<3・あんたの無様は許せない!>
なんつー胸糞悪い。あやめはもう隠しもせず、“うげぇ”という顔をそちらに向けていた。
「え、えっと……」
現在音楽の授業中。グループ分けを指示した先生も、明らかに困ったような顔をしている。彼女の視線の先には、一人ぽつんと教室の真ん中で余ってしまっている、清水都の姿があった。
流れはこうだ。
二人か三人の班の組み合わせを作り(本来は二人ずつが好ましいのだろうが、奇数の仲良しグループもあるゆえの配慮だったのだろう)、そのグループで一つの歌を練習する。そしてみんなの前で発表する、という授業内容だったのである。今回は、どんな歌を練習しても問題なし。ただし、コンビかトリオのメンバーは暫く付きっ切りで互いの歌のチェックをするため、当然仲良し同士で班を分けた方がやりやすいのである。先生もそれがわかっていたからこそ、自分で班を指示するわけではなく生徒同士で班を分けてくれるようにお願いしてきたのだろう。
実際先生の眼から見て、明らかに独りぼっちの生徒やいじめられている生徒がいるように見えなかったのなら尚更そうするのは自然なことだ。まさか、欠席者が誰もいないのにも関わらず、余ってしまう生徒がいるなんてどうして想像できただろう。
しかもその生徒は、クラスの中心メンバーのグループに入っていたはずの少女なのだから尚更だ。
「…………」
都は自分でもどうすればいいのかわからないようで、一人唇を噛んで俯いている。教室を、気まずい沈黙が満たしていた。
「す、すみません!どこか、清水さんを入れてくれるグループはありませんか?」
慌てたように先生が口を開くも、みんな困惑して眼を逸らすか顔を見合わせるばかり。三人組のところはもう仲間を入れられないというのもあるし、何より都を実質追い出した女子達の不興を買うのが怖いというのもあるだろう。
そう、追い出した、も同然なのだ。
都がいつも一緒にいた女子達は四人。都を合わせて五人で、丁度二人と三人のグループで分けることが可能なはずだった。ところが彼女達が唐突に“今回は二人ずつでやりたいから、清水さんは他のところに行ってね”と笑顔で彼女を仲間外れにしたのである。先生も、都がいつものグループに入っていないことに戸惑ってそちらに視線をやるものの、彼女達はにこにこしながらひらひらと手を振って“私達は関係ないんで”という素振りをするばかり。小学生のいじめかよ、とあやめは心底呆れてしまった。
「ど、どうしたんだろ。あの五人で仲良しだと思ってたのに……」
あやめと一緒に組もうとしていた二人の友人のうち、天然ボケ属性の沙乃子が小声で言う。まあ、こいつの性格ならそういうことに気づいてなくても仕方ないわな、とあやめは思った。空気が読めないボケっ倒し娘に、最初からそういうことは期待していない。むしろ、そこが彼女の魅力でもあるのだから尚更だ。
一方、真面目な性格の加奈は隣で視線を逸らしている。こいつはほぼ気づいてるな、と直感した。そして気づいていたからといって何ができるわけでもない。自分達が二人組なら入れてやることもできたが、なんせこっちは三人だ。一人増やしたら、二人二人でペアを分けなければいけなくなってしまう。
「ど、どうしましょう……」
先生がおろおろするたび、黙り込んでいる都が追い詰められていくのがわかる。あやめはと言えば、そんな彼女を見ているのがイラついてたまらなかった。
――なんなのよ。
彼女が、ロミーの転生者であるかどうかはわからない。顔が瓜二つなだけの別人なのかもしれないと一応はわかっているつもりだ、なんせ世界が違うのだから。それでも。
あのロミーそっくりの美しい顔で、自分のライバルとまったく同じ顔で――あまりにも、らしくない姿を見せつけられて、腹を立てるなというのが無理なのだった。
――何よ、あんた。あんたがロミーなら……そんな性格じゃないでしょ。
『Sの場合はそれだけじゃないんだってば。なんていうか、空気も読めないというか?
クラスで一番盛り上がってるグループに入れてやってんのにさ、喋ってても全然話合わせてこないんだよね。なんか曖昧に頷いてるだけなのがムカつく。仕方ないので頷いてあげてますーみたいなウエメセな態度が見え見えで』
――あの掲示板のことなんか知らないかもしれないけど。でも、あんな連中の本質なんか、一発で見抜けるくらいの観察眼はあったはずじゃない。
『むしろここ見ててくれたんなら話が早くて助かるかも。うちらのグループに無理やり入ってきて迷惑だったんだよね。
さっさと抜けてくれた方がマジ助かるんだわ』
――馬鹿みたい。あんな奴らにすり寄って、それで体よくポイされるとか。見苦しい、みっともない、あんたのそんな姿なんか、私はねっ……!
