(8)
ヒュポモネー山地への入り口には、両開きの大きな鉄の門がそびえていた。しかし門と、門を支える柱があるだけで、山地を囲むような塀はない。これならどこからでも入れそうな気がするが、法術で見えない壁がはられているので、門を開けないかぎりは進入できないということだった。
ファイはさっそく学院長に借りた鍵を鍵穴に差し込んだ。重い音がして、門が勝手に開いていく。七人が通り過ぎると、門はまた自動的に閉まった。
何だか閉じ込められたような気分だ。夜もふけ、あたりは真っ暗なので、よけいに不安が増すのかもしれない。きょろきょろしながら野営地まで行ったシータは、そこで馬を下りた。
「さてと、まだ巣穴で眠りに入っていなければいいが……どのあたりで遭遇したか覚えているか?」
「何となくはわかるけど、イーオスって夜でも活動しているの?」
ラムダの質問に答えながら、シータは首をかしげた。
「たいていは休んでいるが、今は幸いなことにぎりぎり休眠期前だからな。連中もできるだけえさを確保するために動き回っているんだ。たいていつがいで棲むから、一匹いたのならもう一匹がまだうろついているはずだ」
問題は、昼間より見えにくいからかなり注意しなければならないということだった。それでなくても、武闘学科生の研修場所であるため、イオタたち神法学科生やローにはきつい道のりだ。そこで話し合い、山へはラムダとシータ、そして空を飛べるファイだけで登り、イオタとミューはその間に薬を作り、ローはその手伝いをすることになった。
「俺も行ってはだめか」
まだ右目は使えるんだがと言うタウに、ラムダは「だめだ」と即答した。
「……そうだな。今は足手まといだからな」
「たまには俺たちに任せろという意味だ。別に恥ずかしいことじゃない」
ラムダが笑ってタウの肩をたたく。タウもうなずき、素直に従った。
たいまつを手にしたファイが『翼の法』を唱え、宙に浮く。
「行ってくる」
「気をつけて」
四人に見送られ、シータたち三人は木に固定された五番の札が見えるところから山へ入っていった。
この前研修で来たときと同じ道であるのに、昼と夜ではまったく違う場所に思えた。うっそうと生い茂る草木も威圧的で、脇から何が飛び出してくるかわからない恐怖感に緊張しながら、シータたちは黙々と進んだ。
頭上のファイがうまく前方を照らしてくれるので足場は見えやすい。できればイーオス以外の獣や罠に出会わないようシータは祈ったが、そう期待どおりにはいかなかった。
「左側。何かいる」というファイの忠告に、シータとラムダは武器を構えた。とたん、大きな獣が左手の草むらから飛びかかってきた。シータは夢中で剣をないだが、獣は器用にかわしてシータを押し倒した。そのままのどに食いつこうとした獣を、ラムダが槍で横から貫く。狼かと思ったが、ファイのたいまつで明らかになったのは大型の野犬だった。口をめくると、先に小動物を食らったのか歯に血がついている。
「危なかったな」
ラムダの言葉にシータがうなずいて立ち上がったところで、ファイがあらたに警告した。
「いる。近いよ」
今度は何が――尋ねかけたシータにも正体がわかった。風上から漂ってくるかすかな腐臭、これは間違いない。
おそらく今の攻防に誘われてきたのだろう。あれだけの巨体でありながら足音一つ立てずにじり寄ってくるイーオスに、シータは寒気を覚えた。もしこちらが風上であれば、まず気づかなかっただろう。
浮いていると狙われてしまうので、ファイも地上に下りてきた。シータとラムダの後方に移動したファイは、ふところからひもで結んだ小石を取り出した。
「それは?」
「おとり。中に炎を封じてあるから、イーオスが食いついたら急所を突きに行って」
いつの間に用意していたのか。ファイの準備のよさにシータは感心した。
ファイはひもをにぎりしめ、先端に結んである小石を回しはじめた。ぶんぶんと一定の調子で回し続け、「いくよ」と声をかけてから小石を空中へ放り投げた。
大木の向こうから長い舌がのびてきた。素早く小石をからめとった舌の主が踏みつぶされたような悲鳴をあげる。口の中で石が発火したのだ。
シータとラムダは大木の陰へ走った。ファイがすぐにたいまつの明かりを広げたおかげで、巨体が浮き彫りになる。もだえ苦しんでいるイーオスの左右からシータとラムダはそれぞれ剣と槍を耳に突き刺した。タウと同じ目にあわないよう、顔をそらしながら慎重に武器を引き抜く。イーオスの倒れる音に驚いたのか、木の枝にとまっていたらしい鳥たちが鳴きながら飛び立った。
イーオスはしばらく体をひくつかせていたが、ついに絶命した。石はまだ燃えているのか、開いた口から灰黒い煙がくゆり出ている。
