(7)
二日後の早朝、シータたち七人は学院長に許可をもらい、平日ではあったがサルムの森へ出発した。いつものとおりタウとラムダはそれぞれ馬にまたがり、残る五人はローの家から借りた荷馬車に乗り込んでの道のりだった。
空はうっすらと青みがさしているものの雲が多く、満月が隠れないか微妙なところだった。あれからタウは何も言わないが、その左目はもうほとんど見えなくなっているに違いない。どこかいらついた感じがするのも、視界のせまさが原因かもしれない。ラムダは常と変わらずタウや他の仲間たちにあれこれ話しかけ、冗談も口にしていたが、イオタは完全にタウを無視し、ぶすっとした面持ちでずっとよそを向いている。
ファイが『早駆けの法』を使ったので、七人は昼前にはサルムの森に到着した。安全な場所で弁当を広げ、どこで野営するか話し合った後、再び腰を浮かす。イオタとミューとファイは何やら小声で相談していたが、移動を始める頃には何でもない顔つきになっていた。
前に奇跡のパンの材料集めにきたとき、オオハチトリバチに追いかけられて大変だった話をローに聞き、シータはぞっとした。一見緑豊かでとても穏やかな森なのに、研修地であるヒュポモネー山地に匹敵するくらい危険な生き物が多いらしい。油断しているとひどい目にあうぞとラムダが肩ごしに笑ったそばから、耳ざわりな羽音が聞こえてきた。どうやらオオハチトリバチが来たようだ。シータたちは大人数でうろついているので目立たないわけがない。きっとえさのかたまりだと判断されたのだろう。
現れたのは一つの集団である五匹だけだった。その大きさにシータは面食らったが、オオハチトリバチが仲間を呼ぶ前に片づけなければ大変なことになるとせかされ、イオタの炎で先制攻撃をしかけ、よろめいた五匹のオオハチトリバチをシータたちが両断した。こちらも戦う人数がそろっているのでそれほど苦労はしなかったが、タウはやはり戦いづらそうで、右目で見ようとして体が左へずれていっていた。
その後も外見は可愛らしいが実は凶暴な小動物や、毒虫、毒草など、シータは仲間から注意されたり教えられたりしながら進んでいった。カーフの谷で悪夢の花に飲み込まれたことがきっかけで、以前よりは授業をまじめに受けるようにはなったが、まだまだ知らないものはたくさんあり、シータはできるだけ森の動植物に触らないよう気をつけた。一方イオタとミューは間で二回ほど寄り道してこそこそ草を摘むことがあり、あまり離れるなとタウに叱られていたが、イオタはやはり知らん顔で返事もしなかった。
そして日が暮れる前に野営場所へ到着した七人は、念のため周囲の安全確認をしてから荷物を下ろした。ここからサルムの化粧台まではまずまずの近さなので、推定される時間まで休憩をとることにした。
途中で食料は確保していたので、タウとラムダが火をおこしにかかった。二人の手伝いをしていたシータは、イオタとファイの姿が消えていることに気づいた。タウは残って野菜を切っていたミューに二人の行方を尋ねたが、ミューも「さあ?」と首を傾けるだけだったので、タウはむっとした表情になった。そうしているうちにイオタとファイが戻ってきた。
「どこへ行っていたんだ」
「目的地には着いたんだし、別にどこに行こうが自由でしょ」
追及するタウにイオタがそっけなく答える。
「みんなで行動しているときは誰かに一言告げていくべきだろう。勝手にふらつくな」
「あら、誰かさんだってこの冒険を勝手に決めたじゃない」
「イオタ、いいかげんにしないかっ」
「何よ、目が見えないからって、いらいらして人に八つ当たりしないでよ」
タウがぐっとこぶしをにぎる。明らかに怒鳴りかけた口の形をゆがめて歯がみするタウとイオタはにらみあった。
「好きにしろ」
吐き捨てるように言って、タウが火の上に鍋をかける。イオタはタウの背中をしばらく見つめてから、野菜を処理しているミューのもとへ行った。
全員が黙々と作業して夕食ができあがり、七人は輪を作るように座って料理を口に運んだ。今日一日かなり動いたので腹がすいていたシータはすさまじい勢いで平らげていき、その様子にようやくみんなが笑みを見せた。それからはたわいのない話をして過ごしたが、タウとイオタはやはりお互いに言葉をかわさないままだった。