掲示板に書き込まれていた、悪意のあるメッセージの数々を思い出す。あれが間違いなく本性だったのだと、たった今証明された形だった。冗談で通じる範囲(と本人達は思っているであろう)意地悪をして、それで都に気づかせようという算段なのだろう。
自分が本当は嫌われているかもしれない、と少しでも思って都が離れていけば万々歳なのだから。あくまで都からグループを抜けさせれば、自分達があらぬ汚名を被ることもないのだから、と。
――そんな汚いやり方の連中に屈してんじゃねぇっつの。あんた、そんなヤワな女じゃないでしょーが!
別人かもしれない。でも、同一人物なのかもしれないなら、少しでもその可能性があるなら――許せない。
なんせロミー・ガースンは。かつて美貌も才能も全てを持ち合わせていた伯爵令嬢、このブリジット・オーモンドを唯一負かした相手なのだから。そんな女が、このような無様を晒すなんて、自分の名誉を既存されるのも同然のことではないか。
「……沙乃子、加奈」
気づけば、声が出ていた。
「悪いんだけど、今回は二人で組んでくんない?」
「え」
「ちょ、あやめ!?」
加奈の制止の声も無視して、あやめは二人の傍を離れてずんずんと歩いていった。例の女子グループの、刺すような視線なんぞ知ったことではない。こんなもの、社交界で散々浴びた嫉妬や侮蔑の視線と比べたらどうということもないのだから。
「私が清水さんと組みます」
「えっ!?」
一番驚いた顔をしていたのは、都本人だった。それもそうだろう、なんせ数えるくらいしか会話もしたことのない女子が、自分のグループを外れて己のところに来たのだから。
が、反論を許すつもりはなかった。だから強い口調で言った。
「文句ないわよね、清水さん?」
まあ、彼女も他に選択肢があるわけでもない。
ほっとしたように先生が“それじゃあ、これでグループ決定でいいわね”と言ったのであっさりとそこで騒動は収束したのだった。
本当の面倒事は、この後に待ってるのかもしれないけれど。
***
「あ、あの……毒島、さん?」
「あやめって呼んで。苗字で呼ばれるの嫌いなの。なんなら私もあんたのこと都って呼ぶし」
「そ、そうなんだ。わかった、じゃあそうする、ね」
おずおずと頷いて、あやめの真正面の席に座る少女。こうして間近で見ると、やっぱり別人とは思えないほど似ている。というか、記憶にある顔と完璧同じだ。眼鏡をかけているし髪型も違うが、前世では毎日のように、それはもう嫌になるほど見ていた顔なのだから間違えるはずもないのである。なんせ、こいつをいかに出し抜くか、こいつより美しくて素敵なレディになってみせるかを当たり前のように考え続けていた時期があったのだから。
「その、曲決めの話し合いを始める前に、教えて欲しいんだけど」
しかし、ぼそぼそと喋る小さな声や、自信なさげな態度は似ても似つかない。なんでそんな後ろ向きなのよ、とあやめはイライラした。
ムカつくが、本当にムカつくが、黙って座っていればこのクラスで一番の美人ではないか。眼鏡をかけていてもその美しさはけして隠し通せるものではないはずだというのに。というか、例の掲示板の話(サッカー部のマネージャーにスカウトされたうんうん)が本当だったとしても、向こうの方が美少女目当てだった可能性は充分にあると思っているくらいである。こんな女の子に傍で応援されたら、そりゃ男としては舞い上がりたくもなるのだろうから。
「なんで、私を誘ってくれたの?他のグループに入ってたのに」
「あんたがムカつくからよ」
「え」
「聞こえなかった?あんたがムカつくから」
こいつ相手に、隠し立てしてやるつもりもない。元より、あやめは思ったことはなんでもはっきり言う質だった。
「クラスで一番美人なくせに、なんでそう後ろ向きなわけ。なんであんな風に人を追い出して平気で笑ってるような連中と一緒にいるわけ、合わせてるわけ。明らかに、あんたを厄介払いしようとしたのが目に見えてるじゃない。私だったら、こっちから願い下げよあんな連中。それを、怒るでもなく笑い飛ばすでもなく、まるで自分が悪いみたいに俯いちゃってさ。腹立つったらない!」
ロミーなら、絶対あんな風にしょんぼりしたりしない。
そんな暇があったら、相手の足の一つでもこっそりひっかけるくらいやる少女だ。だからこそ。
「あんな奴ら自分から捨てて、もっと堂々と他のグループに声かけに行けばいいのよ。あんたは悪くないんだから」
自分は、何も間違っていないはずだ。というか、助け舟を出せなかっただけで同じことを思っていたクラスメートは少なくないはずである。ただ、直接動く勇気があるかどうかが別問題だったというだけで。
「……ありがとう」
しかし、そんなあやめの言葉に、再び都は俯いてしまう。その眼には涙が浮かんでいた。
「ありがとう、ぶすじ……あやめちゃん。あやめちゃんは、強いんだね。凄いね」
何でそこで泣くのかわからない。あやめは困惑すると同時に、どうしても耐えがたくて――視線を逸らして言ったのだった。
「あのねえ。……ちゃん付けやめてよ。あやめ、でいい。私そんなキャラじゃないんだから」
二人の接点はきっと、これからもないまま続いていくはずだった。
こんなことが会話するきっかけになろうとは、なんとも皮肉な話である。