予想より早く捕まえられたのは幸運だったが、この先どうするのだろう。まさかこの大きな体を野営地まで引きずっていくわけではないだろうし。シータが剣をしまいながらファイをふり返ると、ファイは手袋をつけて近づいてきた。
「心臓を取り出すから手伝って」
ファイがラムダにも手袋を渡す。ラムダは眉をひそめながら手袋を装着すると、腰の短剣でイーオスの皮膚を切り裂いた。ファイがもう動いていない心臓を手づかみで引っ張りだしたので、シータはつい「うぎゃっ」と叫んでしまった。腐臭もすごいが、見た目も気持ち悪い。どうしてファイが平気そうな顔をしているのかわからない。吐き気がして口を押さえたシータの前で、ファイはラムダから短剣を借りて心臓に切り込みを入れると、用意していた小瓶に血をそそいだ。小瓶いっぱいまで入れてから丁寧に蓋をしたファイは心臓を捨て、ラムダに短剣を返した。
「これから一刻が勝負だから、急ぐよ」
手袋も捨てたファイが二人をかえりみる。イーオスの血は腐りやすく、新鮮な状態で使わなければ何の効き目もなくなると聞いて、シータは『翼の法』で先に帰るよう勧めた。自分たちのことは心配ないからと。ファイも二人なら大丈夫と考えたのか、野営地へ飛んだ。
たいまつはラムダが受け取り、二人は山を駆け下りた。幸い帰りはこれといった危険な生き物にも出会わず、無事に野営地に戻ったシータたちは、すでに薬ができあがったことを知った。
薬は間に合ったが、タウの目が治るかどうかは微妙なところだった。あまりにも時間がたちすぎていて、手遅れである可能性も高いらしい。
タウはミューに『誘眠の法』をかけられ、眠っていた。ファイは「始めるよ」と声をかけ、詠唱しながらタウの左のまぶたを指でひらいた。毒が目全体に広がっているため、目薬をさすだけでは完治は難しく、ファイはタウの左目を抜き取って洗うという荒療治に出ることにしたのだ。
ファイがゆっくりとタウの左目に匙を入れていく。取り出された目玉は半分以上がどす黒く染まっていた。
イオタとミューが短く悲鳴をあげて顔をそむける。ファイは鍋にためた薬で目玉を傷つけないよう慎重に洗い、またタウに戻した。最後に『治癒の法』をかけてから、開いたままのタウのまぶたをそっと下ろす。長大息をついたファイが終わったことを告げると、全員がほっとした表情になった。だが本当に治ったかどうかは、タウが起きなければわからない。
「どうする? 起こしてみる?」
ファイの問いかけに、ラムダはかぶりを振った。
「このまま寝させておこう。ずっと会議だなんだで忙しかったから、疲れてるだろうしな」
「そうね」
規則正しい寝息を静かにたてているタウに瞳をすがめ、イオタもうなずく。
成功したと信じたい。きっと大丈夫だ。タウの穏やかな寝顔を見つめながら、シータはそう祈った。
それから夜明けまではラムダが火の番をすることになり、他の仲間は全員休んだ。だがシータはどうしても眠れず、寝床を這い出してたき火の前に座っているラムダに近寄った。
ラムダは隣に腰を下ろすシータに苦笑すると、あたたかい飲み物を用意してくれた。ファイの眠り薬が入っていないことを確認してから、シータは息を吹きかけて茶を口に含んだ。
「ラムダは、タウのお父さんのこと知ってたの?」
空間のはざまで見た映像が頭のすみにずっと引っかかっていた。幼い頃のタウが経験した、あまりにもむごい出来事が。
「教えてもらったのは二回生になってからだ。知っているのはカラモスのおやじさんや先生たち、シアンさん、あとはたぶんバトスくらいだろう」
ラムダは手持ちの杯をからにすると、新しく茶をついだ。
「入学したときからタウは強かったが、練習や研修でいいかげんなことをする人間に対してよく怒っていた。マギスたちに食ってかかったのもその一つだ。他人のことなのにどうしてそんなにむきになるのかわからなかったんだが、あいつから話を聞いたとき納得した。武器をにぎるということは、命の危険にさらされる場に身を置くということだ。あいつはそれを意識してずっと鍛錬してきたから、適当に剣を振るう人間が許せなかったんだな」
たき火がはぜる音が響いた。煙は暗い夜空に向けてゆっくりと立ちのぼっていく。
「タウの母親の家は宝石商を営んでいてな、母親も卒業と同時に店の一つを任されたんだ。もともと婚約はしていたし、騎兵隊への入隊をあきらめたタウの父親は、護衛役をかねてすぐに結婚したらしい。だが金目のものを売る商売人は盗賊に狙われやすい。俺たちが見たのは、ちょうど貴族の屋敷に出向いた帰りの事件だ」
ふだんは両親が二人で出かけ、タウは祖父母の家で妹と留守番をしていたのだが、その日にかぎって妹がぐずって泣きやまなかったので、しかたなく家族四人で行ったらしい。
