(3)
『大地の女神が微笑む月』に入って日がたつせいか、ヒュポモネー山地は赤や黄色にちらほら色づきはじめていた。吸い込む空気も少しひんやりとしている。野営地に到着し、背負っていた荷物を下ろしたタウは、一度大きくのびをして薄青い空をあおいだ。
全員が集合するのを待ってから号令をかける。班ごとに並んだ剣専攻生たちを前に、ウォルナット教官は研修についての最終注意を伝え、班代表はくじ引きに、副代表は用意された道具を取りに動いた。
今回の研修は指定された材料を採取してまわるものではなく、ひたすら山を登り、下りてくる早さを競うものだ。班は引いたくじ番号の札がある道を進むのだが、途中には危険な生き物や罠がしかけられているため、それらにうまく対処していかなければならない。
代表のバトスがくじを引いている間、タウはそれぞれの班に割り当てられた袋を取りにいった。袋の中には基本的な傷薬や、武闘学科生でも発動できるように工夫されている法術の札、そしてやむを得ず研修を終了させる事態に陥ったときに打ち上げる火薬などが入っていた。たりないものはないか確認してからタウはシータとアルスのもとへ戻ったが、一度研修を経験しているアルスはすでに頬がこわばっていた。一方、今回が初めてのシータは期待に満ちた表情で、これから全員が登っていく山を眺めている。
「俺たちは五番の道だ」
帰ってきたバトスがみんなにくじを見せた。出発地点からはどこが困難な道か判断がつかない。一度でも通った道なら少しは有利かもしれないが、番号が同じでも、去年と同じ道であるとはかぎらないのだ。どちらにしても楽な道が一本もないのはたしかだ。
準備が整ったところで、出発点への移動が始まった。早さを競うからといって、最初から最後まで走ればいいというものではない。班全員の帰還が一番の条件だし、そもそもこの山を駆け続けるのは不可能だ。
剣専攻生たちは奇妙なほど静まり返り、ウォルナット教官の合図を待った。やがて研修開始を告げる鐘が鳴り、各班はいっせいに動いた。
まず最初はとばしていく班、一定の調子で進んでいく班など、対策が分かれる中、タウたちはやや早足で行くことに決めた。先頭はバトスで、シータ、アルス、そして最後はタウが仲間の様子に注意しながら続く。道とは呼べないような草木に覆われた道を、四人は黙々と登っていった。やがて前方のやや細めの木に、五の二と書かれた札が貼りつけられているのが見えた。
「あった!」
札は順番に回収していかなければならないし、自分たちの方向が間違っていないことも示している。目についた札に嬉々として駆け出そうとしたシータの腕を、バトスが乱暴に引き戻した。
「待て、シータ!」
突然両脇から鋭くとがった木の枝が降りかかってきた。バトスがとめなければ今頃シータは串刺しにされていたかもしれない。さすがのシータも目の前で起きたことに悲鳴すらあげられなかったらしく、真っ青な顔でかたまっていた。
そのとき、遠くのほうで爆発音がした。上空に打ち上げられたのは、戦線離脱を表す合図だ。誰かが動けなくなるほどの大けがを負ったか、罠から抜け出せなくなったか――。
「早いな」
タウの言葉にバトスも唇をかみ、シータを見た。
「気をつけないと、俺たちも同じ目にあうぞ」
シータがうつむきがちにうなずく。研修を無事に終えることの難しさがようやくわかったのか、それまで鼻歌でも歌いかねない様子だった顔つきがきゅっとしまった。
四人は行く手をふさいだ木の枝を順番に伐っていくことにした。まずバトスが、次にタウが道を開いていく。ここで上級生だからとへたに張り切りすぎれば後でこたえるので、タウは適当なところでアルスに交代した。四人の共同作業でどうにか枝は片付けたが、かなり時間を使ってしまった。それでもタウはあせらないようバトスに念を押し、四人は山登りを再開した。