それからミューが一時ラムダを連れて離れた。シータとローもファイに呼ばれたが、タウとイオタを二人だけにすることをシータがためらうと、また後でと言ってファイは先にローと席をたった。
三人でたき火を囲んでいる間も、タウとイオタはいっさい口をきかなかった。せっかくなごみかけていた空気がまた冷えてきたことに落ち着かず、シータはもぞもぞと体を揺すった。
「タウはどうして剣をもつようになったの? お父さんの影響?」
シータの質問に、タウは一度目を伏せてから答えた。
「……そうだな。父はゲミノールム学院出身で、武闘館でも五年間剣専攻総代表を務めた特待生だった」
ということは、タウの父親は強かったのだ。タウの素質は父親譲りなのかと納得しかけ、シータは疑問をいだいた。
「あれ? じゃあどうしてカラモスさんに教えてもらったの?」
もしかして忙しい任務についていて、なかなか相手をしてもらえないのだろうか。
「俺が四つのときに死んだ」
それまでうつむいてたき火を眺めていたイオタも、はっとしたように顔をあげる。まずいことを聞いてしまったかと動揺するシータに、タウは続けた。
「おやじさんより一つ年上だったんだが、父が参加した御前試合を見た第一騎兵隊の隊長から、卒業後はぜひにと誘われていたそうだ。だが五回生のとき、武闘館内で起きた闇の信者との戦いで右目を失って、治療も間に合わなかったとかで、結局卒業してすぐ母と結婚して、一緒に店を経営するほうを選んだと聞いている」
タウは足元に積んでいた小枝をたき火に投げた。
「母は俺が剣をにぎるのを反対していたんだが、どうしても父のように強くなりたくてな。それでこっそりおやじさんの店をのぞいていたら、おやじさんに声をかけられたんだ」
たき火を映すタウの赤い瞳は、過去をなつかしむような色をしていた。タウにとってはきっと尊敬する父親だったのだろう。
自分の母は、祖国で第一王女の身を守って命を落とした。またファイの父は伝染病にかかって亡くなったという。タウの父の死の理由も気になったが、好奇心をまるだしにするのは失礼かと思いなおし、シータは口をつぐんだ。
自分は今、祖父母と一緒に暮らしていて、平和だ。画家の父はあちこち旅していて、めったに帰ってこないけれど、祖父母のおかげで寂しさはそれほど感じていない。
ファイも母親やシャモアに大切にされているのがわかる。では、タウはどうなのだろう。
あれこれ考えていると、ミューたち四人が帰ってきた。シータは何の話だったのかファイに教えてもらおうとしたが、そろそろサルムの化粧台の前で待機しようということになり、結局おあずけになった。
サルムの化粧台は森の一番深いところにある。周囲の木々もしだいに増す中、頭上の月明かりとたいまつの炎だけを頼りに、七人は慎重な足取りで進んだ。
時折鳥のはばたきが近くでしては、イオタがびくりとあたりを見回す。澄んだ虫の音は耳に心地よかったが、流れる雲に月が隠れることもあり、暗闇はどんどん濃くなっていく。
やがて前方のひらけた場所に白っぽいものがぼうっと浮かび上がった。腰の高さくらいの大きな楕円形の石がぽつんと置かれている。幅はタウとラムダが並んで両手を広げた程度あった。
「あれがサルムの化粧台か」
七人は上空をあおいだ。月はもうじき天頂にさしかかろうとしている。あと一刻ほどか。
化粧台にはくぼみがあり、常に水がはられている。満月が化粧台の水に映ると水が黄色くなるという。それを『メーセの鏡』と呼び、たった一滴で植物の育ちをよくしたり、枯れた大地を生き返らせたり、また女性特有の病にも効くと言われていた。
ファイが背負っている袋から小瓶を取り出す。何気なくのぞいたシータは、ファイの袋の中に草が入っているのを見た。
回復剤などの飲み薬が入った水筒は常に用意しているのを知っているが、草まで入れているとは思わなかった。何に使うのだろうといぶかるシータに、ファイが唇の前で人指し指をたてた。
ここで口にしてはいけないことなのか。とりあえずシータがうなずいたところで、「ちょっと化粧台をのぞいてみるか」とラムダが言い、タウが一緒に歩きだした。イオタとミューはぼんやり月を見上げていたが、化粧台へ近づいていくタウとラムダに気づいて叫んだ。
「待って、まだ近づいちゃ……!!」
ラムダが先にとまってふり向く。少し遅れて足をとめたタウの周辺の空気が不意にゆがんだ。
「ラムダ、タウを連れ戻してっ」
