるらしい。
しかしながら店主兼料理人は大の人間嫌いで、また店も『肉を焼く店』『スープを出す店』『煮込み料理専門』という、本来であれば料理人ギルドに規定された専門店ではなく、まるで都会にあるレストランのように日によって出る料理も多種多様で、しかもどれもこれも頬が落ちるほど美味いとか。
ついでに、女給は別嬪の妖精族だって話だ。
そんな噂話を近くの開拓村でエミリィが聞きつけてきたのが始まりである。
「隊長、噂が本当か確かめに行ってみませんか~?」
どれひとつとっても眉唾物どころか与太話以前の噴飯ものの噂であった。
ライデンの森といえば通称【万魔の森】と呼ばれ、鳥も通わず飛竜でも横断できない大陸でも有数の危険地帯である。
ファン・レイン王国の中でも辺境中の辺境。
近くに開拓村はあるとはいえ、旅人も通らない僻地。
そんな場所に飯屋があるわけはない。それもレストランのように様々な料理が出てくる? 馬鹿を言うな。レストランのシェフはもとは貴族家の料理人だった凄腕だからできるのであって、ひたすら同じ料理を作るしか能のない田舎料理人にできるわけがない。
ましてや女給が人間の男を豚鬼並みに嫌う妖精族などと、根も葉もない噂話にしてもあり得ない与太話であった。
普通なら一笑に付してお仕舞だったのだが、三人がこの辺境の砦に赴任してきて一カ月。
まったく代わり映えのない日常に腐っていたところもあり、気分転換に足を延ばしてもいいか。
と、この時メイアは珍しく気まぐれを起こしたのだった。
「ふーん……まあ、ライデンの森の監視は私たちの仕事だからね。変な噂があるんなら調査しないとまずいわね」
「そうこなくっちゃ!」
よほど退屈していたのか、跳び上がって喝采を叫ぶエミリィに苦笑しながら、メイアは何の気なしに尋ねる。
「そういえば、その飯屋って屋号はあるの?」
飯屋や宿屋は店の外に屋号を示す絵が描かれた看板を出すのがきまりである。
これを破ると廃業……まではいかないものの、多額の罰金刑に処されるのは大陸中の多くの国で明文化されている法規であった。
「ええ、なんでも『森の隠れ家レストラン・女神亭』って言うらしいですよ」
「ありきたりな名前ね」
「遍歴詩人の歌にもありますわね。『天使の看板を出していても、中に入ると客の財布を誘惑しようとする狡猾な悪魔がいる。白鳥亭には人を食い殺す黒い鳥がいるだろう。羊亭には狼がいて、客を馬もろとも食べようとしているかも知れない』――実際、よさげな噂を流して客を騙すのが目的の店かも知れませんね、お嬢様」
そう珍しく軽口を言ったシャルロットにしても、単なるお嬢様の暇つぶし……くらいにしか考えていなかったはずである。
雲行きが怪しくなってきたのは、歩いて二十分ほどで行ける開拓村で聞き込みを始めたすぐのことである。
「あんれまぁ! お嬢さん兵士の皆でスポンさんのところへ飯食いに行くんだか? 気をつけていてらっしぇ。ああ、そうそう、前にオラたちが行った時、ツケてもらったんで悪ぃけんども、代金代わりに畑の芋持って行ってくんねべか?」
適当に見かけた畑仕事中の農夫に聞いてみたところ、あっさりと噂の裏づけが取れた。
というか、なにかもうここの開拓村では、当然の共通認識となっているようですらあった。
「……なんで、前任者からそういう大事なことは引継ぎがないのかしら……?」
呻くメイアを取り成すシャルロットとエミリィ。
「いかにも無能で左遷されたような男でしたからね。もしかすると本当に知らなかったのかも知れません」
「そうですよ。あたしが聞いた時も、『あんまし余所の人間には教せたくねーだども、お姉ちゃんたちは可愛いから特別だぁ』って感じでしたし」
