<15・人を呪わば穴二つ。>
その時のブリジットは、己のプライドが引き裂かれたショックと怒りで頭がいっぱいになっていた。ロミーが両親とアランに取り入って、この家を支配しようとしている悪女だとしか思えなかったのである。
人が最も残酷になれるのは悪に染まった時ではなく、自らの正義を盲信して疑いもしない時だ。まさに、その時のブリジットがそうだった。ロミーを排除するためならば、どんな汚い手を使っても許されるはずと本気で信じていたのである。
だから、禁術に手を染めた。
たとえ跡取り娘であっても、許可なくして入ってはいけないと言われていた地下の書庫を勝手に開け、その中に保管されていた禁術書を持ち出して術を実践しようとしたのである。
長い歴史を持つオーモンド家は、魔術師の家系であると同時に魔法研究家の家系でもある。始祖の魔法に改良を重ね、負担が軽く、かつ高い効果を持つ魔法を次々と生み出していったパイオニアこそ、オーモンド家の開祖であるジャスティン・オーモンドなのだ。彼は自らの魔術師・魔女の仲間達に自分が研究した魔法を教え、子孫たちに伝えていくようにと指示を出した。その仲間達がそれぞれ世界各地に散り、さらなる研究を重ねていくことによって魔法の様々な流派が生まれることとなったのである。オーモンド家の魔法はその中でも最も古く、最も主流とされる術を扱う家系なのだ。
その研究は、今なお続けられている。
そして魔法の研究が続くということは即ち、一つの“使える魔法”を生み出すまでにいくつもの“使えない魔法”が発見され、破棄されたり封印されたりということが繰り返されてきたということでもある。そういった魔法のうち、とくに危険とされたものが地下書庫には眠ったままになっているのだ。幼い頃から、何度も言い聞かされてきたことである。地下書庫の魔法は、時が来たら父と母が二人でブリジットに引き継ぐことになるから、それまではけして触れてはいけないと。特に、呪いに関する魔法には絶対近づいてはいけないと。
――そもそも、魔術と呪術は本来相容れぬもの。魔術師はかならず、どんな魔法も解く術を作っておくものだけれど呪術はそうじゃない。呪ったらそのまま、解法を用意しないから取り返しがつかない。呪詛返しで、呪いをかけた人間に返すしかなくなるから、と。
だから成人して、両親に認められるまでは。心身ともに成熟し、魔力が高まるまではと口が酸っぱくなるほど言われていたのである。
もし。ブリジットに魔法の才能がまったくなかったのなら。あるいは、まだまだ己が未熟であることを自覚していたのなら、こっそり魔導書を持ち出して試そうだなんて思わなかったかもしれない。しかし生憎、ブリジットの才能は自他ともに認められているところだった。歴代最高の魔女になれる素質があり、知識があり、器がある。両親にも魔法を実践してみせるたびに褒められ、一度教えられれば大抵の魔法を使いこなしてみせるほどの物覚えの良さと器用さを発揮するともなれば、天狗になるのも致し方ないことではないか。
そう、自分なら。
まだ十八歳だけれど、歴代最高の魔女になれるであろう自分ならきっと成功できるはず。それが過信だなんてブリジットは思わなかった。自信家であり、それに見合う実力を持ち合わせているということは時として非常に不幸な結果を生む。何よりブリジットが感情的な性格であり、力を持つ者が同時に育てるべき“他者への思いやりや共感”が未熟であったのが最大の問題だったのだろう。
そう、今の“あやめ”にはわかることが、ブリジットには何も分かっていなかったのだ。
「ふふふ、思い知るがいいわ、ロミー……!いくらあんたでも、この術を受ければタダじゃすまないんだから……!」