悲鳴まじりのイオタの声にすばやく反応したラムダだったが、間に合わなかった。タウはぐにゃりと揺れる大地に沈んでいく形で姿を消した。
「タウ!?」
「だめ、ラムダ!」
タウを追おうとしたラムダをミューがとめる。踏み出しかけた足を引っ込めたラムダはあとずさり、シータたちもラムダのそばに駆け寄った。
「何が起きたんだ!? タウはどこに行ったんだっ」
「空間のはざまに落ちたのよ。満月の日は月と大地の力が強く働きすぎて、ああやって地面に別世界へのすきまができるの。だから『メーセの鏡』はファイに『翼の法』で取りに行ってもらうつもりだったのに」
なんてこと、とイオタがれんが色の髪をかきむしる。
「薬のことに気をとられていたから、話すのを忘れていたわ……うかつだったわ」
「どうするんだ? タウは助けられるのか?」
「入ることは簡単よ。出るのはちょっと苦労するけど。もたもたしていられないわ。行くわよ」
落ちたときにはぐれないよう手をつなぎ、六人はタウが消えたあたりに向かった。とたん、体に違和感が生じた。実体があるのにないような、奇妙な感覚。自分が浮いているのか落ちているのかもわからない。視界が大きくねじれるさまにシータは吐き気をもよおした。
「着いたわよ」とイオタに言われたが、暗い足元はまるで水の上に立っているようで、ぐにゅぐにゅしていて気持ち悪かった。歩くと体重で微妙に沈み、ずいぶんと不安定だ。
タウは思ったよりも早く見つかった。シータたちは喜んで走っていったが、タウはかえりみることなく、ただ立ちつくし、前だけを見つめていた。
そこにはたくさんのタウがいた。今と同じ年頃のタウもいれば、ずっと幼い頃のタウもいる。空間のはざまは時間さえも狂わせるのか、タウの記憶が入り交じり、映像となって現れているらしい。
“イオタは特待生を狙っているのか?”
“当然よ”
会話しているタウとイオタは、どうやら会議が終わった後のようだ。代表生徒会だったのだろうか。
次に映ったのは先日おこなわれた代表戦だった。タウの視点で見るアレクトールの動きは読みづらい。この状態でタウは戦っていたのか。そして血が飛び散った瞬間、映像は切れた。
今度は教官室でウォルナットと向き合って座るタウの姿が現れた。
“お前については言うことはないな。成績も素行も文句なしだ。希望どおり武闘館へは楽に進学できるだろう。ただ特待生入りについては……正直、厳しいかもしれん”
おそらく進路相談の場面だろう。そしてシータも知っている出来事がぱっと出てきた。
イーオスにタウがとどめを刺していた。剣を抜いたタウが左目を押さえる。このときに体液が目に入ったのだ。
不意に画面が暗くなった。今より少し小さいタウが、上級生に囲まれている。中心で笑っているのはマギスだ。
合同演習でタウの背後から上級生がわざと体当たりしてタウを転ばせた。更衣室の棚が荒らされ、集団でタウに詰め寄り、文句を言い、腹に蹴りを入れる。床にうずくまっても、全身傷だらけになっても、タウは唇をかんでマギスたちをにらみつけていた。
“剣は遊び半分で使うものじゃないっ”
“黙れ。一回生のくせに生意気なんだよ”
「もういい、タウ」
ラムダがタウの肩をつかんだ。しかしタウは身じろぎもせず、よみがえる過去の記憶に目を向けている。
また映像が変わった。今度は一回生の合同研修のときのことなのか、今より幼いラムダとバトスがいた。のんびりいこうというラムダやバトスにタウが怒ってせかしている。ついに一人で先に行ってしまったタウに、ラムダとバトスがあきれ顔で肩をすくめた。
入学試験に挑むタウ、カラモスから剣の手ほどきを受けるタウ、とさまざまな光景が浮かんでは消えていく。そして――シータははっと緊張した。今までで一番暗い背景。
「やめろ、タウ!」
ラムダが怒鳴った。しかし画面は消えない。盗賊に囲まれた馬車から下り立ったのは、まだ二十代半ばくらいの男だった。茶色い髪に赤い隻眼の男はたくみな剣さばきで盗賊を斬り捨てていく。しかしそのすきに赤ん坊を抱いた女性が引きずりだされた。金髪の美しい女性――続けて子供のタウも道に投げ出される。盗賊は馬車から次々に箱を持ち出した。蓋が開いてこぼれたのはいくつもの宝石。
盗賊の一人が女性とタウに剣を振り下ろそうとした。女性が赤ん坊とタウを腕に抱きかかえて身を縮める。それを救ったのは隻眼の男だった。その背後でけがを負った盗賊がゆらりと立ち上がる。捕らえて尋問するために殺してはいなかったのだ。
