<25・強くあれ、守るために!>
ずっと、夢だと思っていた。やけにリアリティがある夢、妙に連続している夢、それでもただの夢だと。
しかしその瞬間、蘇ってき光景は、少女に真実を伝えるに充分足るものだったのである。
「さあ行きなさい、水の竜よ!その女をビッショビショのグッショグッショにしておしまい!」
「きゃあああああああ!」
屋敷の中庭で、その日もロミーはブリジットの戦闘訓練に引っ張り出されていた。
お嬢様が高らかにそう命じた瞬間、召喚されたドラゴンは主の命に従う。うまく機能してくれない魔法の杖を持って右往左往していたロミーを目がけて、水流が勢いよく吐き出された。
あっという間にロミーは、その藍色のドレスにいたるまで全身ズブ濡れになってしまう。
「おーっほっほほ!ざまぁないわね、杖が故障でもしたのかしら?反撃もできないなんてなっさけない!」
尻もちをついたところに、ブリジットの容赦ない笑い声が飛ぶ。何とも滅茶苦茶な、とロミーは唇を噛み締めた。今日は対等な勝負をしましょう?なんて彼女がにこにこ言い出したところで疑うべきだったのだ。用意されていた杖は、完全に不良品だった。魔法は遠距離攻撃ができるのが最大の強みなのに、遠距離攻撃しようとすると魔力が杖の先で溜まって弾けてしまう不具合品。意図的に用意したものだろう。ロミーがうまくコントロールできない魔法に右往左往するのを眺めるために。
相変わらず性格の悪さは折り紙つきだと言わざるをえない。まあ、辛く当たられる理由には心当たりがあるので、一概にブリジットだけを責めることはできないが。ご両親もご両親だ、自分は聖女などではないと何度も言っているしそんなお告げを受けたこともないのに、教会の言葉を本気で信じてしまうなんて。今でこそ他のメイド達との仲も悪くはないが、最初は贔屓されるロミーに対して彼女達の態度も冷たかったのだ。針の筵とはまさにこのこと、なんとも配慮がないとしか言いようがない。
そして、このお嬢様がいつまでも、分不相応な扱いを受ける自分を嫌うのも、また。
――だとしても、私は。
「あら、泣くの?泣いちゃうの?わたくしがせっかく魔法の手ほどきをして差し上げているのに、まさか自分が苛められてるだなんて思ってたりなんかしないわよね?」
にやにやと笑いながらロミーの顔を覗きこんでくるブリジット。次の瞬間。
「……雷よ!」
「!」
突然、小さな稲妻が走った。ブリジットがぎょっとして一歩後ろに飛びのく。ロミーが彼女が接近してきた瞬間に杖を抜き去り、下級魔法を打ち放ったのだ。
――だとしても!それ、私が望んだことじゃないし!私は嫌だつってんのに押しつけてくる周りのせいだし!なんでそれでいつまでもネチネチいじめられなきゃいけないんだ、意味わかんないんだっつーの!
不良品の杖を握りしめ、彼女をきつく睨みつけてやる。きっと今の自分はびしょ濡れで、髪の毛ぐしゃぐしゃ、ドレスは草まみれ泥まみれの酷い姿だろう。それでも関係なかった、こんな理不尽に屈してやるほど生易しい性格などしていないのだ。
お嬢様が、本当は努力家であることくらいわかっている。孤独を、ストレスを、怒りを、やり場がないそれらをどうしようもないまま自分にぶつけているのだろうということくらいは。
しかしだからといって、それを真正面から大人しく受け止めて笑っていられるほどお人よしではないのだ。やり返すチャンスを与えてきたのは向こうだ、ならば精一杯こちらも正々堂々喧嘩してやろうではないか。
「遠距離は、無理でも。近距離魔法なら、当たります、お嬢様」
「……いい度胸してるじゃないの」
ブリジットが己の杖を握り直し、高々と笑い声を上げる。
「ふふふふふ!そうね、それくらい威勢が良くなくっちゃ、こっちも面白くないわ!」
彼女が再び杖を掲げて魔法を詠唱し始めた。今だ、とロミーはその懐に突っ込んでいく。自分の方が小柄ではあるが、日々鍛えている分腕力と脚力は申し分ないものがあるという自覚があった。きっとまた魔法で反撃してくるだろうとあちらは思っていたのだろう。詠唱の隙に懐に飛び込まれて、ブリジットの顔が驚きに染まる。
――私は、魔法騎士になるって夢があるんだから。入隊試験に合格して、絶対にこの国を守る騎士になってみせるんだから……!
