<20・静かに、虫の知らせが。>
罪を犯して、名家を追放された女に見送りなどあるはずもない。
自分は一体どこで間違えたのか。それとも、間違っているのは世界の方なのか。ただただ茫然とした心地のまま、ブリジットは夜の町を歩いていた。離縁されたら最後、馬車でもなく徒歩で町を出ていけというのがこの国の貴族の暗黙の了解だった。ほぼ身一つで、馬車も何もなく、隣の町まで歩いて行かなければいけない。そして、その町に何か生きていくためのコネやツテが用意されているわけでもない。実質、流刑とほぼ変わらなかった。ゆえに、離縁されるような愚行はけして犯すな、というのがこの国の常識なのである。縁を切られたら最後、スラムに落ちるか犯罪でもして日銭を稼ぐか、それもできずに野垂れ死ぬしかないのだ。なんせ、明らかに身なりがいい、どこぞの名家を追放されたワケアリな女子供を雇ってくれる企業があるはずもないのだから。
そう、離縁とはつまり。お前が死んでも私達は構わない、という通告なわけで。
ブリジットが犯した罪は、それほどまでに重いものと見なされたのだ。禁術に手を染めることはつまり、オーモンド家そのものの未来を危ぶませること。ましてや政治的に考えても、今後良縁を結ぶ必要があった別の伯爵家の次男に手傷を負わせてしまったのである。いくらブリジットの能力を買っていた両親でさえ、娘を見限るには充分な条件が揃っていたということだろう。
――呪いに、手を染めなければ良かったということ?
長く道を歩くのさえ、慣れていない。体力はあるけれど、ただただ一人で町はずれの道を歩くのは心細く、あまりにも慣れぬ寂寥感に苛まれることだった。
頼りない街灯がレンガの道を照らしている。もう少し歩けば、身分の低い労働者達が住むエリアに辿りつく。街を出るには嫌でもそのあたりを通らなければならなかった。道の整備もおざなりになるだろう。小石も転がったまま、街灯の電気も消えたまま放置されている場所があるかもしれない。このまま貴族として生きていくなら、けしてお目にかかることのなかったはずの景色を見ることになるはずだ。恐らくは――これからの人生でも。
――なぜ、わたくしがこんな目に。
じわり、と涙が滲む。
――わたくしは、あの女が聖女なんか名乗ってオーモンド家を乗っ取ろうとしてるから、アランを騙そうとしているから……わたくしの邪魔をしようとしているから排除しようとしただけじゃない!他に方法なんかなかったんだから、しょうがないじゃない……!
火傷に覆われた顔が、ひりひりと痛んでしょうがない。涙が伝うたびに傷にしみて、その痛みにまた涙が出るという悪循環。
明らかに離縁されたとわかる元貴族の娘なんて、面倒に巻き込まれたくない一般人が雇うはずがない。ましてや、顔中火傷して悲惨な見目の娘など、売春婦としてさえ使い物になりはしないだろう。
――どうすれば良かったっていうの。わたくしは、わたくしはどうすれば……!この国を動かす人間になるため、母上と父上の期待に応えるため、必死で努力してきたはずだっていうのに。
かつん、と靴が小石を蹴り飛ばし、草叢の方へと撥ねて飛んでいった。ブリジットは足を止める。
「何の用なの」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「あんたはわたくしに勝ったのでしょう?さぞ愉快でしょうね、わたくしを家から追い出して、アランの心を手に入れて!これからはあの家で苛められることもなくなると、大出を振って喜んで歩けばいいじゃないの。それとも何?追い出される惨めなお嬢様を嘲笑いに来たとでもいうの!?」
勢いよく振り返れば、そこには思った通りの少女の姿があった。ゆったりとした黒髪に茶色い瞳、東のアジアン帝国系の顔立ちをした少女。自分がいくらオーモンド家から追い出そうとしても屈することなく、最終的には呪いさえも撥ねつけて逆にブリジットを追い出すことに成功した娘。まさに、正ヒロインは自分だと言わんばかりの結末だ。