「あの話にはひどい続きがあって、実は盗賊を雇ったのが、タウの両親を呼んだ貴族だったということだ。表面は派手にしていながら内情はかなり金に困っていたらしくて、宝石を買うふりをして招き寄せ、根こそぎ奪う計画だったそうだ」
主犯の貴族は一応捕まったものの直接手をかけたのは盗賊だったため、処刑されたのは盗賊のみで、貴族は軽い罰を受けただけで済んでしまったと聞き、シータは怒りのあまり言葉が見つからなかった。
「父親が亡くなってから、タウの母親は宝石商をやめた。それからタウはずっと家で父親の代わりになろうとしてきたんだろうな」
母親が立ち直るまで、かなりの年月を費やしたという。そしてようやく夫の死を正面から受け入れられるようになって、香料店を開いたのだ。
本当はもっと庶民的な店にする予定だったが、目が肥えていたせいで良質かつ品揃えがよいのが評判になり、結局また富裕層を相手にするようになってしまったという。
タウが剣を習うと言い出したとき、母親はとめた。父のように命を落としてほしくないと。だがタウは死なないために剣を使えるようになりたいのだと説得した。父の分も母と妹を守るために――大切な者を失わないために、そして自分自身も生きのびるために、強くなりたいと。
「あいつがやけに口うるさかったり生真面目なのは、たぶんそこからきてるんだろうな。同じ長男なのに、背負っているものが違いすぎる」
俺だって弟や妹の面倒は見ているが、タウに比べればずいぶん気楽にやっているからなとラムダが自嘲気味に笑う。
考えすぎて、自分の立場を重く受けとめすぎて、つぶれないだろうか。嫌になったことはないのだろうか。
「どうだろうな。でもあいつにとっては、母親がいて、妹がいることが幸せなんじゃないか」
今は一緒に冒険できる仲間もいるしな、とラムダは言うと、そばに積んでいた小枝を火へ放り投げた。
「できれば、あいつを特待生にしてやりたかったな」
ぽつりと届いたラムダのつぶやきが胸にひびき、シータは手の中の杯を見つめた。
『メーセの鏡』は手に入らなかった。審査はまた不合格になってしまうのだ。空間のはざまで見た片目の父親とタウが重なり、シータは苦い思いとともに残りの茶を一気に飲み干した。
翌朝、タウは目を覚ました。朝食の準備をしていた皆のそばへやってきたタウは、はにかんだ笑みを浮かべながら「おはよう」とあいさつをした。
「目はどうだ?」
誰も聞けなかったことを、ラムダがやっと口にした。緊張が走る中、タウは「よく見える」とはっきりと答えた。
「痛いとか、違和感とかはない?」
「大丈夫だ」
イオタがようやくほっとした容相になる。全員が顔をほころばせる中、タウが真顔になった。
「みんなには迷惑をかけた」
「まったくだわ。これじゃあ私がこの集団の代表になったほうがよさそうね」
手を腰に当てるイオタに、ラムダが「冗談じゃない」と反対した。
「イオタがなるなら、俺がなったほうがまだましだ」
「何よそれ」
言い合う二人に、ミューやローがくすくす笑う。一人冷静に鍋の様子を見ていたファイが「ご飯できたよ」と言ったので、シータは人数分の食器を次々にファイに手渡し、ファイが平等によそっていった。それから七人はたき火を囲って食事をとった。おいしいといえばおいしいが、やけにおもしろい味がするなと思ったら、「ファイ、あんた何か変な調味料入れたでしょ!? やめてって言ったじゃないっ」とイオタが怒った。
「でもなかなかいけるよ」
「だめよ、そんなこと言ったらファイが調子に乗るでしょっ」
援護したローにイオタがかみつく。タウが一番に噴き出し、シータたちもつられて笑った。
それから七人は出発するため、手分けして後片付けをした。今日の放課後には結果を報告しなければならない。失敗したことを伝えるのは気が重かったが、いつものように手際よく作業を進めるタウを見て、これでよかったのだと考え直した。
乗ってきた馬は再びタウに譲り、シータは馬車に乗ることにした。木にくくりつけていた手綱をほどくとき、タウが言った。
「お前が緑の魔王の事件の後、いらついていた気持ちがよくわかった。思うように動けないのはつらいものだな」
今まで当たり前のように使っていた、自分という存在そのものを表している力を振るえないのは、たまらなく不安で、恐い。
そしてタウの父親について聞いた今は、正しい方向に極めていきたいという気持ちがいっそう強くなった。決して悪事のために剣を抜くことがないよう、己を律していかなければならない。雲一つない空をあおぎ、シータはあらためてそのことを胸に刻んだ。