で、詳しい場所を村人に聞いたところ、『村から見える一番高い木の傍にあるだよ』というアヤフヤな答えが返ってきた。
ついでに渡された二十キロぐらいありそうな麻袋に入った芋を、しぶしぶ三人で協力して持ち上げて、とりあえず大雑把な目印目掛けてテクテク歩くこと一時間あまり。
森に入っては目印もなにもないだろうと思ったのだが、ライデンの森に入ってすぐのところに、しっかりと矢印が描かれた女神様が描かれた看板があり、『森の隠れ家ビストロ』となかなか達筆の大陸共通語が書かれていた。
隠れ家を標榜している割りに隠す気が微塵もない。
「「…………」」
昔話に出てくる性質の悪い妖精か、狐狸妖怪の類いに化かされているのでは? と己の正気を疑って顔を見合わせるメイアとシャルロット。
「高級食堂じゃなくて家庭食堂かー。そうですよね、さすがに森の中にレストランはおかしいですもんね」
エミリィだけはマイペースに合点がいった顔で頷いていた。
「……どっちにしても……不自然極まりないと思うんだ……けど」
呻くように形だけ反論するメイア。
ともあれこの看板がどうやら幻覚の類いではないと判断をして、案内に沿って獣道を歩いてさらに三十分ほど。
やがてそこだけ森がぽっかり拓け、中心に一本だけひときわ巨大な木があり、さらに清涼な水をたたえる泉。そして、小奇麗な高床式のログハウスが一軒、陽だまりの中に存在するという、まるでお伽噺のような場所に出た。
しばし呆気に取られていた三人だが、どこからか聞こえてきた鳥の声でハッと正気を取り戻した。
正直胡散臭さが限界で、このまま回れ右をして何もなかったことにしたい心情で一杯だったのだが、ここまで来れば毒食らえば皿までも……とばかり、腰に佩いていたサーベル(支給品の安物)を抜き放ったメイアともに、抜き身の刃を構えた三人の女騎士たちは慎重にはしご階段を昇り、看板と同様に『森の隠れ家ビストロ・女神亭』と書かれた玄関ドアを確認すると、もう一度顔を見合わせて頷き、示し合わせて一斉にドアを蹴って開けると、中へと雪崩れ込む。
「いらっしゃいませ~♪」
「……らっしゃい? ずいぶんと物々しいお嬢さんだちだけど、女強盗団ってやつかな?」
抜き身の剣を構えて殺気立つ三人の女騎士を出迎えたのは、女給服を着た見た目16~17歳ほどの妖精族の娘(長命種の実年齢は外見からは推し量れないが)と、この店の店主兼料理人だという、理知的な顔立ちをした二十歳ほどの青年であった。
「違うっ! 我々はその名も高きアルストロメリア娘子軍に所属する騎士だーっ!!」
呆気にとられたのも一瞬、青年の一言で瞬時に沸点を超えたメイアの怒号が響き渡る。
その後は――。
「こんな店を認めるわけにはいかん! だいたい貴様は外国人だろう!? 本人氏名、生年月日、年齢、職業、滞在目的、ここに至るまでの足取り、滞在期間をきちんと届け出たのか?! それと店舗の営業許可と酒類を扱っているなら領主様の許可証はあるか? ないなら闇営業として即座に捕縛する!!」
いきり立ついうメイアと、
「許可は得ているし、そもそもあんたの許可は必要ない」
けんもほろろな青年の間で、売り言葉に買い言葉。まるで猫の喧嘩のようないがみ合いが、自然と巻き起こる。
「あ、これ身分証明書で、こっちは『女神亭』の営業許可書になります」
その間にも手慣れた様子で妖精族の少女が、毒気を抜かれた表情でサーベルを鞘に戻し、手持ち無沙汰に待機しているシャルロットとエミリィに、やたら上質な紙に書かれた関連する書類を見せるのだった。
「……中央枢軸聖教会の教皇聖下と大司教猊下連名での身分証明書!?!」
普段は冷静沈着で氷のように表情を崩したことのないシャルロットが、ひゅうと大きく息を吸ってこぼれんばかりに目を見開き、断末魔の喘ぎ声のような驚愕の呻きを放つ。