負けない。お嬢様相手にも、運命にも。自分自身にも。
ゆえに。
***
「はああああああああああ!」
ロミーの記憶と、今の己が重なった。確かに、今の都にロミーほどの腕力はない。でも、相手の力を利用して受け流せば充分にやりようはある。幸い、ロミーだった頃より今の都の方が上背はあるのだから。
「なっ」
都を捕まえようと手を伸ばしてきた男の懐にもぐりこみ、そのまま服を掴んで投げ飛ばした。前世で嫌というほどブリジット相手にお見舞いした背負い投げである。アツトの体が宙を舞う。都の心が折れたと踏んで、ボーガンで打つよりも先に接近を選んでしまったのが彼の選択ミスだった。か弱い女子高校生に見えていたであろう少女が突然見せた柔道技に、男達はあっけにとられて身を竦ませる。
「て、てめえ、何しやがるんだ!」
「み、都……?」
男達の罵声。それから、出血で意識が朦朧としているらしいあやめの呆然とした声。都は眼鏡を外してぽけっとに突っ込むと、男達を睨みつけつつ言った。
「“お嬢様”は約束を守ろうとしてくれた」
都は拳を構え、ファイティングポーズを取る。
「だから今度は。私が、自分が言った誓いを守る番。これ以上、あやめに指一本触れさせない!」
今の自分の身体能力はたかが知れている。しかし、格闘技というものは相手の動きを見切る目、相手の行動によってどのような選択を取るのが最善なのかを瞬時に判断する能力などがあるからこそ成り立つもの。裏を返せばそれらの”目”さえあるなら、素人の力でもある程度応用がきくものなのだと知っている。そう、怒りと力任せに突っ込んでくる奴らを捌いて、自滅に追い込むくらいのことならできるのだ。
「ぐはっ」
突っ込んできた一人目を躱して、躱すと同時に足を払う。二人目は身を屈めて股間にキックを見舞って悶絶させ、三人目は横に避けたと同時に首に手刀を打って気絶させた。
全部、お嬢様との訓練で身に着けたものである。彼女との戦いはいつも、最終的には魔法ではなく取っ組み合いになって終わることが多かった。力ではロミーが上だが体格ではブリジットが上。そしてお嬢様でありながら、ブリジットは格闘技もひとしきり覚えていて自分に容赦なくぶち込んできた。おかげで生傷だらけになった分、非常に実りのある訓練になったのである。まあ、そのたびにドレスがぐちゃぐちゃのどろどろになるのは勘弁してほしかったけれど。
「な、なんだてめえ、人が変わったみてえに」
さっきまで怯えていた少女とは思えない変貌ぶりに、背中を打ちつけて呻いていたアツトが唖然として声を漏らす。
「お前に教える必要なんかない。臭い口を開くな、クズめ」
杖はないから、上級魔法は使えない。こいつらを殺すには足らないかもしれないが、ひとまずぶちのめすには充分だろう。
――よくも、私の大事な人を傷つけたな。
怒りのまま、魔力を集中させる。
「……天命の魔術師よ、疾風怒濤、怒りの聲轟かせ、我が敵を葬れ!」
あやめが使った、下級魔法の一段上。雷属性の中級魔法を使うべく、ドラゴンを召喚する。
「雷鳴招来!」
都のすぐ後ろに、金色の翼を持つドラゴンは折りたち、その翼を広げた。倒れた男達の誰かが愕然としたように呟く――手品じゃないのかよ、と。
あやめは既に何度か下級魔法を使ったが、どれもスタンガン程度の火力でしかなかった。だから、彼等の多くはまだ、魔法の存在を本気で信じてなどいなかったのだろう。
だが。ここまではっきりと、人のサイズ以上の大きさの竜を見ても同じことが言えるだろうか。
否。
「そいつらをブチ殺せ!遠雷竜・弐!!」
都が叫んだ瞬間、ドラゴンが低い声で咆哮し――次の瞬間、真っ白な閃光と男達の悲鳴が周囲を包み込んだのだった。
