<12・あんたは笑っているべきよ。>
何か、見えない力が動き始めているような気がしている。それも高校生になって、自分と都が出会ったあたりから。そんな風に思うのは、刺激が欲しいと願ってしまう自分の心ゆえなのかもしれないけれど。
「私達演劇部は、主に二回の公演を行っています」
仮入部期間も残り僅かとなった火曜日。あやめは、都と一緒に演劇部の見学に来ていた。もう何度か足を運んでいるので既に知っている説明も多いが、ありがたいことに演劇部はそのつど違う練習を披露したり参加させてくれたりするので飽きるということがない。強いて言うなら部員の数が多いので、一年生のうちから役者をやらせてもらうことは難しいかもしれない――くらいだろうか、懸念材料は。
――……まあ、私だって本当は役者やりたい気持ち、あるけどさ。
ちらり、と都の方を見る。
――都はどうなんだか。……最初に誘った時に触れてなかったけど、役者以外はやりたくないってタイプには演劇部って向いてないのよね。
そもそも、高校演劇の規模で、大人数が出るような舞台を作ることは難しい。舞台の広さが狭いということもさながら、それだけの人数を生かすだけの尺・舞台装置を作ることが困難だから。
もっと言うと、演劇部のメンバー全員を役者にすることはできない。最低でも、照明係数人、音響係一人はいないと舞台として成り立たせることが難しいからだ。自分が見たことがあるのは前世でのプロの劇団と、それからアマチュアの小劇団の舞台くらいなので、学生演劇に明るいわけではないが――大体の仕組みは、そう現代日本においても変わるものではないだろう。現代では、いちいちオーケストラなどをで生演奏しなくても音楽が流せるし、照明もスイッチ一つで切り替えられるから非常に便利になっているというだけのことである。
「春の研究大会と、秋の全国大会。それ以外にも文化祭で公演があったり、夏休みや冬休み前の小さな公演会があったりもしますが、基本的にはこの春と秋の大会に力を入れています。特に秋の大会は地区予選から始まり全国大会に繋がる大舞台。内容も、演出も慎重に決めなくてはいけません。基本的には私達自身で脚本を書いて舞台を作るので、脚本が書けるという方は大歓迎です」
「面白そう……!」
先輩の説明を聞いて、何人かの少女がちょっと色めいた声を上げる。都は、と言えば一生懸命にメモを取っている様子だった。想像以上の熱心ぶりに、あやめの方が驚くほどだ。――同時に、そこまで興味があるなら、もう仮入部なんて言わずに入部届を出してきてしまってもいいような気がするのだけれど。
「……実は、ちょっと迷ってるんだよね」
「え」
体育館での、演劇部の部活動見学の後。都は下駄箱で靴を履き替えながら困ったように笑った。
「演劇部、すごく面白そうなんだけど。でも、それ以外にも興味のある部活出てきちゃって。個人的には吹奏楽部も面白そうだし、軽音部も面白そうだし、合唱部と文芸部と美術部も面白そうで……」
「あ、迷ってるってそういうことね」
「うん。本当はいくつか掛け持ちしたいくらいなんだけど、演劇部は結構練習頻度が高いみたいでしょ?だから、他と掛け持ちでやるのは難しそうなんだよね。吹奏楽部もほぼ毎日練習があるし」
「まあ、うちの吹奏楽部は県大会行くレベルみたいだしね……」
少しだけほっとした。演劇部の内容に懸念材料があるのではなく、やりたいことが多すぎて迷うという“ポジティブ”な方向の迷いであったらしい。なんとも全力で青春しているなあ、と思う。だからこそ、いくつか気になることもあるのだが。
「ていうか、今まで部活動見学あんまりしてなかったみたいだけど?そんなに興味があるなら、今までどうしてたの?」
あやめがストレートに尋ねると、あー、と都は斜め上を見て言ったのだった。
「その……志木さんたちにいつも合わせなくちゃいけないって思ってたから……部活動に入ったらまずいのかなって思ってて。見に行ったら興味が出ちゃうから、見学も控えてたっていうか」
「そういえば、あいつら帰宅部だったっけ」
「うん。いつも遊んでたいから、部活動なんかやってる暇ないって言ってた。……誘われた時に、塾とか用事で行けないことが何度かあって、それでだいぶ不興買っちゃってたみたいだったから……いつ誘われてもいいように、私も帰宅部でいなくちゃいけないのかなあ、なんて」
「……まったくもう」
そういう気の使い方をさせている時点で、本当の友達じゃないでしょうに、とは心の中だけで。もう言わなくても、都自身がわかっているだろう。今は休み時間などでも、志木映見奈たちのグループに近づくことは殆どにない。一人でぼんやりしているか、あやめと話しているか、時にあやめの友達である沙乃子と加奈も交えて一緒にいるか――という状況になっている。
幸い、あやめの脅しが効いたのか、今のところ映見奈たちがこちらに何かをしてくる気配はない。むしろ、気配がなさすぎてかえって不気味なほどである。何かまだ企んでいるのでは?なんて疑ってしまうのも致し方ないことだろう。
――それに、土曜日のカラオケの日に、私と都を尾行してきた奴のことも気になるしね。……なんで小学生のガキが私達を監視してたんだか。しかも、こっちの探索竜まできっちり撒いて来たわけだし。
いずれにせよ、当面警戒はしておくに越したことはないだろう。そしてそういった話を、今のところあやめは都にするつもりもないのだった。お世辞にもメンタルが強いとは言えない都である。余計な負担を背負わせたくはない。
「楽しいことが増えたってのはいいことだわ」
あやめは自分の上履きを下駄箱にしまいながら言った。ああ、こういう時低身長が恨めしい。先生も先生だ、なんでこんな背伸びしないと届かない位置に、あやめの下駄箱を設置してしまったのか。名前の順にした方が楽だというのは想像がつくけども!