「こっちは教会会議の許可を得た欽定許可書で、“聖堂食堂兼酒場”として『女神亭』を永代に亘って保障するってものですねー。教会の管轄ってことは悪者じゃないってことですよね、先輩?」
「……というか完全に治外法権だし、納税や兵役の義務からも免除されるので、確かにアルストロメリア娘子軍――いえ、王国がとやかく文句をつける筋合いの話ではないわね」
エミリィが確認した書類の内容にまたショックを受けて、逆に硬直から溶けて再起動するシャルロット。
念のためにエミリィが手にした書類を受け取って、間違いがないか再度穴が開くほど確認をして、現段階では書類上どこにも不備も不正もないことを認めるのだった。
そのうえで考える。
教会の所管ということなら、扱いとしては修道院が経営する修道院酒場と似たようなものだろう。
本来であれば酒、料理、地代などなど領主や国に入る税金のすべてが免除され、さらには敷地内で自家醸造したビールやワイン(いずれも混ぜ物がなく絶品)を提供する修道院酒場。
「確か修道院酒場を経営できるのは、司祭以上の位階を持つ聖職者ですわよね。そうしますと、店主さんが聖職者も兼務していらっしゃるということかしら?」
どう見てもらしく見えない……ある程度教養があるのは、言動や所作の端々から感じられるのだが、あの年齢で司教以上となれば間違いなく親の七光り。聖職者の道に進んだ、高位貴族家の次男、三男あたりによくある話だが、貴族の子弟という風でもない。
では一体どういう立場の人間なのか? と首をかしげるシャルロットに向かって、妖精族の少女が屈託なく種明かしをする。
「ああ、マスターは女神さまの寵愛を賜った“聖人”として認定されているので、この《聖域》の管理を任されているんですよ。ビストロなのは趣味だそうです」
さらりと明かされたいろいろとツッコミどころ満載の事実に、ピンと来ていないらしいエミリィが「へ~~」と感心して、傍らのその反応で逆に一周廻って冷静になったシャルロットは頭を抱えた。
「女神さまの寵愛を賜った聖人。……教会も認定しているということは正真正銘の本物よね」
「まあマスター曰く『あの世でお互いに仕事の愚痴を言い合った仲なだけだし、“聖人”呼ばわりされるような善行や徳を積んだとかでもない、ただ異世界から偶々転生しただけの特典なので、聖人じゃなくてせいぜい“異聖人”だな』だそうですけど」
「「異聖人……?」」
再び目を白黒させる部下二人を尻目に、メイアと青年のやり取りはヒートアップを重ねる。
「なら私に美味いと言わせてみろ! そうしたらきちんと正式な営業許可を出してやろう」
そう啖呵を切るメイアに、「あのお嬢様、この店は教会の……」恐る恐る声を掛けるシャルロットの注意も何のその、青年も受けて立つとばかり大きく頷いて応えた。
「――ふん。そんなことか」
「言っておくが、私は仮にも(没落したとはいえ)伯爵令嬢だ。こんな鄙びた場所の若造料理人如きに、私の舌を納得させられると思うなよ」
「ふ~~ん、伯爵家のお姫様で騎士ねえ。これが本当の姫騎士ってやつだな……」
「? なにを言っているんだ、お前は?」
「いや。なんでもない。まあいいさ。料理人なら腕でその口を黙らせてやるとも」
「大言壮語を吐く青二才だな」
ということで、結局のところ青年が振る舞う料理をお任せで堪能することになった三人は、適当に空いているテーブル――貴族が使うような白いテーブルクロスが掛かっていることに軽く息をのんで――へと着く。
ほどなく運ばれてきたのは食前酒。ピンク色をした発泡酒が、飾り気のないガラスのグラスに入れられて運ばれてきたのを前に、
「なんだこれは!? まさか発泡したワインにカシスを入れたキールロワイヤルか?!?」