緑色の分厚い革表紙の本。それを自室に持ち込むと、眼を通して、書いてある通りの魔法陣を描いた。大きな羊皮紙を用いて、自らの血を混ぜたインクで陣を描く。中心にはガラスのコップに入れた水の中にマロン樹の葉と、ターゲットの髪の毛を一本。ロミーの髪の毛を手に入れるくらいわけないことだった。今日の戦闘訓練の折、彼女の髪の毛を掴んで引き倒し、それとなく引き抜いてくれば良かっただけのことなのだから。一本どころか三本も四本も抜けてしまったが、まあ問題はないだろう。それをコップに投下し、あとは呪文を唱えるだけでいい。
それは、憎い相手を呪う呪文。
いくら苛めても屈しない、アランのことも諦める様子のないロミーに自ら手を引かせるための方法。否、うまくいけばこの家から追い出すことも可能かもしれない。いくらあの女が気丈とはいえ、顔を潰されて平気でいられるはずがないのだから。
そう、それは悪魔の力を借りて、標的の顔を焼かせるという恐ろしい魔法。長い歴史を持つオーモンド家が、偶発的に生み出してしまった呪いにも近い魔術だった。あろうことかブリジットは、ロミーを相手にその魔法を実践しようとしたのである。
「天地開闢、偉大なる愚者の王よ!永劫の闇の淵より出でし、竜の力を纏いて我に従え!」
深夜。寝静まった屋敷の中に、ブリジットの恨みの呪文が木霊する。ぽう、と魔法陣が緑色の光を放ち始めた。やはり自分は天才だ、と恍惚とした気分になる。禁じられた魔法だろうと、たった一度魔導書を読んだだけだろうと関係ない。自分はそれを簡単にわが物にできるほどの才を持っている。やはり、この国で最高の魔女となり、全てを支配するべきとして生まれ落ちた存在こそ自分であるのだと。
己の実力に惚れ惚れしそうだ、とさえ思った。手応えは充分。必ず成功させることができるという確信が、ブリジットにはあったのである。だから。
「黎明、怨恨、終端、悔悟、混沌の渦より我が手に集え。敵の名はロミー・ガースン。地獄の焔で焼き払え、我が同胞よ!」
油断があったのかもしれない。
なんせ予めロミーの様子を確認することもしないまま、術を発動させたのだから。
呪文を唱え、魔力がさらに高まった瞬間、ブリジットは杖でガラスのコップの淵を叩いた。刹那、コップの中の水面が大きく波打ち、マロン樹の葉がぐるぐると大きく水の中を動き回ることになる。これで、ロミーは顔を焼かれてもがき苦しむことになるはずだ、とブリジットは暗い笑みを浮かべた。二眼と見られない容姿になった娘は、自らこの家を出ていくことだろう。少なくとも、もう二度とアランに近づこうなどという汚い野望を抱くことはなくなるはずだ。
おぞましい見た目になった娘のことなど、アランが愛するはずがない。ロミーさえいなくなれば、アランの心は自分のものだ。彼は必ず婚約に同意するはず、そう信じきっていた。だから。
「!?」
ばちっ、と火花が跳ねるような音がした。何事だ、と思った瞬間コップに罅が入る。はっとした瞬間、硝子のコップは魔法陣の上で粉々に砕け散り、中の水が魔法陣の中心で飛び散ることになった。飛び散った水は、どんどんドス黒く染まって魔法陣を濡らしていく。流石に何かがおかしい。そう思ってブリジットは術を中止しようとした。が。
既に呪文はすべて、唱え終わってしまっている。
他者を呪う呪文は、一度発動させてしまったらもう解除する方法がない。まずい、と思った次の瞬間、魔法陣の上のシミから黒い霧が吹きあがった。それはやがて大きな影となり、人の形となってぬるりと立ち上がることになる。
悪魔の竜。
何故、ロミーのところに行くはずの竜が、自分のところに。
「ひっ」
逃げなければ、と一歩後ろに下がったところでもう遅かった。ぬうう、と伸びてきた大きな手が、ブリジットの顔をがしりと掴んでいたのだから。
「や、やめて!何するの、離して!標的は私じゃなくてロミーよ、そう言ったじゃないの!」
じたばたと暴れるものの、腕は剥がれない。次の瞬間、じゅううう、と何かが焼けるような音と共に、ブリジットの顔面を灼熱が襲ったのだ。
「ぎ」
焼かれている。
何故、ロミーではなくて自分の顔が?