「最近、あんた目に見えて明るくなったし。作り笑いしながらあいつらと一緒にいた時よりいいって、自分でも思ってるんでしょ」
「あやめのおかげだね!」
「……だからその、ストレートすぎるのやめなさいよ、こっちが恥ずかしくなるでしょーが」
なんとなく思う。多分、本来の都の性格はこっちなのだろう、と。人懐っこくて、好きになった人間にはとことん尽くすタイプ。そして懐に入れたらめちゃくちゃガードが緩いタイプ。だからこそ、好きをいくらアピールしても冷たくあしらわれると、あっという間に己の行動と言動への自信がなくなるのだろう。元より、自分の見た目にもコミュニケーション能力にも自信がない様子、己のやり方が正しいかどうかは相手の態度を鏡として判断するしかないと思っているなら尚更だ。他人の評価が、そのまま自己評価に直結してしまう。そして残念ながら今まで都は、あまり彼女の頑張りを正当に評価してくれる友人に巡り合えずにいたのだろう。
空気を読めとやたらと言う人もいるが。そもそも、空気なんて目に見えないものを、完璧に読み取れる人なんか誰もいない。その状況でも、相手によっても変わることが多すぎる。読め読めとしつこく言ってくる人間ほど実はちっとも読めていなかったりするから尚更だ。そもそも、わかっていて空気を読まない人間がブチ壊すことを楽しむ奴も存在する。絶対的な正解もないのに、個人の偏った主観だけで相手にレッテルを貼るなんて本来あまりにも不毛なことなのである。
それでも。人間は、特に日本人はその一度貼られたレッテルに振り回されがちなのだ。特に、言った側は軽い気持ちであっても、言われた側はそんな簡単に流すことなどできない。自分は駄目な人間だ、と一度思い込んでしまったらそれがいつまでも足を引っ張って負のスパイラルになることも少なくないのだ。都はそうやって、鑢で削られるように自信を失っていったのではなかろうか。
――だからこそ、一度前向きな気持ちになると、ポジティブな連鎖もしやすいんだろうけど。
それでも、他人の評価に依存しがちなのは事実で、危ういのもまた確かなのだろう。
やっぱりロミーとは違うな、とあやめは思う。というか、段々彼女とロミーが別人であることを割り切りつつあるのも事実だった。そうだ、同じ顔の他人が世間には三人はいるというではないか。神様がいて、ロミーの顔をした都を配置することであやめの罪悪感を掻きたてる目的があったとしても、それが意図的でも。あからといって、彼女がロミー本人である必要性はどこにもない。そもそもあやめがブリジットとは全く別人の顔で転生しているのだから、ロミーだって同じだと考えた方が本来自然なのである。
「演劇部なんだけどさ」
ローファーの踵をとんとんと揃えつつ、あやめは告げた。
「先輩達レベル高そうじゃない?で、私もあんたもアドリブ劇に参加させてもらってけど、結構難しそうだし……一年生にも、役者希望者は多そうだったし。演劇部に誘ったのは私だけど、一年生から役者がやれる見込みは薄そうでしょ?下手したら、三年間一度も役者をやれないで終わる可能性もあるわ。……それでも演劇部が第一候補のままでいいの?」
都の夢は、あくまで女優(特に舞台女優)になることであるはずだ。それなのに高校三年間で一度も舞台に立てないかもしれないのだとしたら、入部する意味は果たしてあるのかどうか。
「それは変わらないよ」
そんなあやめの心を知ってか、都は苦笑しつつも話す。
「確かに役者がやりたいけど、裏方に興味がないわけじゃないもの。それに……」
「それに?」
「仮に三年間一度も役者ができなくたって、裏方をやるのだって勉強にはなるし。そもそも役者に選ばれなかったとしたら、それは私の努力不足、実力不足だったってだけだから。……見えない力とか、環境とか、忖度とかじゃなくて。自分の努力でどうにかなることで、叶わなかったら努力が足らなかっただけだって……そう思える方が、私はずっと気楽だから」
ほんの少し、しんみりとした色を感じ取ってしまって、あやめは言葉に詰まった。なんとなく想像がついてしまったからだ。きっと都は、今まで“努力さえさせてもらえないこと”が多かったのだろうということが。それこそ、本当はやりたいはずの部活に挑戦することさえ最初は諦めていたほどである。やりたいことがあるのに、そのために努力することさえ、誰かの都合で諦めなければいけない。それに比べたら、精一杯努力して、自分のせいだけで夢が叶わなかった方が百倍幸せだ、と。
――世知辛いもんよね。
この日本に、階級はない。身分もない。少なくとも表向きの格差ならば、多くの他の国よりも数段マシであるはずなのである。それなのに、運命だの気遣いだの配慮だの空気だの贔屓だの、目に見えないものに縛られることは想像以上に多いのだ。
人の心はいつだって自由であり、誰にも否定されるべきものではないはずなのに。
『しかしそこに、私の心はない。私にとって最も許せないことが、人の心の自由を奪い、否定することだ。君は当然のように、好きな人がいなければ自分と結婚することが当然の義務だと言う。それは、私が最も嫌う“心の否定”に他ならない』
夢の中のアランの言葉が、ずくずくと心臓に突き刺さっている。
あの時のブリジットにはわからなかった事が、今のあやめには分かる気がするのだ。その後悔が、あまりにも遅いのだとしても。