王侯貴族の宴席でもなければ滅多に飲めない高級酒かと、見た目からそう判断したメイアは仰天した。
「いえ、最初からそういう色をした“シャンパン”のロゼだそうです」
「シャンパン……? ロゼ??」
聞いたこともない酒の名前に警戒しながら、匂いをかいだりグラスを傾けたりしながら、警戒をあらわにするメイアとシャルロットであったが、
「美味しい~♡ いけますよ隊長、先輩。しゅわしゅわして不思議な口当たりですけど、なかなか素敵な味ですよ」
頓着せずに口にしたエミリィの歓声に、鼻白んだメイアもグラスを口に運ぶ。
「――むっ。悪くはない…な」
「ですよね~」
明らかに肩の力が抜けたメイアに屈託なく同意するエミリィ。
普通、田舎町にある食堂の食前酒といえば、ワインとは名ばかりの混ぜ物や水増しで飲めたものではないというのが定番なのだが、この酒は非常に上質で余計な不純物など一切入っていないのがすぐにわかった。
村の酒場などは飲んだくれ共の不潔な体臭や腐った食材の臭い。さらには汲み取り式のトイレの臭い。そしてトドメに亭主が臭い消しにと、沸騰させた酢を撒くという慣習も合わさって、若い娘であるメイアなど五分と滞在したい場所ではないというのに、天井に吊るされた角燈に照らされて見える女神亭は、隅々まで綺麗に掃除がされていて、花瓶には季節の花が飾ってあり、目にも鼻にも優しくまるで自宅にいるかのような居心地の良さである。
居心地の良さに逆に居心地の悪さを感じながら、三人が山羊のチーズにオリーヴオイルをかけたものをアミューズ・ブーシュにして、ちびちびと食前酒を飲んでいると、待つほどのこともなく前菜から順に運ばれてきた。
ポロネギを玉ねぎで炒めて、牛乳で煮たスープ“ネギのヴルテ”。
半熟卵のキノコ炒め添え。
ひよこ豆のペーストにスライスした小かぶで彩りを加え、白パンを添えたもの。
そしてメインディッシュである“ステック・アッシェ”とやら――を前に、ぐうの音も出ないほど完敗したのだった。
周りの視線が自分ひとりに注がれている中、メイアは一度だけ唇を噛んで、ヤケクソのように言い放つ。
「わかった! 確かに美味かった。私の負けだ。ちゃんとこの店を王国に登録して、正式な飲食店と認めるよう砦に戻ったら書類を発行してやる!」
「やったあーーーっ!!」
小躍りしながら、女給の娘はすかさずお代わりの皿をエミリィの前に置く。
「よっしゃあああああああっ!」
お代わりを口に出したくても出せずにお預けをくっていたエミリィは、嬉々として舌鼓を打つのだった。
「…………」
周りの全員が状況をわかっていない――店の許可を出す権限などなく、現在の形で営業してもたとえ国王陛下でさえ横やりは入れられない――ことに複雑な心境で苦笑いしながら、シャルロットだけが無言で状況の推移を見守っていた。
そんなシャルロットに向かって、店主の青年が軽く小首を傾げながら尋ねる。
「――で、その場合、税金は何割になるのかな? 言っておくけどウチの店はマトモな客が少ないので、だいたいが物々交換か現物払いになっているんだが」
問われたメイアとシャルロットは互いに視線を交わせて、
「こういう場合は売り上げの三割が妥当かしら?」
「いえ、あくまで民間の飲食店に関する規定ですが、こちらの領地は物流の関係で特務法の適用により、さらに二割が加算される計算です(まあ教会関係者は無税ですけど)」
どうにも風向きが怪しい話に、青年は顔を顰めた。
「おいおい。五割もとられたらやっていけねえぞ。原価率が三割超えたら飲食店なんて倒産するしかない……つーか、ひでー法律だな、それ」
「たしかにそうなんだけど、悪法でも法は法だし……」
「ああ、そうですわ。この店は基本現金を使わない、物々交換で成り立っているのですよね?」