この研修でまず疲れて足がにぶるのはたいてい一回生だが、シータはまったくそんなそぶりを見せることなく元気にバトスについていっていた。おかげでシータとアルスの間に少し距離があくことが多かったが、タウは無理をしないようアルスに声をかけ、どうしても急ぎがちになるバトスにも注意した。そして昼が天頂を過ぎる頃、手頃な岩場に到着したので、四人は食事をとることにした。
座るなり、シータは一気に弁当をたいらげた。弁当箱の大きさはタウたちと同じくらいあったが、それをぺろりと腹におさめたので、見ていたアルスは目を丸くし、バトスは大笑いした。
「まったく、たいした奴だよな。普通このあたりになると、一回生は飯ものどを通らないくらいぐったりしているんだが」
最初に罠にかかりそうになってから、シータはタウやバトスの言うことをよく聞き、先走ることはしなくなった。間で何度か凶暴な獣に遭遇したり、罠にはまりかけたことはあったが、そのたびに四人は連携して乗り越えた。特にアルスは普段からバトスにあわせて攻撃することが多いのか、二人の息はよくあっている。このままいけば一位も狙えるだろう。
タウたちも食べ終わり、食後の片付けを始めたところで、バトスが袋から水筒と小さな器を出した。中の液体をそそいでまずシータに渡す。
「回し飲みするから、まずお前からいけ。体力回復剤だ。カルフィーに作ってもらった」
「差し入れは禁止のはずだが」
眉をひそめるタウに「かたいこと言うなよ」とバトスは手をひらひら振った。
「どうせどこの班もしているんだ。だったら平等にしないと損だろ」
おそるおそるといったさまで飲んだシータが目をみはった。
「すごい、もう効いてきた。ファイの薬と同じくらい早いね」
「学年一の秀才だぞ。当たり前だ。次はタウ、それからアルス、最後は俺な」
バトスはシータがからにした器に再度回復剤をついでタウに差し出した。渋々口に入れたタウも驚いた。シータの言うとおり、ファイが作った体力回復剤に劣らず効き目が早い。
どうやら自分で思っていた以上に疲労がたまっていたらしい。急に軽くなった腕や足を屈伸させていたとき、上空で爆発音がした。またどこかの班が研修中止に追い込まれたのだ。それまで笑っていたバトスも表情をひきしめ、腰を上げた。
「力もついたし、そろそろ行くか」
タウたちも荷物を背負い、四人はまた山を登りはじめた。
それからしばらくしてのことだった。シータがあたりを見回し、「何の音?」と首をかしげた。先頭のバトスも足をとめ、タウも周囲に耳をすました。
はさみで連続して物を切るような音が後ろから近づいてきている。シャカシャカ、シャキシャキ……聞き覚えのある音だった。これはたしか――タウがはっとするのと、バトスが叫ぶのが同時だった。
「はさみ虫だっ」
アルスの顔色が変わった。シータはまだ習っていないのかぽかんとしている。走り出すバトスとアルスに続き、タウもシータの腕をつかんで駆けた。
「はさみ虫って何?」
「名前のとおりはさみをもった虫だ。見つかると襲われる。鉄でも切るから武器は役にたたない。急いで手頃な木に登るんだ」
「鉄も切るなら、木なんて余裕でばっさりいくんじゃないの!?」
「連中が狙うのは肉のあるものだ。植物は基本的に傷つけない」
そうしているうちにも耳ざわりな音はどんどん迫ってくる。はさみ虫は集団で行動する。たいてい一つの群れに五十匹前後だ。
バトスとアルスはすでに木の上にいる。タウとシータもかろうじて木によじ登ったところで、はさみ虫がぞろぞろと現れた。はさみをすりあわせながら行進していくさまは、上から見ていても気味が悪い。はさみ虫に襲われて骨すら砕かれた人間の無惨な姿を目にしたことのあるタウは、それを思い出してぞっとした。
はさみ虫の群れはそのまま四人のいる木を素通りし、やがて草むらへ消えていった。音がある程度離れてから四人はゆっくりと木から下りた。
「生で見たのは初めてだ」
バトスが大きく息をつく。戻ってこないのかと心配するシータに、はさみ虫はふり返ることはしないとタウは教えた。