今回のことがきっかけで、アランと両想いであることも発覚したらしいと聞いている。まだ家柄の問題はあるが、アランの強い説得もあればロミーのアランへの嫁入りは充分可能だろう。アランが次男であり、比較的自由な結婚が可能な立場であるから尚更に。
玉の輿、嫌いな女を追い出す、両家から祝福されて結婚する。いいことづくめではないか。この状況で、今更自分に何を言うことがあるのだろう。
「……お嬢様」
ロミーは険しい顔で、少しばかり黙り込んだ後。
「戻って頂けませんか。ご両親とアラン様は、私が説得致します」
「……は?」
「確かに、禁術に手を出してしまったのは許されることではないでしょう。ですがもう、お嬢様は悪魔の手によって充分すぎるほど罰を受けてらっしゃいます。それに、こう言ってはなんですが禁術の危険性、禁を破った時の罰則を明確にしていなかったこと、書庫への出入りが簡単にできる状況であったのは……旦那様と奥様の失策であったと考えます。そのあたりの管理ミスを棚上げして、お嬢様だけ責めるのはお門違いではないでしょうか」
何を言っているのか、こいつは。ブリジットは呆れ果てるしかない。自分が元々、誰を呪おうとしていたのか知らないとは言わせない。偶々アランがロミーに対して魔法結界を使っていたからこういう状況になっただけで、本来なら顔を焼かれて苦しんだのはロミーの方であったはずだというのに。
「あんた、自分が呪われそうになったことや、わたくしにいろいろされて来たことに対して恨んでないわけ?それとも何、聖女だから全部許すとでもいうの?なんてお優しいのかしらね、大きなお世話だけど!」
下手な同情なんかやめてほしい。ロミーの説得があっても、オーモンド家がブリジットへの対処を覆すとは思えない。自分が離縁され、流刑に処されるのはもはや確定事項のはずだ。
否、もし説得に応じる余地があったとしても、今までと同じ扱いとなるはずがない。どちらにせよ、下手な同情など惨めな気持ちになるだけだ。それとも、名誉ある死さえ選ばせまいと、そこまで憎悪していたとでも言うのかこの娘は。
「許すつもりはないです。私だってずっと腹を立てていたんですから。ましてや、結果論とはいえ、アラン様に怪我を負わせるなんて……」
気が強いメイドの娘は、物怖じすることもなくはっきりとブリジットに言う。
「でも。……私の二つ目の夢は、お嬢様がいなければけして叶うことはなかったんです。言いましたよね、私には二つの夢がある。一つはプリマドンナになること……そしてもう一つは、魔法騎士となってこの家と国を守る為に尽くすこと。一つ目の夢は、身分もあるので最初から叶わないと諦めていました。でも二つ目の夢は……それを叶える力をくれたのは、他でもないお嬢様なのです」
「わたくしが?」
「お嬢様が日々、私に魔法の手ほどきをしてくださらなければ。私は、魔法使いとしても、剣士としても力をつけることはできませんでした。例え、お嬢様にとって私が邪魔者で、私を追い出すためにしていたことだとしても、です。その行いは結果的に、まぎれもなく私の役に立っていました。魔法騎士の試験に合格することができたのですから」
どれだけ前向きなんだ、と流石にブリジットは呆れてしまった。確かに、魔法の訓練という名目で彼女を連れ出し、不利な勝負をさせてはびしょ濡れにしたり服を燃やしたり、多少の手傷を負わせたり泥まみれにしたり――なんてことも繰り返していたわけだが。
殆どが一方的に魔法を浴びせたり、逃げ回らせていただけではないか。ブリジットだってわかっているのである、あれが真っ当な訓練と呼べるものではなかったことくらい。
「……私は、お嬢様が嫌いでした。だからいつか出し抜いてやろうと、ずっとお嬢様を見てきました」
呆然とするブリジットに、さらにロミーは言葉を重ねる。