「ぎ、ぎゃ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
そして。
美貌が自慢だったはずのブリジット・オーモンドは。己の術が跳ね返されたことで、その顔を生きたまま焼かれて失うことになったのである。
全ては、己の過信と慢心、身勝手な正義と悪意ゆえに。
***
――ああ、最悪の気分……。
朝から頭痛が酷い。昨夜見てしまった夢のせいであることは言うまでもなかった。何が楽しくて、生きたまま己の顔が焼かれる絶望や苦痛を追体験しなければならないのだろう、とあやめは思う。確かにブリジットのやったことは身勝手がすぎたし、因果応報と言われればそれまでのことかもしれないが。
――もし、あの時少しでも私に良心があったら。あるいはもう少し己の実力を過信せずに慎重になっていたら……何かは、変わっていたのかしらね。
ホームルーム前の教室。思わず己の頬をさすってしまう。
――……いえ。あの時思いとどまったところで、ブリジットの暴走は止まらなかったのかもしれない。自分は最高の魔女で、ロミーさえいなければ何もかも思い通りになると考えてしまった時点で。
なんて愚かだったのだろう、と今更になって思う。アランは本気でロミーを愛していた。そのロミーがいなくなったからといって、じゃあすぐに別の女を愛するようになるなんて、そんなことはなかったはずだ。ただでさえアランのブリジットに対する心象は良くなかったし、そもそも生真面目なアランがすぐにほいほいと恋愛対象を乗り換える性格でなかったのは明白である。
今の、けして頭の良くないはずのあやめが考えてすぐ気づくことに、頭脳明晰で魔法の天才だったはずのブリジットが気づくことができなかったのだから皮肉な話だ。
魔法が失敗したのは、アランがひそかに魔法剣士の結界でロミーを守っていたからである。魔法剣士にも、魔術師とは違う種類の魔法が少しだけ使える。特に、守りの結界術には相当秀でていたはずだった。もしブリジットが術をかける前にロミーの様子を確認しにいっていたら気づいたかもしれない。――それを怠った結果、防御壁に気づかずに術を発動させてしまった。そして術の大半が、そのままブリジットに跳ね返ってくることになってしまったのである。
ただし、まがりなりにも伝統あるオーモンド家の禁術であり、発動させたのはその中でも最高の素質を持つと言われるブリジット。その莫大な魔力は、そう簡単に防ぐことはできない。一部は、結界を張ったアランへと跳ね返り、彼の腕に大きな火傷を残す結果となったのである。
ゆえに、ブリジットの所業はオーモンドの家族にも、アランの両親、クローシュ家にも知られることになってしまった。絶対の禁を破ってしまった上、名家の次男に大きな怪我をさせてしまったのである。例えアランを狙っての事でなかったとはいえ、両家の怒りは恐ろしいものがあった。
『けじめは取るべきだ。わかっているな、ブリジット』
焼けただれた顔の傷が完治する間もなく。ブリジットは、オーモンド家と縁を切られ、追い出されることになってしまったのである。
――ほんと、馬鹿。馬鹿、ではあるんだけど……この後がよくわからない。ここで、私と……ブリジットとロミーの縁は切れたんじゃないの?この時点ではロミーは無事で、ブリジットがどうこうできたとは思えないのに……。
『ロミーはお前を恨んでいなかったかもしれない。でも“私”はそうじゃなかった。お前さえいなければ、あの子はあんな最期を迎えずに済んだんだ……!』
それでも、あの少年の言葉が正しいのなら、自分はロミーに何かをしたはずなのである。少なくともその死に無関係なんてことはないはず。
一体、追放されたあとに、何があったというのだろう。何故自分はそれを覚えていないのだろう。あの夢の続きを見ることができれば、答えを知ることもできるのだろうか――。
「ちょっと、あやめ、聴いてる?」
「!」
はっとして顔を上げれば、不審そうな様子の都が。彼女はぷう、と頬を可愛らしく膨らませていた。
「だからね、この曲はどうなのかなーって思って。あやめにも見て欲しいんだけど」
「あ、ご、ごめんなさい。音楽の課題の話よね」
いけない。過去は過去、今は今。現実のことにちゃんと集中しなければ、都にも悪いではないか。
慌てて彼女が持ち出してきたアイポッドを借りたあやめは、驚いて目を見開くことになるのである。
「え、この曲……?」
それは、あまりにも意外すぎるチョイスであったからだ。