カルフィーの体力回復剤を口にしていなければ、もしかしたら途中で力つきてはさみ虫に捕まっていたかもしれない。規則を破ったことに気はひけたが、助かったことをタウは感謝した。
それから四人は周囲に注意しながら、また頂上を目指した。今までに打ち上げられた火薬の数は四つ。例年どおりといったところか。集めている札にも欠番はない。その後、崖につるされた縄を順番につたい登り、一度はまると抜け出せないぬかるみの罠をうまく切り抜け、四人は何とか山のてっぺんにたどり着いた。
「うわー、すごいっ」
シータが下方を見やって声をあげる。野営地にぽつんと小さく見える点はウォルナット教官だろう。タウも荷物を地面に下ろして肩をもみほぐした。隣に来たアルスが「気持ちいいですね」と目を細める。
少し冷えた風が、汗ばんだ肌にちょうどいい。タウが深呼吸をしたところで、周辺を探りに出ていたバトスが小走りに戻ってきた。
「俺たちが折り返し地点一番乗りだ。このまま一気に下るぞ」
せっかくの景色だしもう少し休憩したいといった顔で、シータが口の端を曲げる。タウは笑ってシータの背中をたたくと出発を促した。
下りはどの道を通ってもかまわないが、よその班とぶつかると互いの邪魔になるので、タウたちは来た道を引き返すことにした。ある程度の罠はすでに見破っているし、あとは危険な獣に注意するだけだ。それに二番手の班が近づいているらしく、はずんだ話し声が徐々に大きくなってきている。「急ぐぞ」というバトスのかけ声に、三人も足を速めた。
バトスの山下りはかなり乱暴だった。しかも行きの緊迫した雰囲気とは逆に、楽しそうに叫びながら滑っていく。シータも足元の悪さにひるむことなく、器用にバトスについていく。タウは慎重に下るアルスに気を配りながら進んだが、あまりにも前の二人の勢いがよすぎるので、途中で何度か制止しなければならなかった。そしてまもなくふもとに着こうかというところで、先頭のバトスが派手に転んだ。後ろのシータはバトスをよけようとしてまた転び、アルスもとまろうとして草むらに踏み込んだ刹那、いきなり草の間から土色の蛇が飛び出してきた。
寸前でアルスはかわしたが、地面に着地した蛇は再度アルスに食らいついていく。それをタウは剣で切りつけたが、蛇は両断されると同時にタウに向けて砂を吐きつけた。サルムの森やヒュポモネー山地に生息する砂吐き蛇だったのだ。顔をそむけたタウの前で、さらに空気を切る音が響いた。まっぷたつに割れた蛇を横からからめとった長い舌に、全員が硬直した。
「タウ!?」
「動くなっ」
駆け寄ろうとしていたシータにタウは怒鳴った。アルスもバトスも蒼白したままじっとしている。
木の陰にいた長い舌の主は巨大な蛙だった。横幅はタウが両腕を広げたくらい。全身にかたいこぶのようないぼがあり、半開きの両目の斜め上には小さな耳がついている。
風向きが変わったのか、腐臭が鼻をついた。大蛙は食らった砂吐き蛇をゆっくりと味わっているのか、もごもごと口を動かしている。
「イーオスだ。奴は動くものなら何でも口に入れる。しかも毒蛙だ」
シータのそばにいたバトスが小声で説明する。四人は大蛙がその場を去るのをひたすら待ったが、タウたちが動くことを知っているのか、イーオスはいっこうに離れようとしない。寒くなると巣穴で眠るため、どうやら最後の腹ごしらえをしているところに出会ったらしい。
このままではらちがあかない。こうしている間にも、後続の班がふもとに近づいているのだ。いらいらした様子のバトスをちらりと見やり、討って出ることをタウは伝えた。
「おとりが一人。イーオスが食いついたら一人が舌を斬る。そのすきに残る二人が急所を攻撃だ」
おとり役はシータが申し出た。バトスが舌を切断する係になり、一番イーオスに近いタウとアルスが急所を狙うことが決まった。
「行くぞ」
タウの声にあわせ、シータが一歩踏み出した。反応したイーオスの舌が素早くシータに巻きつく。そのまま一気に引きずられそうになったところでバトスの剣が舌を斬り、同時にタウとアルスがイーオスに駆けた。半分になった舌が空中で血とつばを散らす中、二人はイーオスの急所である耳に両方から剣を突き刺した。