ふり返った男の横腹から左肩にかけて、盗賊が剣先を払い上げる。血しぶきが舞い、男は地面に倒れた。仕返しとばかりに寄ってたかって男をめった刺しにしていた盗賊たちが、急に逃げ出した。警兵が駆けてくる。女性は動かなくなった男の頭を抱いて声をかけているが、男は目を開けなかった。泣き崩れる女性の隣でタウも座り込んで男を見ている。
父さん、とタウの唇が形づくったところで、「もういい。もう思い出すなっ」とラムダがタウを抱きしめた。
「イオタ、帰り道はどこだ!?」
「ファイに探してもらってるわ」
ラムダはタウの肩を抱いたまま引きずりはじめた。ファイが出口を発見し、皆の誘導に入る。シータは最後にもう一度だけタウの過去を見やった。
奇跡のパンをみんなで食べている場面が映っている。パンを口に運んだタウの声が聞こえた。
――母と妹を守っていけるよう、父を越える強い剣士に……
「シータ、急げっ」
ラムダの呼びかけに、シータは映像に背を向けて後を追った。
何とか地上へ戻ることができたものの、タウはまだぼんやりとしているふうだった。月はすでに天頂を過ぎ、西へと傾きかけている。イオタたちが荷物をまとめるというので理由を聞くと、これからヒュポモネー山地に向かうという。
「タウの目を治すのよ。そのために必要な材料は手に入れたわ。あとはイーオスの体液があれば完成よ」
これが一番やっかいだけど、とイオタがぼやく。イオタたちがこそこそと採っていたのはミラース草、オプシスの木の葉、ヴィスタの木の実で、全部薬に使うものだったのだ。
「先に言えば、タウはいい顔をしないでしょ。だから黙ってたのよ」
馬車に乗り込んだ七人は、ファイの『早駆けの法』で出発した。タウが荷馬車に乗っているので、シータがタウの代わりに馬を操った。
ラムダと並んで馬車の前を走りながら、シータはラムダを横目に見た。ラムダはタウの父親がどうやって死んだのか知っていたのだ。
あまりにも残酷だった。逃げる直前に耳に入ったタウの願いに、シータは泣きそうになった。
やがてタウが正気を取り戻した。自分が馬車に乗せられていることに驚いた様子だったタウは、行き先を聞いて渋面した。しかも自分を救出している間に月がサルムの化粧台を過ぎてしまい、『メーセの鏡』が入手できなかったことを知ると、どうして先に宝を取らなかったのかと怒った。
「いいかげんにしてよ。あんたってなんでそうなの? みんながどれだけ心配したと思ってるのよ」
「だがあと少しで手に入れられるところだったんだろう。あれがなければ審査には合格しない。イオタたちの特待生入りも絶望的になるんだぞ」
「そんなのどうだっていいわよ。本当にあんたってむかつくわねっ」
「落ち着いて、イオタ。タウが酔うわ」
タウの胸元をつかんで揺さぶるイオタをミューがいさめる。イオタは渋々タウを離すと、むすっとしたまま顔をそらした。
「タウ、お前が自分の目よりも特待生になることを本当に望んでいたのなら、『メーセの鏡』を取りそびれたことはあやまる。だけどもし俺たちのことを考えてだとしたら、見当違いだぞ」
手綱をさばきながら、ラムダがタウをかえりみる。
「将来がかかっている大事な審査なのに、腹は立たないのか」
「立ってるわよ。あんたの馬鹿さかげんに」
荷馬車の縁についた手にあごを乗せ、イオタが言い返す。ミューが薄紫色の双眸を弓なりにした。
「もちろん特待生にはなりたいわ。でも、誰かを犠牲にしてまでなりたいわけじゃないの。どちらかを選べと言われたら……いいえ、言われなくても、私たちはタウをとるわ」
「みんな、最初からそのつもりだったのか」
「計画をたてたのはイオタで、ファイと私がそれに乗ったの。ラムダたちには今日教えたばかりよ」
どんなにタウが文句を言おうが、次の満月の晩まで『メーセの鏡』は手に入らないのだからどうしようもない。ミューの返答にタウもようやくあきらめがついたのか、ため息をこぼした。
「ヒュポモネー山地に入るには、学院長の許可が必要だろう」
すでに承諾済みだと、ファイがふところから入域許可の鍵を取り出す。
「手回しのいいことだ」
タウは空をあおいで額に手を置いた。
「すまない」
自嘲のこもった謝罪に、イオタがタウを見やる。シータはラムダと目をあわせると、馬の脚を速めた。