***
幸いというべきか、あやめは都より体が小さい(体重は向こうの方が若干重いかもしれないが)。息を切らしながらもどうにか気を失った彼女を背負って、駅前の通りまで戻ってくることに成功する。明るい駅前広場まで来たところで、救急車を呼ぼうとスマホを取り出したところで――都はふう、とため息をついた。
「……いつから見てたの?」
視線が、後ろからついてきている。なんとなく、相手もまた自分達と同じ世界の住人だと直感した。そして振り返って相手の顔を見たところで、都はその人物が“元”誰であったのかを理解することになる。
わからないはずがない。前世で、ロミーが愛した人物とまったく同じ目をしていたのだから。
「見てたなら、助けてくれても良かったのに」
「……気づいたのが遅かった。俺が来たのはお前が魔法をぶっ放した後だったんだ」
小学生くらいのその少年。恐らくアランの転生であろう彼は、深々とため息をついた。
「その様子だと、俺がアランだってわかるのか。……今の俺は、雪見流優だ。残念ながらまだ小学生だから、やれることが限られてるんだが」
「なんとなく直感しただけ。……多分、他にも元同じ世界の住人が、身近にわんさかいそうな気がしてる。私達が知らないだけ、あるいは本人が記憶を持ってないだけで」
「そうかもしれないな。一度結ばれた縁とは、引きあうものだから」
流優、と名乗った少年は。意識を失っているあやめを見て目を細めた。
「お前は、そいつを許したのか」
彼の立場なら、そう言いたくなるのも無理からぬことだろう。都=ロミーはアランがいつまで生きてどのように死んだのかを知らないが、それでもロミーが呪いをかけられたと知った時どれほどアランが怒りを露わにしていたのかは見ているのだ。アランは、自分が怪我したことよりもロミーが顔を焼かれそうになったことの方に激しく怒っていた。魔術師の名家の跡取りとして、守るべき禁術に手を出すという、あまりにも自覚がなさすぎるブリジットの行為に対しても。
元々心象が最悪だったのが、完全に地に堕ちた形である。アランの記憶を持つ少年が、あやめを嫌うのも仕方ない事だったに違いない。ましてや、今回はあやめを助けるために魔法を使ったも同然ならば。
「最期の時、お嬢様は死にそうな私を見て泣いてくれたの」
都は少年に微笑みかける。
「そして、私に償うと。今度は友達として私に守ると神様に誓いを立ててここにいる。それが、私にとってどれだけ嬉しかったことか」
「神様の御前での裁きまで覚えているのか?」
「うっすらと、だけどね。……だからもう、許すとか許さないとか、そういうところにはないの。……アランが、ブリジットを憎むのは仕方ないことだと思うし、それは自由だよ。でもね」
あやめの髪を撫でて、都は告げるのだ。
「でも。“君”は。できれば、あやめのことを認めて欲しいなって思う」
記憶が戻っても、自分は自分だ。ロミーとしての人格が、ほんの少し自分の今の人格と融合した、それだけのことである。きっとそれは、アランの記憶を持った目の前の少年も同じことだろう。あやめが、ブリジットであってブリジットではないのと同じように。
「……今回は、被害者連中以外に目撃者がいなかった。人が死ぬこともなかった。そして中級魔法で留めた」
アランの記憶を持つ少年は苦い顔で、視線を逸らす。
「でもきっと、次は許されないぞ。この世界に、あるべき力ではないのだから」
「わかってる」
「もう、二度とあんな危険はごめんだ。次は……お前が魔法を使う前に、俺が助けに入るからな」
小さな小さな騎士は。本気で心配そうに、都を見つめる。だから、都は。
「そうだね。じゃあ、万が一次があったら、今度は三人で逃げよっか。……みんな無事じゃなきゃ、ハッピーエンドなんて呼べないもの」
「!」
遠回しに釘を刺して、もう一度スマホの電話アプリを呼び出したのである。今度こそ、呼ぶべきものを呼ぶために。