頭が割れるほどの高い悲鳴が響き渡った。もがきながら真後ろに倒れていくイーオスから剣を引き抜いたタウの顔に、剣先からはねた液体がぱっと降りかかった。とっさのことでよけるのが遅れたタウは、汁が左目に入ったような気がしたが、痛みはなかった。
大地を揺らし、土ぼこりをあげ、イーオスは絶命した。ぴくりとも動かなくなった大蛙に四人はふうっと息をついた。
「危なかったな」
剣のよごれをはらってしまうバトスの横で、シータがべとべとになった全身の臭いをかいで変な顔をした。
「すごく臭いし、気持ち悪い」
「自分からイーオスのおとりになりたがる奴なんてそうそういないからな」
バトスがにやにやする。どういう結果になるかわからなかったシータだからこそ、引き受けることができたと言えるだろう。思いきり後悔と不満の色を面に広げるシータに、タウとアルスも苦笑した。
全員けがもないとわかったので、四人は先を急いだ。あれから空には一発も研修離脱の合図があがっていない。二番手の班はもうかなりふもとに下りていることだろう。今度はバトスがとばしすぎてつまずこうがシータが滑ろうが、タウは注意しなかった。ここまできたら一位を目指さなければもったいない。
突き出た枝に顔や手をこするのも気にせず、四人は下りに下った。そしてついにふもとに到着した。ウォルナット教官のもとにはまだ他の班の姿はない。だが右のほうから「もうすぐだっ」という叫びが聞こえた。
四人は走った。続けて右ななめ後ろから別の班が山を抜け出してきた。交流戦で先鋒隊隊長を務めるレーノス・クラーンの班だ。一回生は同じく先鋒隊のラボル・ヘスペラー。レーノスたちは四人を見てすぐ後を追ってきた。こうなると先に全員が着いたほうが勝ちとなる。さらに他の班も次々に山から出てきた。
体力的にはどの班も限界に近い。一回生や二回生が途中で脱落していく中、レーノスの班もラボルが転んだ。そのすきにタウたち四人はウォルナット教官になだれ込んだ。
「五番、バトス・テルソン。全員生還しました」
最後は積み重なるようにして派手に倒れた四人に、ウォルナット教官はあきれ顔になったが、札が全部そろっているのを確認すると、一位であることを宣告した。
「やったぜっ」
地面に寝転がったままバトスが両のこぶしを突き出す。全力疾走したからか、アルスは息すらまともにできない様子で苦しげに咳き込み、シータも両手両足を投げ出した姿勢で呼吸をしていた。
そこへレーノスの班がやってきた。レーノスに肩を借りたラボルは自分のせいで負けたと泣きじゃくっている。だがレーノスの班にラボルを責める人間は誰もいなかった。むしろ一回生でよくここまで頑張ってついてきたとほめ、ますますラボルを泣かせた。
他の班が全部帰ってくるまで少し時間がありそうだったので、シータが体を洗いたいと川へ向かった。一応見張りとしてついていったタウの目の前でシータはそのまま川に入っていき、服についた汚れを落とした。それから丈の長い草むらで手早く着替える。
タウは川には入らず、水をすくって顔を洗った。左目が何となくかすんでいるような気がしたが、やはり痛みは感じなかった。
「タウ、どうかしたの?」
イーオスのよだれからようやく解放されたシータが、すっきりとした顔で寄ってくる。タウは一瞬迷ってから口を開きかけたが、集合がかかったとアルスが呼びにきたので、結局話さなかった。
野営地に戻ると他の班もそろっていたので、夕食と天幕の準備に入るようウォルナット教官が指示を出した。バトスとアルスが夕食作りを担当し、タウはシータと一緒に天幕を張ることにした。
その後も、特別左目がうずくことはなかった。目に入ったと思ったが、気のせいだったのかもしれない。ぼやけて見えるのも、きっと不安からくるものだろう。皆が寝静まる中、タウはそう考えながら眠りについた。