「ああそうだ」
「ならば抜け道があります。物流交換法の対象になるので、その場合は現金に相当する物で充当することは可能です」
シャルロットの提案に、夢中で食事を摂っていたエミリィが勢いよく顔を上げた。
「つまり、税金代わりにあたしたちが毎日ここで飲み食いするってことですね!」
こういう時には抜群の勘の良さを発揮する少女である。
苦笑しながら、メイアは頷いて肯定をした。
「そういうことよ。どう、悪い話じゃないでしょう? 私たちも正直、砦の保存食は食傷気味だったから、ここで今日みたいな美味しいご飯が食べたいのよ」
完全に公私混同だが、辺境警備隊のお墨付きをもらえれば、これまで以上にこの店も堂々と大手を振って営業できるだろう。
諸般の事情を考えれば双方ともに悪くない落としどころだと、シャルロットは胸中で打算するのだった。
――ふーん最初はツンケンした高慢なだけの女騎士かと思ってたけど、案外素直で可愛いところがあるな。何より俺の料理を『美味い』と喜んでくれるところが気に入った。
と思いつつ青年は鹿爪らしい表情を崩さずに頷き返した。
「のった! ただし、俺の料理はその日の材料に応じて変わる即興だ。同じ料理は滅多に出ないし、日によっては材料不足で休業することもある。それでよければ、いつでも食いに来てくれ」
「わかったわ。よろしくね、スポンタネ」
「今後とも、お嬢様ともどもよろしくお願いします、スポンタネさん」
「美味しい料理を楽しみにしてるよ、スポンさん!」
「いや、俺の名前がスポンタネってわけじゃなくて……まあいいか」
和気藹々と挨拶をしてくれた三人のかしましい女騎士を前に、ため息をついた青年は、デザートに取り掛かるべく厨房に戻るのだった。
そうしてこの日から、万魔の森と呼ばれる魔境にひっそり佇むビストロ『女神亭』に、三人の常連が増えたのだった。
ご感想や評価をいただけますと作者の燃料になりますので、よろしくお願いいたします!
なお、中世・近世ヨーロッパでは食堂に入るとコース料理(と言うか店のお任せで何品か)で出てくるのが当然で、単品料理というのは露店や旅行先での非常食扱いでしたので、例えばカツ丼一品だけとかで終わったり、追加料金をとって別の料理を出したりすると、まず間違いなく客が激怒して店を破壊しますので、面倒でもコースで出しています。
あと料理屋や酒場で『水を飲む』という習慣もなかったので(水は体に悪いという迷信があったくらい水が悪かった影響もあり)、いきなりお冷やを出すとやはり暴れ(ry
※貨幣=王国賤貨(約10円)×10=王国廉貨(約100円)×10=王国銅貨(約1000)
ランチでだいたい王国銅貨1枚
王国銅貨×10=王国銀貨(約10,000円)×10=王国金貨(約10万円)
田舎では物々交換でだいたい通じてます。
※中世ヨーロッパと同じで貨幣の鋳造は自国内では行わず(偽造防止のため)他国に外注しています(ちなみに洞矮族が手すさびに行っています)。
※なお、この作品はあくまで異世界を舞台にしたものであり、現実の世界における鳥獣の捕獲等に関しましては、狩猟免許等の取得が必須です。
《一口メモ》
王冠箆鹿の調理法。
仕留めたらその場で血抜きして、解体する。
厨房で各部位に切り分けたのち、植物油とハーブでマリネして冷暗所で二~三週間熟成させる。
肉質は鉄分を多く含む赤身肉だが、鹿類の脂肪は人間の胃の中では消化されないので完全に取り除く。
一般的には若い個体よりも年を経たもののほうが赤身と風味が強い。
雄と雌では雄の方が堅く風味も強い。また火の入りも雄はなかなか火が通らないが、雌は比較的火が入りやすいなど違いが有るので調理の際には気をつけるようにする。