<7・持つべきものは真の友。>
どうにも、加奈はこういう事態になるかもしれないということを危惧していたらしい。放課後になってから、あやめは彼女と沙乃子に声をかけられた。何でも、志木映見奈の悪い噂については予め聞き及んでいたということらしい。
「もう、何でそう堂々と喧嘩売っちゃうかな、あやめは」
加奈は頭痛を堪えるような顔で言った。
「ちょっとその……悪い友達と一緒にツルんでることが多いらしいの、志木さんって。半グレ組織?っぽい彼氏と一緒に歩いてるのも見たって。クラスの半分以上の子は、志木さんは派手めだけど明るくて一緒にいて楽しい女の子~みたいに認識してると思うけど、多分一部の子は分かってて志木さんのこと避けてるよ。中学の頃からそういう悪い噂絶えなかったみたいだし」
「“ジュリアナ”でしょ、その組織って。元暴走族だったのが、今はバイクで走るよりももっとアングラ系中心になってるっていう」
「……知ってるんじゃん」
沙乃子はまだ部活動を決めていないが、活発な加奈は既に陸上部への入部を決めていた。この学校の陸上部はそこそこ規模も大きいし、当然先輩の数も多い。真面目で聞き上手な加奈だからこそ、聞こえてくる話も多いのだろう。
「バイクでぶんぶん鳴らして走られるのも怖いけどさ……ほとんどの奴ら無免許だし。でも、それでも昔の方がマシだったんじゃないかって言われてるんだって、ジュリアナって。クスリを売りさばいてるとか、半グレどころかヤクザと繋がりがあるんじゃないかって話もあって。志木さん本人がそこに所属してるわけじゃないんだけど、結構その男達数人と関係があったというか、付き合ってる時があったというか」
「気にするほどのことでもないと思うけど。だって、志木映見奈は男をとっかえひっかえしてるタイプなんだもの。ずっとそのジュリアナ、とかいうところの幹部やらなんやらの愛人やってるわけじゃないでしょ」
「あ、愛人ってそんな明け透けな……いやまあそうなんだけど」
気にしすぎだ、とあやめは思う。確かに、映見奈の“自分にはたくさん味方がいるんだから”云々の発言が気になるのは事実だ。しかし、実際に組織に所属してるでもなく、組織内の地位の高い男と長く付き合っているわけでもない女の言うことを聴くほど、その手の組織が安っぽいものだとは思えないのである。あれはほぼブラフだと踏んでいた。まあ、数人動く奴がいないとは言い切れないが、女子生徒一人二人のいじめに加担するかどうかなんてまったく別の話なわけで。
――そもそも、それやった時点で、正攻法じゃ私達に勝てないって認めてるようなもんだと思うんだけどね。……ていうか、勝負すらしてないんだけど。
まあ、自分が想像した以上に映見奈がバカだったら話は別だが。その時はその時でまた、対策を考えるだけのことである。
「まあ、あいつらの標的が都から私に移るならそれはそれでいいわ」
あやめはあっけらかんと言い放つ。
「それならそれで、返り討ちにしてやるだけだし。自分で言うのもなんだけど、私都よりずっと強いもの、いろんな意味で」
「わーお……」
「そこまで言い切れるのはすごい」
「喧嘩を本格的に売られたら高値で買い取って盛大にボコり返すスタイルだから。今のご時世だからこそ、いくらでもやりようはあるのよね」
奴らが机にラクガキするとか、物を盗むとか、そういうオーソドックスな手段に出てくるならそれもそれでよし。証拠をカメラにでも収めて警察に持っていくなり、SNSにアップするぞと脅迫するなり、いくらでも手段はあるのだから。先生に密告した上で教育委員会に出しますよーをやってもいいだろう。物理的証拠があれば、彼等だって事なかれ主義を貫くことはできないのだから。
いじめの手段として、相手がやってきそうなことなどいくらでも想像がつくというものだ。何せ、前世では自分はロミー相手にいじめる側だったのだから、その心理には想像がつくというもの。もっと言えば、社交界で気に食わないお嬢様方とバチバチやったり、嫌がらせを受けたこともある。あの世界と比べたら、科学が発展したこの世界は証拠を押さえることだって難しくない。恥も外聞も気にせず、さらに度胸があるなら、学校内のことだっていくらでも警察沙汰にしてしまえるのだから。
「凄いねえ、あやめちゃんは」
事をあまり深刻に受け止めていないのか、あるいはよくわかっていないだけなのか。加奈に対して、沙乃子の方はのほほんとしたものである。
「で、本当に演劇部に入るつもりでいるの、清水さんと一緒に?」
「そうねー。あの子は私がプロデュースしてやらないといけなそうだし。ここでほったらかすわけにはいかないでしょ。まあ、私も脚本書いたりとかは興味あるから丁度いいっていうか?」
「あやめちゃんって、結構世話焼きと言うか、面倒見いいよねえ。そこまで清水さんを気にするのはどうして?」
その質問が本人以外からも来るのはまあ、想定内と言えば想定内である。加奈は何も言わないが、同じことを不思議に思ってることだろう。というか、自分達に承諾もなしきに、いきなり音楽の授業で班を抜けたのだから尚更説明が欲しいはずだ。まあ、沙乃子は性格上、そんなに深い意味もなく尋ねていそうだが。
「……いきなり班を抜けたのは、悪かったと思ってるわよ」
本当の理由を、彼女達に話すことはできない。それでも素直に謝るべきことはあるはずである。