「そして知ったんです。お嬢様が……本当は誰よりも努力されていたこと。いつも本当の友達一人作ることが出来ず、孤独な世界に生きてらっしゃったこと。……もし、友達の一人でもいたのなら。お嬢様に、誰かを思いやる心があったなら。そして、正しい努力の方法を理解されていたのなら……私達の関係も、今の結果も、何もかもが違っていたかもしれないと」
「だから、同情すると?」
「違います。私は……お嬢様のことが大嫌いでしたけど。それでも同じだけ認めていたつもりです。お嬢様というライバルがいたからこそ、私はここまで強くなれた、私が私でいられたと。……そのお嬢様が、このような結末を迎えられることが我慢ならないと思うだけです。同情ではありません。でも、私にこんなこと言われて悔しくないんですか?見返してやろうとは思わないのですか?泥水吸ってでも、私に仕返ししてやりたいとは思わないんですか?」
だから、と彼女ははっきりと、ブリジットに手を差し伸べて来たのである。
「やり直す勇気を。私は……私はお嬢様とも、ちゃんと友達になりたいのです」
どうやら。この女は、自分が思っていた以上の馬鹿者であったらしい。せっかく自分を苛めていた女を追い出したのに、ハッピーエンドを手に入れた筈だというのに、何故余計なものを欲しがるのだろう。ライバルを救う、優しい女でも演じるつもりか。それが聖女様として当然の行いだとでも?
――ああ、でも。
少しだけ。納得してしまった。
――あんた。よく考えたら、そんな清らかな性格じゃ、なかったわよね。お嬢様であるはずのわたくしの隙をついて、足ひっかけるくらい平気でやって来たような度胸のある女だった。……安い同情のつもりじゃないってのは、本当なんでしょうね。
なんと忌々しい。その手を自分が取るだなんて、彼女は本気で思っているのか。甘く見られたものだ、このブリジット・オーモンドが。
ただ。
――でも。……友達になりたい、なんて。誰かに言われたこと、過去にあったかしら。
そんなものは要らない。ずっとそう切り捨ててきたはずだった。
でも、もし。心から信頼できる友の一人でもいたら、自分はもっと、自分以外の誰かのために戦おうと思えたのだろうか。
それがもし、目の前の少女であったのならば――。
「!」
少しだけ心が揺れた、その瞬間だったのである。
大きな爆発音と、サイレンが――町を地鳴りのように震わせたのは。
***
「――さん、毒島さん!」
「――!!」
はっとして、あやめは顔を上げた。見れば演劇部の先輩の一人が、心配そうにこちらを覗きこんできている。
「ど、どうしたの?目を開けたまま寝てた?顔色悪いけど、大丈夫?」
「あ……」
現実に、音が戻ってくる。顔にも背中にもぐっしょりと汗を掻いていた。此処はどこだ、と周囲を見回してようやく思い出す。
そうだ、今は演劇部の部活動中。都と一緒に入部届を出して、二人で一緒に体育館に来たのである。秋大会に向けて、基礎練習の真っ最中だった。そうだ、発声練習が終わって、一人ずつアドリブ劇をやって感想を言い合うという訓練をしていたのである。多分その最中に、自分は意識を飛ばしていたということだろう。
問題は。
――ど、どういうこと……?
今。確かにあやめは、夢を見ていた。前世の記憶の夢だ。ブリジットが呪いを跳ね返されて顔を焼かれ、そして家を追い出された直後の夢。ロミーが追いかけてきて。言いあいをしていたところで、サイレンが鳴って――そのあと何が起きた?
いや、今はそんなことよりも。
――なんで?……今まで、夢を見るのは夜だけだった。なんで、こんな……真昼間の、起きてる時に?
心臓が、煩いくらいに鳴っている。これは何かの警鐘だ、と直感した。
「具合が悪いの?今日は早退する?」
「い、いえ……大丈夫です」
ちらり、と都の方を見る。彼女は不安そうな目でこちらを見ていた。
これは、ほとんど勘のようなもの。それなのに、妙に説得力があるもの。あるいは虫の知らせとでも言うべきか。
「大丈夫、です。私は」
何か、大きな危険が迫っている。
恐らくは、都に。