「でも、ムカついちゃったんだもの。あのままほったらかしにしてたら、あの子いつまでもぼっちだったんじゃないの」
「それはそうだけど」
「それに、私一番嫌いなのよね。勝つべきものが勝てないセカイってのが」
その言葉で、全てが説明できたとは思わない。それでも沙乃子は沙乃子なりに納得したのか、そっかぁ、とぼんやりとした口調で頷いた。
「なんか、ものすごくあやめちゃんらしいってかんじ。正義漢ですらないんだけど、それがステキ」
「褒めてるのそれ?」
「褒めてるよう」
にこにこしながら沙乃子は続ける。
「だって友達になったけど、あやめちゃん私や加奈ちゃんに、絶対同じ班になれなんて強制したことないし、部活だって無理に一緒になれなんて言わなかったでしょ。遊びに行く時だって、付き合わなかったらダメな人間だとか、空気読めないとか、そういうこと言わないっていうか。それでいて、本当に嫌なことは嫌だってはっきり言ってくれるから、すごく付き合いやすいなあって思ってる。なんていうのかな、本当の友達って、ほどほどの距離感があったり……離れた場所にいても本当の友達になれるんだなって、あやめちゃん見てると思うのー」
頬を染めて、可愛らしいツインテール少女は微笑むのだ。
「だから私、あやめちゃんが好きなんだよねぇ」
よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことが言えるもんだ。思わず、らしくもなくこっちが照れてしまうではないか。慌てて視線を逸らすと、加奈がぷっと噴き出すのがわかった。
「ぷふふふ……やだ、あやめってば照れてる」
「う、うるさいなあ!」
「いいっていいって。そうだよね、それがあやめのいいところだもんね。……自分が裏切られたら嫌だから、絶対友達を裏切らないってタイプ。うん、それが友達だよね」
「……買い被りすぎでしょ」
それは、本心からの言葉だった。今ならわかる。――人にされたら嫌なことなんかするべきじゃない、なんて当たり前のことが。
前世の経験は役にたっているが、前世で自分がしたことを後悔していないわけではないのだ。確かにあの頃、ブリジットだった自分は社交界でも、家族の中であってさえ蹴落とされないように必死になっていて、誰かを慮る余裕なんかなかったように思う。だから、人の悪意には全力で悪意で返したし、分不相応な扱いを受けるロミーのことが忌々しくて全力でいじめたのだ。アランに対して横恋慕したことはともかく、彼女がメイドの中で特別扱いをされていたことは――けして、本人のせいではなかったというのに。
叩き潰しても叩き潰しても、真正面から立ち向かってくるロミーが嫌いで。でも、同じだけ認めていたし、次第に嫌い以外の感情が湧きあがってきたのも事実である。最後まで、友達と認めてやることはできなかったけれど。それをしたら最後自分の愚かさを認めることになるわけで、当時のブリジットにそんな勇気などけしてなかったからなのだけれど。
――だから。どこかで私は……ロミーに、償いたいって思ってたのかしら。
彼女にアランを取られて、家から追放されることになって。そして今こうして、醜い姿の少女に転生させられたのも、罰として相応のものだったのかもしれない。腹立たしいけれど、自分はそれを認めなければいけないのかもしれなかった。何か意味があるのでなければ、こうして中途半端に前世の記憶を持っていることなどありえないのだろうから。
――ていうか。どうして、自分が死ぬ前の記憶を覚えてないのかしら、私は。家から追い出されたような気はするけど、そのあたりさえおぼろげにしか覚えてないなんて。
記憶を持っていることに意味があるのなら。
忘れてしまっていることにもまた、何か理由があるのだろうか。
「友達っていいよねえ」
そんなあやめの気持ちをよそに、沙乃子は暢気に呟いている。
「私も残りの仮入部期間中に、部活決めないとなー。演劇部は面白そうだけどパスかな。脚本よりも絵を描く方が好きだしねえ」
「まあ、あんたはそうよね。ていうか部活もそうだけど、二人とも課題忘れるんじゃないわよ。まだ何の歌にするか決めてないし、当然練習も始めてないでしょ」
「あやめちゃん、それブーメランだからね。今度の土曜日に、都ちゃんと一緒にカラオケ行って決めるんでしょー?あーあ、私もカラオケ行きたいなー」
「沙乃子もあやめも楽しそうで何よりだけど、テストのことも忘れないようにね?古文の小テストあるし、うちの学校小テスト系も成績に響くって有名なんだから」
「……それは忘れていたかったわ」
勉強は苦手だ。いざとなったら、都に教えて貰うことも検討するべきだろうか。
そこまで考えて、あやめはそんな自分に驚いた。自分も自分で、彼女がすんなり勉強を教えてくれるだろうことを疑っていないことに気づいたからだ。都には、人をすぐ信じすぎだと呆れていたはずだというのに、これではまったく人のことなど言えないではないか。
――私も、甘くなったもんね、ほんと。
彼女がロミーであると、確定したわけでもないのに。
あるいは、ロミーと同じ顔をしているなら信じるのも当然とどこかで思っていたのだろうか。
まったく不思議な話である。前世では、あれほど因縁をバチバチしていた相手だというのに。